2016年12月25日日曜日

富山の路面電車は最先端を行く


富山駅前南口 青い空と白い雪 路面電車が駅に入って来た 富山にはセントラム サントラム ポートラムと路面電車(トラム)が3種類もある どれがどれか市民の方も間違うらしい 今回乗車したのは環状線を走る「セントラム」 (2両編成)環状線から分かれて富山大学へと走るのが「サントラム」(3両編成) この2つは地元の富山地方鉄道が経営している そのほか富山駅北口から旧富山港まで走るのが「ポートラム」という路線 これは三セクが経営している 路面電車の中でも「LRT(ライト・レール・トランシット)」と言って最先端の次世代型路面電車の日本第1号らしい 本当はこれに乗りたかった 事前に調べて行けば良かったと反省 これをモデルにこれから各地で導入を検討するようだ
路面電車といえば四国では高知と松山 中国では広島でレトロな電車と新型電車が走っているし岡山では格好良い電車もある 九州の長崎でも 北海道では函館でもこれらは全部乗っ しかしまだ乗っていないのはいくつかある 乗った中では函館の電車が想い出深い 坂のある街に似合っている 映画に出てくる風景だった
学生の頃 京都では市電が走っていてこれが我々の足だった 同じ頃東京でも早稲田から三ノ輪などでも都電があった 今はどうかな 大阪では現在も天王寺と堺 恵美須町と堺に路面電車が走っている いつもお世話になっている電車だ 最近では「堺トラム」という電車が走っており「LRT」に相当する鉄道として分類されていると新型車らしい 堺トラムは快適で乗りやすい 別に「鉄ちゃん」「乗り鉄」ではないけど電車には夢がある

2016年12月22日木曜日

富山の鱒寿し 最高


昨日は実に暖かい冬至であった 天気はどうなっているのだろうか 北海道は11月頃から寒くなり雪も多いという 西日本は逆だ 寒くなることもあるが直ぐに戻る
そんな中 積雪があった日の12月16日金曜日 初めて富山県に行った 昔から行きたかったところである 北陸新幹線にも乗りたかった 金沢から北陸新幹線で富山にあっという間に着いた 「はくたか」という各駅停車だった それでも22分で到着 途中 新高岡に停車 他に一番速いのが「かがやき」 東京まで2時間32分とか また富山までの便「つるぎ」も走っている
富山は立川志の輔や柴田理恵の故郷 駅は新しく立派だった しかし賑わいは感じられなかった 静かな街だった 路面電車「セントラム」が走っている 富山地方鉄道が経営 地元の方は「ちてつ」と読んでいる 駅から環状線に乗って「丸の内」で下車 雪道の中を地元の方に聴いて「鱒寿し」のお店を紹介してもらった 実は食堂のようなものがあってそこで食べるのかと思っていたのだが 鱒寿しはお持ち帰りのお店ばかりということが分かった 
川上というお店に入った 老舗のようだ ご主人にここで食べるのは駄目ですか?と聞いたら「いいですよ」と言って鱒寿しを切ってくれた 
小さなテーブルがあってそこに腰かけて食べながらご主人と世間話をした おろし生姜で食べるのも美味しいとか 若い男前のご主人がいろいろ教えてくれた この鱒も昔は神通川で捕れたのですよと言っていた 鱒と鮭?はどう違うのだろうか 聴き洩らした テーブルの上にさざえさんの「マスオ」さんが描かれた絵があった 美味しい鱒の寿しを食べることが出来て最高の日を過ごせた

2016年12月11日日曜日

昭和39年卒と40年卒です


私たちのテーブルは39年卒の先輩と一緒でした 中西太先輩を囲んで撮影 1年先輩と言ってもここで知っている人はいない 残念である しかし東京には1名知っている先輩が居る 喬一さんなのだがなかなかお会いできない 同じ団地のお兄ちゃんだった 高校時代はバレーボールのキャプテンをしていた有名人だったが誰に聞いても覚えていないようだった まあ年が年だから仕方がないが 39年は昭和20年生まれで生徒も極端に少なかったのになあ 動物園の園長さんの息子さんもそうか1年先輩でしたね 別のテーブルに座っておられた
この日は会費が5000円 料理はまあまあだった 不満は「うどん」がなかったこと 普通は「屋台」のうどんやが出るのだが 讃岐の人ばかりなので用意しなかったと思われる 昭和60年卒の皆さんが当番だったのだがプロの司会(地元放送局の男子アナ)から応援団長、プロのカメラマンとタレント揃いだった また卒業生である高松ゆめ大使も招かれて挨拶をしたのだがなんと彼女は敏和さんの教え子だったとか 敏和さんもよく覚えている子であった 帰りに秋山先生のご自宅に立ち寄ったが不在であった(後から病院に行っていたとのメールがあった)
この高松国際ホテルは昭和39年開業のホテルである 確か始めは第一ホテルではなかったのか 現在はあなぶきエンタープライズが経営しているとのこと 中心地から少し離れているが大きな良いホテルである 

2016年12月10日土曜日

桜紫会でサプライズあり


12月に入って10日が経った 先ほど年賀状を書き終えた やれやれである 毎年この時期には今年こそ出すのは止めたいと思う 止めるには何らかの理由が要る 最近ちょくちょく高齢を理由に来年からは失礼しますとの年賀状が届く 今日書いたのは158枚 兄弟 親戚 元在職していた職場の同僚他 大学高校時代の友人 親しくしている方など 厳選する これでも出していない人から50枚ほど届くから全部で約200枚は書くことになる 今は年賀状ソフトがあるので面倒なことはないけど 悩んでしまう 現在の職場では平素顔を合わしているから儀礼的なことは止めましょうという通達を出しているので楽である

先日高松で開催した桜紫会 同期の出席は2名だけ 全然知らない同期の人だった 昨年の50周年に参加したというから間違いない 彼は今まで全然出ていなかったそうで話をしても嚙みあわない 帰って調べてみると理科系というから11組かと思ったら12組だった 久ちゃんや四郎ちゃんと同じクラスのようだ ただ二人の全然名前が出てこなかった 
その孝夫さんが中西太さんとの写真を撮ってくれてメールで私に必ず送信するからと約束してもう1か月近くになる 孝夫さんの住所も不明なので連絡のしようがない 実はその写真には太先輩の他にプロ野球で活躍した高松商業出身の山口富士雄さんも写っているお宝写真であるので是非欲しい 山口さんは甲子園センバツ決勝で米子東からサヨナラホームランを打った人だ 4つ上かと思う その後阪急などで活躍した名選手である まさかここでお会いできるとはサプライズ 少しお話させてもらった 実は私が小学生の頃近所の高商野球部の合宿所に遊びに行ったこともあり懐かしく語った この日は香川の高校野球を強くするPJがあって名誉会長を太さんに就任して欲しいとのことで来られていたようだ 是非PJを立ち上げて強くして欲しいと願う

久ちゃんのおかげで孝夫さんから写真がやっと届いた 中西太先輩の右が山口富士雄さん 甲子園で大活躍だった二人 力を併せて欲しいと思う

2016年12月1日木曜日

信州リンゴが届く


12月に入った 今年を振り返ると10月の地震が全てだったと言っても過言ではない 大袈裟だが一瞬死ぬかと思った 初めて体験する震度 ああこれで駄目か・・・ 本当に何が起きるか分からない 人生はそういうものかも知れない 各地での災害をみると突然の出来事に人生が一変する様子を実感したのである そのショックは尾を引いた 地震のおさまりと共にリカバリーしたと思う 人間は立ち直れるのに時間がかかる人とそうでない人がいる また立ち直れない人もいるという人もいる 時間が解決する つまり日にち薬というのもあるのだが人さまざま 私は人生訓として「すべては時が解決する」を持っている また「自然に帰れ」も好きな言葉だが 今その自然が荒れているような気がする

さて お見舞いも兼ねて知人から「信州リンゴ サンふじ 特選」が送られてきた 知人の故郷である長野県小布施の果樹園からの直送である 立派な林檎 御品書きには「葉とらずりんご」と書いてある 「一般のリンゴは先ず見た目を良くするために実が完熟する前に周囲の葉をほとんど取ってしまい色付きを良くして出荷される するとリンゴは摘まれた葉の分の光合成を受けることが出来ず本来の糖分や旨み等が抑制されてしまいます」「ですから生育過程では実に触れている葉を摘み取らず樹上完熟する「葉とらずリンゴ」こそ自然の恵みなのです」 と書いてある
人間もそうだなあ 自然がいい 変に干渉すると育たないなあ と思う 
知人は落語を通じて知り合った方で本当に素晴らしい方である 知人も信州生まれ 実は私も生まれは信州 母の故郷で生まれたのである 信州のリンゴ とくにこの「葉とらずリンゴ」は美味しい

