2017年11月18日土曜日

正倉院の由来


正倉院は大仏殿の裏にある 大仏池の横を通って見学に行った 建物の創建は759年以前とのこと 推定である 正確なことは分からない 高床式で構造は校倉造りである 床下は約2.7m 高さは約14m 総檜造 実に美しい建物と思う 世界遺産である 見学はここまで建物には勿論入れない 守衛さんが右に立って警備している 
「正倉」とは上納されたものを保管するための倉である ウキペディアによると「大きな寺にはそれぞれの寺領から納められた品や寺の什器宝物などを収蔵する正倉があり正倉のある一画を塀で囲ったものを「正倉院」と称した 南都七大寺にはそれぞれに正倉院が存在したが歳月の経過で廃絶して東大寺正倉院内の正倉一棟だけが残ったため「正倉院」は東大寺に所在する正倉院宝庫を指す固有名詞と化した」とある
正倉院の周りには西宝庫 東宝庫があるがそれぞれ昭和の建物である そんなのがあるとは知らなかった 校倉造りは二月堂とか唐招提寺にもあるので今度は近くで観てみたい 
今 宝庫に伝えられている宝物の点数は整理済みだけで約9000点とか それはそれは大した数である 宮内庁正倉院事務所の方が管理されているのだろう 今年の正倉院展は先日終わったが もう早速来年に向けて展示物を選んでいることだろう 
奈良時代の建築や工芸品を観ていると「モノづくり」は昔も今も変わっていないなあ と思う いや昔の人の技術の方が優るのではないかと時々思うところがある

2017年11月13日月曜日

奈良女子大学に入ると


国立大学法人奈良女子大学 近鉄奈良駅から徒歩でわずか5分と近い ここは男子禁制の世界 外をうろうろしていると「不審者」と疑われること間違いなし 大学の周りはコンクリートの塀で囲まれている ところが今日は記念館の一般公開とか ラッキー 入って直ぐの正面の建物の見学が出来るという
私の会社時代の友人の父君がここの大学の教授だった 彼もまたここの附属小学校・中学校の卒業生だった 彼は京都大学に進学した また瞳ちゃんの姉がここの卒業生であることなど多少は縁がある また一高の先生にも前身の奈良高等女子師範・現奈良女子大学の卒業生が多かった なにしろここは女子の教員の養成所として有名である 先生の出身高といえば男子が西では広島師範(現広島大学)東では東京高等師範(現筑波大学)と東京女子師範(現お茶の水大学)などなど 奈良女子大学も日本の中等教育を担ってきた歴史がある 来年で創立110年を迎えるという
記念館の中に入る 女子大生が案内してくれた なかなかの才女である 学部は3つで入学定員は各150名とか 1年で450名 全体でも1800名の収容定員 岡潔 どこかで聞いたような名前 その岡潔先生が数学者として世界的に有名で先生のコーナーがあった 2階には講堂があって100年ピアノというのが置いてあった ここで大学院の入学式などが行われるという
窓の奥から見る紅葉が綺麗だった 新校舎につながる道は両脇にベンチがあっていい雰囲気 落ち着いた気分になれる 大仏殿 若草山も一望できる良い環境である 桜紫会の会報によると29年度に母校から奈良女子大学に合格した生徒は4名 もうひとつの国立の女子大であるお茶の水女子大学には2名とある すごいな 一生懸命学んで夢を実現して欲しいと願うばかりである

2017年11月11日土曜日

興福寺の想い出


興福寺には思い出がある 大学2回生のときに、京都から奈良へ自転車で出かけたのである 京都から奈良まで40キロはある 北区大将軍の下宿からは50キロはあっただろうか 時速12キロとして約4時間の計算 実は1回目は伏見の観月橋のところでパンクして断念 パンクは想定外だった 2回目は1966(昭和41)年10月10日に決行 
目的のひとつは同級生の瞳ちゃんに会いに行くことだった 瞳ちゃんは幼稚園からの幼馴染 小学校 中学校 高等学校も一緒 もちろん家も近所 大学は同じ京都だったが違った 姉が奈良の大学に通っていたので彼女も奈良から京都に通っていたのである なぜ自転車だったのか 単にお金が惜しかっただけだったのか それにしてもしんどかった 京都から奈良に入る前に急坂があった 大仏殿の屋根が見える 感動した ああ奈良に来たと思った 今 手元のアルバムを見ると懐かしい
寝袋を持参して泊まったところが「興福寺」の境内 五重塔の近くの芝生 朝起きると何か騒がしい感じ 目を覚ますと鹿が一杯いたのには驚いた やばい 芝生は朝露で濡れていた 10日は鹿の角切の日だった 立派な角を貯えていた 
興福寺の傍にある猿沢の池は興福寺の人工池である 舟を浮かべて観月したのだろう その頃の藤原一族は勢力が強大 興福寺も絶大な権力を有し都を支配していた 東大寺の聖武天皇の奥様の光明皇后も藤原家の出である 今は観光の面では東大寺にはかなわないが・・・ しかし日本最古の阿修羅像など国宝が一杯ある 見どころ満載である 現在 中金堂を再建中 平成30年には落慶するという 平城遷都1300年を平成20年に迎えた奈良はまだまだ奥が深い地である 中でも興福寺には目が離せない 興福寺=幸福寺といきたいものである 

2017年11月2日木曜日

久しぶりの奈良


行楽の秋 芸術の秋 正倉院の秋 ということで奈良に出かけた 毎年秋に正倉院展が開かれている 今年で69回目とか 何回か鑑賞したことはあるがここ20年くらいは来ていない 展示は奈良国立博物館で行われている 17日間という短い期間にたくさんの人が訪れる 今日も入場するまで10分待ち 中に入ると黒山の人だかり 毎年異なる国宝などを小出しにしている 今年は59件の出展である なにしろ6000件の宝が正倉院にはあるらしい 奈良時代であるから聖武天皇の時代の宝物が主である アジアから来たものなど珍しいものがあった 蝋蜜というミツバチの巣からとった蝋は初出陳とか 用途は食べ物か薬か 不思議なものが出ていた 他に将棋盤のようなものもあった
東大寺は聖武天皇が建立したお寺で本尊は廬舎那仏 すなわち大仏さん よく大仏さんと大仏殿はどちらが大きいかというクイズがあるが正解は??? 大仏さんは大仏殿に入っているから大仏殿が大きいというが 正解は大仏さん 何故か 大仏さんは座っているので立てば大仏殿より大きいとのこと この南大門の前には鹿が大きな顔でたむろしている 奈良の鹿は今1200頭余りが生息しているという 昔は鹿が人間より大事にされていたとのこと 詳しくは「鹿政談」という落語を聴けば分かる
南大門は「なんだい もん か」とゆっくり読むと普通の門になる と光洋中学の修学旅行のとき僧侶が説明した 面白かった 今でも覚えているなあ 南大門の奥に進むと大仏殿がある 南大門の向かって右に吽形(うんぎょう、口を閉じた像 快慶作) 左に阿形(あぎょう、口を開いた像 運慶作)の仁王さんを安置している 阿吽の呼吸という言葉はここから来た 一般的な仁王像の安置方法とは左右逆とのこと また正倉院は大仏殿の後ろに存する お宝を保存している施設が正倉院 今は宮内庁が管理している 
ブラタモリではこの奈良が2015年に放送されたが残念ながら見逃した しかし今はアーカイブとかユウーチューブで観られるから便利 ゆっくりと鑑賞してみたい