2024年11月4日月曜日

高松市内散策 自転車にて







会員の集いの翌日 久しぶりに市内を散策 自転車を借りる これをスマホで操作する 面倒くさい 以前は担当が居たのに今は無人化 時代を感じる つまりスマホがないと借りることは出来ない このアプリは高松だけでなく他の都市もやっているようだ

まずは必ず立ち寄る栗林公園 ここは大学時代にアルバイトをしていたので懐かしい 北口から入る そうだ今日は船を乗ろうと思った 予約をする 定員は8名 船頭さんが「どこから来たんな」と声を掛けてくる この船は13年前からとのこと 船頭さんは英語も駆使して約30分回る 太鼓橋や掬月亭を見ながらのんびり 紫雲山は260mあるそうな 特別名勝栗林公園 国の「特別名勝」に指定されているとのこと 紫雲山があってそれを借景にしている 初めは生駒藩の大名庭園だったとのこと その後松平藩へ いろいろ説明してくれた

次は商店街を自転車で押しながら歩く 未だに禁止の自転車で回る人がいる 困ったものだ 田町から南新町 丸亀町 兵庫町へ 商店街の広場には「綱引き」イベントが行われていた 黒山の人だかり 片原町とライオン通りは昨夜歩いたから殆どの商店街は征服した

そして駅に 駅前広場では大勢の市民が集まって獅子舞や踊りのイベントが行われていた なるほど昔とは異なる風景だ 駅前でこのように集まるのは珍しい また商業ビル「オルネ」もごった返していた

そしてここまで来ると赤灯台まで行かなくては・・・大的場にも行きたい・・・といううことで遠回りして港を眺める 屋島 女木島 男木島 瀬戸内海の多島美は素晴しい またアリーナも建設中 ここでどんなイベントが行われるのか?楽しみ 

徳島文理大の新校舎も完成 どんな授業が展開されるのだろうか? ますます発展する高松 人口減少の中で町の発展を祈念したい
 

令和6年度 会員の集いに参加




何年振りだろうか?8年ぶり?前回は2016年?中西太先輩がゲストだった 太先輩が昨年亡くなり ここにいないのが悲しい 先日 銅像の寄付をしたので銅像の完成を待ちたい なにしろ小学校・中学校・高校の大先輩である
今日は150名くらいの出席だろうか?若い人が多い というのも平成5年・6年が幹事だそうで活気を感じた
まず小松玲子さんのサヌカイトの演奏がメイン 最初に素晴しい演奏があった サヌカイトのことは知っていたがそれを演奏で聞くとは 貴重な音楽会であった

あとは、飲食 正直言って「イマイチ」の料理 一人当たり1500円から2000円くらいの感じ がっかりした これなら「うどん」の屋台でも良かった

しかし我々のテーブルは昭和40年卒 41年卒 42年卒が各2名 計6名のテーブル
ちょっと少ない 話は盛り上がったが
全体的に見てやや物足らない感じがしたのは私だけでしょうか?企画に工夫がなかったのは残念 満足度は40%



2024年10月20日日曜日

桜紫会会報 第69号届く

10月に入った 桜紫会の会報が届いた 内容は新しい校舎のことが中心 令和6年3月に体育館棟も完成しこれで新校舎も含めて全て竣工とのこと 昨年見に行ったときは体育館の建設中だった 今はもちろん同窓会館も完成 寄付者の名簿も同封されていた 4組は多かった 嬉しい
中西太先輩の銅像の寄付金のご案内もあった もちろん賛同 懐かしの中央球場跡の公園に銅像が立つ 今は三原・水原さんの銅像が立っているがその近くに立つ 楽しみだ 私とひとまわり下の卒業生の池川直先生が制作されるのも素晴しい
新しい校長先生の紹介もあった 女性の校長先生 生徒ひとりひとりを大切にする学校にして欲しい
また11月2日には高松で「会員の集い」が開催されるとのこと 久しぶりに出てみたい 何年ぶりかな 確か中西太さんが来られていたので5年くらい前かな その時は同期が1名出席だった たぶん今年も少ないだろう もう私もそろそろ卒業する年になってきた
また 今回は会費の変更についてもお知らせがあった 終身会費から年会費への変更 これでますます会員が減るだろう また関西・関東で入会している人は今回のような桜紫会会報は希望者のみ送付するとか?少し変だと思う 自動的に送付出来ないものか?
会費問題はどこの組織でも同じ 毎年会費をお支払いするのも手間がかかる なんとかならないものか 慎重に考える必要がある



