2015年9月29日火曜日

スーパームーンを鑑賞


「秋風にたなびく雲のたえ間より 漏れ出づる月の影のさやけさ 」百人一首の79番歌 左京大夫顕輔 作 訳は秋風にたなびいている雲の切れ間から、漏れ出る月光のなんという澄み切った明るさだろう という訳らしい 実は寝る前に毎日「百人一首」の本を読んでいます 2冊あります
昨夜の十六夜はスーパームーンというようだが まさにこの歌通りの天気であった 雲の絶え間からスーパームーンが顔を出す それも一瞬 直ぐに雲が邪魔をする しかし明るい 澄み切った明るさ 残念ながら十五夜お月さんは見逃した 晴天だったかどうかは観ていないからわからない それにしてもこの歌はピタリの歌だと思います 素朴ないい歌です 1150年頃の歌とか 865年前ですね 人間の感性はあまり変わっていないとつくづく思う あとは技術が違うだけ 心はあまり変わらない気がする
さて さすが「百人一首」には秀歌が一杯 面白いことに落語に出てくるのは2つある ひとつは崇徳院の「瀬をはやみ岩にせかるる滝川の われても末に逢はむとぞ思ふ 」(77番歌) 崇徳天皇は讃岐に配流されたまま崩御された 1150年の歌である 落語ではそのまま「崇徳院」
もうひとつは平安時代のプレイボーイの在原業平の「ちはやぶる神代も聞かず竜田川 からくれなゐに水くくるとは」(17番歌)落語では「千早振る」 800年代の歌である 

2015年9月27日日曜日

新大阪にて 見送り


2001(平成13)年9月に秋山先生が来られた 確か関西桜紫会だったと思う どこの会場だっかは覚えていない 我々は新大阪駅まで先生を見送りに行った 14年前のことである このときは本社(東京)勤務だった 
毎年送られてくる会報は第4号の2004(平成16)年から保管している 創刊号は2001(平成13)年と思う 私がこれまで関西桜紫会に出席したのは、中之島の朝日新聞ビルのアラスカ、スーパードライ梅田と大阪駅のホテルグランヴィアだが、新大阪駅ということはこの近くで開催したのだろうか?光旦くんがいるということは珍しいが彼は以前は幹事をしていて活躍していた 副幹事長をしていたこともある 今は引退している 
昨日26日(土)に総会・懇親会があったが行けなかった 隆徳会長には申し訳けないが、仕事の関係で欠席した 毎年毎年100名は集まるのはたいしたものである どうしても年配者が多いのは仕方がない なんとか魅力ある会にしないといけないと思う
23日(祝)に京都で大学時代の学部の総会・懇親会があった 200名近くの参加 6万人の卒業生の内、200名である 確かに多いから良いと言って1000人も来たら困る そのあたりが難しいところである 

2015年9月17日木曜日

関西桜紫会に来賓として秋山先生


これは2010(平成22)年9月の関西桜紫会 秋山先生が来賓として来られた時の写真である 先生は大阪に来るのはこれで最後と言われた 正輝くん 勇くん 弘幸くん 私の3年4組メンバー 秋やんが来られるというのに行かないわけにはいかない それにしても先生は変わらない 頭も冴えわたっている 見習いたいものだ
今の関西桜紫会の会長は11組の隆徳くんである 塩江の神童と言われた男だ 会長として立派に勤めを果たしている 彼の人柄だろうか皆さんが集まってくる 今年も27日に総会があるが私は仕事のため「欠席」 年会費の2000円だけ払った たしか、この2010年以来ご無沙汰しているのである 関西、関東と交流会を開いたりして活発にやっている 花見、ハイキングなど私は行ったことがないが楽しそうである 高松一高という絆 素晴らしいことではないか 私自身を振り返るとこの他に大学のゼミ(同期・先輩後輩)、クラブ(同期・先輩後輩)がある 会社時代の同期の集まりもある 毎年のように集まろうやと言ってワイワイガヤガヤ 気の置けない友人との付き合いは本当に楽しい 

