2016年1月31日日曜日

高商・小豆島 おめでとう


センバツに高商が選ばれた 20年ぶりとか また21世紀枠に小豆島が選ばれた 香川から2校とは吉報である 高野連もさぞ喜んでいることだろう スポーツ報知は1面扱い もちろん中国四国版であるが 
小噺に「おーい 新聞読んでるか」「ハイ 毎日」「読んだら片づけんかい」「ハイ 報知新聞」の放置新聞 本当に久しぶりだ 高商は昨秋の神宮大会で優勝し四国の代表枠も1つ増やしたのだから功績は大きい この優勝は「高商の奇跡」と言われている 高校野球ドットコムの軌跡(奇跡)によれば 2014年に長尾監督が就任した時から始まるとのこと 香川の中学野球では名将と言われた長尾健司監督を高商に呼んだことが大きい 彼の教え子が高商に集まってきたようだ 3塁ベースで円陣を組む これも話題になるだろう また小豆島もどのくらいやれるか見ものである 応援したい 甲子園に行くぞ・・・
高商の監督と言えば若宮誠一監督を思い出す 私が中学の頃である 当時は岡村浩二、山口富士雄、石川陽造を引き連れ甲子園に出た 常連だった 当時私は光洋中学 隣は高商である 高商の南に住んでいた関係で野球部の寮に遊びに行っていたので3人は良く知っている 相手はそんなこと知らんと思うが  3人は立教を中退しプロに入って活躍した 特に岡村捕手の日本シリーズの事件は野球史に残る 春のセンバツの決勝戦 米子東に決勝戦であたり山口さんが9回にサヨナラ本塁打を打って優勝したことも記憶に残る 1960年(昭和35年)のことである 
我が同級生にも高校野球の監督の経験者がいる 哲ちゃんは名門チームの監督を務めた さぞ熱血監督だったと思う 四国新聞を見ていつも応援していたのだが 敗軍の将は兵を語らず しかしいつも思うのだが監督の最後のノック キャッチャーへの真上のノックは難しいだろうと思う 

2016年1月30日土曜日

3年6組の美女たち


6組の担任は菰渕和士先生 一高の教諭としての就任は昭和29年9月 このとき推定33歳 国語担当 われらの秋山先生の2年半の就任となる 先生に教わったような教わってないような 国語はもうひとりの綾井敬典先生かな それとも藤目調先生 今村義雄先生かな 名簿をめくると何故か今村先生のところに線を引いてある 他に池田転三先生 松岡一二三先生 安藤幸雄先生 桑田尚悦先生にも線が引いてある 習ったのだろうか
さて6組の美女たち 背景が良くない分 顔で勝負か 本当に一高は女子に美人が多かったように思う このクラスの「ホームルーム点描」をみてみよう ①うれしいとき こわい先生が低い声でやさしく「運動場に出て太陽にあたれ」なんていわれたとき。なにしろ予期せぬ出来事ですもの。 ②腹のたつとき 終鈴が鳴っても知らぬ顔の先生方。 ③かなしいとき 担任の先生が病気で休んでいること。高校最後の担任なのに残念!④たのしいとき 口を動かしている時。食べること、しゃべること、何でもこいの明るい女子組。とある 
「鬼も十八番茶も出花」という諺があるが ここは正真正銘 年頃の娘盛り みな美しく見える おっと年を取ると好好爺になってしまうのかなあ

