2018年12月26日水曜日

天皇 運命の物語



平成最後の忘年会とか 平成最後のクリスマスとか 言って世間は煽っている 平成は来年4月で終わる そして5月からは新年号となる 10連休をどのように過ごすか これをチャンスと捉えてまた様々なフレーズが飛び交うだろう
さて23日の天皇誕生日と24日にNHKで「天皇 運命の物語」という放送があった 天皇陛下が生まれた時からのまさに運命的なストーリーに感動した 昭和天皇の命のもと行われた戦争 そういえば明治維新の際も「錦の御旗」を巡って戊辰戦争があった
実は放送を見て知らないことだらけだった 1933年生まれ だから13歳年上となるちなみに皇后陛下は1934年生まれ 我々の一回り上 陛下の子育て環境 小学生時代の態度 「神の子」として教育を受けたのだろう しかし敗戦で変わる 連合国総司令官マッカーサー元帥の登場 小泉信三氏の教育 家庭教師のヴァイニング夫人などを受けた 19歳の時にエリザベス女王の戴冠式出席 チャーチル首相との出会い 「平和」の大事さ・有難さを感じた 
そして軽井沢での美智子様との出会い 織田幹夫氏の息子さんが電話をとり持つ縁 新聞記者など いくつかの歴史的証言が心に残った 来年4月でご結婚60年になるとか
結婚後は「象徴」として沖縄他国民に対する戦争責任のお詫びの旅を重ねた 皇后さまの膝をついての国民との対話を真似て自らも膝をついた 秘蔵映像を見ながら改めて天皇陛下の気持ちを知った 
昨年 初めて皇居東御苑に入った お堀の前には見事な松の木があった 本来なら桔梗門からの皇居参観を希望していたが時間の関係で叶わなかった 東御苑は江戸城の跡である あの松の廊下跡も番所の建物もある 東御苑と皇居は乾通りで分けられている
天皇陛下の譲位後の住いは今の皇太子と入れ替わって赤坂の東宮御所に移る(一時的には芝高輪の旧高松宮邸で仮住まい)東宮御所は仙洞御所に名前が変わる 皇太子は皇居の御所に住いが変わるという
天皇陛下は23日のお誕生日の会見で今までの人生を「旅」に例えてこう語った(抜粋)
「私は成年皇族として人生の旅を歩み始めて程なく 現在の皇后と出会い 深い信頼の下同伴を求め 爾来この伴侶と共に これまでの旅を続けてきました 天皇としての旅を終えようとしている今 私はこれまで象徴としての私の立場を受け入れ 私を支え続けてくれた多くの国民に衷心より感謝するとともに 自らも国民の一人であった皇后が 私の人生の旅に加わり 60年という長い年月 皇室と国民の双方への献身を 真心を持って果たしてきたことを 心からねぎらいたく思います」ありがたいお言葉である どうかよいお年をお迎えください

2018年12月14日金曜日

12月の京都散策


今年は暖冬とか しかし今日は寒かった 10度を下回っていた 冷たい風が身に染みる 2月の気温とか 暖冬の予報はあてにならない インフルエンザの流行期に入ったという 手洗い うがい マスクの三種の神器で予防しないといけない 既に予防接種はしたのだが油断は禁物 なんとかうつらないようにしたい
さて12月 師走 京都では吉例の南座の「まねきあげ」があった 今年は南座の改修工事が終わって11月から歌舞伎の公演が始まっている いつもより1か月早い 記念公演は連日大入りのようである 毎年恒例の12月の顔見世興行の特別席が27,000円とか 一等席が25,000円 特に高いようだ 因みに東京の歌舞伎座は桟敷席で20,000円 一等席は18,000円 いずれにせよ高すぎる
先日 12月の京都を歩いた 東福寺から東山通りを北に北に 四条まで 途中は泉涌寺とか智積院とか清水寺とか八坂の塔とか安井の金毘羅神社がある 
東福寺は紅葉が有名 通天橋からの紅葉は素晴らしい 今年は12月でもまだ紅葉が残っていた 庭は赤い絨毯となっていた 着物姿で歩く女性が居た よく見ると若くはなかった 若い時代を卒業した人たちであった 浴衣のようなレンタルの着物を羽織って歩く 最近流行っているようだ なんだか安っぽくて残念である
京都の寺社仏閣はほとんど行ったがその大きさに驚く 東福寺は奈良の東大寺と興福寺から名前を取ったというから立派な寺院だ 京都五山のひとつである 臨済宗総本山のお寺でここで禅の修行をした
またその時代のトイレが残っている 東司(とうす)という 大きな穴が掘っている ここで用を足したとか 何か木を置いてしたのだろうか ここの肥やしが京野菜に使われていたという 意外と知らない人が多い やはりひとつのところを2時間くらいかけてみないとお寺の概要がわからない
久しぶりの京都 時々は散策して歴史を感じてみたいと思う 来年は仁和寺を回ろう