2017年12月31日日曜日

追悼 直行君

幼稚園から小学校 中学校 高校 大学まで同じだった直行君の訃報を一郎君から聴いたのは今年7月だった 旅行中だったので千葉で行われた通夜・葬儀告別式には参列出来なかった その後お供えを送った 奥様からは彼の絶筆である「甦る」という色紙が送られてきた 7月23日とある 奥様は「主人の絶筆に今も支えられています」と書いていた
彼とは1969年に大学卒業後 就職してからはすっかり疎遠になっていた 彼は大手スーパーに入って関東・東北地方で活躍していたと聴いている その後 不況の波に飲み込まれて会社はなくなってしまったのである
彼と再会したのは2001(平成13)年3月 東京銀座にて 実に32年ぶりであった 55歳ながら白髪となっていたが相変らず元気印そのものであった 東京駅で酔っぱらって大声で軍歌を歌い駅員に補導された彼の武勇伝は一郎君から聴いた たしか秋田か新潟の店の店長をしていたとか リーダーシップの片鱗は幼い時からあったと思う 病床で「甦る」という色紙が彼らしいと思う
この日の東京での同期会は私が段取りしたもので22名集まった 1月の予定が大雪で中止となりこの日に順延したものだった 同じ光洋中学出身の7名のスナップ これには映ってないが弘文君も参加していた 女性陣が4名もいた 悦子さんは分かるのだが 他は不明 通代さん マサ子さん 桂子さん 禮子さん 節子さんのいずれか
今年は大学時代に同期だった忍君も亡くなった 同じ下宿で隣同士であった彼 ひとつ上だったが先輩面もせず良く私の話をよく聴いてくれた 山本周五郎が好きで本をよく読んでいた 私も借りてすっかり周五郎ファンになった 二人のご冥福を祈る


2017年12月17日日曜日

KOBE ルミナリエ 2017



神戸市立博物館で開催している「ボストン美術館の至宝展」を観に行った 東京 神戸 名古屋と全国を回っているようだ チケットにはゴッホの「郵便配達人ジョセフ・ルーラン」が描かれている 1888年の作品 他にミレー コロー モネ セザンヌ などが展示されていた モネは主に「睡蓮」を描いているがその作品は200以上とのこと ボストンでも「睡蓮」が出ていた 直島の地中海美術館でもそういえばあったなあ ゴッホは「子守歌 ゆりかごを揺らすオーギュスティーヌ・ルーラン夫人」の2点 ゴッホといえば「ひまわり」この「ひまわり」も世界に7点もあるという 日本の損保が58億円で落札して新宿に展示している 鮮やかで 大胆な絵でまさに印象派の作品でひときわ目立っている
鑑賞後に12月8日から始まっている「KOBE ルミナリエ」を観てきた 今日は最終日の前の土曜日とあってものすごい人出であった 元町の大丸の前から並び ただ前を歩くだけ 旧居留地の通りに入ると写真で見たことのある風景が目の前に ただただ感動 今年で23回目となる 毎年今年で終わりと言われながら開催しているとのこと 赤字のため100円募金をしていたので協力 阪神淡路大震災の記念式典が行われる東公園までのルミナリエは大震災を思い出す光景である 毎年400万人近くが訪れるがどういう気持ちで歩いているのだろうか

2017年12月11日月曜日

2007年 新年会のゲストは2名

10年前の60歳の同期会である 懐かしい 2007(19)年1月の大阪同窓会 このときは珍しいゲストが2名 高松から哲くん 女性陣では英子さん 日本料理「多幸梅」での同窓会は長かったが翌年までで次からは会場が変わった 確か店仕舞だったと思う 現在はこの多幸梅ビルは解体されている
哲くんはスポーツマン 大学を卒業後 高校野球では監督として高校球児を率いて活躍した 残念ながら甲子園の道は遠かった「敗軍の将 兵を語らず」である 詳しい戦績は知らない 今度聴いてみたいと思う 彼から来年6月に高松で全体の同期会を開催するからという案内があった 晃くんと一緒にクラスの代表をしているので集まりがあったとのこと 来年1月には大阪同窓会に久しぶりに参加するというので楽しみである
英子さんとはラインで繋がっている なかなかの勉強家でもあり好奇心旺盛な女性だ 地域のボランティアでも活躍していると聞いた クラスは違ったが秋山幸造先生つながりで同窓会に来てくれた 他にも50数名関西地区に同期がいることは名簿で知っているがなかなか足が向かないらしい 男も定年を過ぎたら皆同じ 偉かった偉くなかったはもう関係なし これからを自分らしく生きるか 目標を持って進みたいと思う

2010年~13年の新年会



大阪新年会の写真が出てきた 2010(22)年~13年(25)年の4回の分である 女性陣がたくさん参加していたことが分かる 3年間は梅田の中華料理の美味しい店の「白楽天」で開かれ 2013年からは梅田の「がんこ寿司」に会場が変わった
2010年 このときに初参加したのが一子さんだった 昌宏さんとは同じ中学と聞いていた あと暁美さんと玉江さん この2名は時々登場する 男性陣では広美くんが江戸から参上 この日の彼の話は実に面白かった 学生時代は伊丹の修さんの家が溜まり場でみんな仲が良かったのだ
2011年 このときは高松から2名が初参加 恵津子さんとめぐみさん ふたりの讃岐弁のオンパレードが懐かしい 二人とも息子や娘が関西在住とのことで来てくれた
2012年 このときも恵津子さんとめぐみさん 玉江さんが参加 江戸から昌宏くんが参加して盛り上がった
2013年 このときも恵津子さんとめぐみさんが参加 3年連続だ なんと歌の上手い紀子さんも初参加してくれた 江戸の方からも静枝さんも参加 男性陣も高松から修さん 江戸から広美くんと昌宏くんが参加 翌日の親睦ゴルフのために前泊したとのことだが 16名の参加は最大 
朋 遠方より来る また楽しからずや 来年も楽しみだ


