2022年8月16日火曜日

高松商業 ガンバレ

高松商業の応援に甲子園に行った 浅野翔吾吹いていて隣も空いていたので並んで観戦した

浅野君は1番センター 第一打席は警戒されて四球 第二打席はファールフライ そして第三打席は・・・右中間にホームラン 私の席からは左中間に見えたのだがどうしてだろう グングン球が伸びていちばん深いところに入った 実は動画を撮ろうかと思っていたところだったが失敗した 残念 第四打席に向ったところで動画はあきらめていたがこれがなんとまたホームラン これは速度が速すぎてあっという間にレフトスタンドへ 一応動画は取ることが出来た 第五打席は申告敬遠かと思ったら審判から取り消しのアナウンス 捕手が勘違いしたらしい 結果は死球 そして第六打席は左翼線に二塁打 猛打賞である

試合は浅野君らの大活躍で大勝した なぜ四番でなくて一番か 長尾監督によると一番はたくさん打席が回ってくるからだという 主将でもある 守備の時は帽子をとって一を丁寧に行っている リーダーシップもありそうだ 翔吾という名前もいい 秋山翔吾選手と同じである 顔は田舎の顔をしている 讃岐顔といえば讃岐顔 彼は今年のドラフトの目玉である 高松の怪童と呼ばれた大先輩の中西太さんを彷彿させる 身長は170センチらしいが体重は90キロ近い 足も速いらしい あのイチローさんの指導も受けたようである また礼儀正しい選手である 本当に楽しみな選手 3回戦も九州国際になんとか勝っていよいよベスト16 佐久長聖の投手は勝負して来なかった 次は近江高校との準々決勝 山田投手は勝負してくるので楽しみである 全員香川県の中学校出身で県立高校 他の代表が県外出身で私立の学校とはひと味違う高松商業に頑張って欲しい



2022年8月13日土曜日

高瀬舟の始発点は二条通り 南



鴨川から水路を引き 川の水を取り入れて作ったのが高瀬川 川というより運河である 慶長19(1614)年のこと この川が大阪との商売をつなぐ 行き交う舟を高瀬舟という 途中の西側にいくつもの引き込み口をつくりそこで荷下ろししていた 今残っているのはひとつだけである 一之舟入 日銀京都支店の裏にある 古い地図には南側に二之舟入 三と続く 全部で九つあった 作ったのが角倉了以なので別名 角倉川と言われる
角倉了以は嵐山の渡月橋をかけた人物でもある 豪商であったからお金はたっぷりあったに違いない この始発点の対面に自宅があった 今は「がんこ寿司」になっている このがんこの庭に鴨川を通した 先日のブラタモリで紹介していた
鴨川をよく観察してみると大きな川の両側に小さな川がある 西側の鴨川右岸は夏の風物詩の納涼床の下を流れている 丸太町の南から分かれる「みそそぎ川」と呼ばれている 五条大橋あたりで終点 東山の眺めもいいのでこの遊歩道は人気 東側の鴨川左岸は二条大橋くらいから始まる 琵琶湖疎水から南禅寺 平安神宮 岡崎を経て鴨川に合流している川である 左岸は長く続いて桂川と伏見区で合流 その桂川と宇治川と木津川が合流して淀川になって大阪まで流れている



 
 

2022年8月12日金曜日

桜紫会会報(関東・関西)22号が届く

7月に二つの会報が届きました 関東関西とも22号 関西は4ページ 関東は8ページ 共に興味ある記事が並ぶ なかでも関東の記事が多彩だった 
5年先輩の大作さんのフジテレビ元アナウンサーの大作さんの記事は目を引いた 徒歩で高松市からこんぴらさんまで徒歩で歩いた思い出 友人との出会いと今でも続く交友関係 小学生の頃からアナウンサーを目指しなさいとの恩師のひとこと 早稲田大学からフジテレビ 人気アナとして脚光を浴びるまで
また野球部OBの夏の甲子園の記事もあの日の思い出が詳細に書かれていた そういえば私も甲子園に応援に行っていたことを思いだした 昭和47年夏 準々決勝の柳井高校との闘い 3対4で敗れたことが記されている 鎌田投手の力投を思いだす
幹事長の泰彦さんの東京2020オリンピック・パラリンピックの都市ボラティアの記事も興味をそそるもの 残念ながらコロナの影響で大活躍は出来なかったものの志願した気持ちに勇気を頂きました

