2026年9月16日水曜日

高松市内散策 城の眼でクラス会




9月9日に「城の眼」でミニクラス会が開かれた 男2女2名計4名が集まった もう少し集まるのかと思ったが・・・皆さん用事があったようで この歳になると家族の世話 病院通いなど色々ある 仮に全員来たら9名になるのか?

「城の眼」は美術館通りにある名店である 何が名店かと言えばあの香川県庁などを設計した丹下健三さんの仕事に学んだ香川県出身の建築家の山本忠司(ちゅうじ)氏が設計を担当 室内デザインや庵治石のレリーフ 音響・音楽選定までを各々の芸術家が手掛けた他にはない名建築 1962年・昭和37年の竣工だから中学3年生の時に完成したもの

今のオーナーは高校時代の同級生 お兄様が経営していたものを引き継いで経営しているのも嬉しいことである

実は父が県庁に勤務していたのでその時の同僚である なんとオリンピック(フィンランド)にも三段跳びで出場したアスリートである 京都工芸繊維大学卒 私もお話ししたことがあるが大きい方である イサム・ノグチのアトリエも設計 確か高松大学の体育館も設計

4名は約1時間半くらいお喋りをした コーヒー代500円 安くついたクラス会 ライオン通り 三越と郵便局 宮脇書店 卒業生の小西マサテル氏の本を紹介していたのは嬉しい
 

2026年9月12日土曜日

香川のお昼は「うどん」



久しぶりに高松に帰る 9月9日 重陽の節句 この日は松山からバスで高松入りした 途中 新居浜辺りから猛烈な雨 善通寺・丸亀・坂出あたりから強くなり 警報も出ていた しかし高松に入ると小降り 今日は綾上町の菩提寺に寄って納骨堂でお参り 高校の2年下の後輩が住職さん 親の跡を継ぐため大手製薬会社を退職した 久しぶりにお話し出来た

丁度12時 お寺の近くの「セルフ 山田うどん」に向う どんどんお客さんが入ってくる 釜玉の冷たいの と ちらし寿司で520円 おでんもあったが遠慮

琴電で市内に向かう 先ほどの大雨の影響で線路が冠水したためダイヤは乱れている 片原町で降りる 6分遅れ アーケードを西へ西へ 三友堂 ステーキの千萬は移転して綺麗になった くつわ堂 そして三越 三越は地下を回ったが閑散としていた サンマが1100円で売られていた 高いと思うが・・・

それにしても高松は中央通りの人通りは少ない 殆ど人が歩いていないのに驚く そのことは県外の人からも指摘されたことがある 「高松は寂しい街だね 活気がない」 どこに人は居るのか?みんなアーケードを歩いているのだ ただ高松駅の周りは大勢の人がいる これは「オルネ」のおかげ?昔は高松駅には人が少なかったが今は多くなった

夕方18時発のバスで大阪へ その前に駅前のビルの3階にある「モリ家」さんに ここは一高の卒業生が店長のお店 ここは県内でも行列が出来る評判のお店 幸い時間が良かったのか空席があった 一番安いかけうどん580円 私はかき揚げうどんを注文1000円だったかな もの凄い大きいかき揚げでビックリ ボリューム満点だった 

バス停の近くのうどんやはかなりの行列が出来ていた JRの経営の「めりけんや」かな?うどんは安くて美味しい

2026年8月29日土曜日

関東桜紫会会報26号・創立30周年記念誌が届く






 今年も関東桜紫会から第26号が届いた 有難い 前幹事長の藤本君の気配りだろうと思う 今回は30周年の記念誌も同封されていた 

30年記念誌によると平成8年・1996年に発足 第1回は京王プラザで会合が持たれた 平成8年と言えば大阪勤務 私が参加したのは平成13年10月 秋山先生が来賓で来られた時である また音楽の竹内先生も来られていたのでたくさんの卒業生が集合していた
その時は同期が10名くらい参加したと思う 我々のクラスは当時法曹界に3名在籍していたのでそのうちの2名が参加 その内1名は前田弁護士 ゴルフ同窓会のお世話をしていた
それまでは関西桜紫会の役員をしていたので関東の総会は華やかだった 特に音楽は素晴しかった お世話をしていた「あーちゃん」もよく頑張っていた

小学校・中学校・高校の先輩の中西太さんはその後の総会でお会いしてご挨拶をした 「おお大大後輩やな」と言ってくれた 太さんの周りにはいつも人が集まっていた
またフジテレビの小林アナも同窓生・先輩だということを知った  

関東は1年半毎に開催しているという それは良いアイデァと思う 1年では早すぎるし、2年では空きすぎるし・・・
また機会があれば行きたいがどうだろうか?同じクラスメイトも前田・廣瀬・新名・榎らもいるし、女性も数名健在だ ただ仲の良かった青木一郎・花崎直行くんは鬼籍の人となってしまったのが残念です

関東の会報を楽しく読ませていただいたことに感謝をしたい ありがとう

2026年8月22日土曜日

関西桜紫会会報第26号が届く



 いつものように「関西桜紫会」の会報26号が届いた 今年は10月3日に総会があるとのこと 残念だが欠席 もう10年くらい出席していない 

今回の会報には同期の藤澤君の追悼文が掲載されていた 令和7年8月にご逝去されたことは「グルプLINE」で知っていた もう1年になるのか?令和7年は戸城君も亡くなった 

私が東京に転勤するということで彼に役員をお願いしたのは41歳のときになるから38年前のことである 真面目な彼はきちんとお世話をしてくれた 感謝です
彼は塩江の出身 塩江の神童と言われていた その通り 異議なし 私の家とも近かった 独特の喋り方で皆に愛されていた クラスは11組 だけど4組の同窓会のメンバーでいつも付き合いは良かった LINEも参加していた 10年前くらいに大病を患ったが回復して元気だったのに 最後に会ったのは2023年6月 高松での集まりだった 

