2021年7月23日金曜日

貴船から今宮そして船岡山へ





京阪電車の回数券の期限が迫っていたので淀屋橋から出町柳へ 出町柳から叡電に乗り換え  る 貴船・鞍馬方面は昨年の大きな土砂崩れで貴船口付近で運転見合わせになっておりまだ未開通 もう1年位かかっている 貴船神社には市原から臨時バスが出ている 面倒なのでどうしょうかと思ったがこういう機会も珍しいので貴船に行ってみることにした たしか貴船神社は確か初めて 市原でバスに乗り貴船口で乗り換えて貴船神社に着いた 長い緩やかな階段を上り本殿に 七夕飾りが見事 ここは水の神様である 川床の下を貴船川が勢いよく流れている 川床での食事は涼感を呼ぶ ひろや 右源太・左源太が有名だが他にも数軒並んで客の呼び込みをしている 平均おひとり様1万円 ちょっと贅沢

貴船神社を後にして紫野今宮神社へ向かう バス・地下鉄と結構遠い ここは「あぶり餅」の名店が二つ並んでいる 炭であぶって焦げ目がついて甘いたれがのっている 一人前500円 「かざりや」と「一和」「一和」は1000年前からあるお店らしい 今宮神社は創建994年 平安遷都が794年であるが創建前から社はあったといわれる 東門の前にタイムスリップしたお店のたたずまいが残っている 好きな場所だ

今宮さんから南に行くと船岡山がある ここは建勲神社が中腹に鎮座する 112mの小高い山に登ると市内が一望できる 豊臣秀吉の頃より信長公の霊地として自然がそのまま残されている 

京都市内には他に吉田山とか双ヶ丘という小さい山がある がまだ双ヶ丘には行ったことがない この山は京都が都だったころ重要な役割を占めていた 平安京の朱雀大路の北の起点が船岡山 今の御所より西側が平安京の位置だった また応仁の乱の西軍の陣地になったのが船岡山 西軍の陣地ということでこの辺りが西陣と呼ばれるようになった

今日はよく歩いた コロナ退散を祈ってきたが明日から足が痛くなるかもしれないなあ

 

2021年7月22日木曜日

関東桜紫会会報 第21号届く

後輩の関東桜紫会の幹部の方から会報を贈って頂いた ありがたい 隅から隅まで読んだ この21号は創立25周年記念号 1996(平成8)年2月17日が創立 この日に第1回目の同窓会が開催された その頃私はまだ四国に勤務していた この年の9月に大阪に転勤 1999(平成11)年4月に東京勤務となった 3年8か月後の2002(平成14)年11月に退職して大阪に 東京には1988(昭和62)年11月から1991(平成3)年2月までの3年4か月間在住していたので東京での生活は通算7年だった

1999(平成11)年4月以降に関東桜紫会の集まりには参加した 何回目だったのだろうか 3回か4回目だったと思う 2001(平成13)年10月の京王プラザは秋山先生が来賓だったので大勢で参加したのを覚えている 竹内肇先生も来られていた 東京は華やかで垢抜けしているなという印象だった

この日の記事をみてみよう 同期7名(昌宏さん、博之さん、広美さん、弘文さん、一郎さん、東京在住の学年幹事の女性、私)と秋山先生のお嬢さん1名 計8名が参加 元判事の康雄さんは秋山先生にだけ会って帰った

秋山先生が関東桜紫会に来られた 2001(平成13)年10月 新宿の京王プラザホテル この日は竹内肇先生も来賓でした 竹内先生は音楽分野で有名な先生 愛弟子がわんさかいる また美しい女性が多い 日本を代表する音楽家・声楽家を育てた先生である 我々の時はおられたかな 記憶はない 昭和5年生まれの先生である
さて 秋山先生このとき76歳 凛としている 司会は小林大作さん 元アナウンサーである 他にも有名なソリストが登場する さすがである 華やかであり音楽が入るので実に楽しい また中西太先輩も来ている 私は小学校・中学校・高校と後輩なのでそのことを太さんに話したら おおそうか大後輩だなあと言って喜んで頂いた そういえば太さんが故郷に帰ってくるときなどは自宅まで見に行ったものだ 

この日の他 関東桜紫会には2001(平成13)年6月(何回か不明)の青山ダイヤモンドホール 2014(平成26)年11月(第12回)の表参道のどこか? 計3回出席していることになる 確か2年毎に開催しており昨年開催予定の15回は来年度以降の開催を目指すとか なお会報21号には同期の博之さんがゴルフ会で大活躍している記事が出ていた また建設中だった新校舎は7月に完成 その後、体育館などの建設が始まり2年後に完成する運び