2023年6月15日木曜日

うどん県 





うどん県 やはりうどんが美味しい しかも安い セルフの山田うどんで780円 おでん2・かまたま・赤飯 綾川町 片原町商店街のさぬき麺業の天ざるうどんで980円
 

最後の同窓会に出席



 6月9日金曜日高松にて開催された 5年ぶりである また今回が全体では最後という同窓会 5年前は89名 今回は62名の参加 13組あったから50人として650人くらいの卒業生だから約1割といったところか 1組10組13組はゼロ 3組と12組は1人とどうなっているのだろうか 5年前は全部のクラスから出席はあったのに
我が4組は8人 しかし上には上がいた 9組は11人 素晴しい
          

2023年5月7日日曜日

最後の合同同窓会の案内

 



6月9日金曜日に最後の同窓会を開催するという案内が届いた 今回の同窓会をもって役員団の解散を行い最後の同窓会とさせていただきます とのこと 寂しいがやむを得ないと思う 

考えてみれば私たちももう良い年だ 厚労省によると健康寿命が2019年では男性72.68歳 女性が75.38歳となっている 健康寿命は最近では男性の伸びが目立っているという 一方平均寿命は男性が81.41歳 女性が87.45歳 数年前には男性が79歳 女性が86歳と言っていた この覚え方はご主人が亡くなると「泣く」ので79 女性はしばらくは泣いているが時間が経つとさあ「やろう」となるので86(やろー) と落語のマクラで聞いたことがある たいていの女性は年上の男性と結婚しているのでご主人の介護をされている方もあろう また男性は健康寿命を過ぎているので施設に入ったりしている人もいるだろう もう年老いた姿をお互いに見たくないという気持も分かる

そういうわけで今回を最後にしたのだろう 知る限りでは我がクラスも鬼籍に入った人が男性で3人 女性が4人もいる また担任の秋山幸造先生は3月に97歳でご逝去されたとの訃報も入った 今回高松でお会いできることを楽しみにしていたのに残念である ただ関西でのお正月のクラス会は「最後」という声はなくて今後も継続する予定です

追伸 先日発表のあった2020年の平均寿命のトップは男女とも川崎市麻生区 男性が84.00歳 女性が89.20歳であった アッソーと言いたい



2023年5月3日水曜日

若草山を制覇する



五月晴れ 若草山を目指した 周辺の東大寺 春日大社は何回も行ったことがある しかし若草山は山麓を歩くだけ 上に登ったことはなかった 何故だろう 今回は思い切って頂上まで登ると決めた

近鉄奈良駅から徒歩で向かう 大勢の観光客 若草山まで向かうのには距離がある 県庁前のバス停をみると100円バスがあった 直ぐに来たので乗るとこれは大仏前の駐車場まで そこで乗り換えて若草山の麓までバスに乗る ようになっていた 予定通り麓でバスを降りる 入山料150円を支払い南コースから登る 整備された階段を上がると眼下に大和平野が広がる 大仏殿がひときわ大きい さらに急な階段がある 300段はある感じ 数えて上がる ここが頂上?と思ってみたらまだ奥があった                   なにしろ342mだからまだまだ 若草山は三笠山とも言われる 三段重ねの山であるが故にそう呼ばれる 頂上と思ったところは一重の頂上だった 先を多くの人が歩いているのを目指した 長い長い道のりだった ようやく二重の頂上に辿り着く

まだ奥に展望台のようなところへの道が続いている 上まで行くか ここで帰るか 一瞬迷ったがここまで来たら初心貫徹しかないと決めた 先は見えている 手すりもある ようやく三重まで登ることが出来た 頂上の表示があった 天王寺高校の1年生が遠足に来ていた 男女別々のグループに分かれて楽しんでいた 他にも小学生の一団がいた みんな元気だなとつくづく思う 奥を見ると古墳がある 鶯塚古墳の看板 清少納言の「枕草子」にも出てくる「うぐいすの陵」にあたるといわれ古墳の名前もこれに由来していると書いてあった

下山は北コースで降りる これもきつかった 小学生の遠足かな 最後の生徒は泣きながら先生に付き添われていた 少し肥満系の生徒 苦しそうだった

屋島は292m 歩いて上り下りしたことは何回かある 若草山は全山芝生に覆われた山なので登りやすかったがこの年になるとやはりしんどかった



 

2023年4月21日金曜日

伏見稲荷 千本鳥居の先へ



初めて稲荷山に登った 233mの頂上まで延々と鳥居が続く 驚いたのはそれだけでない なんと外国人ばかり 9割が外国人 京都観光で最も人気の観光名所である パワースポットのように要所要所にお宮がある 頂上まで登ることを「お山する」と地元の方は言う 往復約2時間コース かなりしんどい 
歴史は711年和銅の時代に始まる 平安京遷都までに京都はかなり栄えたところであったのだろう 秦氏 加茂氏 八坂氏 粟田氏 小野氏などが支配していた それらの氏族は上賀茂神社・下鴨神社 松尾大社 伏見稲荷大社 蚕の社 広隆寺 八坂神社 法観寺(八坂の塔)粟田神社などを創建した 伏見稲荷大社もそのひとつ