2017年11月18日土曜日

正倉院の由来


正倉院は大仏殿の裏にある 大仏池の横を通って見学に行った 建物の創建は759年以前とのこと 推定である 正確なことは分からない 高床式で構造は校倉造りである 床下は約2.7m 高さは約14m 総檜造 実に美しい建物と思う 世界遺産である 見学はここまで建物には勿論入れない 守衛さんが右に立って警備している 
「正倉」とは上納されたものを保管するための倉である ウキペディアによると「大きな寺にはそれぞれの寺領から納められた品や寺の什器宝物などを収蔵する正倉があり正倉のある一画を塀で囲ったものを「正倉院」と称した 南都七大寺にはそれぞれに正倉院が存在したが歳月の経過で廃絶して東大寺正倉院内の正倉一棟だけが残ったため「正倉院」は東大寺に所在する正倉院宝庫を指す固有名詞と化した」とある
正倉院の周りには西宝庫 東宝庫があるがそれぞれ昭和の建物である そんなのがあるとは知らなかった 校倉造りは二月堂とか唐招提寺にもあるので今度は近くで観てみたい 
今 宝庫に伝えられている宝物の点数は整理済みだけで約9000点とか それはそれは大した数である 宮内庁正倉院事務所の方が管理されているのだろう 今年の正倉院展は先日終わったが もう早速来年に向けて展示物を選んでいることだろう 
奈良時代の建築や工芸品を観ていると「モノづくり」は昔も今も変わっていないなあ と思う いや昔の人の技術の方が優るのではないかと時々思うところがある

2017年11月13日月曜日

奈良女子大学に入ると


国立大学法人奈良女子大学 近鉄奈良駅から徒歩でわずか5分と近い ここは男子禁制の世界 外をうろうろしていると「不審者」と疑われること間違いなし 大学の周りはコンクリートの塀で囲まれている ところが今日は記念館の一般公開とか ラッキー 入って直ぐの正面の建物の見学が出来るという
私の会社時代の友人の父君がここの大学の教授だった 彼もまたここの附属小学校・中学校の卒業生だった 彼は京都大学に進学した また瞳ちゃんの姉がここの卒業生であることなど多少は縁がある また一高の先生にも前身の奈良高等女子師範・現奈良女子大学の卒業生が多かった なにしろここは女子の教員の養成所として有名である 先生の出身高といえば男子が西では広島師範(現広島大学)東では東京高等師範(現筑波大学)と東京女子師範(現お茶の水大学)などなど 奈良女子大学も日本の中等教育を担ってきた歴史がある 来年で創立110年を迎えるという
記念館の中に入る 女子大生が案内してくれた なかなかの才女である 学部は3つで入学定員は各150名とか 1年で450名 全体でも1800名の収容定員 岡潔 どこかで聞いたような名前 その岡潔先生が数学者として世界的に有名で先生のコーナーがあった 2階には講堂があって100年ピアノというのが置いてあった ここで大学院の入学式などが行われるという
窓の奥から見る紅葉が綺麗だった 新校舎につながる道は両脇にベンチがあっていい雰囲気 落ち着いた気分になれる 大仏殿 若草山も一望できる良い環境である 桜紫会の会報によると29年度に母校から奈良女子大学に合格した生徒は4名 もうひとつの国立の女子大であるお茶の水女子大学には2名とある すごいな 一生懸命学んで夢を実現して欲しいと願うばかりである

2017年11月11日土曜日

興福寺の想い出


興福寺には思い出がある 大学2回生のときに、京都から奈良へ自転車で出かけたのである 京都から奈良まで40キロはある 北区大将軍の下宿からは50キロはあっただろうか 時速12キロとして約4時間の計算 実は1回目は伏見の観月橋のところでパンクして断念 パンクは想定外だった 2回目は1966(昭和41)年10月10日に決行 
目的のひとつは同級生の瞳ちゃんに会いに行くことだった 瞳ちゃんは幼稚園からの幼馴染 小学校 中学校 高等学校も一緒 もちろん家も近所 大学は同じ京都だったが違った 姉が奈良の大学に通っていたので彼女も奈良から京都に通っていたのである なぜ自転車だったのか 単にお金が惜しかっただけだったのか それにしてもしんどかった 京都から奈良に入る前に急坂があった 大仏殿の屋根が見える 感動した ああ奈良に来たと思った 今 手元のアルバムを見ると懐かしい
寝袋を持参して泊まったところが「興福寺」の境内 五重塔の近くの芝生 朝起きると何か騒がしい感じ 目を覚ますと鹿が一杯いたのには驚いた やばい 芝生は朝露で濡れていた 10日は鹿の角切の日だった 立派な角を貯えていた 
興福寺の傍にある猿沢の池は興福寺の人工池である 舟を浮かべて観月したのだろう その頃の藤原一族は勢力が強大 興福寺も絶大な権力を有し都を支配していた 東大寺の聖武天皇の奥様の光明皇后も藤原家の出である 今は観光の面では東大寺にはかなわないが・・・ しかし日本最古の阿修羅像など国宝が一杯ある 見どころ満載である 現在 中金堂を再建中 平成30年には落慶するという 平城遷都1300年を平成20年に迎えた奈良はまだまだ奥が深い地である 中でも興福寺には目が離せない 興福寺=幸福寺といきたいものである 

2017年11月2日木曜日

久しぶりの奈良


行楽の秋 芸術の秋 正倉院の秋 ということで奈良に出かけた 毎年秋に正倉院展が開かれている 今年で69回目とか 何回か鑑賞したことはあるがここ20年くらいは来ていない 展示は奈良国立博物館で行われている 17日間という短い期間にたくさんの人が訪れる 今日も入場するまで10分待ち 中に入ると黒山の人だかり 毎年異なる国宝などを小出しにしている 今年は59件の出展である なにしろ6000件の宝が正倉院にはあるらしい 奈良時代であるから聖武天皇の時代の宝物が主である アジアから来たものなど珍しいものがあった 蝋蜜というミツバチの巣からとった蝋は初出陳とか 用途は食べ物か薬か 不思議なものが出ていた 他に将棋盤のようなものもあった
東大寺は聖武天皇が建立したお寺で本尊は廬舎那仏 すなわち大仏さん よく大仏さんと大仏殿はどちらが大きいかというクイズがあるが正解は??? 大仏さんは大仏殿に入っているから大仏殿が大きいというが 正解は大仏さん 何故か 大仏さんは座っているので立てば大仏殿より大きいとのこと この南大門の前には鹿が大きな顔でたむろしている 奈良の鹿は今1200頭余りが生息しているという 昔は鹿が人間より大事にされていたとのこと 詳しくは「鹿政談」という落語を聴けば分かる
南大門は「なんだい もん か」とゆっくり読むと普通の門になる と光洋中学の修学旅行のとき僧侶が説明した 面白かった 今でも覚えているなあ 南大門の奥に進むと大仏殿がある 南大門の向かって右に吽形(うんぎょう、口を閉じた像 快慶作) 左に阿形(あぎょう、口を開いた像 運慶作)の仁王さんを安置している 阿吽の呼吸という言葉はここから来た 一般的な仁王像の安置方法とは左右逆とのこと また正倉院は大仏殿の後ろに存する お宝を保存している施設が正倉院 今は宮内庁が管理している 
ブラタモリではこの奈良が2015年に放送されたが残念ながら見逃した しかし今はアーカイブとかユウーチューブで観られるから便利 ゆっくりと鑑賞してみたい

