2022年4月19日火曜日

大きな藤棚の下で


桜の後は藤である 今年もお約束通り開花した 近所の公園の藤棚も咲き出した この藤棚の前でいつもラジオ体操をしている 冬場は寒いし暗いし少なかったが段々と増えてきた 少し休むと皆が心配してくれる 名前も知らないがひとつのコミュニティが出来ている

藤は大阪市内では福島区野田周辺に多く咲いている 約30か所もある 福島区の花は「藤」である その昔 関西では「吉野の桜 野田の藤 高雄の紅葉」とならび称された藤である 福島区野田は藤の名所だったと言われている この「のだふじ」は淀川上流から流れ着いた藤が根付いて平安時代末期には一帯で自生していたらしい 今から1000年以上前から知られていたのだ 特に室町幕府二代将軍足利義詮が「住吉詣」の帰りに詠んだ歌「いにしへの ゆかりを今も紫の ふじなみかかる野田の玉川」が有名 その後 文禄3(1594)年に秀吉も見物に訪れたとのこと ただ1945年の大阪大空襲で多くが焼失 戦後に地元住民が接ぎ木などで少しづつ増やしてきたという その努力の賜物である

藤の名所は全国にあるようだ 日本三大名藤というのがある 春日部市の「牛島の藤」奈良春日大社万葉植物園の「春日野の藤」ここの「のだふじ」もその一つだ 素晴らしいと思った 下福島公園で撮影したがルーツである公園近くの小さな春日神社の藤も必見のようである どうも「春日」というのがキーワードである 春の日=藤だろうか?





2022年4月12日火曜日

哲学の道を歩く




南禅寺の疎水は哲学の道につながっている 南禅寺 永観堂 若王子神社のコースは京都の代表的な散歩道 本当は桜の時期が良いのだが時期を逸してしまった 桜は落下盛んというところか 銀閣寺から歩く人が多いようだ 今日は逆のコース 最初から法然院までと決めて歩いた 
土曜日だったので人出は多かった 本来なら哲学の道なので静かに歩くのが良いのだがそうも言っておられない 約2キロ 途中にはノートルダム女学院がある いつからあったのか知らないが随分奥に入ったところにある
哲学の道は20世紀初頭 哲学者の西田幾多郎さんが毎朝ここを歩いて思想に耽ったところからつけられた道である だから100年になる 私の学生時代もここは良く歩いた 下宿も近かったせいもある
西側には吉田山が見える 時間があれば吉田山荘にも行ってみたいところだったがまたの機会にする 法然院は敷地が広大である 法然上人は讃岐に流されたことがあることは知っていた 仏生山の法然寺がそれである もともとはまんのう町にあった寺だった 仏生山に移ったのは1668年 高松藩の松平頼重が関わった 徳川家は浄土宗を大切にしていたためである なお今は浄土宗から独立している
法然院は拝観料がない 墓地も広いし駐車場も経営しているようだ 谷崎潤一郎のお墓もある 静かなお寺であり訪れる人も多い 来年こそは桜満開の時期に来てみたいと思う そういえば昔々 高槻寮にいる頃に夜中に銀閣寺のラーメンを食べに来たことを思いだした 今もこの界隈はラーメンがおいしいところである
 

南禅寺水路閣を歩く



南禅寺の中を琵琶湖疎水が通っている このことは有名である どのように流れているか確かめに行った 蹴上の駅から南禅寺方面に歩くと「ねじりまんぼ」に出る なんだろう まんぼはトンネルのこと ねじりはねじれていること タイルがねじれて貼ってあるトンネルのことを「ねじりまんぼ」と呼んでいる このトンネルの上が「インクライン」でレールが敷いてある トンネルをくぐると南禅寺への近道 くぐって右に折れると疎水に出る 明治の初めに琵琶湖からの水をここに持ってきたのが東京の田邊氏 若き姿の銅像が立っている 疎水の近くまで歩いていくと南禅寺トンネルに出る このトンネルが哲学の道につながっている もともと管理用の水路だったのが整備されて哲学の道になっている
南禅寺トンネルの下に降りてみると洋風な構造物が建っている 観光スポットになって若い人がここで写真をとっていた
またインクラインの桜は散りかけていたが見事なものだった この日は大勢の人が楽しんでいた 穴場である
数年前に琵琶湖疎水を船で登ったことがある 山科の駅から歩いて乗り場に出て蹴上までの船旅が復活したと聞いて出向いた 今度は日向大神宮から尾根伝いに南禅寺まで歩いてみたいと思う
 

醍醐の花見




醍醐の花見で有名な醍醐寺 この日の翌日に「太閤さんの花見行列」があるということだったがもう自慢の桜は散りかけていた 一度このお寺には来たことがある だいぶ昔々のことである 交通の便が良くなり地下鉄の醍醐駅から徒歩で約8分 他には六地蔵駅からバスが出ているという 今回は京阪三条から地下鉄に乗った 乗った電車が浜大津駅行き この線は京都市地下鉄の東西線と京阪電鉄の京津線が走っているので間違いやすい 山科の手前の御陵で乗り換え醍醐に到着
携帯で現在地を確認してから徒歩で進む 直ぐに山門がみえてきた 満開の桜が向かえてくれた 境内はかなり広い 200万坪もある 874年に聖宝尊師の努力で開創とある 約1150年前のことである 見どころは951年に完成した京都府下最古の五重塔と1115年創建の三宝院である 拝観料の1500円には驚いた 太閤秀吉が1598年に催した「醍醐の花見」はことのほか有名だが今日はそれほど素晴らしいという感じはなかった
また友人から近くの理性院にいけば自社で製作した「よだれかけ」を見て欲しいとのことだったがすっかり忘れてしまっていたのが残念である
醍醐寺の由来は「醍醐味」から来ているという説がある この地で水が湧いていた とても美味しい味がした ここに草庵を作ろう が醍醐寺の起源であるというが信用するか否かは各自の判断である 今でも山を上がれば「醍醐水」という湧水が残っている
この日は、霊宝館に咲いていた枝垂れ桜と醍醐深雪桜が最高にきれいでした 力自慢比べをする「五大力さん」は毎年2月に開催される お餅を持ち上げる大会である 一度見たいと思う