2019年5月19日日曜日

大阪香川県人会に初参加


初めて県人会に参加 昨年から年2回から春だけの年1回となった 場所は太閤園 東京で言えば目白の椿山荘といったところか
知っている人がいるかどうか不安だった しかし杞憂に終わった 大学ゼミの大先輩の顔が見えた 先輩は香川県?いやそうではない 今日は高知県人会からの来賓としての出席だった 久しぶりに会話が弾んだ 他にも高校の同窓会でよく見る顔があった
会場に入り指定のテーブルに着くと見知らぬ人が寄ってきた 「あんたはどこな 新しい高松市か」といきなり尋ねてきた 「新しい高松市?」よく聞くとその方は香南町の出身だった 昔は香川郡で今は高松市と合併したので「新しい高松市」になる 空港の近くですかと尋ねたら「おお そうじゃ あそこは わしの庭や」と返ってきた おもろい人である 同郷というだけで親近感が沸いてくる  
同じテーブルに座ったナイスガイは話をすると高校の2年後輩であった 私たちの時は13組だったが2つ下は18組もあった 校長は伊藤栄四郎先生だったということは一致した 私たちの担任の「秋やん」のことは余り記憶がなかった 関西での同窓会にもあまり参加したことが無いと言っていた 小学校や大学の同窓会には顔を出しているそうだ
御厩(みまや)に住んでいたという 御厩は聴いたことがあるが行ったことはない 窯業で繁栄していた所で日常に使う瓶や壺を作っているという
「御厩 檀紙(だんし) 中間(なかつま)」は隣接していて珍しい名前が揃っている 御厩は広辞苑で「絆」を引くと出てくるとのこと もともと絆は「馬や犬など動物をつなぎとめる綱」という意味 これが転じて人間の絆 夫婦の絆というようになったとのこと 古い書物にも「御厩の隅なる飼い猿は 離れてさぞ遊ぶ」というのが出てくる これはこれは勉強になった
最後にお楽しみの抽選会があって小豆島の「高級醤油」が当たった おもろい人は抽選を楽しみにしていたが結局は当たらなかった 当れば良かったのに・・・ 
前日にテレビで小豆島の特集をしていたのだがそこの醤油である 地酒ならぬ地醤油である
小豆島土庄の近くの山から女木島 男木島 五色台 屋島が見える この瀬戸内海では今年 瀬戸内国際芸術祭が開かれている 3年に1回の開催らしい 以前一度直島に行ったことがあるが良かった また機会があれば美しい風景を楽しんできたいと思う

2019年5月3日金曜日

「令和」時代 始まる




「平成」時代が終わり「令和」時代が始まった 無事に儀式が終わった 国民としては喜ばしいことである 昭和から平成の時は仕事も現役だったのであまりテレビも新聞も見ることはなかった 今回はたっぷり見ることが出来た
インターネット時代になり情報が氾濫している 皇室の記事も興味本位が多い 象徴としての天皇を政治利用する輩もいる 困ったものだ アイドルではないのだ
これからどういう時代になるのだろうか 先日ある心理学・哲学の先生から良いお話を聞いた これからの私の生き方の参考にしたい
ヴィクトール・フランクリン(オーストリア 1905~1997)からの引用である「人にはそれぞれ人生がある 人にはそれぞれ生き役がある だからすべての人がそれぞれ意味をもって存在している 不要な人は一人もいない」「人生には禍も福もない 幸福も不幸も 悲しみも苦しみも 失敗することも 病気になることも すべての出来事は人生が与える『贈り物』なのだ 苦楽 その状況 一つ一つに対して自分がどう関わり受け入れるかによって その人生の意味が問われる」
フランクリンは人生の意味をさらに続ける「どんな時にも人生には意味がある この人生のどこかにあなたを必要とする《何か》があり《誰か》がいる そしてその《何か》や《誰か》はあなたに発見されるのを待っている だからあなたがどんなに苦しくても あなたはすべてを投げ出す必要はない あなたがすべてを投げ出しさえしなければ いつか自分の人生に❝イエス❞と応えることのできる日が必ずやってくる いや たとえあなたが人生に❝イエス❞と言えなくても 人生のほうからあなたに❝イエス❞と光を差し込んでくる時が いつか必ずやってくる」