2019年4月19日金曜日

万葉集の里を歩く




久しぶりに明日香村に行ってきた 「令和」で賑わっていると聴いた 目的地は「奈良県立万葉文化館」2000年に竣工した万葉ミュージアムである ここで「令和」の特別展を開催中とのこと
近鉄橿原神宮前で下車 明日香村に向かう 途中 畝傍山・天香具山・耳成山の大和三山が見えてくる 本来は甘樫丘からが一望できるベストポジションだが・・・飛鳥寺は日本最古の釈迦如来像の「飛鳥大仏」があるところだ 聖徳太子の遺跡のひとつである 596年に創建 日本最初の本格的寺院であった 庭を見ると桜が散りかけていた 今は昔の面影がない
ここから歩いて「万葉文化館」は近い 裏道を抜けて行く 平日だがやはり人は多い 入口付近で新元号「令和」の展示があった 出典の紹介 万葉集巻五・梅花歌三十二首(815~846番歌)の序文である 大宰府の大伴旅人の宅での宴会を催した 「初春の令月にして気淑く風和らぎ・・・」現代になおすと「新春のよき月 空気は美しく風はやわらかに・・・」さぞ穏やかな新春だったのだろう
「令」は、ご令嬢とかご令息とかご令室・令夫人とか「嘉」に同じで「よい」という意味とは中西進先生の解釈 序文とは書物の初めや詩歌の前に置かれた漢文 ここでは梅花の宴の趣旨を中国の有名な書家である「王 義氏」の「蘭亭の序」などを踏まえながら述べたと解説してある 確かに比べてみると「よく似ている」
同じく2000年に完成した「犬養万葉記念館」も近くにあるので寄ってみた 没後20年になる 先生の著書・写真・遺品が展示してある 昭和天皇を甘樫丘に案内したときの写真もあった 今でも先生の遺志を継いで門下生がいろんなイベントを続けているのは嬉しい
万葉集は20巻4500余首の和歌が収められている 旅人の長男の大伴家持が主となって編纂したという 家持がその最後を締めくくった 因幡の国庁での宴で詠んだ正月の歌「新しき年の始めの初春の今日振る雪のいや重け吉事(よごと)」(巻二十・4516)素晴らしい歌であると思う 
実は1年くらい前から「短歌」「川柳」に凝っている テレビの「プレバト」の夏井いつきさんから刺激をもらった ある新聞に投稿している 掲載された短歌・川柳も数多くあるが今日は短歌の三首を詠む
・シグナスの丘に咲きいる卯の花にヒメハナバチが乱舞する庭
・倉吉の駅にのれんの絵絣がはるかな街に涼しさを呼ぶ
・キャンパスに金木犀が香る頃ひと夏超えて弾む学生

2019年4月6日土曜日

4月卯月 桜 都をどり



4月に入った 4月は卯月という 3月は弥生 草木がますます生い茂ることを弥生という 卯月は卯の花が咲くころのことをいう 弥生というのは人名にも地名にもある 卯月は人名にはあるかもしれないがあまり聞かない
4月1日に5月からの新元号の発表があった 「令和」と聴いたときは驚いた 意外だった その後何回も「令和」「令和」と聴くたびに慣れてきたのか耳に入るようになった 驚いたことに名前で「令和」という人が多いことを知った 
平成の発表の時は東京に居た 崩御から発表まで時間が短かった そんな大騒ぎはなかった 今回は万葉集からの出典とかで関連するものがマスコミに取り上げられ大騒ぎになっている
万葉集を「まんばしゅう」と読んでいた同級生がいた 中学時代のことである もちろん古事記もまともに読めなかった 万葉集はやはり犬養孝先生だろう 故人だから取りあげないが研究者としては第一人者である 大阪大学名誉教授 学生を連れてゆかりの地を歩いて歌を詠んだ 犬飼節である 私も本を持っているしラジオウォークで犬飼節を聴いたことが何回もある 
「令和」は大伴家持の父である大伴旅人が大宰府で開いた「梅香の宴」で詠んだ歌の序文からきているという 中西進先生によると「時に 初春の令月(れいげつ)にして 気淑く(き よく)風和ぎ(かぜ やわらぎ) 梅は鏡前の粉(こ)を披き(ひらき)蘭は珮後(はいご)の香を薫す(かおらす)」である 序文があるとは知らなかった 66歳の旅人が詠んだ歌は「わが園に 梅の花散る ひさかたの 天より雪の 流れ来るかも」である 同じ宴で71歳の山上憶良も「春されば まづ咲く宿の 梅の花 独り見つつや 春日暮さむ」と詠んでいる 犬養先生によれば二人の置かれている状況や性格が出ている歌であるとのこと
さて4月の京都は相変わらず多くの人で賑わっていた 高瀬川にかかる桜並木 改装された南座での祇園甲部の「都をどり」 舞子さんの「ヨーイヤサー」で華やかに舞台が幕を開いた 約50年ぶりに鑑賞だった まわりは外国人ばかり 日本文化をどのように感じたのであろうか