秋山先生は8月19日で93歳になられる 1925年 大正14年生まれ 「先生お幾つになりますか」と聞くと「昭和と共に歩んでいるよ」と先生はいつも笑って答えられる
「九十歳 何がめでたい」という佐藤愛子さんのエッセイがあった 佐藤さんは大正12年生まれとか 確かに加齢で足が弱くなり段々衰えていく姿に何がめでたいという気持ちは分からないでもない 70歳代はそうでもないが加齢の影響は少し感じることがある
6月の同窓会の翌日に先生宅を訪ねた いつもながら先生の記憶力には「脱帽」本当によく覚えておられる 先生から頂いた「自分史 ハードルを越えて」は先生の波乱万丈の一生が綴られている 秋山家の「ファミリーヒストリー」が丁寧に描かれている その中には3人の恩師(宮崎先生 森崎先生 岡崎先生)に対する感謝の念が伝わってくる
先生が鶴屋町尋常小学2年のとき、大きな悲劇が起こった 右眼に針が刺さって失明 中学には希望の高中(現在の高松高校)への入学が失明しているとの理由で断念 一中(高松一高)へ入学 卒業後は高等師範学校に入学し英語教員になる夢をあきらめ 高松高商(香川大学)に入学 昭和19年(2年時)に学徒動員 その後「赤紙」が来て昭和20年1月に軍隊に 満州の部隊に配属 6月には内地(高知)に配属 そして8月に終戦を迎える
ところが高松高商は9月末付で卒業扱いに 恩師からの勧めで東京商大(一橋大学)への推薦入学も出来たが家庭の事情で叶えられず就職 その後直ぐに恩師森崎先生の勧めもあって昭和22年4月から屋島中学に赴任 教員としてのスタートを切った
そして昭和27年から62年までは母校の高松一高の教師として奉職 自分史では先生の教育に対する熱い思いが心に染みる また戦争に対する怒りも伝わってくる 今日終戦記念日を迎える 絶対に戦争はしないという宣言をすべきである
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