2016年1月23日土曜日

桜紫会会報(同窓会報№60)から


昨年11月に届いた会報に一高が新校舎に生まれ変わるとの記事があった 来年・平成29年から31年にかけて取り壊し平成33年には完成とか なんと有名な設計事務所の設計 霞が関ビルを設計した日本設計というから驚いた さすが市立の高校だけある 市が建てるのだ 写真の右は紫雲山であるから北から南へ抜けるのは今と同じ 正門には「一高ストリート」(仮称)がある 名物のソテツも植え替えるとか ストリートの西には体育館・講堂の4階建建物 東にはテニスコート 正面に教室棟 「桜紫モール」の吹き抜けもできる 何かショッピングセンターのような感じである 高松の教育のシンボルとなる建物となる 推測だが80億くらいかかるのでは 完成したら皆で見に行こう あと5年が先楽しみだ 東京五輪の翌年です 当然寄付金のお願いもあると思う 桜基金のときも寄付をしたので今回も寄付をしたい しかしふるさと納税(ただし高松市のお礼は期待外れであるが)のように「お礼の品」は期待できない 名前を残して頂ければそれだで充分です 桜紫会も預金がたくさんあるのでそこから半分くらい出さないといけないと思う
ところで少子化で高校も生徒が激減しているのにこんな立派な建物を建てて良いのかと思うが 昭和43年に完成した現在の本館等は建て替えの時期になっているのでやむを得ない ただグランドのことは書いていないが全面人工芝にして欲しいと願う ここで市民にも開放したら良いと思う 福岡の東福岡高校は私立男子校であるが最近スポーツで有名になり全国から生徒を集めている 一高は県内唯一の市立高校である 音楽だけではなくスポーツも強化して文字通りの「文武両道」を目指して欲しい

2016年1月17日日曜日

3年11組は理系クラス


齋藤先生の11組は男子ばかりだった ここも秀才揃い 先日の大阪の新年会での話 昨年の同窓会で國金先生が副担任と言っていたが副担任というのはあったんかいな と郁朗さんに聞いた 彼も「それは初めて知った」と言っていた 國金先生の思いはそうだったのだろうか 不思議である ここのクラスは1年の時(4組・5組)に一緒だった友が多い 3年になると文系は4組 理系は11組に分かれた 徳島大工学部に11名進学 うち電気工学科は6名だったとか 60名定員の一割が一高とは凄いと思う 東大も京大もいるのも凄い 特に東大に進学し友は徳島大に進学した友と同じ苗字だった 徳島大の彼が秋山先生の自宅を訪問した時 奥様が東大に入学した彼と間違えて興奮して応対したというエピソードが残っている
親友だった弘文君は1年浪人して文系の公立大学に これも面白い 文系と理系はどこが違うのだろうか数学・理科ができるのが理系 国語・英語ができるのが文系 なのか 一般的には理系の方が頭が良いのか 文系が良いのか 議論があるところである 諸外国ではこのような分け方はなく我が国独特らしい
最近世間では理系離れとかでなんとかせないかんということが叫ばれている よく「理系女子」「りけじょ」とか言われているが やはり女子の理系は珍しいのであろう 女子の奮起を期待する

2016年1月14日木曜日

3年4組の卒業写真


これは52年前の1964(昭和39)年の秋だと思う 女子の制服が夏服モードになっている しかし男子は詰襟である 衣替えは10月くらいだから その頃に卒業写真を撮影したと思う 早めに撮影したのか 秋山先生だから秋にしたのか 定かではない 栗林公園なら分かるが何故玉藻公園だったのか不思議だ これは卒業アルバムから抜粋したもので全員揃っている
女子も男子も優秀だった 国公立大学の超難関ウルトラクイズに多数合格したのは立派 大阪大学・大阪外国語大学・名古屋大学・神戸大学・横浜国立大学・岡山大学・香川大学・徳島大学・高知大学・大阪府立女子大学・大阪市立大学・・私立では慶応義塾・ICU(国際キリスト教)・中央大学法学部・関西・関学・同志社・立命館・実践女子などなど
3年間秋山先生が担任だったという者もいれば いや4年とか 5年教えてもらったという自慢話をする2浪組もいたというから上には上があるものだ
秋山先生は当時多忙であったのに進路指導に当たられていた 昭和38年8月先生が敬う恩師 岡崎隆校長(東京帝大 英文科卒)がお亡くなりになったことを 先生は岡崎先生を師と仰いでいただけに「私は胸に空洞ができたような気がした 転職も考えていた」と先生の自分史「ハードルを越えて」に記してある 丁度我々が2年生のころである 先生も悩まれていたと思うと申し訳けない気持ちになる 先生は本当に心を込めて指導をして岡崎先生のお気持ちに応えたいと思っていたのである このとき秋山先生39才である 