昔はこの伏見まで市電が走っていたのを思いだす そのときは何回かお邪魔した しかし「お山する」ことはなかった そのころは千本鳥居もあったのかどうか

門前町に毎日お店が出ている 雀の焼き鳥は覚えている あの姿そのものだった 昔から有名なのが「いなりずし」「おいなりさん」である 鳥居の前に如何にも古いお店がある 「祢ざめ家」さん なにしろ秀吉が名付けたから相当古い 母親の病気回復祈願に早朝に伏見稲荷に参拝したがどこのお店も閉まっていたが・・・一軒だけ開いていたのを秀吉が見つけてお茶を頂いた 眼が覚めたのか「寝ざめ家」と名付けた 寝は祢祢の「祢」にしたとある 500年近い由緒ある「祢ざめ家」でおいなりさんを注文 1個150円で ランチは7個で1050円 麻の実入りで美味しかった 


 

2023年3月31日金曜日

源氏物語ゆかりの石山寺へ



 本堂の近く多宝塔の前に大きな奇岩がある 石山の名の出た石で硅灰石と呼ばれている 天然鉱石である 珍しく天然記念物となっている なるほど石の山か?びっくりするような奇岩で驚く 迫力満点である タモリに見せたい景色である 縁起によると天平19年良弁僧正によって開基されたとある 聖武天皇の時代だから奈良時代 平安遷都の前には存在していたのだ 琵琶湖につながる瀬田川の近く 山の麓にある大きな寺院 滋賀県では最古の木造建築物である

しかし 何といっても有名なのは紫式部が源氏物語の構想を練ったり書いたところであるということ 勿論ここだけで書いたわけではない 京都市内の紫式部の邸宅の蘆山寺も有名 何故こんな石山のような辺鄙なところでと思うかもしれない そういえばこの上流には宇治がありこの石山とは近い 当時の宇治は藤原道長時代 貴族の別荘が宇治に点在していたという 紫式部が光源氏亡き後の宇治十帖を書いたかどうかは不明であるが位置的には理解できる
紫式部や源氏物語については様々な人が研究しているので興味深い 平安時代中期の生まれという説 西暦でいえば970年頃 職業は作家・歌人・女房(女官)20歳上の藤原宣孝と結婚するも3年で死別 その後 源氏物語を書き始めたとある 時の権力者の藤原道長の眼にとまった 両親も文人である 都での生活を詳しく小説にしたのだろう 紫式部の少し前に生まれたのが清少納言 枕の草紙である 二人はそれぞれ皇后に仕えライバル関係にもあったと言われている

この石山寺は近江八景のひとつで「石山秋月」石山寺から見る秋の月は絶景だろう 近くには「瀬田の夕照」がある ついでに言えば「粟津の晴嵐」「三井の晩鐘」「唐崎の夜雨」「堅田の落雁」「比良の暮雪」が大津市にあり残りひとつが隣の草津市の「矢橋の帰帆」が近江八景である 近江八景と言っても今は知らない人が多い 落語にもあるが演じる人は七代目松喬さんくらいである

山科から浜大津へ 桜散策




京都山科の疎水の桜は特に有名である 疎水の傍の遊歩道に咲いた桜が満開となっていた この時期の菜の花も満開で黄色と桜色の共演は素晴らしい 
山科駅で下車して北に向かう 疎水まで10分くらい 大勢の人が毘沙門堂の桜を楽しみにしている ここは初めて 紅葉でも有名なところ 途中に疎水をまたぐ 勢いの良い水路に遊覧船が通る 数年前に南禅寺まで乗ったことがある 
毘沙門堂の正面階段はきつい 勾配が40度くらいか ようやく本堂に到着 枝垂れ桜が大きい 見事な枝ぶり 素晴しい ただ数本しかないのが残念 仁和寺の御室の桜とは少し雰囲気が違う 
JR山科駅に戻って隣接している京阪電車山科駅から浜大津に向う 久しぶりの浜大津 大きな建物やマンションが建っている リゾート地のような光景 人の姿はないが大きな町になっていた 浜大津から比叡山坂本に向かう 坂本には有名な蕎麦屋さんがある 「鶴喜屋」さん 店頭には20人くらいが待っていた 予約を入れたのだがNO 順番に案内するという 店の混雑を見て納得した 店も大きいので回転は速く20分くらいで店に入った
一番高い「天ぷらそば定食」を注文した やはり蕎麦はいける 天婦羅も美味しい ボリュームもある
この坂本は比叡山へ登るケーブルカーも出ており日吉大社もあり門前町で賑わっている 桜並木も綺麗で素晴しい光景を眺めた それにしても大勢の観光客 平日なのにコロナもまだおさまっていないのに・・・平和な日本である