2022年12月29日木曜日

知恩院 除夜の鐘 試し撞き



知恩院に行ってきた 除夜の鐘の試し撞きが毎年12月27日に行われている ゆく年くる年でお馴染みの除夜の鐘 試し撞きは年末の風物詩である 白川を渡ると華頂山知恩院の境内に入る 家康の母の菩提寺として家光が建てた御寺 浄土宗の総本山 三門も大きい 鐘楼は奥にある 日本三大鐘楼のひとつ 

1時間前に現地に到着 大勢の人が鐘楼を囲み待っていた コロナの感染拡大の中ではあるが制限はなし ただし大晦日の本番は制限するという なにしろ本番は22時40分から2時間かけて鐘を撞くから制限はしておいた方が良いと思う 

試し撞きはどのように行われるのか 鐘楼の前に僧侶が集まり「南無阿弥陀仏」を唱えてお経を詠んでスタートした 鐘を撞くための太い丸太棒に17本のロープをつけて、僧侶がひとりひとりロープを持って丸太棒を揺らす リーダーが「えーい、ひとつ」「そーれ」の掛け声のもと力いっぱい鐘が鳴らされる ゴーン 70トンもある鐘は揺れている リーダーは足元の基礎部分を思い切り蹴って反動をつけ体を地面につけるくらいに反って鐘にあてる その姿はよほど練習していないと出来ないと思う 親ロープをしっかり持たないとうまく鐘がならない 本番では18人が交代して鐘を鳴らす 確かに体力が必要 

今日は本番と異なって休むまもなく撞いていた 1分で1回だから1時間で60回は撞いたと思う 今日は次から次へと観客が出入りして見入っていた コロナも早く消えて欲しいという願いを感じた

今日のお昼はミシュランで3つ星をもらったラーメン「猪一」で味を堪能した 限定の「貝出汁そば」1700円だったがそれだけの値打ちは十分ある 九十九里浜のハマグリが入って出汁も全部飲んだ


 

 

2022年12月25日日曜日

東日本の旅(最終日)仙台 松島 東京




最終の4日目 仙台の朝 青葉通り 昨夜は牛タンを食す 新潟では寿司 盛岡では焼き肉 わんこ蕎麦は次回に回す 
仙台駅は思ったより大きかった 新幹線は北海道新幹線も秋田新幹線も止まる たまには山形新幹線も乗り入れることがある また在来線は東北本線 仙山線(仙台から山形)仙山線(仙台から石巻)もある 東北本線を経由して常磐線 空港線 仙石東北ラインもつながっている 大きな駅だ
仙台から松島海岸に向う 途中に塩釜もある 松島海岸の先は石巻だ 電車で座っていると目の前にテレビで見たことのある芸能人が座っていたがマスクをしているのでハッキリしない 松島は日本三景のひとつ 他は天橋立 宮島 全部行った
海岸には2隻の大きな船が泊まっていた 芸能人は別の船に 船の2階は特別料金だったが眺めがいいので2階に 天気は温暖で風もなく最高の天気だった 確かにたくさんの島がある 多島美というのだろうか そこを潜り抜けて行く 瀬戸内海では珍しくはないのでまあまあの景色
昼食には「海鮮丼」有名なお店は営業時間が遅いので残念 小さなお店で食べた そこから瑞巌寺は近い 828年創建 伊達政宗の菩提寺 まあまあだった
再び仙台に戻り 新幹線「やまびこ」で東京へ向かう 東京駅で崎陽軒の「シウマイ弁当」を購入 車中で味わった 単身赴任の時はいつもシウマイ弁当だった
今回は秋田 岩手(盛岡)に初めて足を踏み入れた 次回は山形 青森を回る予定 これで都道府県全制覇となる   
 