2016年1月11日月曜日

2016年大阪同期会開催

2016(平成28)年 最初の集まりは40年続く恒例の大阪同期会だった 幹事は勇さんで今年は11名が参加「朋遠方より来る」で三本松から悟さん 徳島から郁朗さんの2名が初参加 この日は2人が主役だった 悟さんは悠々自適の生活を送っている 香川で同期の輪も拡げている 会話の途中に合いの手を入れるのが上手く皆を楽しくさせてくれた
悟さんは時には際どい話とか不規則発言を連発 数々の病気を乗り越えてますます元気盛ん 名物の正華堂の「ぶどう餅」も持参してくれた 一方の郁朗さんは同期では一番若く見える 同期の中で知る限りでは大学教授は2名いるがそのうちの一人 「高徳線純愛事件」を長々と語ってくれた ただ悟さんの「尾ひれ」がついて真相は全く分からなかった それに至る背景の小学校時代の「トラウマ」事件からの説明は外野席から長すぎて分からないとの指摘があったくらいだ しかし郁朗さんは苦労を重ねた結果 進路を大学院とした人生の選択は正しかったのは間違いない この続きは来年お聞きしましょう 
さて1年4組・5組のマドンナたちの話になった まだ高校時代の幼顔が次々に浮かんできて懐かしかった 片想いの彼女に振られて勉学の道にひたすら進んだ郁朗さん 泰輔さんに渡してくれとラブレターを頼まれた和生さん 和生さんの話によれば昨年6月の同窓会で「典子さんが朝乗ってきた自転車が帰りにはとても綺麗になっていた」事件があったという 誰が磨いたのか?たいした男がいたものだ 現代版日吉丸 自転車屋の息子ならわかるが私はそんな真似はできない それぞれ作戦を練って彼女にアタックしている姿がけなげである 
閉会では来年は1月14日(土)12時に「がんこ寿司」にて開催(毎年1月の第2週の土曜日に開催)正輝さんが幹事に決定 来年も会えるように今年も「健康第一」で過ごしましょう

2016年1月5日火曜日

寿 初春大歌舞伎3日昼の部


昨年に引き続き大阪松竹座で歌舞伎を鑑賞 昼の部はまず歌舞伎18番のうち「鳴神」(なるかみ)、続いて扇雀(成駒屋)が躍る「枕獅子」、最後に「らくだ」の3幕 正面の4列目と最高の一等席だった 18番は別の読み方では「おはこ」と言うがこの語源は歌舞伎から出たものである 高校時代の愛読書だった暉峻康隆先生の本(すらんぐ)に記してあった この本は親父が購入していたものだったが大変面白かったしためになった いわゆる「雑学」的なものだったがすらんぐ=卑語(下品な言葉)の語源を書いたものとしては当時珍しかった 暉峻先生は早稲田大学の先生 井原西鶴研究の第一人者であるとともに落語にも造詣が深かった わが師の一人小沢正一さんとも仲が良かった 因みに池田弥三郎先生(慶応義塾大学)とも親交があった
今年の正月は良い天気であった 元日は我が家に一族が集合し賑やかに宴を催した 孫たちを相手に将棋もしたしカルタ・トランプもした 2日は初詣 住吉さんから四天王寺さんへ そして初笑いで「ハルカス寄席」へ 落語を6席聴いた いずれも正月らしい「つる」「初天神」「試し酒」「時うどん(江戸では時そば)」「豊竹屋」「夢の皮財布(江戸では芝浜)」特に「夢の皮財布」の雀太さんが良かった 実は歌舞伎の「らくだ」も落語の名作であるが、夜席には落語の「芝浜皮財布」がかかっていた らくだは市川中車(澤潟屋)と片岡愛之助(松島屋)の名演であった なりこまや まつしまや おもだかや と絶妙のタイミングで声がかかる 満足した正月であった 今年は10月に70歳 古稀を迎える おめでたい年である