2017年10月27日金曜日

桜紫会創立90周年特別号

先日 同窓会会報№62が届いた 多田野同窓会会長を挟んで全国生け花バトル2位の女子が2名 右に棒高跳びで全国2位の男子 鮮やかなフレッシュな表紙である 母校は来年90周年を迎える 校舎の全面改築に着手 新同窓会会館建設募金を開始しますとのこと 目標額は1億円 4万人の卒業生の内 四分の一の1万人がひとり1万円を寄付すれば1億円になる計算 いつか忘れたけど前も桜基金?とかで寄付があった その時も1万円寄付したので今回も1万円寄付しょうと早速郵便局で振り込んできた 募集期間は4年間だそうだが吉事は早くした方が良い
さて 棒高跳びといえば数年前に亡くなった親友の俊文くんを思い出す 彼は中学時代は棒高跳びの選手だった あの頃のポールは竹ではなかったのか その後スチール そしてグラスファイバーとなっている 竹はしなりがあるというがどんな竹だったのか 落語の愛宕山では谷底にある小判を一八が集めて嵯峨竹の反動を利用して上に登って来たとある 俊文君は高校に入ってハンドボールに転向し主将としてインターハイにも出場した 我々の時代は体育の小田先生の息子さんが活躍していた 彼は4m10センチで新人大会で優勝していたとある そういえば多田野同窓会会長も陸上部出身で棒高跳びの選手であったような記憶がある
多田野さんの会社はトラッククレーンの世界を代表する会社のひとつ 私も一時就職を考えたことがある 当時の社長からの迷言「弊社の株はただの株です」と言って笑わせていたことを思い出した

2017年10月20日金曜日

回転寿司で昼食を


ひとりで昼食 久しぶりに寿司でも そうだ回転ずしに行こう 近所の「くら寿司」へ出掛けた 12時をまわった時間で結構混んでいた カウンターは満席なのでテーブル席へ案内された 
ここは1回来たことがある その時は孫たちも一緒だった 今日は全くのひとり さて席に座ると新鮮なネタが回って来る しかしどうやって取って良いか分からない 隣のテーブルは夫婦連れらしき2人が座っている ビールをあけている 聴くのも恥ずかしい 皿の上に蓋がついている 皿を引っ張っぱった 取れない 皿は猛スピードで回ってくる 失敗 2回目も失敗 よく見ると上に取り方が書いてある 皿を上にあげると蓋が開き皿が取れますとのこと ああそうか やってみる 皿が取れた 良かった 今度はお茶がない 席をたってレジの方をみるとコップがあるではないか 良かった 
しかし皿のスピードは思ったより早かった 何をチョイスするか瞬時の決断が要求される もたもたは出来ない まさに頭も回転寿司である ちょっと上に画面があって好きなものをチョイス出来るのだが この余裕は今日は持ち合わせていない 頼んで来たらどうするのかという心配もあった 皿は下の開口部に落としてくださいと書いてあった 5皿放り込むと上の画面がゲームに変わって「残念」との表示 これが当たりだったらどうなるのか 「残念」で良かった 
レジに回ると「お客様 おあいそのボタンを押しましたか?」と聞かれた 「嫌」レジのおばさんが他の従業員に43番押してくださいと叫んだ ハイ終わりましたとの返事 ようやくレジを済ませることができた レジには行列が出来ていた 540円だった ほんまに全品100円+税金だった ひとりでは来るものでないことが分かった 実はひとりで「スシロー」に行った時もどうやって食べるのか苦労したことを思い出した 今日はよい社会勉強になった一日でした くら寿司は香川県には高松に2店 丸亀に1店あるようだ

2017年10月14日土曜日

金木犀の香り

金木犀の香りは9月末から始まる この香りを嗅ぐと秋が来たなと実感する 大阪は今が丁度最高潮に達している なんとも言えないこの香り 原産地は中国とのこと 花言葉は「謙虚」「謙遜」「気高い人」「真実」「初恋」など沢山ある 銀木犀は白い花を咲かせて香りも弱いそうだ まだその匂いを嗅いだことがない
お笑いなぞなぞを教わった トイレに咲く花は水仙 冷蔵庫に咲く花はヒアシンス 競馬場のゴール前に咲く花は花菖蒲 なるほど 男子のパンツ中に咲く花はキンモクセイとか なるほどゆっくり読んで区切って読めば分かる 確かに匂うなあ
立てば芍薬 座れば牡丹 歩く姿はユリの花 美しい女性の容姿や立ち居振る舞いを花にたとえて形容する言葉であるが これに反して美人ではない人を例えた歌詞もある 学生時代にコンパで熱唱した「失恋節」である 佐賀の高校だけで流行った歌のようで 佐賀高校バスケ部出身の昭君が得意中の得意で歌っていたのを思いだした 
歌詞は次の通り 「鏡見るたび 思い出す 父ちゃん母ちゃんには済まないが もうちょっと男前に生まれたら あんな女に振らりょうか あんな女に振られても泣いてすがるような俺じぁない あんな女は星の数 あいつばかりがシャンじゃない シャンはシャンでもオッぺシャンで ケツはバケツで 目はするめ 歩く姿はこって牛 座る姿は土手かぼちゃ それ 土手カボチャ それ 土手カボチャ」 いわゆる春歌のひとつだった 「ひとつ出たホイ」も名曲 その他替え歌に素晴らしい作品があった
今はコンパで何を歌うのだろうか 今の学生に一度聞いてみたい