2016年11月27日日曜日

肉ぶっかけ 冷たいの


四郎ちゃんの「大木戸」うどんは日曜日はお休み 残念 さて昼はどこへ行こうかなと思ってホテルのテーブルを見ると 手作りの「うどんマップ」がおいてあった 川福 地上最強のウドンゴッドハンド 義経 植田うどん さぬき麺業 うどん市場 たも屋女道場 こんぴらうどん うどん家五右衛門 鶴丸 10件の近所のうどんやさんが紹介されていた 
「ゴッドハンド」 知らんな ここに決めた 麺は細めでのどごし抜群のフレーズが気に入った 片原町にある どんなお店だろうか ワクワクしながら昼を待った
12時を過ぎてお店に セルフの店らしい おお行列が出来ている 初めての人には勇気がいるかもしれない 常連さんに人気の店のようだ 列に並んでメニューをみるとたくさんあるので迷う お勧めは「ひやしぶっかけ 小 290円」とマップには書いてあったが 迷いに迷って「肉ぶっかけ 冷 中 480円」を頼んだ セルフとは言っても自分は何もしなくて良い 直ぐにうどんが出てきた 空いてある席を探してレモンと大根おろしをかけて食べ始める 麺は細め? 期待外れだった 少しは細いかな? 結構ボリュームがあった これが中であったから大はとても食べられないと思った 確かにのどごしは良い 抜群とまでは 個人差がある 肉は甘くはなかったが量は多かった 
調べてみると2006年に出来たお店らしい ゴッドハンド 神の手か 神ってる年のうどん 話題性は充分だ 

2016年11月24日木曜日

世界に誇る栗林公園


時間があったので久しぶりに栗林公園を散策 11月19日からは夜間ライトアップしていた 残念ながら夜の栗林公園は観られなかった さぞ南湖に映る月と紅葉が綺麗だろうなあ 一度は舟に乗り鑑賞したいと思う 今回は北門から入った 昔は北門はほとんど人が居なかったが今は多いようだ 拝観料は410円 香川県民だと65才以上は無料 栗林公園は勝手知ったる我が家の庭のようなものでどこに何があるか分かっている まずは商工奨励館前へ 驚いた 物凄い人出だった オータムフェスティバル2016というイベントをやっていた 中年の夫婦が「こんなに大勢の人を公園で見るのは初めてね」と会話していた 芝生では音楽会も催していた
地域の小学生がガイド役を引き受けて観光客に案内していたのは微笑ましい光景だった 女の子も私にきちんと「こんにちわ」と挨拶してくれた 孫のような感じだ 丁度紅葉の近くに鳥が飛んできて止まった あれは「鷺だ」というこどもの声がした 私は女の子に あれはね「鷺は鷺でもオレオレ鷺」だよと冗談を言うと女の子はきょとんとしていた 「オレオレ鷺}? 気が付いて笑った ああそうなの 「オレオレ詐欺」ねと言って男の子に話しかけた 男の子は直ぐに分かって爆笑 冗談のつもりが・・・純真な気持ちを傷つけたかもしれないと反省
栗林公園の紅葉は素晴らしかった 京都興福寺の紅葉も素晴らしいが ゆっくり歩きながら鑑賞できるのはここしかない 世界一だと自慢できる栗林公園である

2016年11月23日水曜日

お好み焼き ふみや


「シェ・クサカ」がA級グルメとしたら この「ふみや」はB・C級といったところか 両方のお店はすぐ近くにある トキ新(常盤新町)にはB・C級グルメが多い 焼き肉の「どんぐり」は英和さんお勧めのお店 大学時代に良く通ったお店だそうだ  
高松人でこの「ふみや」を知らない人はいないと言っていいくらいの有名店 高校生にはお馴染みの店であると思う それは昔の話だが・・・ 12時前にお店を覗いたら馬蹄形のカウンターは満員だった 若い人は居なかったのが残念である おっちゃん・おばちゃんが多かった 昭和27年創業という 今では鍛冶屋町にビルを建てそこにも支店を出しているから大成功である
この店は何と言っても油とソースにある 油にケンネ(牛脂)を使っていることだ これがクセになる味わいを引き出している 初めの人はこの油に驚く 実は今までラード(豚脂)だと思っていたのだがラードではなかった 豚ではなく牛だったのである カリッとした焼き上がりが素晴らしい ラーメンでも豚骨ラーメンが主流だが牛骨ラーメンというのもある 現在住んでいるところは牛骨ラーメンの聖地である またソースは仏生山の神崎屋という200年も続くご当地ソースを使っている こだわりが人気の秘密だ
お好み焼きといえば大阪や広島が本場だがこのように隠れた名店も高松にあるのは嬉しいことである うどん焼きも美味しい

フレンチ 最高


お昼は高松国際ホテルでの桜紫会総会 夜は3年4組の同期会 高松でフレンチ 最高級のお店レストラン「シェ・クサカ」でディナー 充実した一日であった 哲さんや晃さんの話によると高松組は年に数回最高級のお店で食事会をして楽しんでいるとのこと 前回は寿司屋「恵介」 次回は来年4月頃 中華料理の「本田」 磨屋町にある美味しいと評判のお店で開催することが決まった 「恵介」は行ったことがある 年金生活者のささやかな楽しみとか 素晴らしいことである 今日は哲さんから誘われて遠方から出掛けたのである
フレンチのフルコース まず前菜 サラダ スープ フォアグラ 魚料理(鰆だったか) オマールエビ お肉(ヒレだったか) デザート フランスパンがついている とにかく美味しかった もっと出たかも知れない 写真を取れば良かったのだが忘れてしまった へえこんな店が22年前からあったとは 今日は貸し切りだったのでわいわいがやがや 大声で話しが出来たのが良かった
孝子姫 お桂ちゃん 貞子さん 千鶴子さん 女性陣は4人 男性陣は7人 主催者 晃さん 哲さん 英和さん 敏和さん 大阪から隆教さん 和生さん 私 常連さんが数名欠席で残念であった 近況報告では高校時代には全く知らなかった一高に入学するまでの秘話が貞子さんから語られた 小さい頃から働き者で教員を退職した今でもずっと農業を続けているとか なんとかかんとか高校に入学、国立大学にもなんとかかんとかで入学と言って笑わしていたがそれも素晴らしい生き方であると感じた  まさに人生いろいろ 2次会の古馬場で「レオ」というお店も感じが良かった

2016年11月21日月曜日

桜紫会の集いに感動


久しぶりに高松での総会に出席した 開場時間ギリギリに到着 そこで待っていたのは美女軍団 昭和60年卒の美女軍団だったことを後から聴いた 昭和60年卒と言えば20歳年下 ということは50歳 そんな歳に見えなく皆さん輝いていた もちろん素敵なご洋服も 今日は最高のおもてなしだった 席まで案内してくれるとは 期待以上のサービスだった お話しさせてもらうと自分たちは丙午の年で生徒は少なかったと言っていたが同期の結束力は高くタレント揃いと感じた こちらの年齢のせいか とても新鮮でイキイキしてみえた

さて桜紫会 今年は270名を超える参加で会場は熱気が溢れていた 今日のお目当ては大先輩の中西太さんの講演だった 83歳とはとても思えない まさに怪童 本人は「怪しい人物」ということだろうと自分のことを言っていたがそれはあたっているかもしれない 太さんは人間は短所ばかり見るが長所を見てそれを伸ばして自信をつけさせるということの大切さをお話された 監督は監督の器がある 自分はコーチ向き 日ハムの栗山監督のことを褒めていた 彼はよく勉強している 正力賞をもらったことにも触れていた 紹介ビデオでは未だにバットを振る姿が出てきた なにしろ太さんがバットを振ると木の焦げた匂いがするという伝説がある それだけ振りが鋭いということだ ハングリーで入団したプロ野球 さすが良い話だった 聴いて良かった 小学校・中学校・高校の大先輩である

音楽部の演奏もさすがだった ОBの歌声も素晴らしかった 歴代顧問も登壇して指揮をとった これは他校にはないものである 一高らしい同窓会でした

2016年11月12日土曜日

11月はトランプの月だった


10月にウォーキング大会に参加 日本海の海辺を回った 珍しく穏やかな海 青い空 ここは石が大きく足元が悪いので海水浴場にはなっていない 足が痛くて痛くて・・・
石は「ごろた石」といわれる楕円形の石 珍しい 見たことがない石  海が荒れる日には打ち寄せる波によってこれらの石がぶつかり合い「カラコロ」「カラコロ」と音が鳴るそうです 町は良くなる鳴る浜としてPRしており 良く鳴る=良くなる と縁起が良いそうです また夕陽も綺麗でしょうね そう感じました