一方の関西 ここにも関西の桜紫会の発足の記事が黎明期として書かれていた なんと甲子園がきっかけだったとのこと 丁度50年前のことである 応援に集まった同窓生からが始まりである 私が関与したのは40年前から 朝日新聞のビルでの打ち合わせに参加したころである その後東京に転勤したので隆教さんにバトンタッチして関西とはお休みしていた 東京では関東桜紫会にお世話になった
関東も関西も今年は集まりをそれぞれ10月と9月に開催するという コロナ禍の中 今年は制限のない年になる さてどのくらいが集まるのか心配である 会費が1万円なのでそれにふさわしい会にしなければならない 
 

2022年7月28日木曜日

祇園祭(後祭) 鷹山 復活



祇園祭は7月1日の吉符入(きっぷいり)から31日の疫神社夏越祭(えきじんじゃなごしさい)まで1か月のお祭りである 一般の方は「山鉾巡行」が有名である つい最近まで17日の前祭(さきまつり)だけであったが最近は後祭(あとまつり)が復活して24日にも巡行がある 後祭りは前祭の逆を巡行する
復活といえば196年ぶりに「鷹山(たかやま)」が今年加わった そのことはマスコミでも取り上げられた 一番人気の鷹山を見ようと24日は大賑わいだった 
起源は869年とか 平安京の時代である 天変地異や疫病が頻発・流行しそれを鎮めるための祭りだった 富士山の噴火もこのころにあった
私が学生時代 丁度このころが前期試験の真っ最中だった 従って宵山も宵々山も見物に行く余裕がなかった 社会人になって楽しむようになった 会社時代と大学時代の先輩が新町に住んでいてある鉾の世話をされていた 先日テレビに出ていた 直ぐに電話をかけると今は理事長をしておられるとか この鉾は前祭に出ている
さて「鷹山」「ようざん」かと思ったが「たかやま」と呼ぶ 室町通りから西に入ると大勢の人が集まっていた いよいよ本番 御池通りに出る 辻まわしが出来るかどうか 関係者も観客も固唾を飲んでいた 直角に回すには3回のターンが必要 90度だから30度を3回 竹を敷いてその上を滑らす 上には人がたくさん乗っている 屋根にも 危ないと思う 車輪も木製である 無事に回って拍手 やれやれである 
ところでこの山と鉾 私は山車のようなものが山と思っていた しかし鷹山は山である 山車ではない 鷹山は鉾のように見えた しかし山である 正確には曳山という 鉾と山の違いは鉾の上には鉾のシンボルがついていること 例えば長刀鉾は長刀が飾ってある 一方 山は木があるだけ 飾りはない 山だから木があるのだろうか しかし鷹山にはキジが飾ってある 鷹の天敵のキジがあるのが不思議だ 
後祭の最後は大船鉾である これは面白い鉾である 船鉾という 屋根の上にではなく前に魚が飾ってある 珍しい形をしていた
京都人は歴史を誇りにしている 祭りを見てまた京の人を見て京都人はそんじょそこらの人とは違う矜持(プライド)があるような気がした 後祭はあとのまつりの語源になったとか あとのまつりを見てもつまらないということはなかった

