2016年12月25日日曜日

富山の路面電車は最先端を行く


富山駅前南口 青い空と白い雪 路面電車が駅に入って来た 富山にはセントラム サントラム ポートラムと路面電車(トラム)が3種類もある どれがどれか市民の方も間違うらしい 今回乗車したのは環状線を走る「セントラム」 (2両編成)環状線から分かれて富山大学へと走るのが「サントラム」(3両編成) この2つは地元の富山地方鉄道が経営している そのほか富山駅北口から旧富山港まで走るのが「ポートラム」という路線 これは三セクが経営している 路面電車の中でも「LRT(ライト・レール・トランシット)」と言って最先端の次世代型路面電車の日本第1号らしい 本当はこれに乗りたかった 事前に調べて行けば良かったと反省 これをモデルにこれから各地で導入を検討するようだ
路面電車といえば四国では高知と松山 中国では広島でレトロな電車と新型電車が走っているし岡山では格好良い電車もある 九州の長崎でも 北海道では函館でもこれらは全部乗っ しかしまだ乗っていないのはいくつかある 乗った中では函館の電車が想い出深い 坂のある街に似合っている 映画に出てくる風景だった
学生の頃 京都では市電が走っていてこれが我々の足だった 同じ頃東京でも早稲田から三ノ輪などでも都電があった 今はどうかな 大阪では現在も天王寺と堺 恵美須町と堺に路面電車が走っている いつもお世話になっている電車だ 最近では「堺トラム」という電車が走っており「LRT」に相当する鉄道として分類されていると新型車らしい 堺トラムは快適で乗りやすい 別に「鉄ちゃん」「乗り鉄」ではないけど電車には夢がある

2016年12月22日木曜日

富山の鱒寿し 最高


昨日は実に暖かい冬至であった 天気はどうなっているのだろうか 北海道は11月頃から寒くなり雪も多いという 西日本は逆だ 寒くなることもあるが直ぐに戻る
そんな中 積雪があった日の12月16日金曜日 初めて富山県に行った 昔から行きたかったところである 北陸新幹線にも乗りたかった 金沢から北陸新幹線で富山にあっという間に着いた 「はくたか」という各駅停車だった それでも22分で到着 途中 新高岡に停車 他に一番速いのが「かがやき」 東京まで2時間32分とか また富山までの便「つるぎ」も走っている
富山は立川志の輔や柴田理恵の故郷 駅は新しく立派だった しかし賑わいは感じられなかった 静かな街だった 路面電車「セントラム」が走っている 富山地方鉄道が経営 地元の方は「ちてつ」と読んでいる 駅から環状線に乗って「丸の内」で下車 雪道の中を地元の方に聴いて「鱒寿し」のお店を紹介してもらった 実は食堂のようなものがあってそこで食べるのかと思っていたのだが 鱒寿しはお持ち帰りのお店ばかりということが分かった 
川上というお店に入った 老舗のようだ ご主人にここで食べるのは駄目ですか?と聞いたら「いいですよ」と言って鱒寿しを切ってくれた 
小さなテーブルがあってそこに腰かけて食べながらご主人と世間話をした おろし生姜で食べるのも美味しいとか 若い男前のご主人がいろいろ教えてくれた この鱒も昔は神通川で捕れたのですよと言っていた 鱒と鮭?はどう違うのだろうか 聴き洩らした テーブルの上にさざえさんの「マスオ」さんが描かれた絵があった 美味しい鱒の寿しを食べることが出来て最高の日を過ごせた

2016年12月11日日曜日

昭和39年卒と40年卒です


私たちのテーブルは39年卒の先輩と一緒でした 中西太先輩を囲んで撮影 1年先輩と言ってもここで知っている人はいない 残念である しかし東京には1名知っている先輩が居る 喬一さんなのだがなかなかお会いできない 同じ団地のお兄ちゃんだった 高校時代はバレーボールのキャプテンをしていた有名人だったが誰に聞いても覚えていないようだった まあ年が年だから仕方がないが 39年は昭和20年生まれで生徒も極端に少なかったのになあ 動物園の園長さんの息子さんもそうか1年先輩でしたね 別のテーブルに座っておられた
この日は会費が5000円 料理はまあまあだった 不満は「うどん」がなかったこと 普通は「屋台」のうどんやが出るのだが 讃岐の人ばかりなので用意しなかったと思われる 昭和60年卒の皆さんが当番だったのだがプロの司会(地元放送局の男子アナ)から応援団長、プロのカメラマンとタレント揃いだった また卒業生である高松ゆめ大使も招かれて挨拶をしたのだがなんと彼女は敏和さんの教え子だったとか 敏和さんもよく覚えている子であった 帰りに秋山先生のご自宅に立ち寄ったが不在であった(後から病院に行っていたとのメールがあった)
この高松国際ホテルは昭和39年開業のホテルである 確か始めは第一ホテルではなかったのか 現在はあなぶきエンタープライズが経営しているとのこと 中心地から少し離れているが大きな良いホテルである 

