興福寺には思い出がある 大学2回生のときに、京都から奈良へ自転車で出かけたのである 京都から奈良まで40キロはある 北区大将軍の下宿からは50キロはあっただろうか 時速12キロとして約4時間の計算 実は1回目は伏見の観月橋のところでパンクして断念 パンクは想定外だった 2回目は1966(昭和41)年10月10日に決行
目的のひとつは同級生の瞳ちゃんに会いに行くことだった 瞳ちゃんは幼稚園からの幼馴染 小学校 中学校 高等学校も一緒 もちろん家も近所 大学は同じ京都だったが違った 姉が奈良の大学に通っていたので彼女も奈良から京都に通っていたのである なぜ自転車だったのか 単にお金が惜しかっただけだったのか それにしてもしんどかった 京都から奈良に入る前に急坂があった 大仏殿の屋根が見える 感動した ああ奈良に来たと思った 今 手元のアルバムを見ると懐かしい
寝袋を持参して泊まったところが「興福寺」の境内 五重塔の近くの芝生 朝起きると何か騒がしい感じ 目を覚ますと鹿が一杯いたのには驚いた やばい 芝生は朝露で濡れていた 10日は鹿の角切の日だった 立派な角を貯えていた
興福寺の傍にある猿沢の池は興福寺の人工池である 舟を浮かべて観月したのだろう その頃の藤原一族は勢力が強大 興福寺も絶大な権力を有し都を支配していた 東大寺の聖武天皇の奥様の光明皇后も藤原家の出である 今は観光の面では東大寺にはかなわないが・・・ しかし日本最古の阿修羅像など国宝が一杯ある 見どころ満載である 現在 中金堂を再建中 平成30年には落慶するという 平城遷都1300年を平成20年に迎えた奈良はまだまだ奥が深い地である 中でも興福寺には目が離せない 興福寺=幸福寺といきたいものである
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