2015年9月13日日曜日

大阪梅田のビアホールで乾杯


これは2004(平成16)年9月の関西桜会紫会 珍しい人もいる 美子さん 和生くんと私だけが4組で他は違う 玉江さんは10組 隆徳くん 光旦くんは11組 あと2人は思い出さない ひとりは9組の智恵子さんかも知れない 光旦くんはだいぶ前に「同窓会の案内は不要」と宣言 その後は同窓会にご無沙汰している 
手元の名簿によると関西には約70人 関東には約60人 その他の地区に70人が住んでいると仮定して 約200人が県外に出ていることになる これは推定だが 全体では約700人だから約30%が県外 約70%が県内に留まっていることになる 半分以上が県内にいることになる 先日の同窓会が130名の参加だったから出席率は約20% 
同窓会には名簿の整理が欠かせない 4組は3人が音信不通である 今はインターネットで検索できるから怖いくらいわかる 個人情報保護と言っているが片や個人情報の開示が進んでおり不思議な世の中である

2015年9月10日木曜日

皆若い 28年前


昭和62年8月高松グランドホテルにて 我々は41歳の働き盛り 秋山先生を囲んで談笑中 秋山先生は62歳 退職してからも1年間は講師として教壇に立った しかしその後は思うところあって悠々自適の生活を送られている そういえばこの時の先生はリラックスされている様子
今はどうだろう 今の60歳は若い 65歳まで再雇用制度もある 大体7掛けというが そうなると70歳なら49歳ということだろうか 今70歳前の自分をみて考えることは働いている限り元気で居られるということ 働くことをやめた時に元気を保つには相当努力がいると思う 働いていると毎日なにかある 朝職場でパソコンを立ち上げると様々なメールが入っている 何もない日はない 机の上には書類が山のようになっている 17時30分には帰社するのでその後に置かれた書類 ひとつひとつに目を通す 難しい複雑な問題も正面から取り組む それで給与を頂いているのだからと思いつつ まだ自分を必要としていると感じつつ 毎日を過ごしている 二度とない人生だ

2015年9月8日火曜日

2008(20)年1月 多幸梅にて


これは、四国新聞の3月31日に掲載された写真と記事「あの日あの時」 私が投稿したものである 同級生が四国新聞に勤務していたこともあって載せていただいた ひとことには「昭和40年の卒業以来続いている大阪同窓会 毎年同じ日 同じ時間 同じ場所に集合 還暦のハードルを越えた今 秋山幸造先生にあやかって長生きしようと励まし合いました」とある
英子さん 玉江さん 元気かな この多幸梅は梅田の料亭である 幸が多い 梅は酒と料理が上手いということか 大阪には「たこ梅」と言って有名なおでん屋専門店(関西では関東煮と呼ぶ)がある そこはまさに「たこ」の甘露煮が有名である 少し高いが鯨のサエズリも食べられる
高松にも「かけあし」というおでん屋さんが瓦町にあったな 何回か行った 1年中おでんが食べられる 高松には「恵介」という鮨屋さんもあった ここは綺麗な良い店であった 美味しい 流行っていた 英子さんの実家の前の通りにも美味しい魚を食べさせてくれるお店があった たしか「割烹とちの」という店 長いカウンターがあって活気があった 他に常盤新町の「どんぐり」は英和さんのお勧めの店 「ふみや」のお好み焼きはラードで焼いて独特の味 この2つは今でもある 「割烹とちの」は今はない 「新常盤」もないが「二蝶」はある 八郎君のお店「三笠」はあるだろうか 


2015年9月7日月曜日

関東桜紫会 2001(13)年6月


ここはどこだろう 関東桜紫会にて 同期は4人だったか 武則さん 郁子さん 彼女が昭和40年卒から出ている代議員だった このころは会報もないのでさっぱりわからない その1年前の私が造った名簿をみると担任の名前が掲載されている
1組葛西正 2組吉原 3組三瓶 4組秋山 5組桑田 6組菰渕 7組本庄 8組上原 9組綾井 10組星野 11組齊藤 12組蓮井 13組松浦とある
全部で59名ここでも4組が9名 8組も9名と多い 広美さんはこのとき上場会社の重役 迫力満点 頭は冴わたっていた 武則さんも上場会社に勤務 エンジニアであった 

2015年9月6日日曜日

2000(12)年8月 塩江温泉にて


珍しく泊まりの全体同窓会の「さくら会」 塩江温泉にて開催 15年前だから53歳のとき 1965年卒業だから35周年記念ということか 自分で段取りしたことがないので全然覚えていない 確か母校からバスに乗って行ったと思う どうして塩江だったのか どうして2000年なのか どうして泊りがけなのかなぜか全く思いださない
良次さんが我々の「さくら会」の幹事をずっとしてくれている 彼とは同じクラスになることはなかったが私が高松勤務の時にお世話になった 我が社では毎年12月の会社の創立記念日に薯蕷(じょうよ)饅頭を配る習わしがあった その時に彼の店に100個発注していた 5年くらいは続いたと思う 彼のお店は老舗のお菓子屋さんだったから単価の安い饅頭を良くこしらえてくれたと感謝している 先日の「さくら会」も彼を中心に段取りしたものだった 名司会だった これからも再々開催すると言っていたので期待したいが毎年は厳しい 2年に1回くらいがちょうど良い