東日本の旅(3日目)盛岡 中尊寺 





岩手県盛岡市 ここも初めての地 市内観光として巡回バス(でんでんむし)に乗った 岩手銀行の古い建物が残っている 赤レンガ館 この前が北上川 その奥に盛岡城跡公園がある 「おでがみ館」では野村胡堂展をやっていたので覗いてみた 岩手県は著名な文学者を輩出していることが分かった 石川啄木 宮沢賢治 金田一京助 そして野村胡堂 
野村胡堂と言っても知っている人は少ないと思う 「銭形平次捕り物控」の作者である もともとは新聞記者だった 金田一とは盛岡中学の同級生だったとは知らなかった 今年は生誕140年とか 
盛岡駅では銀河鉄道の列車が飾ってあった また行列のパン屋さんを見つけた 岩手県民のソウルフードの「コッペパン」という 一番人気の餡バターのパンを購入 結構ボリュウームがあった 盛岡駅から宮古駅まで新幹線「やまびこ」 宮古で在来線に乗り変えて平泉に
レンタサイクルで平泉を回った なにしろ見所は盛りだくさんある まずは世界遺産を記念して出来た「平泉世界遺産ガイダンスセンター」へ そこで学習して金色堂へ向かう 入り口からはかなりあった ようやく到着 中に入るとまさに金色の仏像が並んでいた もともとは850年に延暦寺の高僧によって開かれたお寺 その後12世紀のはじめに奥州藤原氏によって大規模な造営を行った 金色堂は1124年に上棟 金箔で飾った「皆金色」の阿弥陀堂 撮影は禁止
平泉の世界遺産はこの他にも毛越寺(もうつうじ)がある 金色堂とは異なり華やかさはないものの池の周りの庭園がなんともいえない感じだった
平泉駅から在来線で一ノ関へ そこから「はやぶさ」で仙台に向かう 明日は松島 天気が良ければいいのだが
初めての岩手 広い広い 花巻も遠野も三陸海岸も 釜石も岩手県である

 

東日本の旅(2日目)新潟から秋田 角館





2日目 新潟の雪は止んでいた 今日はこれから秋田を経由して角館へ そして盛岡に行くことになっている 駅のコンビニにコシヒカリのおにぎりを売っていたのが新潟らしい 8時に特急「いなほ」に乗車 これから3時間50分くらい乗ることになる 新潟は上から下越 中越 上越となるがこの下越の新津から秋田までが羽越本線となる 途中に新発田という駅がある 新潟から新発田を過ぎると村上という駅に止まる 粟島にはこの村上から船が出ている 村上といえば西日本のイメージだが東日本にあるのは驚いた もっと驚いたのはここが雅子妃殿下の小和田家のルーツがあるということだ 弟に教えてもらった 村上藩主内藤家の家臣だったのが小和田新六氏 詳しくは不明だが小和田さんの出身には間違いない
新潟県を過ぎ山形県に入る 鶴岡を過ぎ酒田へ 秋田との境には鳥海山が見える 出羽富士と呼ばれる2000mを超える山 ここでまた雪が降ってきた たぶん秋田も雪だろうと思った
秋田は初めての地 積雪は11センチ 昼食は「きりたんぽ鍋」を濵の家で取る予定だったがコロナでやっていないと言う 仕方なく「稲庭うどん」とした 駅ビルの店舗に入る「佐藤養助」は有名店 美味しかった タクシーで市内巡り 久保田城跡の千秋公園を中心に市内を巡る 佐竹知事は藩主の流れの人物 運転手さんが秋田の町は山形と違い町割りが出来ていないとこぼす 山形を絶賛 駅前は立派だが少し離れると閑散としていた 偏差値の高い国際教養大学は秋田にあるが30分ほど離れているとか
角館へは秋田新幹線「こまち」で向かう 雪が雨になっていた ここもどうしても来たかった町 秋田藩初代藩主の佐竹氏の弟の芦名氏が築いた城下町 大名屋敷が並ぶ 雪が良く似合う 観光客が少なかったので丁度良かった ゆっくり散策 駅までの道をゆっくり歩く 夕闇に迫った駅舎 風情のある町だった 次は盛岡に向う 
 