さて11月 アメリカ大統領選挙でサプライズ なんとトランプ氏がクリントンに勝利 名前が覚えやすいしトランプなので落語のネタにはこれからよく使われるだろう 亡くなった春風亭柳昇師匠のマクラでもクリントンのことを「栗きんとん」と覚えたと言っていたし ブッシュは電話の「プッシュホン」と冗談を言ったりしていたのだからこれから噺家はどう取り入れるのだろうか
それにしても意外だった トランプの共和党は比較的お金持ちの党 ティーパーティなどでの資金集めは絶大 しかし白人主義が弱い者いじめをするのではないかと危惧されている これから本当にやっていけるかの心配もある 今年70歳のトランプ氏 同級生である 
トランプだけにジョーカーがある 日本語では「ババ」である しかし切り札にもなる ジョーカーは有益なカードであるが時として有害なカードにもなるので使い方を誤らないように ここが腕の見せ所である

2016年10月28日金曜日

いよいよ70の大台に


学生の有志から「お誕生日おめでとうございます」とお花を頂いた サプライズだった 以前も寮生から寄せ書きを頂いたことがある 可愛い学生たち 私の元気は学生からもらっている 素直な学生たち 私はいつも学生の味方である 社会に出ても挫けず荒波を乗り越えて欲しい まさに「鋼のメンタル」で頑張って欲しい
10月は激動の月だった 実にいろいろなことがあった 特に地震は今まで経験したことのない揺れを感じた もう死ぬかと思った 建物の1階は怖い 外に出ても地面の揺れは続いた どうなっているのだろうか地下の状況は 10月の初めに地震に詳しい先生に聞いた 落ち着いて行動しなさいよ 家具は固定した方が良いよ とアドバイスを受けていた 住まいの中には家具は置いていないが机の上のプリンターは落下する可能性はある 寝るときは机の向きを変えて落ちても大丈夫なようにしている
阪神淡路の時は高松の実家で経験したが確か震度4くらいではなかったのか 震度6というのは次元が違う気がした M6.6であった 熊本は震度7 M7.3
電話・メール・ラインでたくさんの方からお見舞いを頂いた 御礼申し上げます 秋山先生からも 11月に高松の桜紫会に出席するので先生の好きな「砂丘らっきょう」を手土産に訪問したい 先生も「鋼のメンタル」で辛抱強く生きている

2016年10月18日火曜日

君の名は


君の名はと言えば あの数寄屋橋の真知子だろう 春樹と真知子 女湯が空になったという伝説のドラマ 勿論この当時は6歳だったから知る由もないのだが・・・
先日 新しい今評判の「君の名は」ユア・ネームを観てきた ほぼ満席だった なんだか小学生もたくさんいた アニメだからかなと考えていた 今朝のニュースでは興行成績が150億円とか 150円置くのと違う 平均1500円として1千万人の人が観たことになる そんなにヒットする映画なのかと映画館に足を運んだのである シルバー料金なので1100円である 前知識がないので初めは全然理解できなかった そのうちになんとなく分かってきて男と女が時々入れ替わるのかと思った 何か不思議な映画だった 素晴らしい音楽が流れて見たような景色があってアニメとは思わないのが良かったといえば良かった 小学生に分かるのかな
それにしてもいったん話題になるとその拡散は早いしたくさんの人に影響を及ぼす ネット社会の特徴だろうか 聖地巡礼も話題になる すぐに人が集まる これで良いのだろうか 何か異常な気がする 確かに日本人はそういうところがある 海外でも賞をたくさん取っているのだから良い映画なんだろう 我々の世代はやはり「ボブ・ディラン」だろう ノーベル賞おめでとう そういえば11年前に録画した「ノー・ディレクション・ホーム」の映画を観てみよう

2016年10月12日水曜日

ひこにゃん 登場



8月末に彦根に行って来た 彦根といえば「ひこにゃん」 彦根城の屋敷の庭に登場してきたので思わずシャッターを押した たくさんの人に囲まれご機嫌だった 約20分のパフォーマンスを披露してくれた まわりからは「可愛い」の声 確かに仕草もかわいい
 「ひこにゃん」は第1回の2010年のゆるキャラグランプリで1位だった 但し彦根で開催されたからホームでの優位性も寄与したのではないかと思う 因みに翌年は「くまもん」だった 昨年は浜松市の「出世大名家康くん」 このゆるきゃらは「ゆるいマスコットキャラクター」を略したものである 2008年頃から始まったようである 「ひこにゃん」は今や殿堂入りとなっており いわゆる「ゆるキャラ」ブームの火付け役として全国的に有名になった ファンクラブもあるというから凄いのひとこと 彦根城ではなく「ひこにゃん」を見に来る人も多いそうだ
今年11月5日6日に松山で2016年のゆるキャラグランプリが開催される 予想では高知県須崎市の「しんじょうくん」が1位を取るとの予想も出ている 香川県や高松市のゆるキャラはどんなものがあるのか知らないが やはり「うどん」だろうなあ 名前は「べつばらくん」とか「こしこし」とか「つるつる」とか・・・ 名前は大事だ 

2016年10月7日金曜日

体育科の先生たち


体育科は体操服を着ているからすぐ分かる 前列右から植松先生・樋口先生・内海先生・黒川峰子先生 後列は右から宮本先生・宇條綾子先生・諸節綾子(養護教諭)先生・樋口先生・國金先生 たぶん左端は國金先生と思うけど間違いないかな 上の枠は右から小田先生・谷本先生
我々の時代にお世話になった山西寛先生がいない 「やまかん」先生は昭和39年3月31日に県立体育館主事に栄転された 「やまかん」先生はハンドボールを指導していたように思う あの頃のハンドは強かった 植松先生も「やまかん」の後を引き継いで常勝チームに育てた 親友の俊文くんが部長 全国大会に4年連続出場とは凄い 部員がたったの12人 3年は2人 2年は5人 1年は5人 試合は7人で行うから最小限のチームではなかったのか その前の年が17人 その前が19人25人 県内では敵なしの黄金時代を迎えていたのである 
宇條先生は体操部・器械体操部の顧問だった なかなか厳しかったのではないか 教わったことはないが名物教師であったことには違いない 厳しいが反面面倒見の良かった先生 平成25年11月10日にご逝去された 97歳 一高には昭和25年から昭和52年まで在籍された 名物先生は何時の時代も生徒にも愛される ひとりひとりを大切に育てて欲しいものだ

2016年10月4日火曜日

運動会の定番 玉入れ


今年も孫の運動会に なにしろ同じ小学校に2年・3年・4年に在籍しているので観るのも忙しい 来年は1年に入学するので更に大変なことになる 全員男子とは・・・男子は大器晩成 女子はこの時期成長が早いのを物凄く感じる 「おませ」という言葉は女子のためにあるような気がする
玉入れは1年生の競技 運動会にはなくてはならない種目だが1年生でうまく入れれるのかなあと思っていたが案外上手だった 白組・赤組での対抗戦だ 終わって数える時が面白い 玉をひとつづつ出すのかと思っていたが なんと2つ出して「ひとつ・・ふたつ・・・」と上に投げていた なるほど時間短縮? 最後は飾りを出して終了を知らせる 2回戦戦い いずれも僅差で白組の勝利 可愛らしい1年生の喜ぶ姿がなんとも言えなかった しかしこの日は暑くて暑くて 敬老席を用意してくれたので助かった 10月だというのにこの暑さ たまったものではない
さて10月 もうすぐ古稀を迎える 数えでお祝いするのが通常のようなので本当は去年が古稀だったらしい しかし満で行くと今年70歳 大阪市から敬老優待パスをもらったので早速地下鉄に50円で乗車した バスも50円 助かるなあ ありがとう大阪市

2016年9月25日日曜日

数学科の先生たち


数学の先生たち こんなにいましたか 前列の宮崎先生 齋藤先生 後列の本庄先生 牧田先生は覚えていますが他は良く存じ上げません 数学といえば矢野健太郎先生という数学者がいたことを思い出す 東京工業大学名誉教授 たくさんの本を書いている
数学は難しい どうしても受験数学になる 学校では教えない数学というのがある これを楽しく教えて頂ければもっと数学が楽しくなるはずだ
落語の小噺にこんな噺を聴いたことがある 江戸の噺家 林家正雀だったと思う 親が亡くなったので遺言で親の馬を分けることになった 長男に二分の一 次男に三分の一 三男に十二分の一 ところが馬は11頭しかない 割り切れない そこに通りかかったある男 話を聞いて「よしわしの馬を1頭貸そう」ということになった 馬は12頭 長男には6頭 次男には4頭 三男には1頭と分けられた 全部で11頭ということでメデタシメデタシ 1頭残った 男はそれじゃといって自分の1頭をゆうゆうと何事もなかったかのように連れて帰ったとか これはエジプト分数という分野 煙に巻かれた噺をマクラにして正雀は馬に関する落語をするのである 高校時代にこういう話をしてくれればもっと興味が沸いたのに・・・・もう手遅れである 高校の数学の先生にその話をしたら大変興味をもって聞いてくれた 先生でも知らなかったようである

