2017年12月31日日曜日

追悼 直行君

幼稚園から小学校 中学校 高校 大学まで同じだった直行君の訃報を一郎君から聴いたのは今年7月だった 旅行中だったので千葉で行われた通夜・葬儀告別式には参列出来なかった その後お供えを送った 奥様からは彼の絶筆である「甦る」という色紙が送られてきた 7月23日とある 奥様は「主人の絶筆に今も支えられています」と書いていた
彼とは1969年に大学卒業後 就職してからはすっかり疎遠になっていた 彼は大手スーパーに入って関東・東北地方で活躍していたと聴いている その後 不況の波に飲み込まれて会社はなくなってしまったのである
彼と再会したのは2001(平成13)年3月 東京銀座にて 実に32年ぶりであった 55歳ながら白髪となっていたが相変らず元気印そのものであった 東京駅で酔っぱらって大声で軍歌を歌い駅員に補導された彼の武勇伝は一郎君から聴いた たしか秋田か新潟の店の店長をしていたとか リーダーシップの片鱗は幼い時からあったと思う 病床で「甦る」という色紙が彼らしいと思う
この日の東京での同期会は私が段取りしたもので22名集まった 1月の予定が大雪で中止となりこの日に順延したものだった 同じ光洋中学出身の7名のスナップ これには映ってないが弘文君も参加していた 女性陣が4名もいた 悦子さんは分かるのだが 他は不明 通代さん マサ子さん 桂子さん 禮子さん 節子さんのいずれか
今年は大学時代に同期だった忍君も亡くなった 同じ下宿で隣同士であった彼 ひとつ上だったが先輩面もせず良く私の話をよく聴いてくれた 山本周五郎が好きで本をよく読んでいた 私も借りてすっかり周五郎ファンになった 二人のご冥福を祈る


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