東日本の旅(1日目)信州から新潟へ



前から行きたい 乗りたいと思っていたJR東日本全線の「大人の休日俱楽部パス」を利用して旅をしてきた 東京に前泊 久しぶりに新大阪から新幹線に乗車 「ひかり」に乗れば3割引きと有難い 「のぞみ」より30分ほど時間がかかるけど
富士山が雲の上から頭を出していた 富士川の鉄橋をわたるところを撮影 東京駅について浜松町の宿へ 久しぶりの上京で貿易センタービルはなくなり新しいビルを建設中 馴染みのトンカツ屋に行こうと思ったのだが残念 
12月2日東京駅で弟と待ち合わせをして長野新幹線に乗車 群馬を過ぎて長野に入ると浅間山が見えた 軽井沢 佐久平 上田から長野へ 長野電鉄に乗り換えて小布施へ ここは「栗」の町として知られる 駅には「北信五岳」の看板があった 一番高い山が「妙高山」で2446m 低い山は「斑尾山」で1382m 小布施駅の標高は353mだから屋島より高いところにある この須坂市にはどうしても来たかった理由がある 知人の故郷だから一度見たかった 
小布施で歴史が最も古い「桜井甘精堂」で昼食 やはり栗ご飯が美味しい 超豪華な御膳を食して「北斎美術館」に 北斎はこの小布施に滞在していたので作品が残っている
小布施の町を散策して再び長野へ ここから東京行の新幹線で高崎へ 高崎から新潟行の上越新幹線に乗り変えて新潟へ 長岡を過ぎると雪が降っていたので驚いた 新潟駅を降りると雪が積もっていた 夜は駅近くの寿司屋へ 疲れを癒したかったが寿司屋は大きな声で話している男女のグループが隣にいて気になり早々に店を出た

 

2022年11月19日土曜日

紅葉の名所 京都高雄




京都♪ 栂ノ尾 高山寺♪ 恋に疲れた女がひとり ♪とデュークエイセスが歌う 「女ひとり」 歌詞の一番は京都 大原 三千院♪ タモリによれば「今日と明日で三千円」との替え歌となる 1965年=昭和40年に出た歌というから大学1年生になった時に発売された 懐かしい歌である この栂ノ尾 槇ノ尾 高雄が「三尾」と呼ばれる 高尾ではなく高雄だけど いいのかな

学生時代にクラブの新入生歓迎ハイキングがあった 「三尾」を流れる清滝川で飯ごう炊飯をしたのを覚えている 高山寺や神護寺にも行った 季節は初夏のころ 紅葉の季節は賑わうが初夏は涼しさを求めて歩く 貴船神社のある貴船川とよく間違うが清滝川はハイキングに適しているところだ たぶん神護寺の入り口あたりで下に降りられる

この日は阪急大宮で降りてJRバスの周山駅行きに乗車して栂ノ尾で下車 バスはここまで230円 茶屋で蕎麦を食べて栂尾山高山寺に向う もともと神護寺の別院だった高山寺 今は鳥獣戯画で有名なお寺 境内はやたらに広い 古い古い金堂の前の階段を降りると直ぐに槇尾山西明寺 紅葉の寺としてテレビで良く紹介されるところだ 本堂は桂昌院が寄進したという 確かに見事な紅葉 東山の永観堂には紅葉の数では負けるが色がいい 平日にも関わらず大勢の人が訪れていた

西明寺から高雄山神護寺は険しい階段 300段とか 手すりが嬉しい マスクも苦しい やっとのことで仁王門へ 広い境内 建立は和気清麻呂 平城京から平安京にかけて桓武天皇を支えた清麻呂 道鏡に暗殺されそうになったが生き延びた ドラマにしても良いくらいの歴史上の人物 岡山県の和気の出身 733年生まれ                       その後 空海がここで14年間滞在したことでも知られる 空海はここで修行してから東寺や高野山を建立 まあよくこんな山奥に建てたと感心する もっとも街中では修行には適さないとは思うが 行きは良いよい帰りは怖いと思いながら慎重に階段を下りる たぶんもうここには来ないと思う 体力の衰えを感じながら高雄山を見上げた 京の1200年の歴史を感じる一日だった

 

2022年10月30日日曜日

伯耆富士と奥大山



 鳥取県といえば「鳥取砂丘」とこの「大山(だいせん)」がシンボルである この大山は見る場所で形を変える 米子の手前の伯耆町からは富士山のように見えることから伯耆富士と呼ばれる またお隣の島根県からも富士山のように見えるので出雲富士と呼ばれる
また江府町からみる南壁の奥大山は切り立った山肌が見えて荒々しいように見える これを見ると琴浦アルプスという船上山からのルートは危険なのが分かる 

