2017年1月27日金曜日

昭和40年代の市内地図


高松に行くと泊まるホテルはたいてい「川六」 昔は穴吹とかワシントンに泊まっていたのだが 川六は何かと便利だ お風呂も大浴場がある 部屋にあるお風呂は入ったような気がしない 東京では「讃岐会館」今は「東京さぬき倶楽部」と呼び方が変わったがここも地下にお風呂がありいつも空いているのが良い
さて「川六」に昭和40年代の地図がかかっていた これは川六が皇室御用達の旅館・ホテルであったころのものだろう 川六の場所を赤で示している 百間町 南に行くと大工町 今新町 御坊町 古馬場町(北と南あり)となる この辺りが「繁華街」 国道11号線をまたいで県庁通り 常盤街南繁華街とある この辺りになるとだいぶ省略している 瓦町から常盤街を通り南新町に出て丸亀町に行き宮脇書店に寄り三越迄行き ライオン通りを通って瓦町に帰るというのが定番コースだった
松島町に住んでいたのだが松島からこの辺りまで行くと「まちにいく」と言っていたのを覚えている 今でも時々「まちにいく」という言葉を使う 親戚が西浜町(現在は西宝町)にあったのでそこまで自転車で行っていた 近くの山の中腹に西方寺があってそこに従弟と登って遊んだものだ ここからの瀬戸内海の眺めは良く 女木島・男木島は良く見えた 今はこの近くに「花樹海」があって賑やかになっている
懐かしい地図 しかし今とそんなに変わってなく高校時代までの想い出ををふと彷彿させる地図であった

2017年1月22日日曜日

「こんぴらさん」でブラタモリ


21日の放送は「こんぴらさんでブラタモリ」だった ~人はなぜ“こんぴらさん”を目指す?~3つのテーマがあったと思う こんぴらさん・金丸座・鉄道 一番興味があったのは鉄道だった なんと4つの鉄道がこんぴらさんまで通じていたとは驚いた 琴電・JR(国鉄)・琴平急行電鉄・琴平参宮電鉄 という鉄道が集結していたこんぴらさんはまさにワンダーランド 高松から坂出から丸亀から鉄道で琴平に行けたのである
坂出と琴平を結ぶ鉄道が琴平急行電鉄 琴急と呼ばれていたらしい 琴急は昭和5年から昭和19年まで走っていた だから知る由もない 一方の琴平参宮電鉄はコトサンと呼ばれていたが丸亀琴平間は昭和38年まで走っていたようだ 昭和38年だからタモリは小学生の時に丸亀の親戚に来た時におじさんに連れられてこのコトサンに乗ったに違いない 下津井と丸亀の船に乗って下津港で食べたオムライスで食あたりにあったという思い出がタモリにはあったらしい
このコトサンのことは覚えている 何故かというと高松駅前中央通り西に「コトサンビル」があってその屋上で大学生時代にアルバイトをしたことがあるからだ ビアガーデンのボーイをしていたのだ 確かさくら会の二次会でもコトサンビルの屋上に久ちゃんや憧れのマドンナたちと行った思い出がある 
琴平は遠かったので高校時代までは滅多に行かなかったが大学生以降は何回も行っている 但し金丸座は見学したことはあるが芝居はここでは観たことがない 今年の四国こんぴら歌舞伎は中村雀右衛門の襲名披露公演が4月8日から23日まである S席16000円 JTBが押さえているからなかなか取れないプラチナカードである 機会があればここで歌舞伎を観たい

2017年1月17日火曜日

ブラタモリ 讃岐に上陸


1月14日(土)のブラタモリは「なぜ¨さぬきうどん¨は名物になった」 であった 息子がLINEで教えてくれた あやうく見逃すところだった 19時30分 満を持してテレビの前に着席 最初のシーンが おお「山とも」ではないか 昨年行った店だ ひやあつ ひやひやとかのメニューが懐かしい
タモさんと近江アナのコンビはもうすっかり落ち着いた感じ 博多うどんを絶賛するタモさんだったがシナリオ通り「さぬきうどん」を味わう 画面でみるとあまり好きそうではなかった さぬきうどんのルーツは中讃にあるということは聞いてみたが ここまで詳しく調査しているとは 案内は田尾さんかと思ったがそうではなかった 
さぬきうどんのキーワードは小麦・塩・滝宮だった 滝宮は遠足で行ったことはある 滝宮天満宮を詳しく取り上げていたのには驚いた 確かにあの渓谷はあった 思い出す 滝宮から金比羅さんに行く宿場町でうどんを売っていたのがルーツとか そうだったのか これから滝宮も面白くなりそうだ なかなか素晴らしい取材であった
次回1月21日は「こんぴらさん」とかこれも見逃せないなあ ブラタモリの他にファミリーヒストリーも面白い 