私のところには毎年 関西桜紫会の会報が届く また以前参加したことがある関東桜紫会の会報も後輩から届く
 

2024年3月20日水曜日

秋山幸造先生一周忌


2023年3月4日に秋山幸造先生がご逝去された 3月で1年になる 訃報は娘さんから昨年四十九日の法要が終わってから頂いた 大正14年8月生まれだから97歳だった 小学校3年生の時に右目を失明 この失明が人生を大きく変えたとある 先生から頂いた「自分史 ハードルを越えて」にはその生々しい記録がある 

大正14年 秋山家の四男として生まれる 敬愛幼稚園から鶴屋町尋常小学校 高松一中(5年制)へ 失明ということで第一志望の高松中学には入学できず 昭和17年高松高商に入学 昭和19年に赤紙で満州に学徒出陣 昭和20年に敗戦 高松高商は9月末で卒業となっていた 東京高商(一橋大学)への進学を希望するも家庭の事情で断念

昭和22年3月に屋島学校に奉職 昭和23年10月に高松第二高校 昭和24年4月に光洋中学を経て高松第一高等学校には昭和27年4月から昭和62年3月まで35年間勤務 英語の他に数学 商業 社会科などを担当したが一高では英語のみ

我々が入学した昭和37年度からは39年度まで持ち上がり担任 この時期だけが持ち上がりだった 我々の世代は不思議に「縁」があったと思う だから先生にとっても気合が入っていたのだろう

先生には生涯の恩師がいる 高松一中時代の宮崎秀一先生 なんとあの宮崎先生の親戚筋 森崎隆先生(京都帝大 英文科) そして岡崎隆先生(東京帝大 英文科) 岡崎先生は同じクラスだった「きよ」さんの父である 特に岡崎先生のことは良くお聞きしたことを覚えている 昭和38年にご逝去されたのは秋山先生にとって大きなショックだったと思う

写真は1994年(平成6年)68歳頃の写真(桂子さんの菊池寛賞受賞祝いでの祝辞)


2024年3月19日火曜日

最後の大阪クラス会

4年ぶりに開かれた3年4組の大阪でのクラス会 実に49年続いたこの会も今回でお開きとなった 勇さんの話によると昭和50年が第1回とか 勇さんや弘幸さんが声を掛けた

その頃は大阪に10数名はいたと思う 亡くなられた泰輔さん 千恵子さん 今日欠席だった恵さん 惟彦さん 和生さん 美子さん 一子さんを入れれば最大15名 最近では他のクラスの方も呼んで会を開いた 最初の頃は1月15日成人の日に曽根崎の喫茶「アメリカン」に12時に集合 そこから居酒屋に乗り込んだ 何故か一度だけ北新地に行ったことがあるのを覚えている

最近は「がんこ」が会場となり時間もお正月の第2土曜日となり幹事も持ち回りになった 最後の会は常連の8名と高松から女子1名 10組から女子1名の計10名となった 和生さん 惟彦さん 恵さんが体調不良で欠席 出席者の中にも様々な病を持っておりようやっと生きている感じ 互いの病名を披露し治療法を伝授しました

女性は皆元気 長生きは常識 何故か 岡山大学名誉教授である辻孝夫先生の「めざせ! いきいき100歳人」によれば ①男性より女性の方が抗体ができやすく強い抗体ができる ②女性ホルモン(エストロゲン)が抗体をつくる働きを強める ③女性の方がB細胞の活性が強い ④性別による寿命差に免疫機構が大きく関与 ⑤T細胞系免疫にかかわる胸腺の機能低下は男性の方が早い ⑥ナチュラルキラー細胞の活性は女性の方が強い が免疫学的に明らかになっている事実だそうです(②と④はまだ良く分かってないが)