2016年9月20日火曜日

𠮷野家の牛丼は・・・


日経新聞の私の履歴書9月は安部修仁氏 ミスター牛丼が1か月にわたり連載している 毎日読ませていただいている 昭和24年生まれ 頑張っている様子が分かる やはり順風満帆では面白くない ドラマにならない 倒産 立ち直り 今日の記事に「今まで出来ない理由ばかりを考えていた」「何が出来るか」を考えなかったとあった 印象に残る言葉だ
ところで築地が第1号店とか 築地が豊洲に移転 これを記念して出たのが「松茸牛丼」 期間限定の商品で単品で700円 並みが350円くらいだから高い 味は期待外れだった 残念 ここの牛丼は私だけなのか 紅ショウガがなければ完食出来ないから不思議だ たっぷりかける ショウガが食欲を増すのだ
高松勤務の時に空港通りに香川第1号店が出来た 確か平成3年か4年 家に帰る途中にあったので時々寄ったことがある 大阪は早くからあった 特にビジネス街にはたくさん出ていたが地方は珍しかった 今は全国どこにでもある また女子が一人で入る光景も見る 勇気がいるだろうなと思ってみている これは偏見だろうか 高松はうどんやが多い だけど𠮷牛も頑張っている 私自身は松屋とかすき家には行ったことがない 

2016年9月10日土曜日

兵馬俑を観てきた


8月に「秦の始皇帝と大兵馬俑の特別展」を大阪・国立国際美術館で鑑賞 10月2日まで開催している この美術館はなんと地下にある 地下3階に展示場があるというのも珍しい 音声ガイドを500円で購入 壇蜜さんの甘い解説が楽しかった ナレーションも素晴らしい よく分かった 秦の始皇帝というのは紀元前259年10月生まれ 史上初めて中国に統一王朝を打ち立てた歴史上の人物 教科書で習った 始めての皇帝なので始皇帝か なるほど
兵馬俑は1974年に長安(西安)で発見以来なお発掘が続けられているという それぞれ役割の違う兵馬俑 顔も違う 名前・呼び方も違う この写真は本物ではなくレプリカ だから写真撮影可能だった 出口に置いてある 実物は8体だけであった これは撮影不可だった 
こういう展示をみていつも思うのは人間自身はあまり技術は進歩していないのではないかということ 電気などはなかったので全部手作り 戦いに明け暮れしていた時代だったのだろう 皇帝の力も示さないといけない だからこのような兵馬俑を8000体こしらえた この秦の時代は始皇帝が亡くなると消滅してしまったのだから始皇帝は後継者も考えず絶対権力であったのだろうか
同級生の建治教授は中国のことを研究している 彼は鐘馗さんの研究では第一人者である 彼もこの兵馬俑を観たに違いない あまりそんなことを聴いたことがないので次回会ったときに聞いてみたいものである

2016年9月8日木曜日

国語科の先生たち


後列右の綾井敬典先生が左手をズボンのポケットに入れている姿は珍しくない 一段と背の高い先生は久保田実先生 宇喜多満智子先生の隣は菰渕和士先生 前列は右から南一郎先生 そして隣は池下美代子先生 そのくらいしか分からない ずいぶんたくさんおられたのだなと思う
国語はどんなことを教えてもらったのか 
中学時代は友人で万葉集を「まんばしゅう」とか徒然草を「とぜんそう」と読む人がいたが 高校時代はさすがいなかったと思うがどうだったのか 
桂三枝作の落語に「読書の時間」というのがある 好きな噺で大変面白い 先生が生徒にどんな本を持って来たか聞くシーンがある 島崎藤村を「しまざきふじむら」 金色夜叉を「きんいろよるまた」 細雪を「ほそゆき」 奥の細道を「おくのささめみち」 武者小路実篤を「たけものしょうろじっとく」と読んだり 伊豆の踊子を「いまめのおどりこ」と読んだりする高校での読書の時間 何回聴いても面白い さすが三枝(今は六代文枝)さんだ
確かに読み方は難しい 高松でも市内の地名で中間 弓弦羽 また香川県内の地名で田面などはなかなか読めない 栗林というのも「くりばやし」ということになるのかな 慣れは怖い 国語の時間は真面目に勉強したように思う

2016年9月1日木曜日

瀬戸大橋は素晴らしい


瀬戸大橋で岡山方面に向かっている もうじき児島だ 児島には4組の同級生がいるが卒業以来会ったことがない 住所も分かっている 案内状も届いている しかし同窓会には来たことがない かすかな記憶では「もう案内は出さないで欲しい」といったような趣旨の返事が届いたように思う 同級生としては残念である もうこれ以上追うまいと思って何もしていない 時々彼の噂が出るのだが 続かない 全く会ってないクラスメイトは他にもいるが彼らは住所不明なので連絡しょうがない 
最近私の周りにも来年からは出ないから案内しないで欲しいという人が出てきた 彼は大学時代のクラブの仲間である 突然宣言したので周りの者が驚いた 彼は多くは語らなかった 
この年になると高校 大学 会社の集まりが多い 会社のОB会は退職してからも上司と部下の関係が残っているから私自身も好きではない 同期は別ではあるが やはり高校 大学が楽しい 10月には京都で仲間が集まるので楽しみにしている

2016年8月21日日曜日

関西桜紫会の今


関西桜紫会の会報第16号が送られてきた 9月24日に大阪駅のホテルグランヴィアで「総会・懇親会」が開催される 24日は予定が入っているので行けない 残念 毎年100名近くの卒業生が集まる賑やかな会 毎年開催されるので直ぐにくる 東京は1年半に1回 大阪の方が頻繁だ 昨年は40年卒は3名が出席 会長の隆教さんは11組 4組からは正輝さん 和生さん 会長を輩出している年度だからもっと出ないといけないのだが 正輝さんは大学を出て大手製薬会社に就職した 関西を中心に活躍 今は定年退職者だから毎日充実した生活を送っているという 何しろ腹筋で毎日鍛えているから体は柔らかい 実にうらやましい 一方 和生さんは関西の地方銀行に就職 その間猛勉強で税理士の資格を取り銀行での存在感を示した つい先日70歳を迎えて勇退したとか聴いた お疲れさま これからは税理士に専念するという これも実にうらやましい 会長の隆教さんは「塩江の神童」と言われて久しい 彼のDNAはご子息に引き継がれて開花している 実は私が大阪に居たときに11組の光旦さんから関西桜紫会の幹事を頼まれ一時幹事会に出ていたが この私も東京に転勤となり隆教さんに引き継いだ 彼はその後幹事長を経て現在は会長に就任 人柄がいいので慕われている 隆教さんに頼んで良かったと思う
関西桜紫会には行けないけど11月19日の高松での桜紫会には行く予定 中西太大先輩の講演を楽しみにしている 夜は哲さんがフランス料理を段取りしているようで楽しみだ
さて、オリンピックのバトミントン 「タカ・マツ」ペアが金メダルを取ったということで高松市長は大喜びとの新聞報道 一方で高松市民病院が大赤字であるという記事 明暗の記事を拝見した 一高の改築にもお金がかかるので遅れがないように祈念する

2016年8月20日土曜日

8月19日 秋山先生91歳


秋山幸造先生の誕生日は8月19日 今年御年91歳 おめでとうございます 先生の年齢は昭和と共に歩んでいる だから覚えやすいと言われていた この写真は昭和40年か39年頃のもの 夏衣装と思われる だから40歳か39歳のときのもの 英語科の先生の集合写真 やはり若い 若いが先生より先輩は2名しかいない 先生は英語科では年長3人目となっている
女性の先生が3名 左から入江晴栄先生 真ん中が富田照子先生 右が楢崎秀子先生である 入江先生は覚えている 他に覚えているのは吉原崇雄くらいかな
英語といえば赤尾の豆単とかクラウンの辞書とかを思い出す 成績はあまり芳しくなかった どちらかと云えば苦手 大学1年のときに英会話を選択 ネイティブの先生の授業は楽しかったのだが それ以降特に成長がないのは悲しい
そこで今年1月に英検3級にチャレンジしたのだがわずかの差で不合格だった あと2つ正解であれば・・・惜しい 特にヒアリングが駄目だった 周りは中学生・高校生の中で爺さんがひとり受験 久しぶりに勉強した 英検3級は中学3年生程度と言われている 再挑戦するかどうか迷っているところである


2016年8月16日火曜日

1964年東京オリンピック 聖火ランナー




連日 Rio2016オリンピックが行われている 日本も頑張って金メダル7個とか まだレスリングも金が期待できるので増えるだろうと思う 確か明石のタコの予想は金8個だったがそれを超えるかどうか もっとも銅も金と同じだという冗談もあるが(銅は金の横に同と書くのでそういうのだが)
さて 我々が3年生の時に東京五輪が開催された 1964(昭和39)年10月10日開幕この時の金は16 銀は5個 銅は8 アメリカ・ソ連に次いで3位だった 
ところで同級生も聖火ランナーで走った 親友の今は亡き俊文君も写真に載っている かれはハンドボールの主将 おや史郎君も載っているではないか 彼は剣道部の主将?なんだか主将が選ばれような気がするのだが
この五輪で印象にあるのはエチオピアのアベベのマラソン2連覇である ローマでは靴が壊れて裸足で走って金メダル それ以来「裸足のアベベ」と言われていた さすが東京では裸足でなかったが金メダル 実は東京の翌年の1965年5月にアベベがびわ湖毎日マラソンに大津に招待選手で来た時に観に行った もちろん靴は履いていたし優勝した ゴール前でたいへん感激したことを思い出した
テレビを観て感じることは卓球もバトミントンもラリーが面白い 結構激しいスポーツであることが分かった 愛ちゃんには是非メダルを取って欲しいと願う