標高1729m 中国地方最大の山 日本百名山のひとつ 年々高さが減ってきているらしい 確かに落石がある 学生時代3回生のときの10月にゼミ旅行でこの山に登ったことがある 確か朝4時に起きて草鞋を履いて握り飯を用意してもらって有志6名が大山寺の宿坊を出発 朝日を拝んだ 写真を見るとセーターを着ている この時期の日の出が6時30分くらいなので約2時間かかったのだろう 暗い道 尾根 今でも滑落事故がある山 よく行ったものだ 朝日を拝んで目の前に広がる日本海の風景が目に残っている
奥大山は水が美味しいとサントリーやコカ・コーラの工場がある ブナの森が売り 西日本の方は大体この大山の天然水を飲んでいる 東日本はアルプスの天然水 どちらが美味しいのだろうか
  

京都・美山かやぶきの里にて



京都市の北 それも周山街道を通り越して福井県の方に向うところに美山がある 地名は京都府南丹市美山町北牧 JRで行けば京都駅から山陰線で亀岡 園部の先の日吉で降りる ここまでが1時間 そこからバスで1時間揺られて北集落(かやぶきの里)に着く
今から約20年前に国の「重要伝統的建造物群保存地区」に選定された ここは日本海と京都を結ぶ街道で「鯖街道」と言われている 鞍馬の奥も「鯖街道」と言われているがこことつながっている
江戸時代には約50戸の農家が維持してきたが今は39棟になっている 観光客が家の周りをうろうろしているので迷惑かもしれない 資料館で説明をお聞きすると屋根には1000万円もかかるという もちろん補助金もあると思うが大変なご苦労である 屋根は入母屋造り 主屋は南向き 由良川に平行するように配置されている 
ここは京都かと一瞬思う そういう点では京都の意外なところを見る貴重な場所であると思う
ここに来る前に常照皇寺に寄った ここは京都市右京区京北町井戸町丸山 周山のバスセンターから30分 山あいにある静かな皇室ゆかりの古いお寺である 光厳法皇(1313年~1362年)によって開かれた 丁度南北朝の乱争の時代 天皇は40歳を過ぎる頃に禅の修行の道に入り当地にあったお寺を改修して常照皇寺を作ったのである 今は臨済宗天龍寺派に属する禅宗寺院になっている 菊のご紋があちこちにあった 裏山には「山国御陵」がある よくぞこんなところにと思うが 戦乱を遁れたかったと推察する



     

 

2022年10月9日日曜日

上賀茂神社と下鴨神社



上賀茂神社には何回も行ったことがある 今回はブラタモリで紹介された「社家町」もゆっくり回りたかった 正式には賀茂別雷神社という かもわけいかづち と呼び京都でもっとも古い神社である 平日なのに人は多かった 出町柳からバスで約30分 あちこちを迂回して御園橋までくれば目的地 お目当ての神馬堂の「やきもち」は店が閉まっていたのが残念 気を取り戻して本殿に参拝 神山湧水を使ったカフェも休んでいた

さあお目当ての社家町へ あまりここまでは人は来ないようだ なぜかしら水が張ってなくて川底だけが見える 京都産業大学の同窓会館もあったが静かな街並み ここは賀茂一族が代々住んでいたところ 神社のお守りを賀茂一族で今も行っている 出雲大社の千家さんのようなものか 由緒正しき賀茂家である

次は、下鴨神社へ ここもよく来たところ 正式には賀茂御祖神社という かもみおやじんじゃ と呼ぶ 一説には上賀茂神社から分置されたとか いずれにせよこの二つの神社は5月の葵祭でつながっているのである 糺の森は素晴らしい 御手洗川がありみたらし池もある みたらし団子はここから来ている 南側には問題になった50年の借地権付きマンションが建っている ここは学生時代はゴルフ練習場があったところだと思う ここでただひたすらに体育の授業で5番アイアンを使っていた 懐かしい

帰りに河原町今出川の行列の出来る「出町ふたば」の豆餅を買って帰った 約30分待って買えた豆餅は噂にたがわず絶品のお味でした





 

