2024年11月24日日曜日

大化の改新は談山神社から始まった

大化の改新は645年に行われた「政治改革」である 聖徳太子が亡くなったのは621年 その後は蘇我氏が支配していた 蘇我氏の横暴ぶりを見ていた中大兄王子と中臣鎌足が蘇我氏を滅ぼして新しい日本を作ったのが「大化の改新」である 中大兄王子は後の天智天皇であり中臣鎌足は後の藤原鎌足 藤原一族の繁栄はここはら始まったと言える 藤原不比等は次男 なお藤原道長は藤原鎌足の子孫にあたる 飛鳥から奈良そして平安につながる

この二人で話し合った・相談したのがここである 昔は談山神社のいう名前ではなかった 多武峰妙楽寺という名前だったがここで話し合った・相談したということで「談」 「談」の神社で談山と今は呼ばれている いわゆる「談合」の由来はここから出ている 妙楽寺というように昔はお寺であったが今は藤原鎌足を祀る神社になっている お寺の名残で「十三重の塔」が立っている 美しい塔である
多武峰(とうのみね)は「金の司は多武峰」と呼ばれていたのを知る人は少ない つまりお金持ちだったのだ 金貸しと言っていいのだろうか 金の力で周りを支配していた

天王寺駅から奈良へ 奈良から桜井へ 桜井からコミュニティバスで多武峰まで20分 わりと近い 正面から一気に階段をあがり本殿に向う 立派だった
 

2024年11月4日月曜日

高松市内散策 自転車にて







会員の集いの翌日 久しぶりに市内を散策 自転車を借りる これをスマホで操作する 面倒くさい 以前は担当が居たのに今は無人化 時代を感じる つまりスマホがないと借りることは出来ない このアプリは高松だけでなく他の都市もやっているようだ

まずは必ず立ち寄る栗林公園 ここは大学時代にアルバイトをしていたので懐かしい 北口から入る そうだ今日は船を乗ろうと思った 予約をする 定員は8名 船頭さんが「どこから来たんな」と声を掛けてくる この船は13年前からとのこと 船頭さんは英語も駆使して約30分回る 太鼓橋や掬月亭を見ながらのんびり 紫雲山は260mあるそうな 特別名勝栗林公園 国の「特別名勝」に指定されているとのこと 紫雲山があってそれを借景にしている 初めは生駒藩の大名庭園だったとのこと その後松平藩へ いろいろ説明してくれた

次は商店街を自転車で押しながら歩く 未だに禁止の自転車で回る人がいる 困ったものだ 田町から南新町 丸亀町 兵庫町へ 商店街の広場には「綱引き」イベントが行われていた 黒山の人だかり 片原町とライオン通りは昨夜歩いたから殆どの商店街は征服した

そして駅に 駅前広場では大勢の市民が集まって獅子舞や踊りのイベントが行われていた なるほど昔とは異なる風景だ 駅前でこのように集まるのは珍しい また商業ビル「オルネ」もごった返していた

そしてここまで来ると赤灯台まで行かなくては・・・大的場にも行きたい・・・といううことで遠回りして港を眺める 屋島 女木島 男木島 瀬戸内海の多島美は素晴しい またアリーナも建設中 ここでどんなイベントが行われるのか?楽しみ 

徳島文理大の新校舎も完成 どんな授業が展開されるのだろうか? ますます発展する高松 人口減少の中で町の発展を祈念したい
 

令和6年度 会員の集いに参加




何年振りだろうか?8年ぶり?前回は2016年?中西太先輩がゲストだった 太先輩が昨年亡くなり ここにいないのが悲しい 先日 銅像の寄付をしたので銅像の完成を待ちたい なにしろ小学校・中学校・高校の大先輩である
今日は150名くらいの出席だろうか?若い人が多い というのも平成5年・6年が幹事だそうで活気を感じた
まず小松玲子さんのサヌカイトの演奏がメイン 最初に素晴しい演奏があった サヌカイトのことは知っていたがそれを演奏で聞くとは 貴重な音楽会であった

あとは、飲食 正直言って「イマイチ」の料理 一人当たり1500円から2000円くらいの感じ がっかりした これなら「うどん」の屋台でも良かった

しかし我々のテーブルは昭和40年卒 41年卒 42年卒が各2名 計6名のテーブル
ちょっと少ない 話は盛り上がったが
全体的に見てやや物足らない感じがしたのは私だけでしょうか?企画に工夫がなかったのは残念 満足度は40%