2017年10月5日木曜日

中秋の名月と掬月亭


昨夜は十五夜だった ふるさとの栗林公園の掬月亭では中秋の名月に観月の会が開かれた 県のご案内は「まるで鏡のような湖面に映り浮かぶ月 唐の詩人が詠んだ詩の一節「水を掬(きく)すれば月手に在り」から名づけられたとされる栗林公園掬月亭で中秋の名月を愛でながら食事や音楽を楽しむ 40人限定の夜間特別企画」とあった 会費は1万円 あの「二蝶」のお弁当が出る 和船の乗船もある 今年で9回目とか 県も随分頭が柔らかくなったものだ
私が学生時代の夏休みに栗林公園で切符切りのアルバイトをした頃はそんなことを考える人は誰も県庁にはいなかった 公園は金子知事が愛して自分の庭のように大事に大事にしていたから 掬月亭でそんなことは出来なかったのだろう 内部はただ公開していただけ 時代は変わった
さて十五夜 京都大覚寺の大沢池 奈良の猿沢の池 大津の石山寺のような日本三大名月鑑賞地では多くの人が名月を鑑賞しただろう 私は大阪で東に出ていた名月を道路から鑑賞した 月はやさしく明るかった 「月がとっても青いから」という歌があるが青くはなかった あれは回りが明るく青いという意味らしい 
11月1日には十三夜がある これも見ないと「片見月」とか「片月見」とか言って縁起が悪いそうだ
今 読書界では「応仁の乱」がブームだそうだ 京都の人に言わせると この前の戦争というと「応仁の乱」どすか というくらい有名な「乱」 11年も続いた乱 今は政治の世界でも「乱」が起きている 第一幕かどうか 国民の目を無視しての政治の「乱」は本当に迷惑な話だ まあ風流ばかり言っても困るのも分かる

2017年9月22日金曜日

末廣亭 落語ファンの聖地

ご趣味は?と人に聞かれて聞かれて まっさきに出てくるのが「落語」である 上京した時必ずと言って寄席に足が向かう 「よせ」と言われても「寄席」に行くくらい好きである
この日もまっ直ぐ新宿末廣亭に そこは現代とは思えない風景 なんだこれはと思う木造
東京に居たときは月に1回はお邪魔していた 昔々昭和44年代は昼席と夜席の入れ替わりがあった 今はない 従って12時から21時まで居ることもできる 1度だけ挑戦したことがある 好きだから出来ること 末廣亭の他に鈴本演芸場 池袋演芸場 浅草演芸ホールが毎日毎日興行している その他にも国立演芸場は月の半分くらい 横浜には「にぎわい座」などがある その他 上野広小路亭ほか現在は毎日昼夜どこかで落語が聞ける  
大阪も繁昌亭が出来た 私もわずかではあるが寄付させて頂いた おかげで天井からぶら下がった提灯に名前が残っているのだ その後大阪では 桂ざこば師匠が造った「動楽亭」もある 但しここは昼席が1日から20日まで 夜は毎日 何しろ江戸と大阪で1000名の噺家がいるし年々入門が増加しているから落語界も大変だ ベテランになるとそんなに要らないと言ってのける 本当は10名くらいが丁度いいと言って笑わす
私が興味を持ったのは柳亭痴楽の「綴り方教室」七五調で語る痴楽師匠に惚れた 主にラジオである それからずっと 修学旅行の奈良で大仏さんの前にある南大門を説明する和尚さんが「この門は普通の門です」みなさんゆっくり言いましょう 「なんだい もんか」「ほら 普通の門でしょう」という下らないガイドを未だに覚えているのも不思議だ そんなこんなの訳で70年 家にはDVDの山 貴重なものもある 落語の筋は大体覚えているので今は珍しい噺でないと面白くない 毎月2回は寄席通い 安い趣味ね と家人には言われているが・・・ 笑う門には福来るから良いではないか と思っている
詳しくはもうひとつのブログ「前座の出番」に寄席日記を書いています

2017年9月8日金曜日

崎陽軒のシウマイ弁当

東京に行った時に必ず買うのは昔から「崎陽軒のシウマイ弁当」と決めている 帰りの新幹線で食べるのを楽しみにしている しかしこれがなかなか売っていないので探すのが大変 東京駅でも羽田空港でも 崎陽軒の本店は横浜なので東京では売り場は限定されているのだろうか ただ大阪でも三越伊勢丹で販売していたのだが今はなくなっている 1928(昭和3)年発売というからもう90年近くになるシウマイ 安くて美味しいのが魅力だ
横浜には新入社員の頃 東急東横線の「綱島」近くの独身寮に3か月間住んでいたことがある 正確に言えば横浜市港北区大棚町 田舎だった 今は都筑区になっているのかもしれない 道中坂下というバス停から綱島に出て渋谷で乗り換え池袋 東武東上線で成増まで通った 寮の周りは何もなく蛙の合唱が耳に残っている 石田あゆみの「ブルーライトヨコハマ」が流行っている頃だった 大学時代のコンパで鍛えた歌唱力で同期の仲間をリードして寮の食堂のテーブルで歌ったことも懐かしい
東横線は代官山 自由が丘 田園調布 横浜と魅力的なところがある やはり横浜が一番だった 高松と同じ 海が見える町 桜木町 関内 伊勢佐木町 中華街 本牧 元町などなど ますます発展する横浜 人口370万人 大阪市の270万人に比べて100万人多い そういえば神奈川には康雄さんと建治さんが在住 ひさしく会ってないので会いたいのだが 

2017年9月1日金曜日

二重橋は何故二重橋なのか

皇居外苑は外国人がたむろしていた 日本人はわずか この二重橋は通常は使用されていない 新年の一般参賀や外国賓客の皇居訪問等の公式行事の際に利用されると聞いた
私も東京勤務の際はこの二重橋を渡り一般参賀に訪れたことがある 新宮殿のガラスの向こうに平成天皇が手を振っておられたのを思い出す そういえば昭和64年に昭和天皇が崩御されたときは東京にいた 宮内庁の前でお見舞いの記帳したこともあった 大喪の礼のときは千駄ヶ谷でお見送りをした あの時は冷たい雨で寒かった その後風邪をひいて2週間ほど体調が悪かった 「たいそう」な話ではあるが本当の話
二重橋は何故二重橋というのですかということを警備の方に尋ねた 明治以降はこの手前の正門石橋と奥にある正門鉄橋の二つの橋を総称して「二重橋」と呼んでいるとのこと その前は奥の鉄橋のことを二重橋と呼んでいたと説明してくれた 橋桁を支えるため途中に台があって二重構造になっていたため「二重橋」となった その頃は「にじゅうばし」ではなく「ふたえばし」と呼んでいたことを教えてくれた 奥の橋は今は鉄橋になっていて昭和39年に架け替えられ 手前の石の橋と異なり鉄だけの無味乾燥な橋である
確かに昔の写真をみると木造で二重構造となっていた なかなか趣のある橋であった 知っているようで知らないことも聞けば分かる 雑学かもしれないが暇が出来たのでいろんなことを知りたがる 好奇心は大事 これからも分からないことは聴こうと思う 

