2023年3月4日に秋山幸造先生がご逝去された 3月で1年になる 訃報は娘さんから昨年四十九日の法要が終わってから頂いた 大正14年8月生まれだから97歳だった 小学校3年生の時に右目を失明 この失明が人生を大きく変えたとある 先生から頂いた「自分史 ハードルを越えて」にはその生々しい記録がある
大正14年 秋山家の四男として生まれる 敬愛幼稚園から鶴屋町尋常小学校 高松一中(5年制)へ 失明ということで第一志望の高松中学には入学できず 昭和17年高松高商に入学 昭和19年に赤紙で満州に学徒出陣 昭和20年に敗戦 高松高商は9月末で卒業となっていた 東京高商(一橋大学)への進学を希望するも家庭の事情で断念
昭和22年3月に屋島学校に奉職 昭和23年10月に高松第二高校 昭和24年4月に光洋中学を経て高松第一高等学校には昭和27年4月から昭和62年3月まで35年間勤務 英語の他に数学 商業 社会科などを担当したが一高では英語のみ
我々が入学した昭和37年度からは39年度まで持ち上がり担任 この時期だけが持ち上がりだった 我々の世代は不思議に「縁」があったと思う だから先生にとっても気合が入っていたのだろう
先生には生涯の恩師がいる 高松一中時代の宮崎秀一先生 なんとあの宮崎先生の親戚筋 森崎隆先生(京都帝大 英文科) そして岡崎隆先生(東京帝大 英文科) 岡崎先生は同じクラスだった「きよ」さんの父である 特に岡崎先生のことは良くお聞きしたことを覚えている 昭和38年にご逝去されたのは秋山先生にとって大きなショックだったと思う
写真は1994年(平成6年)68歳頃の写真(桂子さんの菊池寛賞受賞祝いでの祝辞)
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