2016年8月4日木曜日

小さい秋 見い つけた


通勤途上で毬栗を見つけた 毎年8月上旬に落ちている 今年も3日に発見 もう秋だなと感じる 京都にこんな歌がある 比叡の山に冬が来て 都をどりで春が来て 近江舞子に夏が来て あなたと私に秋(飽き)が来た 詠み人知らず 
栗と言えば我が栗林公園 ところが栗林公園には数本しかないらしい 松ばかりだ 看板に偽りありとか文句を言う人はいないのでいいが残念である 高松には八栗という名所もあるが栗はあるのかないのか よく分からない 四国で栗と言えば伊予市の中山の栗 全国一とか 確かに大きさ 味 自慢するだけある 大阪でも「中山の栗」で販売されているのを見た 信州では小布施の栗が有名 栗で町おこし おやきという美味しいものもある 町全体が栗だらけとか まだ行ったことはないので行ってみたい 親しくしてもらっている弁護士さんが近くの長野県須坂の出身でおやきを贈って頂いたことがある 
もう9月・10月・11月の予定が入ってきた 正月はもうすぐなのだ 行きたいところをメモしておかないと忘れてしまいそう まだ行ったことがないのは北から青森・岩手・秋田・山形・富山・鹿児島かな 海外では行ったことがあるのは香港・韓国だけと寂しい まず日本を制覇してからと思っているのだが

2016年7月29日金曜日

大阪夏の陣


先日 大阪城・道頓堀クルーズに行ってきました 約50分の船旅 途中に運河もあり この原理はパナマ運河と同じだとアナウンスしていた 何か得した感じになった 出発の大阪城の船着場から天満橋へ 大阪城が見える 真田幸村も昔はこの川を戦略的に使ったのだろうか 天神橋を過ぎると東横堀川へ ここに水門がある 運河だ 2つの水門で水位を保っているとのこと なるほど水門が開くと川の水が増える ここを過ぎると道頓堀川 繁華街のど真ん中 左右にお店が並んでいる 大勢の人が歩いている 戎橋を通過して終点は湊町リバープレイスに到着 難波には近い このクルーズは予約しないと乗れないくらいの人気 初めて乗船した
先日テレビを見ていたら水質日本一の川が四国高知の「仁淀川」と紹介していた なんや「四万十川」ではないの と思っていた 清流のイメージは四万十川だが 仁淀川の上流の方がよほど綺麗らしい 四万十川には行ったことがあるが 仁淀川にも行ってみたい  
一方 大阪の川は汚れている この道頓堀は水深4メートル しかし半分はヘドロらしい ここを巨大プールにしようと提案したのが堺屋太一氏 実現は出来なかった

昨日は暑かった 日本で一番の暑さだったところに住んでいることになる 36度を超えた 確かに「熱風」である ムウとする 首筋にじわっと汗をかく たまらんなあ 熱帯夜というのは 8月7日は立秋 はやく秋が来て欲しい 周辺では秋の季語である「ヒグラシ」が朝早くから鳴いているのだが

2016年7月23日土曜日

関東桜紫会の今


関東桜紫会の幹事長から会報16号が届いた ありがたやありがたや 以前東京に勤務していたころ2回出席しているし この前2年前もわざわざ東京まで行って出席したので縁は大いにある この会報に我が40年卒の一郎くんが昨年末に銀座の「サンミ高松」で同期会をやったとの記事があった その時の写真を無断で借用した ごめんね一郎さん
このサンミ高松は私が東京にいるときに探してきた店 ここで数回同期会を開催してきた 懐かしの店 最初の同期会は私が段取りした 確か1月末 東京が大雪で中止にしたのである 私は世田谷区下馬の単身寮から皆さんに電話をした 30件くらいあったと思う ひとりだけ静枝さんに連絡がつかなかった 彼女は千葉に住んでいて交通機関は動いてようだ

さて平成27年12月の同期会 11人 男子7・女子4 女子の郁子さんは分かる 彼女は随分前から代表として活躍していた人物だ あまり変わっていない その他の3人は全然わからない 男子は全部分かる 弘文くんも元気でなによりだ 博史さんも若そうな感じがする 直行さんと一郎さんは同じ光洋中学である 次回は平成30年11月に開催とあるからだいぶ先だ
それにしても話題は同じ 健康 家族 薬 親 こども 孫 お金 介護 うどん などなど 
今年東京は不順な天候のようだ 地震も多発している 日本中どこにいても心配事はなくならない

2016年7月22日金曜日

仮装行列の男4人組


一高が観音寺一高に5対6で敗戦したという記事を見て思い出した 我が4組にも野球部が居たことを 但し入学して直ぐに退部したので3年の時には部員ではなかった 広美さん本人が言っていたので本当の話 確かに大先輩の中西太さんのように馬力があったように見えた 広美さんは補習科に進学して第一志望の国立大学に入学 卒業後大手証券会社に入社し大活躍 労務畑でにらみを利かせて頑張ったそうだ その後スカウトされ別の証券会社に移籍 上場会社の専務になった 持ち前の馬力で厳しく会社の発展に寄与したのだと思う 彼とは東京・丸の内で一緒に食事をしたことがある 美味しい鰻をおごってもらった

同じく補習科仲間の昌宏さんも超難関私立大学法学部に入学 第1志望だったかどうかは知らないが ひたすら上京の機会をうかがったようである 丁度1年前に入学した博之さん(現・弁護士)にはずいぶんお世話になったようだ 彼は持ち前のセンスの良さを発揮して広告研究会でメキメキ頭角を現した 特に夏には逗子海岸の広研の「海の家」には精力的に参加 それが良かったのかどうかきものの大手小売店に入社 その後店舗開発で全国を行脚 取締役にもなり充実した会社人生を送る 私も彼が大阪に出張したときは我が家に泊まり 翌朝その店舗が出来るというところまで一緒に行った思い出がある

その彼が「LINE」を始めたという 遂にスマホを買ったのか プロフィール写真を見ればやはりバックが海で たぶん逗子海岸ではなく沖縄だろう 日焼けした彼の元気な姿があった 彼からは昨日LINEが届いたので早速返信した LINEは楽しい これからも有効に活用したいね ポケモンGOもいいけどまずLINEを覚えよう

2016年7月19日火曜日

豊かな自然の三瓶山


三瓶山に行ってきた といっても知らない人が多いのではないか 島根県大田市にある 真ん中が男三瓶山(おさんべさん) 右が女三瓶山(めさんべさん) 左が子三瓶山(こさんべさん) 見えないがその左が孫三瓶山(まごさんべさん) この山は縦走できるし、そんなに高くないので山ガールにもお手頃な山である しかし何年か前に滑落事故があった 谷は深いので谷に落ちればデンジャラス また三瓶山は活火山でもある 定義の見直しでCランクの活火山に認定されたという 因みに富士山はBランク 箱根もB 阿蘇山はAランクである 三瓶は400年前に噴火 周りの樹木も埋まり杉の大木の埋没林が出来た その保存館がある
大田市は出雲市の西に位置する 世界遺産の「岩見銀山」のあるところだ 岩見銀山は地元の人は「大森銀山」という 途中で名前を変えた 同じように出雲大社も昔は杵築大社と呼んでいたが途中で変更したらしい 分かりやすい名前にしたのだろう
島根県で一番高い山は奥出雲にある猿政山1267M ここ三瓶山は1126Mで島根百山のベストテンに入る 一方香川県はどうか 1060mの竜王山がトップ 我が屋島は292Mである 屋島といえば屋島ケーブルがあったが2005(H17)年に廃止された 登山をしたことがある 確か中学の時である 結構険しかったのを覚えている 今は遍路道が登山道としてあるようだ 
三瓶山も温暖化の影響で雪が積もらずスキー場もなくなったようで今はリフトだけが残って動いている 高原の自然の家には奈良から中学生が夏期講習に団体で来ていた こんなに良いところがあるとは知らなかった クールジャパン