2017年8月30日水曜日

久しぶりの上京だったが

8月末に上京 7か月ぶりの東京は大阪より少し涼しかった 8時20分新大阪発の新幹線のぞみ 富士山を見たのは10時7分頃だった はるか向こうに雲がありその奥に富士山が見えた 手前は茶畑か 
大阪から東京まで2時間33分 月曜の朝なのか満席 今はネットで予約しカードで入場できる 切符はもたないのでいささか心細いのだが そういえば飛行機もチケットレスの時代 ピタパもスイカも 1枚のカードでどこでも行ける 便利だ 
ホテルで目を覚ましてテレビを観ると何だか異変が起きている ミサイルが飛んで来たとのこと ミサイルが落ちたらどうなるのか 核弾頭を積んでいるのかどうか 爆弾のようなものだから危ないことには変わりはない 東京ではJアラートが鳴らなかった 北の方では大騒ぎ 頑丈な建物や地下に逃げてくださいという放送だったようだが地下がどこにあるのか言われてもないものはない 誰か「平和ボケ」と答えていたがその通り
四国にも愛媛と高知でミサイル追撃のPAC3が配置されたが本当に追撃できるのか 心配だ
夜は久しぶりに友人と一献の予定だったが 皆さんご都合が悪くて・・・残念でした

2017年8月20日日曜日

三本松高校 気持ちでは負けず

8時からテレビ観戦 残念ながら東海大菅生に敗れた ベスト4ならず 解説者の横浜高校元監督の渡辺氏は「力の差は歴然 ただ気持ちでは三本松も負けてなかった」
1回の攻撃が全てのような気がした 三本松は1回のチャンスをものに出来なかったのが痛い 安打は10本も出ているのにわずか1点とは 相手は12本 差はないのに 要所で凡打 三振は痛い 相手はホームラン連発 これが勝負を決めた
引田中学 白鳥中学 大川中学 屋島中学など県内出身者ばかりであるのが良い ホームページをみると今日は朝4時にバスで出発とか 応援団も大変だったと思う しかし三本松という名前を全国に残してくれた功績は大である お疲れ様でした
先日 高松で「ぶどう餅」を購入した そこで店員の方と話をしたのだが「甲子園」の話題になった 私は二松学舎には勝つと話したが本当にそうなった 何故なら三と二なら三が強いからとの冗談だったが実力で勝ったと思う この「ぶどう餅」パワーが炸裂したのかどうかは分からないが大したものだ 
東讃の三本松 白鳥には昔昔 たくさんのぶどう餅屋さんがあったそうな 今は巴堂と正華堂のみ 讃岐と阿波の県境に近く争いのための「戦力餅」が由来という つまり「差し入れ」にぶどう餅を配ったのか 葡萄のように丸い団子 武道を示す団子 三本松の選手もこの「ぶどう餅」を食べて頑張ったに違いない 甲子園の楽しみが減りました

2017年8月19日土曜日

青い空 暑い夏 2017


8月19日 秋山幸造先生92歳を迎える 17日に長寿をお祝いしに英和さんと一緒にご自宅に伺った 事前に電話をしていたので良かった 先生は「おおよう来たな」と言って玄関まで出て来られた
先生は今年になって急に眼の機能が低下して今は殆ど見えない状態とのこと 今迄は新聞やテレビはかすかに見えていたが 今は人の動きが影でしか分からないと言っていた 医師も手が付けられない状態になっているようだ 耳も聞こえが悪くなったが治療で良くなったと言っておられた 奥様よりもよく耳は聞こえると自慢していた
杖と手押し車が欠かせないが腰は曲がっていない 毎日毎日 竹を踏んで鍛えてると言っておられた 竹を踏むと脳の方まで神経が伝わってくるのが分かるという 
同級生の近況を伝えて話が弾んだ さすが記憶も全然衰えていない 声も弱弱しくなく安心した むしろ我々の方が心配だ 70歳と92歳 こうなれば同じ老人同士 こちらも先生のパワーを頂きながら精進するしかない 秋山先生の自宅は私にとってまさに「パワースポット」であると思った
帰りに高松港に寄った 東京では雨の毎日だそうだか 高松や大阪は連日の猛暑 青い空 入道雲 如何にも夏らしい風景だ 屋島 女木島男木島 変わることのない風景 ここに来ると若い時のことを思いだす いつ来ても感慨深い故郷です

讃岐 味どころ巡り

ライオン通りの川福 1950年に琴平町で創業 1964年に現在のところに出店 うどんの老舗である 今も健在 縦横4ミリ 長さ90センチが川福の「指南書」だそうだ 一方 川福と並んでさぬきうどんを全国的に広めたもうひとつの「かな泉」は今はない 2012年に倒産したのだ 詳細は不明
高松在住の同期が年に数回 グルメ巡りをしている 昨年11月には私にも声がかかり瓦町のシェ・クサカで「フレンチ」を食した 先日帰郷した折りに英和さんに聴いたら今年に入ってからも2回実施したとのこと 中華の「本田」磨屋町 お好み焼きの「九十九庵」三谷町である 次回は11月11日(土)12時に「二蝶」とのことである
前回 哲さんが私に次回も声を掛けるからと言っていたが 大阪在住者への案内は遠方とのことで少し遠慮して声を掛けなかったとのことでした
先日「イマジン」で良次さんや寿子さんたち同級生との間で高松の飲食店の話で弾んだ 錦町の「新常盤」とか その妹さんがやっていた「新ときわ」とか 古馬場にあった「ニューチャイナ」とか 「とちの」とか 同級生八郎君のやっていた「三笠」とか薫ちゃんの「蛇の目寿司」 和食の「新」とか 「一直」「高砂」「松寿」とか「天安」とか 「郷屋敷」「小懸家」とか たいへん懐かしかった ほとんどが店じまいしているのは寂しいなあ
そういえばお寿司の「恵介」も高松組の同級生で行ったようだが今も健在で大いに流行っているようだ  