2026年8月1日土曜日

嵐電沿線界隈 8月








 久しぶりに嵐電に四条大宮から乗車 一両編成の新しい電車の乗客はインバウンド どのようにして見つけるのだろうか?個人旅行 家族旅行でインターネットで調べてきたのだろうか 

生活で使っている地元の方もいるのであまり多すぎると公害になる 観光公害 いわゆる「オーバーツーリズム」である 市も対策として市バスの料金を市民は230円 市民以外は350円~400円とする案を2027年から実施予定 市民は230円から200円になるらしい

さて皆さんのお目当ては嵐山 私は途中下車して車折神社 鹿王院 太秦廣隆寺を回る 車折神社は駅の真ん前にある ここは清少納言と縁があり清少納言社というお社がある 車折神社の御祭神「清原頼業公」と同族の清原氏を父に持つ清少納言のお力を借りている
また芸能神社もあり芸能人が奉納して札を置いていた(2万円らしい)
鹿苑院は駅から歩いて5分くらい 天竜寺の一部で立派な門があった 中には入らず 
太秦廣隆寺は国宝1号の「弥勒菩薩」があるところ 広い境内に人影は少なし 裏が東映映画撮影所である

駅前を嵐電が走る 昔からの風景 今回は行かなかったが南側には大映映画通りがあり賑やかな街並みがある

2026年7月2日木曜日

五条大橋付近散策 7月







五条と言えばあの五条大橋 しかし京都五条河原町はあまり行かない 商業施設もないし観光名所もない 私自身馴染みがないところだ 人出も少ないと思っていた・・・     しかし京阪電車の駅は「五条」から「清水五条」にしてから観光客は増えた 清水が良かったようだ 同じように四条も祇園四条と変わり祇園が入った 
駅を降りると大勢の外国人がたむろしていたのにはビックリ 円安の影響で京都はどこに行っても外国人 インバウンド(外から中に入ってくる)である
五条大橋では弁慶と牛若丸の石像が飾られている 二人の対決は室町時代に書かれた「義経記」でありフィクションである
実際は五条大橋の上流の橋の「松原橋」がその舞台である 当時 五条には橋はかかってなかった 今の松原橋は狭い道なので広い五条大橋に弁慶と牛若丸の石像を置いたのだろう 

松原橋は清水寺につながる橋で要所 今は東西の通りを丸太町から南に五条までを京のこどもたちは「丸竹 夷二 押御池 姉三 六角 蛸錦 四綾 仏高 松万 五条」というが四条通りから4つ南の松原通りを真っ直ぐ東に向かうと六波羅密寺 六道珍皇寺、そして清水 清水の南に向かうと埋葬地の鳥辺野 悲田院 たぶん平安時代はこの辺りは人通りの多いところだったのだろう         今回散策の目的は「市比賣(いちひめ)神社」の参拝と綺麗になった「高瀬川の散策」大河ドラマで京都の大学生の雅楽の聖地として「市比賣神社」が取り上げられていたので、どういうところか興味があった なんとマンションの下に神社はあったので驚いた
祭神は全て女性であるから、ここは女人守護とのこと 男性はふさわしくないようである
ただもうひとつ「市場の守護」でもあることから京都中央市場の方も来られるという それも市場の中に分社があるからだという
地下水も湧き出ていた「御神井 天之真名井」(あまのまない)高瀬川は「菊浜地区」の方のご努力で市が整備し昨年完成した 綺麗になっている                                    
またこの地は源氏物語で出てくる主人公の光源氏のモデルとなった「源融(みなもとのとおる)」の邸宅があったところでもあり立札もあった 京都人でも滅多にいかない五条河原町だけに有意義な旅であった



2026年6月21日日曜日

大山崎山荘美術館 6月





京都府乙訓郡大山崎町にある美術館 阪急大山崎駅から送迎バスに乗り、直ぐのところにある 大正時代に建築 大阪の富豪である加賀正太郎氏が別荘として建て、その後売却する予定だったがアサヒビールの山本為三郎氏が買い取って美術館にしたという 別荘には夏目漱石も訪れたことがある

歴史的には1582年 秀吉が光秀を破った「山崎の戦い」がこの地である 天下分け目の天王山と言われている 天王山は270メートルの山 山から見下ろすと木津川・鴨川・桂川がここで合流して淀川になるところである 向かいの山は男山 石清水八幡宮がある

小さいが素敵な佇まいである 庭には蓮の花 半夏生が咲いていた 特に蓮はモネの作品を連想する赤い可愛いお花だった 半夏生も珍しい くちなしの白い花があれば尚良かった

とても手入れが行き届いている 平日なのに多くの方が訪れていた 山本為三郎氏のコレクションが多くある この期間は「民藝」の河井寛次郎と濱田庄司の作品を飾ってあった いずれも素晴らしい作品 益子焼の濱田 安来出身の河井は京都で活動 お互いが刺激し合って作った民藝の品 それがお目当てだった 

今年は民藝100周年の年 各地でイベントが盛んである 柳宗悦氏に加えて鳥取の吉田璋也も民藝を起こした人物として有名 そういえばウチの親父も器には興味を示していたことを思いだした  今度京都に行くときは茶碗を探してみよう 

また地下の美術館にはモネの睡蓮の絵が多数 安藤忠雄の設計というのはすぐわかった 直島の地中美術館と同じ雰囲気である

アサヒビールの文化事業としては有名な美術館 入口のトンネルをくぐるというのも雰囲気を出している これまでもいい企画をしているので今後も注目したい