2017年9月22日金曜日

末廣亭 落語ファンの聖地

ご趣味は?と人に聞かれて聞かれて まっさきに出てくるのが「落語」である 上京した時必ずと言って寄席に足が向かう 「よせ」と言われても「寄席」に行くくらい好きである
この日もまっ直ぐ新宿末廣亭に そこは現代とは思えない風景 なんだこれはと思う木造
東京に居たときは月に1回はお邪魔していた 昔々昭和44年代は昼席と夜席の入れ替わりがあった 今はない 従って12時から21時まで居ることもできる 1度だけ挑戦したことがある 好きだから出来ること 末廣亭の他に鈴本演芸場 池袋演芸場 浅草演芸ホールが毎日毎日興行している その他にも国立演芸場は月の半分くらい 横浜には「にぎわい座」などがある その他 上野広小路亭ほか現在は毎日昼夜どこかで落語が聞ける  
大阪も繁昌亭が出来た 私もわずかではあるが寄付させて頂いた おかげで天井からぶら下がった提灯に名前が残っているのだ その後大阪では 桂ざこば師匠が造った「動楽亭」もある 但しここは昼席が1日から20日まで 夜は毎日 何しろ江戸と大阪で1000名の噺家がいるし年々入門が増加しているから落語界も大変だ ベテランになるとそんなに要らないと言ってのける 本当は10名くらいが丁度いいと言って笑わす
私が興味を持ったのは柳亭痴楽の「綴り方教室」七五調で語る痴楽師匠に惚れた 主にラジオである それからずっと 修学旅行の奈良で大仏さんの前にある南大門を説明する和尚さんが「この門は普通の門です」みなさんゆっくり言いましょう 「なんだい もんか」「ほら 普通の門でしょう」という下らないガイドを未だに覚えているのも不思議だ そんなこんなの訳で70年 家にはDVDの山 貴重なものもある 落語の筋は大体覚えているので今は珍しい噺でないと面白くない 毎月2回は寄席通い 安い趣味ね と家人には言われているが・・・ 笑う門には福来るから良いではないか と思っている
詳しくはもうひとつのブログ「前座の出番」に寄席日記を書いています

2017年9月8日金曜日

崎陽軒のシウマイ弁当

東京に行った時に必ず買うのは昔から「崎陽軒のシウマイ弁当」と決めている 帰りの新幹線で食べるのを楽しみにしている しかしこれがなかなか売っていないので探すのが大変 東京駅でも羽田空港でも 崎陽軒の本店は横浜なので東京では売り場は限定されているのだろうか ただ大阪でも三越伊勢丹で販売していたのだが今はなくなっている 1928(昭和3)年発売というからもう90年近くになるシウマイ 安くて美味しいのが魅力だ
横浜には新入社員の頃 東急東横線の「綱島」近くの独身寮に3か月間住んでいたことがある 正確に言えば横浜市港北区大棚町 田舎だった 今は都筑区になっているのかもしれない 道中坂下というバス停から綱島に出て渋谷で乗り換え池袋 東武東上線で成増まで通った 寮の周りは何もなく蛙の合唱が耳に残っている 石田あゆみの「ブルーライトヨコハマ」が流行っている頃だった 大学時代のコンパで鍛えた歌唱力で同期の仲間をリードして寮の食堂のテーブルで歌ったことも懐かしい
東横線は代官山 自由が丘 田園調布 横浜と魅力的なところがある やはり横浜が一番だった 高松と同じ 海が見える町 桜木町 関内 伊勢佐木町 中華街 本牧 元町などなど ますます発展する横浜 人口370万人 大阪市の270万人に比べて100万人多い そういえば神奈川には康雄さんと建治さんが在住 ひさしく会ってないので会いたいのだが 

2017年9月1日金曜日

二重橋は何故二重橋なのか

皇居外苑は外国人がたむろしていた 日本人はわずか この二重橋は通常は使用されていない 新年の一般参賀や外国賓客の皇居訪問等の公式行事の際に利用されると聞いた
私も東京勤務の際はこの二重橋を渡り一般参賀に訪れたことがある 新宮殿のガラスの向こうに平成天皇が手を振っておられたのを思い出す そういえば昭和64年に昭和天皇が崩御されたときは東京にいた 宮内庁の前でお見舞いの記帳したこともあった 大喪の礼のときは千駄ヶ谷でお見送りをした あの時は冷たい雨で寒かった その後風邪をひいて2週間ほど体調が悪かった 「たいそう」な話ではあるが本当の話
二重橋は何故二重橋というのですかということを警備の方に尋ねた 明治以降はこの手前の正門石橋と奥にある正門鉄橋の二つの橋を総称して「二重橋」と呼んでいるとのこと その前は奥の鉄橋のことを二重橋と呼んでいたと説明してくれた 橋桁を支えるため途中に台があって二重構造になっていたため「二重橋」となった その頃は「にじゅうばし」ではなく「ふたえばし」と呼んでいたことを教えてくれた 奥の橋は今は鉄橋になっていて昭和39年に架け替えられ 手前の石の橋と異なり鉄だけの無味乾燥な橋である
確かに昔の写真をみると木造で二重構造となっていた なかなか趣のある橋であった 知っているようで知らないことも聞けば分かる 雑学かもしれないが暇が出来たのでいろんなことを知りたがる 好奇心は大事 これからも分からないことは聴こうと思う