トロッコ列車と保津川下り


一度乗りたかったトロッコ列車 嵯峨嵐山駅から亀岡駅まで運行している 京都駅から山陰線にゆられて嵯峨嵐山駅まで そこでトロッコ列車に乗り変える 山陰線と一部並行して走る 眼下に保津川を見てガタンゴトン JR西日本の経営であり全社予約指定席の800円 ちょっと高い 前半は進行方向に向かって左が特等席 後半になると右が特等席になる あっという間に亀岡に到着 亀岡といってもJRの亀岡駅のひとつ前の駅 ここで保津川下りの乗船場行のバスに乗り換える 

この保津川下りも予約が必要 残念ながらこの日は満員御礼 仕方なしに上から見ることにしてJR亀岡駅から保津峡駅へ 保津峡駅のホームから見下ろすと次から次へと舟が来ている 大きな声を船頭さんが張り上げて川を下る 90分の旅らしい 4100円 3歳以下は無料とか 大きな石があるのでデンジャラス

噂には聞いていたがまさに観光 値打ちはある ただし季節を選ばないといけない この保津川は嵐山が終点 そこから桂川になりやがては淀川に流れる コロナの心配もあるがもうすでに普通 

亀岡は明智光秀の居城があるが今は公園だけ ここは霧の町らしい 駅前には京都サンガのサッカー場がありサンガスタジアムバイ京セラと呼ばれている 京セラは稲盛和夫さんがご逝去されても心配ない 京セラドーム 京セラ美術館と名前を残しているのが素晴しい 亀岡市は京都まで30分もかからない 静かな良いところだと思う





 

2022年9月18日日曜日

将軍塚に登る


将軍塚は八坂神社の上の山にある 由緒としては平安京に遡るから壮大だ  桓武天皇は都を奈良から京都の南方の長岡京に移したがうまくいかなった 和気清麻呂は天皇をこの山上にお誘いし京都盆地を見下ろしながらここが都の場所にふさわしい旨進言 天皇はその勧めに従って延暦13年(794年)に平安建都に着手 天皇は都の鎮護のために高さ2.5メートル程の将軍の像を土で作り鎧甲を着せ鉄の弓矢を持たせ太刀を帯させ塚に埋めるよう命じられた これがこの地を「将軍塚」と呼ぶ由来 この「将軍塚」は国家の大事があると鳴動したという伝説が源平盛衰記や太平記に残されているとのこと(ウキペディアからの引用である)

この将軍塚に隣接して天台宗の青蓮院門跡の青龍殿が平成26年に完成した 約200メートルの山には京阪バスが土日に運行している ここはもともとは他の場所にあったもの 清水寺よりも大きい大舞台も作って市内が一望できるようにしたのである ここには国宝の「青不動」を配置している 

ここからの眺めは抜群 京都盆地が一望できる 盆地の周りは東山・北山・西山で囲まれている 南側は開けている その南側には大阪がある ここからはその大阪平野も見える 行はバス 帰りは歩いて山を下りた 東山トレイルの道である 途中 道を間違えたこともあったが約20分で円山公園の奥に出た 結構険しい道だった 途中で滑った 体力の限界を感じた もう無理をしてはいけないと思った 久しぶりに八坂神社から八坂の塔に出て文の助茶屋で一服 久しぶりに安井の金比羅さんに寄って帰途に着いた 京都は相変わらず人が多い




2022年8月16日火曜日

高松商業 ガンバレ

高松商業の応援に甲子園に行った 浅野翔吾吹いていて隣も空いていたので並んで観戦した

浅野君は1番センター 第一打席は警戒されて四球 第二打席はファールフライ そして第三打席は・・・右中間にホームラン 私の席からは左中間に見えたのだがどうしてだろう グングン球が伸びていちばん深いところに入った 実は動画を撮ろうかと思っていたところだったが失敗した 残念 第四打席に向ったところで動画はあきらめていたがこれがなんとまたホームラン これは速度が速すぎてあっという間にレフトスタンドへ 一応動画は取ることが出来た 第五打席は申告敬遠かと思ったら審判から取り消しのアナウンス 捕手が勘違いしたらしい 結果は死球 そして第六打席は左翼線に二塁打 猛打賞である

