2017年8月30日水曜日

久しぶりの上京だったが

8月末に上京 7か月ぶりの東京は大阪より少し涼しかった 8時20分新大阪発の新幹線のぞみ 富士山を見たのは10時7分頃だった はるか向こうに雲がありその奥に富士山が見えた 手前は茶畑か 
大阪から東京まで2時間33分 月曜の朝なのか満席 今はネットで予約しカードで入場できる 切符はもたないのでいささか心細いのだが そういえば飛行機もチケットレスの時代 ピタパもスイカも 1枚のカードでどこでも行ける 便利だ 
ホテルで目を覚ましてテレビを観ると何だか異変が起きている ミサイルが飛んで来たとのこと ミサイルが落ちたらどうなるのか 核弾頭を積んでいるのかどうか 爆弾のようなものだから危ないことには変わりはない 東京ではJアラートが鳴らなかった 北の方では大騒ぎ 頑丈な建物や地下に逃げてくださいという放送だったようだが地下がどこにあるのか言われてもないものはない 誰か「平和ボケ」と答えていたがその通り
四国にも愛媛と高知でミサイル追撃のPAC3が配置されたが本当に追撃できるのか 心配だ
夜は久しぶりに友人と一献の予定だったが 皆さんご都合が悪くて・・・残念でした

2017年8月20日日曜日

三本松高校 気持ちでは負けず

8時からテレビ観戦 残念ながら東海大菅生に敗れた ベスト4ならず 解説者の横浜高校元監督の渡辺氏は「力の差は歴然 ただ気持ちでは三本松も負けてなかった」
1回の攻撃が全てのような気がした 三本松は1回のチャンスをものに出来なかったのが痛い 安打は10本も出ているのにわずか1点とは 相手は12本 差はないのに 要所で凡打 三振は痛い 相手はホームラン連発 これが勝負を決めた
引田中学 白鳥中学 大川中学 屋島中学など県内出身者ばかりであるのが良い ホームページをみると今日は朝4時にバスで出発とか 応援団も大変だったと思う しかし三本松という名前を全国に残してくれた功績は大である お疲れ様でした
先日 高松で「ぶどう餅」を購入した そこで店員の方と話をしたのだが「甲子園」の話題になった 私は二松学舎には勝つと話したが本当にそうなった 何故なら三と二なら三が強いからとの冗談だったが実力で勝ったと思う この「ぶどう餅」パワーが炸裂したのかどうかは分からないが大したものだ 
東讃の三本松 白鳥には昔昔 たくさんのぶどう餅屋さんがあったそうな 今は巴堂と正華堂のみ 讃岐と阿波の県境に近く争いのための「戦力餅」が由来という つまり「差し入れ」にぶどう餅を配ったのか 葡萄のように丸い団子 武道を示す団子 三本松の選手もこの「ぶどう餅」を食べて頑張ったに違いない 甲子園の楽しみが減りました

2017年8月19日土曜日

青い空 暑い夏 2017


8月19日 秋山幸造先生92歳を迎える 17日に長寿をお祝いしに英和さんと一緒にご自宅に伺った 事前に電話をしていたので良かった 先生は「おおよう来たな」と言って玄関まで出て来られた
先生は今年になって急に眼の機能が低下して今は殆ど見えない状態とのこと 今迄は新聞やテレビはかすかに見えていたが 今は人の動きが影でしか分からないと言っていた 医師も手が付けられない状態になっているようだ 耳も聞こえが悪くなったが治療で良くなったと言っておられた 奥様よりもよく耳は聞こえると自慢していた
杖と手押し車が欠かせないが腰は曲がっていない 毎日毎日 竹を踏んで鍛えてると言っておられた 竹を踏むと脳の方まで神経が伝わってくるのが分かるという 
同級生の近況を伝えて話が弾んだ さすが記憶も全然衰えていない 声も弱弱しくなく安心した むしろ我々の方が心配だ 70歳と92歳 こうなれば同じ老人同士 こちらも先生のパワーを頂きながら精進するしかない 秋山先生の自宅は私にとってまさに「パワースポット」であると思った
帰りに高松港に寄った 東京では雨の毎日だそうだか 高松や大阪は連日の猛暑 青い空 入道雲 如何にも夏らしい風景だ 屋島 女木島男木島 変わることのない風景 ここに来ると若い時のことを思いだす いつ来ても感慨深い故郷です