2016年12月10日土曜日

桜紫会でサプライズあり


12月に入って10日が経った 先ほど年賀状を書き終えた やれやれである 毎年この時期には今年こそ出すのは止めたいと思う 止めるには何らかの理由が要る 最近ちょくちょく高齢を理由に来年からは失礼しますとの年賀状が届く 今日書いたのは158枚 兄弟 親戚 元在職していた職場の同僚他 大学高校時代の友人 親しくしている方など 厳選する これでも出していない人から50枚ほど届くから全部で約200枚は書くことになる 今は年賀状ソフトがあるので面倒なことはないけど 悩んでしまう 現在の職場では平素顔を合わしているから儀礼的なことは止めましょうという通達を出しているので楽である

先日高松で開催した桜紫会 同期の出席は2名だけ 全然知らない同期の人だった 昨年の50周年に参加したというから間違いない 彼は今まで全然出ていなかったそうで話をしても嚙みあわない 帰って調べてみると理科系というから11組かと思ったら12組だった 久ちゃんや四郎ちゃんと同じクラスのようだ ただ二人の全然名前が出てこなかった 
その孝夫さんが中西太さんとの写真を撮ってくれてメールで私に必ず送信するからと約束してもう1か月近くになる 孝夫さんの住所も不明なので連絡のしようがない 実はその写真には太先輩の他にプロ野球で活躍した高松商業出身の山口富士雄さんも写っているお宝写真であるので是非欲しい 山口さんは甲子園センバツ決勝で米子東からサヨナラホームランを打った人だ 4つ上かと思う その後阪急などで活躍した名選手である まさかここでお会いできるとはサプライズ 少しお話させてもらった 実は私が小学生の頃近所の高商野球部の合宿所に遊びに行ったこともあり懐かしく語った この日は香川の高校野球を強くするPJがあって名誉会長を太さんに就任して欲しいとのことで来られていたようだ 是非PJを立ち上げて強くして欲しいと願う

久ちゃんのおかげで孝夫さんから写真がやっと届いた 中西太先輩の右が山口富士雄さん 甲子園で大活躍だった二人 力を併せて欲しいと思う

2016年12月1日木曜日

信州リンゴが届く


12月に入った 今年を振り返ると10月の地震が全てだったと言っても過言ではない 大袈裟だが一瞬死ぬかと思った 初めて体験する震度 ああこれで駄目か・・・ 本当に何が起きるか分からない 人生はそういうものかも知れない 各地での災害をみると突然の出来事に人生が一変する様子を実感したのである そのショックは尾を引いた 地震のおさまりと共にリカバリーしたと思う 人間は立ち直れるのに時間がかかる人とそうでない人がいる また立ち直れない人もいるという人もいる 時間が解決する つまり日にち薬というのもあるのだが人さまざま 私は人生訓として「すべては時が解決する」を持っている また「自然に帰れ」も好きな言葉だが 今その自然が荒れているような気がする

さて お見舞いも兼ねて知人から「信州リンゴ サンふじ 特選」が送られてきた 知人の故郷である長野県小布施の果樹園からの直送である 立派な林檎 御品書きには「葉とらずりんご」と書いてある 「一般のリンゴは先ず見た目を良くするために実が完熟する前に周囲の葉をほとんど取ってしまい色付きを良くして出荷される するとリンゴは摘まれた葉の分の光合成を受けることが出来ず本来の糖分や旨み等が抑制されてしまいます」「ですから生育過程では実に触れている葉を摘み取らず樹上完熟する「葉とらずリンゴ」こそ自然の恵みなのです」 と書いてある
人間もそうだなあ 自然がいい 変に干渉すると育たないなあ と思う 
知人は落語を通じて知り合った方で本当に素晴らしい方である 知人も信州生まれ 実は私も生まれは信州 母の故郷で生まれたのである 信州のリンゴ とくにこの「葉とらずリンゴ」は美味しい