2016年7月10日日曜日

岡山の駅弁「祭りずし」は・・・


忙中閑あり 高松に墓掃除を兼ねて墓参りに行ってきた 1年前に行き そのあと今年の3月に弟が行ったのに草はぼうぼう 特に両隣の手入れが悪すぎるのでその影響を食っている感じだ 紫雲墓地 階段がきつい 急坂を5段も登る これは年を取るとしんどいなあ 眺めはいいのだが 将来不安になってくる 上の方なので風もあり 蝋燭の火がすぐ消える 線香も燃えないのはいつものこと お供えをして帰る 今回は時間もなく良次さんと四郎ちゃんに会っただけ 今新町で喫茶を経営している良次さんに次の同窓会いつやるん と聞いたら計画はないとのこと はよやろうやとだけお願いした 彼が中心とならないと誰も動かない 桑田先生は2年のときの担任だったそうな 去年はお元気だったのに・・・と残念がっていた 我が4組の高松組は良く集まっているようで10月には食事会も予定されている 大阪組も毎年やっているので まあええけど 四郎ちゃんはこの前2年の時の同窓会をしたと言っていた

さて 途中の岡山で駅弁を買う この「祭りずし」は昭和38年発売だから我々が高校2年生のときに販売開始した駅弁 ロングセラーと思う 特に「ママカリ」が美味しい ご飯(ママ)を借りにいくほど美味しいということで名付けられた「ママカリ」 正式には「サッパ」という 瀬戸の子魚である 児島から船を出して「釣り」をしたこともある
これを販売している三好野本店も経営危機に陥り再生ファンドによる支援を仰いでできた会社 もともとあった三好野本店は2013年5月に(現在の)三好野本店に事業を譲渡し商号を山陽デリカサービスに移し倒産 230年以上の老舗だった (現在の)三好野本店は生き返り2014年からは高松の駅弁も作って販売している 全然知らんかった そういえば宮脇町では蝉が泣いていた 今年初めて もう梅雨はあけたのかなあ こういうのは自然界がはやいからなあ

2016年6月29日水曜日

木曽川を眺め紫陽花を鑑賞 


1年前は高松で卒業50年の高校の同窓会があった あれから1年 今年は大学のクラブの同期会が愛知県であった 気の置けない仲間たちが集まった 2年に1回持ち回りで開催している メンバーは12名いるのだが諸般の事情で今回は8名となった 夕方 ホテルの中庭を眺めていたら紫陽花が咲いていた 向こう側は木曽川 時間がゆっくり進む 一方「ブレグジット」が世界経済を混乱させている
この日は近鉄で名古屋に向かった 大阪からは3人組 車中でビールを飲んでいい気分 新幹線なら新大阪駅から約1時間で行けるが大阪難波からは約2時間かかる その代わり安い 急ぐこともないのでゆっくりと名古屋へ 名古屋駅で同期の6人組が待っていた 久しぶりの握手を交わして名鉄で犬山遊園へ そこから歩いてホテルに荷物を預けホテル前にある国宝の茶室如庵(有楽苑)へ 国宝の茶室は全国で3つとか 織田信長の実弟織田有楽(うらく)の茶室という もともと京都の建仁寺にあった茶室を移築したそうである
続いて犬山城へ 別名「白帝城」とは荻生徂徠が名付けた 「徂徠豆腐」という落語を思い出した このお城は国宝である 国宝は5つあるが我が国現存最古の天守 素晴らしい 内部は急な階段であったが天守からの眺めは素晴らしかった これも織田信長の叔父の織田信康が築いたお城である 8月はもうひとつ国宝の彦根城に行くことになっている これで5つのお城を制覇
それにしても1年は早い また高松で同窓会をして欲しい 幹事さんよろしく


2016年6月20日月曜日

スイカの想い出


スイカを買ってきた 6分の1切れかな スイカは熊本が一番早く出る 次に鳥取 そして段々北上する 生産量1位は熊本だ 2位は千葉 続いて山形 新潟 鳥取は5位 そういえば千葉に行った時に都市ガスの丸いタンクにスイカが描かれていたことを思いだした 今年はどうだったんだろう 地震の影響はあったのか ないことはないと思う
スイカの美味しい切り方を教えていただいた 真ん中が甘い その甘味を均等に分けるには、中心部分から放射状に包丁を入れていくと良いと言われている 単純に縦に切ってはいけない 円錐状に真ん中を中心に切らないといけない 良いことを教えてもらった
スイカの想い出である 親爺と弟と3人で大的場海水浴場に行ったときに私が溺れたのだ 若いお姉さんが助けてくれた 深みで浮いたり沈んだりしていたのだろう こちらは足がつかずバタバタするばかり ようやく助かった 親爺は驚いただろうな 小学生の時である 大的場は浜ノ町にあった あまり綺麗なところではなかった 高松港の西側 連絡船が見える 満潮になると結構砂浜近くでも深くなるのだ 小学時代はバスでこの海水浴場に来た 授業だった 少し泳げるようになった 親爺は弟に泳ぎ方を指導している隙に単独行動に出たのが良くなかった 足がつかないと慌てるものである 助けられて帰り道 親爺がスイカを一玉買った バケツに入れて冷やして家族で食べた 美味しかった いやはやあのとき良く助けられたものである 溺れて水の怖さが分かった 恩師の言葉 人間溺れてみないと怖さが分からん だから溺れろ 金に溺れろ 金の怖さが分かる 女に溺れろ 女の怖さが分かる 確かにそうだ

2016年6月17日金曜日

LINEを始めましたが・・・


LINEというものを始めてみました きっかけは熊本地震 不謹慎ではあるが無料電話が使えるという記事をみたからである 好奇心で挑戦してみた すると一挙に60名と繋がったのにはビックリ
 友人からは早速近況報告が届いた ご無沙汰している人からが多かった LINE始めたん というもの 各種スタンプが届いた これは凄いSNS(ソーシャル・ネットワーク・サービス)だと思った
しばらく使って落ち着いたときに 同級生の孝子姫からも届いた 旅先のようで70才がどうのこうのと書いていた 彼女もやっているんだ 返事を2回出した しずしずさんからも反応があった 明日病院で孫が生まれる と言っていた 無事に生まれたのだろうか 
このLINEは高校時代にはなかったもの 今は本当に便利だ 携帯電話なしでは生活出来ないようにしてしまった 情報を得ようと思うと情報誌を読まないといけなかった ぴあという雑誌は今でもあると思うが創刊は昭和47年 昌宏くんの大学の後輩である矢内さんが創業者 学生時代に創刊したというのだから驚く 彼は現在66歳とか 独特の表紙がまばゆかった それからチケットの販売も手掛けていった 今は「ぴあ」の他にコンビニ、特にローチケとかファミマがあるが当時はぴあの独占だった ちなみにコンビニの日本での第1号店は1972(昭和47)年のセブンイレブンとか ローソンは1975(昭和50)年とか ローソン氏はアメリカの牛乳販売をしていた 丁度1972年頃が分岐点だったかもしれない いずれにせよ良い使い方をしたいものだと思う 



2016年6月6日月曜日

一高つながり 善一、観一


4月に高知に行った時に特急南風が善通寺に停車 つぎは琴平 丁度 金比羅歌舞伎を興行している時だった 京都の舞妓さんが3人乗車していたなあ 誰がお目当てだろうか 善通寺は弘法大師の誕生地とある 弘法も筆の誤り 弘法筆を選ばず とか筆にまつわる話がある さすが三筆のひとりである また落語では川崎大師が舞台の「大師の杵」が有名である 少し色気のある話だが・・・・ 高野山の小噺もある 高野山で腹減ったなあ 何か「くうかい」 ここはお参りすると怪我しないなあ 「金剛無事」とか
さて、善通寺には一高がある もともと私立の裁縫の女学校だった 今年で110年を迎える その後、県立善通寺一高となり善通寺西高を統合して今の善通寺一高となった
香川県には高松 善通寺の他にもうひとつ 一高がある こちらは県立観音寺一高 こちらも古い 創立116年とか 丸亀中学三豊分校が前身 西の進学校として丸高と競って有名 特に理科系に力を入れているようだ 今やNHKニュースウォッチ9の河野憲治キャスターも観一から京都大学文学部に進学し卒業後NHKへ いわゆる讃岐顔ではないのが不思議だ 
讃岐顔といえば元内閣総理大臣の大平正芳が観一のОBだから凄い いやその他にもここには有名人がわんさかいる 三越の松田伊佐雄さんもそうか 平成5年の元ミス・ユニバースの川人千明もそうか 生家は川鶴酒造らしい それにしてもさすが名門である 一高の3つの中では残念ながら観一が素晴らしい 但し昔の話だが・・・