2017年1月16日月曜日

2017年の大阪新年会

今シーズン一番の冬将軍の到来 本当に寒かったね でも元気に定刻までに全員集合 今年の幹事の正輝さんが一番乗りだった 私は2番目 30分前には到着 続いて惟彦さん 和生さん 勇さんと弘幸さんは一緒 照治さん 修さん トリは恵さん
昨年は11名 昨年来ていた仲間の内 3名が今回は欠席 内2名が入院中とは 11-3=8だが昨年欠席していた修さんが出席したので8+1=9となった 修さんは3月末で勤務先のお仕事を終えると言っていた 今年6月には教え子たちに囲まれてコンサートを開くという そういえば60歳のときのお別れコンサートもみんなで行った 今回も行きたい 彼の話によると「天才」はやはり居るらしい 出会ったという それを嬉しそうに語ってくれた
幹事の正輝さんは起床後に 腕立て伏せ300回 腹筋・背筋を200回 して鍛えているとのこと まさに筋トレ そして毎日箕面周辺を2・3時間歩くそうな 後ろから猪が当たって来たこともあるらしい 鍛えているから大丈夫 ゴルフも上手 それにしても毎日とは凄い ジムに行かなくても出来るのだ 彼は製薬会社に勤務していたから「健康」には人一倍気を使っているのかもしれない
今回はどこの米が旨いかということが話題になった 和生さんは讃岐米を絶賛 讃岐三白は塩に砂糖に米と言っていたが 本当は塩に砂糖に綿花らしい 讃岐の米が旨いというのは初耳だがネットでは結構最高級だった 「おいでまい」という品種がお勧めらしい 一度食べてみたい なお来年は1月13日(土)12時から 幹事は和生さんに決まった

2017年1月12日木曜日

初めての吉野山


奈良の吉野山に初めて行って来た 前から行きたかったところだ 見どころは桜の季節 吉野千本桜の時だ しかしその時期は都合がつかないし人も多いだろう 電車好きの孫が「青のシンフォニー」に乗りたいということを前から言っていたので12月末に二人で出掛けたのである
近鉄電車の最新車両で9月から走っていることは知っていたが一日二本とは知らなかった 予約は一杯 しかし運よく片道だけ二枚取れた 行きは右の通常の特急電車 帰りが左の「青のシンフォニー」だった
近鉄はここ数年 新型車を投入している 「しまかぜ」は難波から賢島まで走る特急電車 これも素晴らしいとのこと 青のシンフォニーはあべの橋から吉野までの特急電車 何故青のシンフォニー? 交響曲が流れるのは分かるが・・・車両は3両編成で真ん中の2号車がサロンカーだった そこでデザートが食べられるのだが 僅か1時間10分程度の旅ではあっという間 乗り心地は良かった
2004年7月 吉野山を含む「紀伊山地の霊場と参詣道」がユネスコの世界遺産に認定されている なるほど確かに吉野山と大峰山はつながっていた 修験道の寺 金峯山寺は大変大きな建物で素晴らしかった
今回はゆっくりできなかったが春にもう一度行きたい山である 我が家からもそんなにかからない手ごろな山である 歴史的にも興味深いところである 

2017年1月5日木曜日

今年も歌舞伎を堪能



大阪松竹座の正月興行は八代目中村芝翫襲名披露公演だった 人気者だからチケットは12月5日に発売されたが夕方には1月2日の初日、2日目の3日のチケットはほとんど売り切れていた ネットで検索したが良い席はなかった 特に口上と勧進帳があった夜席は人気だった 仕方なく3日の昼席を2枚予約した 左サイドの席しか空いていなかった 前から3番4番の花道が良く見える席だった 舞台も観客も良く見えた 国会議員や噺家も来ていたのが分かった
橋之助は七代目芝翫の次男 長男は福助を名乗っているが今は病気療養中とのこと 今回次男の橋之助が今回八代目を継いだ 姉は今は亡き中村勘三郎の妻 華麗なる歌舞伎界のプリンスだ 奥様は三田寛子 襲名前に橋之助の愛人問題で週刊誌を賑わしたがこれも話題を盛り上げた演出ではなかったのか 三田寛子の大人の対応も評判だったがなんといっても三人の男の子を生んだのは歌舞伎界では立派である 今回長男・次男・三男はそれぞれ橋之助・福之助・歌之助を襲名したのである 親子4人の揃っての成駒屋のお目出たい舞台であった
ここ3年はこの歌舞伎に行くのが正月の恒例行事 華やかな舞台はクールジャパンそのもの 外国人も大勢見に来ていた 本当に素晴らしい 感激した 1月の7日・8日・15日は落語を予約しているのだがやはり歌舞伎は最高 贅沢だが1年に1回は是非観たいものである
心斎橋の宝石の芝翫香は幕を贈呈していたがもともと歌舞伎の「芝翫」から命名したらしい 私もそこに友人が居たので婚約指輪を芝翫香で買ったことを思いだしたのである