2017年8月18日金曜日

ひやしかけ 始めました


久しぶりに帰郷した 大阪難波から「フットバス」で3時間 11時過ぎに志度に到着 英和さんが迎えに来てくれた 有り難い 牟礼の「大木戸」に行くには一番近いコースである 本当は志度バス停から約20分歩いてコトデン志度に向かいそこから八栗まで電車に乗って八栗に迎えに来てくれるようにしていたのだが 助かった
「大木戸」には12時前に到着 これから忙しくなるところだった 店主の四郎ちゃんがニャと笑って迎えてくれた おお来たんかいな お勧めのひやしかけを注文 大とかき揚天 こんにゃく・豆腐のおでんを食べて610円也 麺に艶がある 忙しい時間なのでゆっくりと話が出来ないのが残念 次回は13時過ぎが良いかも
今回の目的は墓参 遅くなったが この時期に参らないといけないと思っている 
お茶でもということで今新町にある「イマジン」に 11組の良次さんのお店だ そこで一服していると5組の寿子さんがお茶するために来店 良次さんとは城内中学からの同級生ということで良くお店に来るらしい 今は有名天麩羅店の女将だ 時々行ったことがある店だった 隣の組とは言え全然記憶がない 寿子さんも我々のことは記憶がない 寿子さんのクラスは野球部の面々が集まっていたとのこと 一昨年の同窓会でも来ていたとのこと ブログの写真を見せてみると「これが私」桑田先生のクラスで「高校三年生」を歌っていた なんやかやと同級生の話をして時間を過ごした おかげさまで元気をもらった
今回はバスを利用 帰りは渋滞で5時間もかかった フットバスというから「吹っ飛ばす」のかなと思っていたがそうではなかった 今度はJRを使いたい

2017年8月13日日曜日

三本松高校 初勝利だ


夏の甲子園第6日目第2試合で三本松高校が登場した 日曜日とあって満員御礼札止め 阪神梅田駅では「切符のない人は入場できません」と叫んでいた これを信じている人はいない どんどん甲子園へ向かって行く 私もその一人である
久しぶりに香川から三本松高校が出るのだ 雄姿を見逃すわけにはいかない まだ甲子園での勝利はないらしい 今年は期待できる 特に佐藤投手が好投手とのこと 140キロは出ていた 4回まではノーヒットの好投 攻撃陣も1回にいきなり3塁打で先制 2回には渡辺君が左中間に見事なホームラン 着々と点を重ねていった しかし5回裏にヒットを打たれて流れは下関国際に傾けかけたように見えた しかし要所で締めて初勝利 
今日はブラスバンドも迫力があった OBも甲子園駅前でプラカードを持って案内していた 3回戦は10日目に東京の二松学舎大学附属とあたる 三と二の戦いというのも面白い 私の予想では勝利はなかなか難しいと思うのだが 高校野球は何が起こるか分からない 今日は後半 粗い攻撃だったように思う きめ細かい野球をしないといけないのではないか
三本松と言えば親爺が白鳥(しろとり)に勤務していたのでその手前ということで何回か行った記憶がある 私の好物「ぶどうもち」の巴堂が駅前にある 悟さんによれば「正華堂」の方が美味しいという 確かに美味しかった 今週墓参りに行くのでどちらかの「ぶどうもち」を手に入れたい 隣の観客が「三本松はどこや」と言っていた 面白い地名なので1回聞いたら忘れないかもしれない 私の後輩で「二本松」という人がいる 彼は広島 因みに秋山先生の家の近くは「八本松」という地名がある

2017年8月11日金曜日

関東桜紫会第17号届く


2年後輩の関東桜紫会の幹事長から毎年「会報」を送って頂いている ありがたい話である 感謝 昨年11月の京王プラザホテルでの会合の様子が掲載されていた 40年卒は3人と寂しい 一郎さん昌宏さんと関西桜紫会の隆教さんである 会費の納入状況をみると13名いるからそのくらいが参加可能と推定する
ゴルフ同好会の欄に博之さんが優勝したとの記事があった 家族で参加して賞金を総なめしたようだ たいしたものだ スコアもなかなかなものでさすがである 博之さんは大学在学中はたくさんのクラスメイトを救ったと聞いている 名門の法学部だから卒業するにしても相当厳しかったと思う とくに弘文さんは彼のおかげと公言している 昌宏さんはどうだったか 本人から博之さんに助けて頂き卒業できたのは私ですと申告があった 内容はともかく正直で良い 
その代わり昌宏さんは部活の広告研究会で持ち前のセンスを大いに発揮した 就職した会社で取締役まで上り詰めた その会社の新宿の本社ビルを私の会社が施工した その営業が同郷の優秀な営業マンであった 何かの縁である 成長企業への就職も彼のセンス 彼が店舗開発で全国行脚しているときに私もお付き合いしたことが数回あった
関東の桜紫会は音楽活動が盛んである 世話役の篤美さんが献身的にお世話をしている 彼女は名前に「神」がついているからだろうか うまく回っている 同じ学校の卒業生ということで共通の話題が出来て安心もある 同じ釜の飯を食ったという諺がある さしづめ讃岐では「同じ釜の饂飩を食った」というのだろうか たしかに食堂には饂飩があったなあ

2017年8月4日金曜日

ラジオ体操 第一第二


夏の定番 ラジオ体操 久しぶりに参加した 孫も熱心に通っているのでどんな様子か見たかったこともある 近所の公園が会場 孫が体操していた 参加者は時代を反映しているのか老若男女 高齢者が多い 小学生・中学生が少なくて逆に目立つ
小学生の時を思い出した 終わればスタンプを押してもらう 今は皆勤賞だと何か景品がもらえるようだ 皆勤賞といっても全部ではなくても良いらしい ゆるい皆勤賞だ
ラジオ体操第一 会の主催者というか世話役が数人いて前で模範演技を行うのだが年配過ぎて身体が固い 仕方がないか でも基本はきっちりして伸ばすべきところは伸ばすし 曲げるところは曲げる さすがだ こちらの身体の方が固い 朝から身体を動かし汗をかいた
こういう良いことは続けて欲しい 東京五輪でも国民的運動として奨励するとか言っていたような気がする 私も小学生の時に、親戚に泊まりに行ったときにそこで体操をした 高松の対岸の岡山県の児島 渋川海水浴場の近く 塩田でのラジオ体操は鮮明に覚えている
小学生時代といえば 松島小学校から光洋中学 高校 大学まで全く一緒だった同級生の「直行くんの訃報」がイチロー君から7月31日に届いた 病気とはいえショック 彼とは小学校の時によく遊んだ ゴムで造った私の「パッチン」という鉄砲で打った「小石」が彼の眼にあたって大騒動 幸い何事もなく大事に至らなかった 彼は大学卒業後 大手スーパーに就職 勤務地の関係で離ればなれになって疎遠になっていた 平成に入ってから私が呼び掛けた高校の同窓会で東京で再開 彼は大変元気で彼から数々の武勇伝を聴いたことを思い出す 中でも東京駅で酔っ払って大声で「軍歌」を歌って事情聴取に合ったこともあるとか 何故「軍歌」だったのか 
謹んで彼のご冥福をお祈りしたい 合掌

