体育科は体操服を着ているからすぐ分かる 前列右から植松先生・樋口先生・内海先生・黒川峰子先生 後列は右から宮本先生・宇條綾子先生・諸節綾子(養護教諭)先生・樋口先生・國金先生 たぶん左端は國金先生と思うけど間違いないかな 上の枠は右から小田先生・谷本先生
我々の時代にお世話になった山西寛先生がいない 「やまかん」先生は昭和39年3月31日に県立体育館主事に栄転された 「やまかん」先生はハンドボールを指導していたように思う あの頃のハンドは強かった 植松先生も「やまかん」の後を引き継いで常勝チームに育てた 親友の俊文くんが部長 全国大会に4年連続出場とは凄い 部員がたったの12人 3年は2人 2年は5人 1年は5人 試合は7人で行うから最小限のチームではなかったのか その前の年が17人 その前が19人25人 県内では敵なしの黄金時代を迎えていたのである
宇條先生は体操部・器械体操部の顧問だった なかなか厳しかったのではないか 教わったことはないが名物教師であったことには違いない 厳しいが反面面倒見の良かった先生 平成25年11月10日にご逝去された 97歳 一高には昭和25年から昭和52年まで在籍された 名物先生は何時の時代も生徒にも愛される ひとりひとりを大切に育てて欲しいものだ
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