2022年6月17日金曜日

宇治を散策





宇治は私が社会人になって正式に赴任した職場のある場所である 正確に言えば宇治市大久保 近鉄奈良線の駅付近である ここには陸上自衛隊があった 今もあると思う この近くの日産車体の工場を建設していた
宇治は京都と奈良の間にある人口17万人の都市 また源氏物語の宇治十帖で知られる歴史あるところ 平等院もあり平安京の都の奥座敷といったところだろう 
世界文化遺産の平等院鳳凰堂 宇治上神社などもある またお茶で有名 今日は曹洞宗佛徳山興聖寺にも足を延ばした まずは興聖寺 道元禅師のお寺 禅宗のお寺である 幾多の歴史を踏まえて1649年にこの地にやってきた曹洞宗の最古の道場である もともとは1233年に遡る 初めて訪れたがこじんまりとまとまった素晴しい寺院であった 山門に至るまでの琴坂という参道は新緑に覆われ青モミジが美しかった
曹洞宗の本山は福井の永平寺と鶴見の総持寺 そういえば新入社員の時に総持寺で座禅をしたことを思いだした 慶応でのプレイボーイの元之君が肩にタオルを入れて座禅に参加 肩を叩かれブシュという音がしたものだから本人はもちろん20名が連帯して叩かれる羽目になった えらい迷惑な話である 私は隣で坐禅をしていたものだから大笑いした 特に被害が大きかったのは覚えている
そういえば宇治の手前にも禅宗の一派である黄檗山万福寺の本山がある このあたりは適した地であっただろうか
宇治神社に足を延ばしてみた 兎が守り神なのか もともと宇治というのは兎道と書いたらしい 見返り兎が本殿に鎮座していた
歩いて直ぐのところに宇治上神社がある 本殿 拝殿とも左右非対称の造りは珍しい 世界遺産にふさわしい社に感銘した
宇治上神社の傍に流れる宇治川の対岸には平等院鳳凰堂がある 入り口を探していたら南門があった いつもは表参道の表門から入るのだが知らないうちに南門が出来ていた もう20年前からあったという 今日のお目当てはミュージアム鳳翔館 しかし館内は暗くて狭かったのが残念 平等院のお宝なのでやむを得ないがイマイチだった
鳳凰堂の中に入るには別料金で大勢の人が一斉に入って行った 阿弥陀如来は何回も見たことがあったので今日は見物をしなかった
宇治の大久保には約1年いた しかし平等院以外は行ったことがなかった 今回ゆっくり見物出来て良かった 天気が曇りだったのが残念 途中雨宿りした 軒下の家の方から古いですが傘を差し上げましょうと声をかけられた 京都人は「いけず」が多いのに驚いたというのが印象に残る出来事だった