讃岐 味どころ巡り

ライオン通りの川福 1950年に琴平町で創業 1964年に現在のところに出店 うどんの老舗である 今も健在 縦横4ミリ 長さ90センチが川福の「指南書」だそうだ 一方 川福と並んでさぬきうどんを全国的に広めたもうひとつの「かな泉」は今はない 2012年に倒産したのだ 詳細は不明
高松在住の同期が年に数回 グルメ巡りをしている 昨年11月には私にも声がかかり瓦町のシェ・クサカで「フレンチ」を食した 先日帰郷した折りに英和さんに聴いたら今年に入ってからも2回実施したとのこと 中華の「本田」磨屋町 お好み焼きの「九十九庵」三谷町である 次回は11月11日(土)12時に「二蝶」とのことである
前回 哲さんが私に次回も声を掛けるからと言っていたが 大阪在住者への案内は遠方とのことで少し遠慮して声を掛けなかったとのことでした
先日「イマジン」で良次さんや寿子さんたち同級生との間で高松の飲食店の話で弾んだ 錦町の「新常盤」とか その妹さんがやっていた「新ときわ」とか 古馬場にあった「ニューチャイナ」とか 「とちの」とか 同級生八郎君のやっていた「三笠」とか薫ちゃんの「蛇の目寿司」 和食の「新」とか 「一直」「高砂」「松寿」とか「天安」とか 「郷屋敷」「小懸家」とか たいへん懐かしかった ほとんどが店じまいしているのは寂しいなあ
そういえばお寿司の「恵介」も高松組の同級生で行ったようだが今も健在で大いに流行っているようだ  

2017年8月18日金曜日

ひやしかけ 始めました


久しぶりに帰郷した 大阪難波から「フットバス」で3時間 11時過ぎに志度に到着 英和さんが迎えに来てくれた 有り難い 牟礼の「大木戸」に行くには一番近いコースである 本当は志度バス停から約20分歩いてコトデン志度に向かいそこから八栗まで電車に乗って八栗に迎えに来てくれるようにしていたのだが 助かった
「大木戸」には12時前に到着 これから忙しくなるところだった 店主の四郎ちゃんがニャと笑って迎えてくれた おお来たんかいな お勧めのひやしかけを注文 大とかき揚天 こんにゃく・豆腐のおでんを食べて610円也 麺に艶がある 忙しい時間なのでゆっくりと話が出来ないのが残念 次回は13時過ぎが良いかも
今回の目的は墓参 遅くなったが この時期に参らないといけないと思っている 
お茶でもということで今新町にある「イマジン」に 11組の良次さんのお店だ そこで一服していると5組の寿子さんがお茶するために来店 良次さんとは城内中学からの同級生ということで良くお店に来るらしい 今は有名天麩羅店の女将だ 時々行ったことがある店だった 隣の組とは言え全然記憶がない 寿子さんも我々のことは記憶がない 寿子さんのクラスは野球部の面々が集まっていたとのこと 一昨年の同窓会でも来ていたとのこと ブログの写真を見せてみると「これが私」桑田先生のクラスで「高校三年生」を歌っていた なんやかやと同級生の話をして時間を過ごした おかげさまで元気をもらった
今回はバスを利用 帰りは渋滞で5時間もかかった フットバスというから「吹っ飛ばす」のかなと思っていたがそうではなかった 今度はJRを使いたい

2017年8月13日日曜日

三本松高校 初勝利だ


夏の甲子園第6日目第2試合で三本松高校が登場した 日曜日とあって満員御礼札止め 阪神梅田駅では「切符のない人は入場できません」と叫んでいた これを信じている人はいない どんどん甲子園へ向かって行く 私もその一人である
久しぶりに香川から三本松高校が出るのだ 雄姿を見逃すわけにはいかない まだ甲子園での勝利はないらしい 今年は期待できる 特に佐藤投手が好投手とのこと 140キロは出ていた 4回まではノーヒットの好投 攻撃陣も1回にいきなり3塁打で先制 2回には渡辺君が左中間に見事なホームラン 着々と点を重ねていった しかし5回裏にヒットを打たれて流れは下関国際に傾けかけたように見えた しかし要所で締めて初勝利 
今日はブラスバンドも迫力があった OBも甲子園駅前でプラカードを持って案内していた 3回戦は10日目に東京の二松学舎大学附属とあたる 三と二の戦いというのも面白い 私の予想では勝利はなかなか難しいと思うのだが 高校野球は何が起こるか分からない 今日は後半 粗い攻撃だったように思う きめ細かい野球をしないといけないのではないか
三本松と言えば親爺が白鳥(しろとり)に勤務していたのでその手前ということで何回か行った記憶がある 私の好物「ぶどうもち」の巴堂が駅前にある 悟さんによれば「正華堂」の方が美味しいという 確かに美味しかった 今週墓参りに行くのでどちらかの「ぶどうもち」を手に入れたい 隣の観客が「三本松はどこや」と言っていた 面白い地名なので1回聞いたら忘れないかもしれない 私の後輩で「二本松」という人がいる 彼は広島 因みに秋山先生の家の近くは「八本松」という地名がある