2016年6月2日木曜日

秋山先生からの「お勧め本」はこれ


3年前に高松で秋山幸造先生の「米寿のお祝い」をした時に 先生から「私は毎日本を声を出して読んでいます」と言われたことが印象に残った 私はその話を聞き流さなかった 早速ネットで検索 本を買った 川島隆太先生の「音読で脳を鍛える名分365日」という本 これを毎朝 声を出して読んでいる 2回読む これは繰り返すようになっていて6月に丁度第3クールに入った つまり3回目を読み始めた 川島先生は言う 音読しているときは脳が活発に動いている 読書の生活習慣 特に声を出して読むことが如何に大事か解説している 皆さん声を出して読もう 目で追ってはダメらしい 
さて、今日 久しぶりに先生に電話した おお誰かなあ なんだか暗い声だなと云われた 先生は「今は見えない 歩けない 聞こえない」の「3ない」でわや 緑内障・白内障患っておってなあ 視力もおちとる 目の検査では一番上がかすかに読めるくらい 水晶体も自分のものでないし雲っとる この前まで 筋肉も落ちて 腕があがらんかった リハビリに行っとるよ 薬や注射の関係で血糖値があがるわ ヘモグロビンが増えるわ わややけど頭はボケとらんからなあ 
この前 建治君から本を贈ってもらったんやけどよう読めんで娘に読んでもろとる 先日我が家に31年卒の連中が来て今度の土曜日に60周年の同窓会するので来て欲しいと云われておるけど 顔も見えんしなあ だけど皆が待っているから 家まで迎えに来ると言うておったわ 大阪組もみんな元気かな よろしゅう言うとって こんな感じでした やはり頭は冴えています 良かった この本のおかげです

2016年5月24日火曜日

昇太師匠が笑点の司会者に


久しぶりに笑点を観た 何故かと言うと今日で歌丸師匠は最後だからである また次の司会者を最後に発表するという なんとこの番組は51年目に入るという 私が20歳の時からずっとやっているのだ 最初が談志 次に前田武彦 そして南伸介 4代目が圓楽 そして歌丸師匠と続き昇太師匠が6代目となる 歌丸師匠から「昇太」さんと発表があったときは驚いた てっきり圓楽さんを予想していたのだが・・・ しかし昇太さんは落語芸術協会 歌丸師匠も同じ芸協だから納得できる 明るいのは魅力だ 師匠の柳昇師匠も最高に面白かった 独身だが弟子は多い 主に新作落語が得意 2年前にお城の関係のサミットで落語を聴いた 関東の笑いは上方の笑いとは違うが面白い話をしていた 昇太さんの趣味はお城である 本も書いているので相当詳しい
実は東京勤務の時に時々後楽園ホールの公開録画に行っていたのである 土曜日の午後である 整理券なしでも入れた もちろん席は後ろである たぶん席を埋めるために整理券なしでもOKだったと思う 確か2本か3本収録するのだ 私の時は圓楽師匠だった 
このホールは懐かしいところだ 昭和43年秋の就職試験 東京で面接した後にここで「プロレス」を観たのである 初めてのナマ しかし失望した 要は「ショー」である 真剣勝負と思っていた自分があさはかだった
さて、昇太師匠は春風亭昇太が正式の名前 そういえば「春風堂」という店が高松にあったなあ シュークリームがあったようなないような 丸亀町の宮脇書店の隣にあった洋菓子屋さん 喫茶部門は? そのころの喫茶店といえば、あずまや カガワ シカと言ったところだろうか 生徒の時代は行ったことがなかったけど 今 春風堂さんは元気かな?私の実家の近くの「ルーヴ」というお店はすごく流行っていたけど 今度高松に行ったら見てみよう

2016年5月22日日曜日

たこ焼きから卓球部を連想

ちょっと大きめのたこ焼き 12個 520円 ピンポン玉くらいある ピンポンの小噺をひとつ 私「修さんは一高時代「卓球部」だったんやね」 修さん「ピンポン」
これは本当の話 4組で一緒だった小顔の足の長い修さんと照治さんは同じ大学に進学 高校時代は卓球部だった 学園誌の中の卓球部をみると実に面白い 部員は44人の大所帯 3年は11人 男子部員は9人 その中に我が4組は前述の修さん、照治さんの他に弘文さんの3人 戦績は市の体育大会で8組の富士雄さんが4回戦へ進出 13組の律子さんも活躍 7月に強化合宿 9月は団体戦で男子は主基高校に3対0で完勝 しかし2回戦で津田高校に2対3で敗れる 女子は観音寺商業に完敗 10月の秋季大会は 男子は揃って2回戦へ進出 その次は記載なし 女子は律子さんが一人 気をはいたとある 律子さん 素晴らしい
なんだかよくわからないが 強くなかったことは読みとれる 対照的に歓迎会の充実した様子がうかがえる 「歓迎会には先生も来ていただいて 君のものは僕のもの あなたのものも僕のものと食べて遊んでとても楽しかった」とある 「富士雄さんと律子さんがハッスルしたことは後輩に良い影響を与えた 富士雄さんはリポビタンがよく効いたそうだ 練習だ!努力だ!勝利だ!」とある 2年生が書いた記事だが 要は同好会のような卓球部だったことを証明している
さて このたこ焼き 若い女性がやっている 散歩の途中に時々買うのだが 結構いける 大阪のファーストフード 讃岐のファーストフードのうどんには負けるけど美味しいものは美味しい

2016年5月19日木曜日

45 YEARS (さざなみ) という映画


原題は「45YEARS」という映画 日本では「さざなみ」となっている 評判の映画だったので鑑賞 2015年英国の作品である 週末に結婚45周年の記念パーティを控える夫婦 月曜日に夫に1通の手紙が届いたことで物語りは始まる 月曜日・火曜日・水曜日・木曜日・金曜日 そして記念パーティの席で 夫が語ったスピーチが妻の心に響く 
そういえば結婚して丁度45年が経つ この映画と同じだ 記念パーティこそしないが同じような夫婦の物語 男の気持ちと女の気持ちは少し違うところを映画は訴えている 夫の言った一言に妻の心は揺れる さざなみのように
結局 妻は夫を許したのか 許さなかったのか よくわからなく映画は終わる 世界が驚愕とは ずいぶん誇大広告のような気がする この映画のチラシには有名人がたくさん評論が載っているがあれはやはりお金をもらってのことと推測する まあ2015年ベルリン国際映画祭 銀熊賞をとっただけの演技はある シャーロット・ランプリングの演技は良かった 1946年2月生まれとか
残念ながらこの映画は中国四国地区では上映されない 何故か 人口の少ないところでは採算が合わないのだろう 一方 都会では大衆映画は何処へ行っても予約しないといけない時代 確実に鑑賞するとなると予約が必要となっている 他にも飲食店は予約しないといけないのが都会 田舎と都会どちらが住みやすいのだろうか 

2016年5月14日土曜日

3年12組 担任は蓮井先生


蓮井宣昭先生の12組 先生は昭和36年4月に英語教員として一高に勤務 その後昭和37年8月 米国フロリダ州セントピーターズバーク市(高松市の姉妹都市)フロリダ・プレスビテ. リアン大学生としてご出発(現在のエッカード大学) 記念すべき第一回の姉妹都市派遣. 留学生であると一高等の年報に記載されている 
今 蓮井先生はどうされているのかお会いしたいものである 高松市民ワンダーフォーゲル協会会長に同じ人の名前があるのだが 同窓会には欠席されていたのが残念でした

このクラスには久ちゃん 四郎ちゃん 武則くんも いるいる 男子が多いのは理系クラスだったのだ 典子さんもいるではないか 同姓同名の人がいましたね どちらも美人です 昨年6月の同窓会でもこのクラスは13人も出席しているから良いクラスだったのだろう 蓮井先生はお元気かな 背の高くない眼鏡をかけた先生ということで我らの秋やんと感じが似ていたのを思い出す
久ちゃんから聴けば波乱万丈の人生の物語り 小波乱といったところでしょうか 四郎ちゃんのうどんや物語りも感動に値するほどでもないが朝早くから頑張っている うどんは生き物 従って午前中で販売完了のポリシーは素晴らしい 武則さんとは東京の同期会で会って以来久しぶり 彼も土建屋タイプに成長 新潟本社の会社で頑張っていたことを思い出した

3年10組 星野先生のクラスは多彩


3年10組 星野先生 2年の時の担任だった星野国雄先生 歌舞伎役者のような端正な顔をしていた 今でいえば愛之助のような ずいぶん前にご逝去されたと聞いた やはり担任でないと正確な情報は伝わらない 風の便りだ 
さて このクラスには沢山の知り合いがいた 一郎くん 直行くんは同じ光洋中学 一郎くんは冗談の天才というか 愉快な男である あだ名をつける名人 最近の彼は退職後も千葉から世界に羽ばたいてウインブルドンに行ったり 東南アジアに行ったりしている 時々証拠写真を送ってくる 怪しい髭を顎下に伸ばし頭は光っているから如何にもアジアの商人にしかみえない 
直行くんは小学校・中学校・高校・大学も同じ ひょっとすると幼稚園も一緒かも 昔々「針金鉄砲」 (それはたしか割りばしのゴム鉄砲ではなく割りばしの代わりに針金細工をして虫ゴムで飛ばす遊びだったような) で遊んでいたときに 私が放った石のようなものが直行くんの目に命中 失明しなくて良かった 子どもながら記憶にある 石のようなものではなく石だったかもしれない
博志くん 義博くん 宏史くん 孝之くん 憲くん 孝二くん 禎二くん 治雄くん 英子さん 寿子さん それぞれ個性豊かな男子の軍団 女子は美人軍団 なかなかいいクラスだ 2年3組に一緒だった友が多い 孝二くんはどうしてるかな たしかお婆さんが「奉公さん」の紙の人形をこしらえていた 有名な人だった 彼から買った「奉公さん」は今でも家においてある それをみると彼を思い出すのである 讃岐の代名詞でもある「奉公さん」大切にしたい