2017年7月21日金曜日

前祭祇園祭山鉾

17日は祇園祭山鉾巡行 久しぶりに観に行った 丁度 河原町御池で「辻廻し」をしているところだった あいにく天気は曇り空 蒸し暑かった 山・鉾は2時間半もゆっくり歩く 見所は2か所の辻廻し 何しろ車輪が木で出来ている 竹を敷いてその上を滑らして3回くらい立て直して直角に曲がる 拍手が起こる これは鉾だけである 山は小さいので簡単に曲がることが出来る 鉾の屋根は15メートルくらいある その上に人が乗っている 怖いだろうなと思う お囃子が座るところも高さが10メートルくらいある そこにぎっしり男の人が座っているのでここも怖いと思う そういえば、女性は参加していない 男ばかりである
学生時代は祇園祭の前に「急行鷲羽」で帰省していた 前期の試験が終わるのが祇園祭の前 従って観に行ったのは卒業してからである 何回も行ったがなんとも優雅なこと 京都らしい
昨年から、前祭(さきまつり)が17日で その1週間後に行われる後祭(あとまつり)が復活した 一度 後祭をどんなものか観てみたいと思う 「あとのまつり」という語源は祇園祭から来たらしい 山も鉾も出ず賑やかさもなく観に行っても意味がないことから「手遅れ」のことを「あとの祭り」と言ったらしい
それにしても1か月もかけて行う祭りとは 京都の歴史を感じさせる 今日も外国人がたいへん多かった 先輩が放下鉾の先頭を歩いていたので「〇〇さあーん」と呼んだらこちらを向いて手を振ってくれた 先輩は世話役として頑張っていたのが嬉しかった

2017年7月13日木曜日

今年の関西桜紫会は

関西桜紫会から会報が届いた 今年の「総会・懇親会」の案内が一面に掲載されていた 9月2日土曜日 残念ながら他の同窓会と同じ日なので今年も「欠席」となる 誠に申し訳ない
会報には昨年の模様が出ていたが84名 私より後輩の数が20名余りと少ない 特に平成が居ないのは寂しい
全体で何名居るのだろうか?会費収入が271名とある 実際には2000名は居ると思うが どうだろうか
やはり甲子園くらいに出ないと盛り上がらないのだろうか その甲子園は昨日1回戦で敗退した 新聞に香川予選の結果が出ていた 今年の香川は三本松高校が優勝候補らしい プロ注目の投手がいるらしい 先月招待試合で早稲田実業と戦い勝ったとのこと あの清宮選手のチームに勝つとはたいしたものだ 
母校もいずれは好投手を擁して甲子園に出ることがあるだろう その時は同窓会としても盛り上がるだろう 時期を待ちたい

2017年7月7日金曜日

七夕飾りが美しい 願いは?

昨日今日と九州では大雨が降っている ニュースで見る川の氾濫は目を覆うばかりだ 小さい頃を思い出した 台風で近所の川が溢れて境目が分からなかった 河川改修が充分でなかったのだろう その後改修してい今では排水を良くしたのだろう溢れることはない
異常気象が近年多いような気がする 地球全体が大きく動いているようなそんな感じ 地震 噴火 豪雨 竜巻 雷 予期せぬ出来事がたびたび それも至る所で発生しているのはどうしてか  人間の歴史は自然との闘いだと思う 私の人生訓のひとつである「自然に帰れ」の言葉は重い
さて七夕 いつも通う駅前でも学生が飾った七夕が美しい この下を学生が通り、短冊に願い事を飾ってあった 七夕は五節句のひとつとか 中国から来たという 五節句の中でも最もロマンが感じられる 全国的には仙台の七夕まつり 平塚の七夕まつり 東京では阿佐ヶ谷が有名であるが調べてみると全国あちこちにあることを知った 讃岐では三木町池戸の七夕まつりが8月に行われる 行ったことはないが結構有名である 仙台と言えば同級生の凪ちゃんが住んでいるところだ 杜の都の仙台 いい街である
先日 高松で半夏生の日に「うどん」を無料配布したというニュースを見た 結構なことである 懐かしいうどん しかし先日大阪で食べた「生醬油うどん」は太いだけで腰も粘りも全くなかった 680円 こんなまずいうどんを食べさせるとは ひどい商法である 二度と行くことはない店である 結構流行っていたので不思議である 是非讃岐うどんを食べて欲しい
今日 七夕は「そうめんの日」三輪素麵 播州素麺 島原素麺 半田素麺などがあるがやはり「島の光」の小豆島素麵が一番である

2017年6月22日木曜日

ホーホー 蛍こい


蛍を鑑賞する機会があって「ホタルバス」に乗って出掛けた 梅雨の合間 真っ暗な川沿いに案内された 真っ暗な中 小さな川の周りに蛍が乱舞していた そういえば富山の沖の「ホタルイカ」も真っ暗い夜空に光を放っていることを連想した ここの蛍は凄い 手にも寄ってきて泊まる 源氏ボタルという説明 蛍にも品種が沢山あるらしい 日本では40種 世界に至っては2000種類もある 
何故 源氏か 諸説がある 源氏物語の光源氏?から 源平の源氏?から そういえば平家ホタルもあるなあ 源平合戦で敗れた平家 それゆえ平家ホタルは源氏ホタルより小さい
今週テレビを観ていたら「蛍の光」の作詞者を紹介していた 福島県の棚倉という街の出身だった稲垣さんという方 出身中の校章は「蛍」がデザインされていた
「蛍の光 窓の雪」はなんだか季節が夏と冬で矛盾しているようだが実は二つのことを言っているとのこと いわゆる「蛍雪の功」である 一途に学問に励む事を褒め称えるという中国の故事が由来である そうか蛍雪時代という旺文社の受験雑誌もここからきているのだ 夏は蛍の光で本を読む 冬は窓の雪で本を読む この日は真っ暗の中 スマホの明かりで足元を照らして歩いた 蛍の光では暗すぎる もっと蛍がいないと・・・