2017年8月11日金曜日

関東桜紫会第17号届く


2年後輩の関東桜紫会の幹事長から毎年「会報」を送って頂いている ありがたい話である 感謝 昨年11月の京王プラザホテルでの会合の様子が掲載されていた 40年卒は3人と寂しい 一郎さん昌宏さんと関西桜紫会の隆教さんである 会費の納入状況をみると13名いるからそのくらいが参加可能と推定する
ゴルフ同好会の欄に博之さんが優勝したとの記事があった 家族で参加して賞金を総なめしたようだ たいしたものだ スコアもなかなかなものでさすがである 博之さんは大学在学中はたくさんのクラスメイトを救ったと聞いている 名門の法学部だから卒業するにしても相当厳しかったと思う とくに弘文さんは彼のおかげと公言している 昌宏さんはどうだったか 本人から博之さんに助けて頂き卒業できたのは私ですと申告があった 内容はともかく正直で良い 
その代わり昌宏さんは部活の広告研究会で持ち前のセンスを大いに発揮した 就職した会社で取締役まで上り詰めた その会社の新宿の本社ビルを私の会社が施工した その営業が同郷の優秀な営業マンであった 何かの縁である 成長企業への就職も彼のセンス 彼が店舗開発で全国行脚しているときに私もお付き合いしたことが数回あった
関東の桜紫会は音楽活動が盛んである 世話役の篤美さんが献身的にお世話をしている 彼女は名前に「神」がついているからだろうか うまく回っている 同じ学校の卒業生ということで共通の話題が出来て安心もある 同じ釜の飯を食ったという諺がある さしづめ讃岐では「同じ釜の饂飩を食った」というのだろうか たしかに食堂には饂飩があったなあ

2017年8月4日金曜日

ラジオ体操 第一第二


夏の定番 ラジオ体操 久しぶりに参加した 孫も熱心に通っているのでどんな様子か見たかったこともある 近所の公園が会場 孫が体操していた 参加者は時代を反映しているのか老若男女 高齢者が多い 小学生・中学生が少なくて逆に目立つ
小学生の時を思い出した 終わればスタンプを押してもらう 今は皆勤賞だと何か景品がもらえるようだ 皆勤賞といっても全部ではなくても良いらしい ゆるい皆勤賞だ
ラジオ体操第一 会の主催者というか世話役が数人いて前で模範演技を行うのだが年配過ぎて身体が固い 仕方がないか でも基本はきっちりして伸ばすべきところは伸ばすし 曲げるところは曲げる さすがだ こちらの身体の方が固い 朝から身体を動かし汗をかいた
こういう良いことは続けて欲しい 東京五輪でも国民的運動として奨励するとか言っていたような気がする 私も小学生の時に、親戚に泊まりに行ったときにそこで体操をした 高松の対岸の岡山県の児島 渋川海水浴場の近く 塩田でのラジオ体操は鮮明に覚えている
小学生時代といえば 松島小学校から光洋中学 高校 大学まで全く一緒だった同級生の「直行くんの訃報」がイチロー君から7月31日に届いた 病気とはいえショック 彼とは小学校の時によく遊んだ ゴムで造った私の「パッチン」という鉄砲で打った「小石」が彼の眼にあたって大騒動 幸い何事もなく大事に至らなかった 彼は大学卒業後 大手スーパーに就職 勤務地の関係で離ればなれになって疎遠になっていた 平成に入ってから私が呼び掛けた高校の同窓会で東京で再開 彼は大変元気で彼から数々の武勇伝を聴いたことを思い出す 中でも東京駅で酔っ払って大声で「軍歌」を歌って事情聴取に合ったこともあるとか 何故「軍歌」だったのか 
謹んで彼のご冥福をお祈りしたい 合掌