2016年5月9日月曜日

超変革だ 今年のTIGERS


タイガーズとベイスターズの公式戦 タイガーズの熱狂的ファンの孫と聖地・甲子園に ライト側の31299300の指定席 普段は1900円席だがこの日は4000円と跳ね上がっていた 人で8000円とは痛い 孫は大興奮 名物カレーを食べようねと言って時間前に到着 球場の周りはタイガーズのユニフォームを着た人ばかり 傍では「Tigers Girls」が盛り上げる 美しいガールズ 見惚れた 
スタンドに入るとこれまた黄色と黒の縦縞の服 我々は普段の服である これは不味いなと思いつつ応援 試合はベイの井納が好投 回裏にゴメスがランホームランを放ったのだが手遅れだった 超満員 選手も遣り甲斐がある
それにしても甲子園は勝っても負けても素晴らしい応援だった 統一された見事なパフォーマンスで楽しませてくれた お祭りのようだ 札幌の旗を振っていた ほんまに札幌から来たんかいな 祭りだ 祭りだ サブちゃんじゃないけど祭りそのもの

今年は金本監督で期待大 スローガンは超変革 とにかく若手を起用している これは今迄にないこと 内部で競争させて成績を上げる 金本監督は素晴らしい
高商が監督を中学からもってきて成功した それはそれなりに副作用もあるらしいがそれを恐れていたら何も出来ない がんばれ一高の野球 

ICE MONSTER を食す


台湾のICE MONSTERが3月に大阪に進出 日本では表参道に続き2店目である 台湾では人気ナンバーワンの「かき氷」のお店が梅田のグランフロントにあると聞いて早速出かけた 平日とあってそんなに混んでいないだろうと思って行ったのだが 連休中 どうしてどうして 混んでいた 整理番号をもらった 91番 若い綺麗な店員さんがQRコードを読み取って空メールを送ってください そうするとメールが届いて呼び出し時間になったらまたメールが届きますから とやさしく説明してくれた なるほどそうなっているのか 今風だなと感心したがメールが届かない 何度か挑戦してやっとメールが しかし待つこと30分 ようやく列に並んだ 
頼んだのは杏仁豆腐の氷 日本初登場らしい 席に案内されて座るとほどなく山より高い「かき氷」が出てきた なるほどマウンテン 綿菓子のようなふんわりとした食感 ふんわりとした今迄にない味 お冷の代わりに白湯が出てくる なるほど氷でお腹が冷える お湯が用意されているのだ 

我が讃岐でも和三盆のかき氷があるという テレビでやっていた これもマウンテンに負けないくらいきめ細かいらしい 東かがわ市だから悟さんの家の近くではないか 引田の井筒茶屋とか 森山良子が食べていた 一度行ったことはあるのだが 気が付かなかった 今度は行くぞ

2016年4月24日日曜日

高知に行きましたが


14日に発生した熊本地震 大分にも及び大変な事態になっている 謹んでお見舞い申し上げます さきほど赤十字に義援金を出してきました 被災地の状況を見ると心が痛みます 香川県の方も阿蘇でお亡くなりになったとのこと 修学旅行で行った熊本城も瓦が落ちて見る影もない 万記子さんも登った石垣もひどい状況だ 全体がよく分からないが ショックである 肥後国一宮の阿蘇神社も楼閣が壊れて無残な姿 21年前の阪神淡路大震災を思い出させる
そんな中18日・19日と仕事で高知に ゆっくりと観光も出来ないスケジュールだった 久しぶりの高知 ホテルから直ぐの高知城に朝の散歩をした 市民の方が楽しんでいた 松山城のような山でもなく簡単に気軽に登れるお城である 朝食を済ませて8時5分の岡山行の「南風」号に乗車 駅前にはいつの間にか土佐の英雄が3人並んで太平洋を眺めていた 武市半平太・竜馬・中岡慎太郎である
土佐の男子は「いごっそう」という ウィキペディアによると津軽じょっぱり 肥後もすっこと共に 日本三大頑固のひとつに数えられている そんなんあったんか 肥後もっこすがやや否定的な意味合いを持つのに対し いごっそうは そのように称される本人が威勢を張ることのできる呼称とされる 分かりやすく言えば「人の言うことを聞かない 頑固もの」らしい 少し古いが吉田茂首相かな 
一方の肥後もっこすは 「純粋で正義感が強く 一度決めたら梃子でも動かないほど頑固で妥協しない男性的な性質を指す それと相俟って 曲がったことを好まず駆け引きは苦手で 他者を説得する粘り強さに欠け プライドや反骨精神も強いため 組織で活躍することは向いていないと言われる」 なるほどそういう人物が勤めていた会社にもいたなあ
讃岐はどうか 「へらこいやつ」という言葉があるように利己的 要領がいいのかな 土佐に比べて大物が少ないような気がするのだが いずれにせよ肥後もっすこ 頑張れ

2016年4月9日土曜日

3年9組 綾井先生担任


9組は綾井先生担任 いつも姿勢が良い このクラスも友が多い 雅則さん(まんのりさん)大学は同じだったが全然大学では会うことがなかったのが不思議 幸利さん(つんつく)彼はどうしているのかなあ アメリカに渡ったのであろうか 本屋の息子さん元気かな 毅さん(神さんである)生徒の時は細かったのにこの前はガッチリして昔の面影はなかったなあ) 八郎さん(彼は65年も続く料亭の主人 お隣の超有名店よりもずっといいお店ですわ 一度行きました ひょうひょうとしていた高校時代) 不思議なことに9組には男女とも他のクラスに全くの同姓同名がいる 男子は忠司さん 女子は典子さん 昨年の同窓会でも人間違いをしたので覚えている
さて ここは何処でしょう 松平さんの胸像があるところから栗林公園である 確か北庭にあった この松平頼壽氏は貴族院議長を務めた人物でありこの胸像は松平家のシンボルだ 栗林公園は高松のランドマーク 古く16世紀末の豪族の別邸が起源という その後 生駒の殿様から水戸徳川家の松平様に引き継がれたのである ということは玉藻城の高松藩の別邸だったということ 
正門を入って直ぐに桜がある 花見をしたことがある 実はここの桜が高松気象台の標本木とのこと知らなかった とにかく広い そして手入が行き届いている 確かに島根県安来市の足立美術館の庭園 京都の桂離宮の庭園に次ぐ日本ではナンバー3の庭園である ナンバーワンもツーも行ったことがあるので実感する
学生時代ここで毎年夏に切符切りのアルバイトをした 楽しい先輩と巡り合えたのは良き思い出である 正門 北門は良かったが南門は動物園との接続していたので匂いがたまらなかった オランウータンがいたことを思い出した オラン言うておったのはずるい 北島康介選手のインタビューで「ずるい」と記者に言ったのは名言であった 「.インタビュアー泣いてんだもんズルイ」 負けてさわやかだった レジェンド北島 お疲れさま



2016年4月3日日曜日

私の桜 3年で満開となる


3年前に市に3万円寄付をして桜の植樹をした 市制50周年だった 左の桜がマイサクラ 3年経ってようやく満開に近くなった 昨年は見るに値せずだったのだが 今年は立派に育った 銘板があって私の名前と私のメッセージが書いてある 
詩人 坂村真民の詩が心を打つ 「花は一瞬にして 咲くのではない 大地から芽から出て 葉をつくり 葉を繁らせ、成長して つぼみをつくり 花を咲かせ 実をつくっていく 花は一瞬にして 咲くのではない 花は一筋に咲くのだ」 坂村さんは10年前にお亡くなりになった 今 愛媛県砥部に記念館がある
花も人生と同じ マイサクラも風雪に耐えてきた そしてようやく花が開いた 苦しいことも悲しいこともあるのが人生である
昨日 入学式があった 新入生の緊張した面持ちに51年前の自分を重ね合わした 期待と不安 やはり友達である 友達が出来るかなという思いは誰にでもある 私は学問を追求する学生経営研究会というクラブに入りたくさんの良き友が出来た 今年もその集まりが6月にある
式が終わり事務局に帰ると保護者の方が学費を全額支払いたいとやってきた 入学金を除く87万円の現金を有り難く頂戴した 大金である お金の重みを感じた 可愛い我が子のために用意してきた学費 一方で学費未納で除籍になる学生もいる そのようなときは実に切ない思いである 学生は親の期待に応えて勉学に励み夢を実現して欲しいと願う入学式の一日でした