試合は浅野君らの大活躍で大勝した なぜ四番でなくて一番か 長尾監督によると一番はたくさん打席が回ってくるからだという 主将でもある 守備の時は帽子をとって一を丁寧に行っている リーダーシップもありそうだ 翔吾という名前もいい 秋山翔吾選手と同じである 顔は田舎の顔をしている 讃岐顔といえば讃岐顔 彼は今年のドラフトの目玉である 高松の怪童と呼ばれた大先輩の中西太さんを彷彿させる 身長は170センチらしいが体重は90キロ近い 足も速いらしい あのイチローさんの指導も受けたようである また礼儀正しい選手である 本当に楽しみな選手 3回戦も九州国際になんとか勝っていよいよベスト16 佐久長聖の投手は勝負して来なかった 次は近江高校との準々決勝 山田投手は勝負してくるので楽しみである 全員香川県の中学校出身で県立高校 他の代表が県外出身で私立の学校とはひと味違う高松商業に頑張って欲しい



2022年8月13日土曜日

高瀬舟の始発点は二条通り 南



鴨川から水路を引き 川の水を取り入れて作ったのが高瀬川 川というより運河である 慶長19(1614)年のこと この川が大阪との商売をつなぐ 行き交う舟を高瀬舟という 途中の西側にいくつもの引き込み口をつくりそこで荷下ろししていた 今残っているのはひとつだけである 一之舟入 日銀京都支店の裏にある 古い地図には南側に二之舟入 三と続く 全部で九つあった 作ったのが角倉了以なので別名 角倉川と言われる
角倉了以は嵐山の渡月橋をかけた人物でもある 豪商であったからお金はたっぷりあったに違いない この始発点の対面に自宅があった 今は「がんこ寿司」になっている このがんこの庭に鴨川を通した 先日のブラタモリで紹介していた
鴨川をよく観察してみると大きな川の両側に小さな川がある 西側の鴨川右岸は夏の風物詩の納涼床の下を流れている 丸太町の南から分かれる「みそそぎ川」と呼ばれている 五条大橋あたりで終点 東山の眺めもいいのでこの遊歩道は人気 東側の鴨川左岸は二条大橋くらいから始まる 琵琶湖疎水から南禅寺 平安神宮 岡崎を経て鴨川に合流している川である 左岸は長く続いて桂川と伏見区で合流 その桂川と宇治川と木津川が合流して淀川になって大阪まで流れている



 
 

2022年8月12日金曜日

桜紫会会報(関東・関西)22号が届く

7月に二つの会報が届きました 関東関西とも22号 関西は4ページ 関東は8ページ 共に興味ある記事が並ぶ なかでも関東の記事が多彩だった 
5年先輩の大作さんのフジテレビ元アナウンサーの大作さんの記事は目を引いた 徒歩で高松市からこんぴらさんまで徒歩で歩いた思い出 友人との出会いと今でも続く交友関係 小学生の頃からアナウンサーを目指しなさいとの恩師のひとこと 早稲田大学からフジテレビ 人気アナとして脚光を浴びるまで
また野球部OBの夏の甲子園の記事もあの日の思い出が詳細に書かれていた そういえば私も甲子園に応援に行っていたことを思いだした 昭和47年夏 準々決勝の柳井高校との闘い 3対4で敗れたことが記されている 鎌田投手の力投を思いだす
幹事長の泰彦さんの東京2020オリンピック・パラリンピックの都市ボラティアの記事も興味をそそるもの 残念ながらコロナの影響で大活躍は出来なかったものの志願した気持ちに勇気を頂きました

一方の関西 ここにも関西の桜紫会の発足の記事が黎明期として書かれていた なんと甲子園がきっかけだったとのこと 丁度50年前のことである 応援に集まった同窓生からが始まりである 私が関与したのは40年前から 朝日新聞のビルでの打ち合わせに参加したころである その後東京に転勤したので隆教さんにバトンタッチして関西とはお休みしていた 東京では関東桜紫会にお世話になった
関東も関西も今年は集まりをそれぞれ10月と9月に開催するという コロナ禍の中 今年は制限のない年になる さてどのくらいが集まるのか心配である 会費が1万円なのでそれにふさわしい会にしなければならない