2015年9月5日土曜日

2008(20)年4月 花樹海にて


還暦の会だろうか たくさん集まったなあ 24名 高松の修さんが段取りしてくれた この時は体調が悪かった いやこの年は絶不調の年であった また秋山先生は日赤に入院中だった 昌宏君と見舞いに行った 眼の調子が悪いとのことだった 
静枝さん 貞子さん 千鶴子さん 恵ちゃん 紀子さん 孝子さん お桂ちゃん 茂子さんの女性陣 おお男性陣で珍しい人がいる 透さん 彼は豪州勤務が長かったせいか すっかり考え方が欧米化していた 趣味が多くて友人が多い アグレッシブな生き方をしている 毎日忙しいのだ 同窓会には滅多に出たことがない その彼が何を思ったのか出てくれたのである 同窓会というのはその人によって位置づけが違う 私にとっては最高位の同窓会である
彼とは同じ大学に進学したのだが大学時代はほとんど会ったことがなかった 学部も違ったと思う あのころは各学部で900人くらい居たからクラブが同じでなければ会わない ましてや学部が違うと全然 同じ学部の直行君は隣のボックスだったからたびたび顔を合わせた 昨年の関東桜紫会でも再会した 彼も彼らしい生き方をしている

2015年9月4日金曜日

高松駅は船が着く街だった


「船が着く街 高松に 今日の泊まりは決めました・・・ 瀬戸の夕陽に手を合わす・・・」とは佐々木新一の「あの娘たずねて」の3番 1番は東京 2番は大阪 3番が高松 これは「都落ち」の歌だろうか 昭和41年のミリオンセラーとなった 佐々木新一さんは昭和21年生まれ 現役続行中
高松駅には思い出がたくさんある 前の駅は1999(平成11)年12月いっぱいで廃止になった 私の高松勤務は平成2年2月から平成8年9月だったからまだ古い駅を利用していた その後「サンポート高松」の再開発に伴い新駅舎が完成した 2001(平成13)年5月のことである 高松駅の手前に貨物駅もあった 現在の新駅はその貨物駅の位置とほぼ同じと思う
古い駅は大きな建物であったが今はコンパクトになった 瀬戸大橋が1988(昭和63)年に完成して桟橋が不要になったからである 昔は第一桟橋 第二桟橋があった 宇高連絡船がそこから出ていた 転勤などには七色のテープを買って別れを惜しんだ 銅鑼が鳴る さよなら・・さよなら・・転勤族は涙を流す いいなあ 船は情緒がある 学生時代は甲板に上がって「うどん」をすすることが讃岐人のお約束であった 宇野に着いてマラソンのように長い通路を通って急行「鷲羽」に乗り換える 今の高松駅は「瀬戸の花嫁」が流れる これも思わず口ずさむ ただ海が見えないのが寂しい

2015年9月3日木曜日

東京女子会は素敵な人ばかり


14年前の2001(平成13)年3月の東京銀座での同窓会 女子の記念撮影 12人でした 14年前ということは54歳 皆さん素敵な人ばかりです さすが一高である テニス部の悦ちゃんは同じ中学だったとは 
銀座は4丁目が中心 東京在住の7年間は銀座を中心に築地や日比谷に足を延ばした 築地市場は時々鮨を食べに行った 市場の鮨屋はブームになっていたので、並んで並んで2時間待ちということもあった 始発の電車で行った 特に雑誌やテレビで紹介されるとわっと人が集まる 東京はそういうところだ しかし殆ど並んでいない店もある 味が違うのか 値段が違うのか 
そういえば昔昔 親友であった小豆島の俊文君が東京で学生時代を過ごしていたころ築地の「江戸銀」という店に二人で再々行ったことがある 郵便局の裏にお店が何軒もあった 特に玉子が分厚くて甘くて良い味を出していた 値段も学生にはやさしかった この前上京した時に近くを歩いたがもう店はなかった サラリーマンで大賑わいだったのだが 栄枯盛衰 残念な気がした