2022年5月8日日曜日

2年ぶりの高松 その2








栗林公園駅で駅員に「ウクライナカラー」の電車(2両のみ)のことを聞いたら今日は走ってないという返事 土曜日くらいは運行して欲しいと伝えた 途中 仏生山駅の基地で見かけた ものすごく揺れる電車に乗って陶駅で下車 そこで綾川町の公営100円バスに揺られて目的地まで セルフの山田うどんに向う「しょうゆうどん・かき揚げ・赤飯」を注文してゆっくり昼食 さすが讃岐うどん 安くて本当に美味しい あまり情報誌には載っていない店である 超有名店「山越うどん」が近くにあるのでここまで来ないのだろう
その後 菩提寺の納骨堂に1時間ほど滞在して公営バスで陶駅まで タクシーなら1800円もかかるのに100円で済むとは有り難い この菩提寺 同級生の久さんと同じだった しかも高校の後輩が親から継いでいる 親父さんも母校の定時制の先生だった
陶から築港まで 玉藻公園の入り口はフラワーフェアとかで賑わっていた タモリのポスターがあった 桜馬場に行くと新しい門を作っていた ブラタモリで紹介があった「水手御門」も見学 干潮のため海水はなかったのが残念 満潮の時は海水が満ちているだろう ここから瀬戸内海に出たという門
高松港の浮桟橋にもお邪魔してみた 昔と変わらない 今は「瀬戸内芸術祭」が開催されている そのためか人が多かった 
サンポートタワーにも寄って30階の展望室に上がった ガードマンに聞いて屋島の側に回ると絶景 女木島 小豆島 屋島が目の前にある 中央通り 紫雲山 大都市である 下に降りると駅前では再開発 徳島文理大学も駅前に出てくるという 高層マンションも市内中心地に建設されている 建設ラッシュである
高松城の復元も計画されているという 1587年築城の全国でも珍しい水城 我々には高松城と呼ぶより玉藻城の方が似合う 現在の公園の面積は2万4千坪 もともと20万坪もあったので今は八分の一になっている 栗林公園が23万坪だからほぼ同じ面積 そういえば 今でも高松駅の周りは西の丸という地名が残っている
玉藻は柿本人麻呂から伝わることばである 万葉集に収められている人麻呂の歌「玉藻よし 讃岐の国は国柄か 見れども飽かぬ神柄か」意味は玉のような藻の美しい讃岐の国は国の由来ゆえか見ても飽きないことだ 神々しいゆえかなんとも貴いことだ という 700年前後に坂出の島で詠んだ句である 高松で詠んだわけではない この瀬戸内海は藻が多かったらしい のどかな讃岐の風景が目に浮かぶ 今回の一泊二日の旅 有意義な時間を過ごしたと思う





 

2年ぶりの高松 その1








29日に大学時代の集まりがあって高松に出掛けた あいにくのお天気で雨が降りやまず バスも雨と渋滞で遅れた 松山の友とは「ステーキ千萬」で待ち合わせ 10分くらい遅れた 友は高松高校から大学に進学 ゼミで初めて知った友人である 千萬は上ちゃんが教えてくれた 老舗のステーキハウスである 以前は数回行ったことがあるがそれは会社の経費で今回は違う ランチで3000円ちょっとの本格的なステーキ 一通りのコース料理で友も満足 私も満足 
久しぶりに大学の先輩・同期・後輩と会った ここでは思いがけぬ出会いがあった 不思議な縁があったのには驚いた 残念ながらこの日の懇親会での会食は中止 茶話会に変更となった 終わるころには雨もあがった 女木島も美しかった
定宿にチェックイン 夜の高松商店街を歩いた 若い人の行列は「骨付き鳥」の店ばかり 高松も感染者はどのくらいだろうか マスクの仕方とか密をみると怖くなった 商店街は店も閉まっているので人はまばら クリスマス?のようなイルミネーションがあり驚いた
翌朝の朝食はコロナ対策をしたうえでの営業だった 6時30分からのオープンには行列が出来ていた うどんや醬油豆がおいてあった 
10時には琴電で菩提寺に行くことにしていた それまで時間はある 久しぶりに栗林公園でもバス停まで行ったが適当なバスがない 歩くしかない そうだ 先日のブラタモリで紹介していた「大井戸」を見て行こうと思い足を運んだ この道は知らなかった 確かにありました そういえば他の井戸(今はない)の内 亀戸は今の地名亀井町につながっているのかな?
商店街を抜け秋山先生宅から松下うどんに寄り公園北門から入った 栗林公園の開園は夜明けから日没まで 今も続いている 現在の原型は1625年頃に出来たという 生駒高俊公の手によるもの その後 松平頼重公に引き継がれ明治維新に至るまで228年松平家11代の下屋敷として使われた 総面積は23万坪 日本一の公園と思う
公園から歩いてすぐの母校に立ち寄る 新校舎は完成した 今は体育館を建設中 再来年3月に完成するという 土曜日だったので授業は休み クラブ活動で生徒たちがいるのが見えた 玄関を入って右に図書室があった あまりうろうろしては不審者として通報される 今日はこのあたりで失礼  体育館が出来るとまた雰囲気も変わるだろう 立派な校舎であることには間違いなし 琴電栗林公園駅に向った