2017年6月18日日曜日

門下生による記念演奏会

同級生の修(つとむ)さんの演奏会にクラスメイト5名で行って来ました 修さんは3年4組の時の同級生 彼は教員の道を目指すために教育大学に進学しその後念願の学校に就職 初めは小学校勤務だったが 直ぐに高等学校の音楽教師に
丁度10年前に音楽教師生活37周年記念演奏会が今日と同じ会場であった この時は確か60歳の定年退職 あれから10年 今度は「退官」になっている 多くの門下生が企画した素晴らしい演奏会だった
教師はうらやましいと思う もちろん慕われた人しかその資格はないのだが 教師冥利に尽きると言ったところか 彼もたくさんの教え子を立派な人物に育て 世界的な演奏家を輩出したのだから功績は大きい たいしたものである 常に謙虚な姿勢には頭が下がる
今日も最後に彼が演奏したドビュッシー作曲の「映像 第1集」より水の反映 ラヴェル作曲の 水の戯れの2曲は譜面も観ないで演奏したのであるが心に響く演奏だった アンコールでの曲も素晴らしかった
彼は謙遜しても71歳だから覚えてなくて間違えてしまうと言っていたが なかなか 思わず「まだやれる」と掛け声を発したのであるが 彼も80歳とかいっていたので意欲は充分あるようだ ただし我々同期も頑張らねばと思った

2017年6月9日金曜日

「銀二貫」鑑賞

大阪松竹座で6月1日から「銀二貫」の舞台が始まった 大阪を舞台にした人情物語である 作者は髙田郁(かおる)さん この作品は大阪の書店員が選んだ「ほんまに読んで欲しい」本の第1回受賞作(2009年)である 
髙田さんはこの他にも現在放映中のNHKの土曜ドラマ「みおつくし料理帖」の作者でもある 二つに共通するのは「料理」と「真似をするところが出る」ということ この銀二貫でも美味しい「琥珀寒」という寒天料理が出てくる 「みおつくし」も料理がテーマであるし最後にはレシピの紹介もある
さて松竹座は若い女性で一杯だった 何故 そうこの芝居には関西ジャニーズJrの人気者4人が出演していたのだ 知らなかったいわゆる「関ジャニ」である 若いからと言ってキャーキャーの声はなく静かに笑いながら観ていた
この芝居の主役は松吉こと藤山扇治郎 藤山寛美の孫である 主役ではないが桂米團治も出ている 桂ざこばが脳梗塞のため急遽代演となったのだがなかなか上手な演技だった さすがの芸達者 父の桂米朝によく似て来たなあと思った 前から二列目の席で表情がよく分かった また松吉が惚れる真帆こと宮嶋麻衣もなかなか可愛く名演技だった
髙田郁さんは小さいころから山本周五郎の本をよく読んでいたとか 実は私も友人の影響で周五郎の本はよく読んだことを思い出す 人情溢れる作品に涙したものだった このような素晴らしい芝居を特等席で鑑賞出来て幸せである 因みに銀二貫は金33両だそうで 金33両と言わず銀二貫というのも作者のセンスである

2017年6月1日木曜日

地元の音楽祭にて


地元で開かれた音楽祭に行って来た 今年で31回目 毎年5月末に開催される メインステージの他にあちこちで音楽やらフラメンコやら落語やらフリマやらで賑わいを演出している 今年はお天気も良かったのでたくさんの人出だった
その中で選んだのは「BBFF」つまり「ブラス バンド ファミリー フェスタ2017」というイベント 中学校の講堂での催しだった 中学生 大学 社会人らの7団体が演奏した 会場は満員御礼 素晴らしい迫力ある音を聞かせてくれた
我が母校も音楽では全国的に有名である 1979(昭和54)年に音楽科を開設したのだから今年で38年になる 楽器 声楽で毎年コンクールで上位を占める 良い指導者が揃っているからだろう 現在の指導者と昨年の高松での全体同窓会でお会いした なかなかの有名人である 先生のブログもなかなか面白い
さて この日は最後に全員で「ふるさと」を合唱した 高野辰之作詞 岡野貞一作曲の唱歌である 岡野貞一氏は鳥取県出身 名曲をたくさん作っている 春が来た 春の小川 朧月夜 桃太郎などなど
「ふるさと」は ウサギ追いしではじまる 兎追いし かの山 小鮒釣りし かの川 夢は今もめぐりて 忘れがたき ふるさと・・・高野辰之氏の故郷は信州 この地を浮かべて作詞したようである 良い歌だなあと思う
 

2017年5月22日月曜日

あつた蓬莱軒の「ひつまぶし」




名古屋に行って来た 目的は2つ 熱田神宮の近くの「あつた蓬莱軒本店」の「ひつまぶし」を食べること もうひとつは、母校のラグビーの試合を瑞穂スタジアムで観戦すること 早稲田との定期戦だった 
名古屋までは難波から近鉄特急で2時間10分 名古屋駅で名鉄に乗りかえて神宮前まで6分 なんとか受付けの10時30分までにお店に到着 既に長蛇の列 なんじやこれは 受付では12時10分と言われる 11時30分開店だから40分待ち それまで時間があったので熱田神宮を参拝 なかなかの立派な神社であった 天照大神を祀っている そこで神社の由来をみると ここは「蓬莱島」と呼ばれていたとのこと そうかお店の蓬莱軒は由緒ある名前だったのだ
名古屋の友人とお店の前で合流 久しぶりに彼と会った 彼は私より2つ上 しかし大学では同級生 大学ではそういうことはよくある話だ 近くの喫茶店で雑談して時間調整して12時10分にお店に 大きな広間に案内されて2人席に そこで30分待たされてお目当ての「ひつまぶし」が出てきた 大きな器に鰻が入っている 軽く4人前とのこと 食べ方を聴く まず4分割して四分の一をお茶碗にうつす まずそのまま食べる 次に四分の一を薬味(ネギ・海苔・わさび)をかけて食べる 次はお茶漬けにして食べる 最後の四分の一はお好みで食べる 美味しかった 日本一の味である なんと美味しいことか ここは土日は予約を取らないという 念願の「ひつまぶし」がようやく食べられて良かった 良かった ラグビーも勝つし満足した一日であった 彼との話も弾んだ