2018年8月18日土曜日

太っさん レジェンド始球式






我らが13年大先輩の中西太さん(愛称:太っさん)が18日に甲子園のマウンドに立った 85歳の雄姿である この目でどうしても見たかったがチケットが取れず断念 テレビで拝見した 香川大会の始球式とは違って山なりのボール 捕手まで届いて拍手喝采だった (日刊スポーツの写真を拝借した)
第100回全国高校野球選手権記念大会 レジェンド始球式 実は90回の時も太っさんはマウンドに上がっている その時は知らなかった 今回は香川大会でも始球式と激励の挨拶を行っている 
16日に甲子園に行った 済美と高知商の試合を観戦 乱打戦かと思いきや投手戦となって9回裏の高知商の猛攻をしのいで済美の勝ち あの「やればできるは魔法の合言葉」の校歌を聴いた 
隣のおっちゃんが声を掛けてきた かなり詳しい高校野球ファンだった 中西太さんの後輩だと言ったら「高松一」ですかと即回答 毎年外野席で観戦するのが楽しみと言う 今回から外野席は有料(500円)となったがそのくらいは影響なし こういうファンは多いのだろう 何より「高松一」を知っていたのは嬉しい
母校が甲子園に出るのは至難の業だろうが「策」はある 大西市長が丸亀高出身なので無理かもしれない 市が監督を公募したり特進コースを設ければ出来るのだがどうだろうか 卒業生としては強化策を期待する

2018年8月15日水曜日

秋山先生 祝93歳


秋山先生は8月19日で93歳になられる 1925年 大正14年生まれ 「先生お幾つになりますか」と聞くと「昭和と共に歩んでいるよ」と先生はいつも笑って答えられる 
「九十歳 何がめでたい」という佐藤愛子さんのエッセイがあった 佐藤さんは大正12年生まれとか 確かに加齢で足が弱くなり段々衰えていく姿に何がめでたいという気持ちは分からないでもない 70歳代はそうでもないが加齢の影響は少し感じることがある
6月の同窓会の翌日に先生宅を訪ねた いつもながら先生の記憶力には「脱帽」本当によく覚えておられる 先生から頂いた「自分史 ハードルを越えて」は先生の波乱万丈の一生が綴られている 秋山家の「ファミリーヒストリー」が丁寧に描かれている その中には3人の恩師(宮崎先生 森崎先生 岡崎先生)に対する感謝の念が伝わってくる
先生が鶴屋町尋常小学2年のとき、大きな悲劇が起こった 右眼に針が刺さって失明 中学には希望の高中(現在の高松高校)への入学が失明しているとの理由で断念 一中(高松一高)へ入学 卒業後は高等師範学校に入学し英語教員になる夢をあきらめ 高松高商(香川大学)に入学 昭和19年(2年時)に学徒動員 その後「赤紙」が来て昭和20年1月に軍隊に 満州の部隊に配属 6月には内地(高知)に配属 そして8月に終戦を迎える 
ところが高松高商は9月末付で卒業扱いに 恩師からの勧めで東京商大(一橋大学)への推薦入学も出来たが家庭の事情で叶えられず就職 その後直ぐに恩師森崎先生の勧めもあって昭和22年4月から屋島中学に赴任 教員としてのスタートを切った 
そして昭和27年から62年までは母校の高松一高の教師として奉職 自分史では先生の教育に対する熱い思いが心に染みる また戦争に対する怒りも伝わってくる 今日終戦記念日を迎える 絶対に戦争はしないという宣言をすべきである


2018年8月3日金曜日

関東桜紫会会報 第18号届く

関東桜紫会の会報 2年下の泰彦さんから毎回送って頂いている 感謝 彼は幹事長として関東の桜紫会を縁の下の力持ちとして支えている たいしたものだ 東京に勤務していた関係で関東の同窓会には数回参加したことがある 最近では4年前の2014年11月に参加 その時は直行君も元気だった 一郎君は今も役員として活躍している
関東の会は2年に1回 ただし会報は毎年発行している その会報で活躍している卒業生を掲載している 特に音楽家が多い 高校を卒業して芸大とか音大に入学 卒業後も音楽の世界で活躍している もちろん同窓会でも演奏する
記事の中で9月29日(土)に高松で創立90周年記念式典・記念講演会を開催するという案内があった 午後からは記念祝賀会とある 事前申し込みが必要とあったので早速申し込みをした なんとゲストはウッチャンナンチャンの南原清隆(昭和58)放送作家の小西マサテル(昭和59)とある 小西さんはよく知らないがナンチャンの1年後輩で落語研究会の後輩らしい 「落研」があったのか たぶんナンチャンが造ったのだろう
ナンチャンを初めて見たのは東京銀座東芝ホール たまたま銀座を歩いていたら「若手のコント」が開催されていた 1988(昭和63)年だったと思う 内海桂子・好江師匠も出演していたのを思い出す 川崎にあった横浜放送映画専門学院の卒業生の会のような気がする 内海師匠はそこの講師 好江師匠は61歳でご逝去されたが桂子師匠は御年95歳とか
その日は多くのタレントの卵が出てきた とりわけウッチャンナンチャンのコントは爆笑だった ファミリーレストランでのコント 一人の客と店員の会話 ここはファミリーレストランだから家族のお店で一人は駄目とかなんとか コント55の再来かと思った お客さんも爆笑の渦 ドカンドカンと これはシティ派コントというらしい コンビニとかレンタルビデオでの会話もある 今で言う場面場面での「アルアル」ということか観衆の共感を呼んでいたと思う
それから約30年余りの活躍はたいしたもの まさか後輩とは 是非お近くでお会いしたいと思う