2026年7月2日木曜日

五条大橋付近散策 7月







五条と言えばあの五条大橋 しかし京都五条河原町はあまり行かない 商業施設もないし観光名所もない 私自身馴染みがないところだ 人出も少ないと思っていた・・・     しかし京阪電車の駅は「五条」から「清水五条」にしてから観光客は増えた 清水が良かったようだ 同じように四条も祇園四条と変わり祇園が入った 
駅を降りると大勢の外国人がたむろしていたのにはビックリ 円安の影響で京都はどこに行っても外国人 インバウンド(外から中に入ってくる)である
五条大橋では弁慶と牛若丸の石像が飾られている 二人の対決は室町時代に書かれた「義経記」でありフィクションである
実際は五条大橋の上流の橋の「松原橋」がその舞台である 当時 五条には橋はかかってなかった 今の松原橋は狭い道なので広い五条大橋に弁慶と牛若丸の石像を置いたのだろう 

松原橋は清水寺につながる橋で要所 今は東西の通りを丸太町から南に五条までを京のこどもたちは「丸竹 夷二 押御池 姉三 六角 蛸錦 四綾 仏高 松万 五条」というが四条通りから4つ南の松原通りを真っ直ぐ東に向かうと六波羅密寺 六道珍皇寺、そして清水 清水の南に向かうと埋葬地の鳥辺野 悲田院 たぶん平安時代はこの辺りは人通りの多いところだったのだろう         今回散策の目的は「市比賣(いちひめ)神社」の参拝と綺麗になった「高瀬川の散策」大河ドラマで京都の大学生の雅楽の聖地として「市比賣神社」が取り上げられていたので、どういうところか興味があった なんとマンションの下に神社はあったので驚いた
祭神は全て女性であるから、ここは女人守護とのこと 男性はふさわしくないようである
ただもうひとつ「市場の守護」でもあることから京都中央市場の方も来られるという それも市場の中に分社があるからだという
地下水も湧き出ていた「御神井 天之真名井」(あまのまない)高瀬川は「菊浜地区」の方のご努力で市が整備し昨年完成した 綺麗になっている                                    
またこの地は源氏物語で出てくる主人公の光源氏のモデルとなった「源融(みなもとのとおる)」の邸宅があったところでもあり立札もあった 京都人でも滅多にいかない五条河原町だけに有意義な旅であった



2026年6月21日日曜日

大山崎山荘美術館 6月





京都府乙訓郡大山崎町にある美術館 阪急大山崎駅から送迎バスに乗り、直ぐのところにある 大正時代に建築 大阪の富豪である加賀正太郎氏が別荘として建て、その後売却する予定だったがアサヒビールの山本為三郎氏が買い取って美術館にしたという 別荘には夏目漱石も訪れたことがある

歴史的には1582年 秀吉が光秀を破った「山崎の戦い」がこの地である 天下分け目の天王山と言われている 天王山は270メートルの山 山から見下ろすと木津川・鴨川・桂川がここで合流して淀川になるところである 向かいの山は男山 石清水八幡宮がある

小さいが素敵な佇まいである 庭には蓮の花 半夏生が咲いていた 特に蓮はモネの作品を連想する赤い可愛いお花だった 半夏生も珍しい くちなしの白い花があれば尚良かった

とても手入れが行き届いている 平日なのに多くの方が訪れていた 山本為三郎氏のコレクションが多くある この期間は「民藝」の河井寛次郎と濱田庄司の作品を飾ってあった いずれも素晴らしい作品 益子焼の濱田 安来出身の河井は京都で活動 お互いが刺激し合って作った民藝の品 それがお目当てだった 

今年は民藝100周年の年 各地でイベントが盛んである 柳宗悦氏に加えて鳥取の吉田璋也も民藝を起こした人物として有名 そういえばウチの親父も器には興味を示していたことを思いだした  今度京都に行くときは茶碗を探してみよう 

また地下の美術館にはモネの睡蓮の絵が多数 安藤忠雄の設計というのはすぐわかった 直島の地中美術館と同じ雰囲気である

アサヒビールの文化事業としては有名な美術館 入口のトンネルをくぐるというのも雰囲気を出している これまでもいい企画をしているので今後も注目したい
 

2026年5月21日木曜日

初めての葵祭  5月





 5月15日は葵祭 京の三大祭りのひとつ 御所の建礼門院からスタートして下鴨神社 上賀茂神社を歩く 歩く もともとは上賀茂神社・下鴨神社の例祭である ルーツは平安時代とからいう 欽明天皇の時代だから800年初め これが応仁の乱まで続いて中断 元禄時代に再開したという
応仁の乱とは 室町時代 足利義教が殺されたことから始まった11年間の争い この乱には伯耆の国の山名宗全氏もかかわっている

このお祭りを観るのは初めて さてどこで観ようか スタート地点の京都御所?下鴨神社?上賀茂神社?やはりスタート地点の御所かな 有料観覧席が設けてあった 2万円から5千円まであった 雰囲気は下鴨神社が良いみたいだったが

10時30分に建礼門院からスタート お目当ての斎王代は最後の方だった 神輿のような「カゴ」でなく「腰輿(およよ)」という屋根や壁がない「手輿」 まさにオヨヨ 10名くらいの男子に担がれていた

この日に私が観に行くと大学のクラブのラインで発信すると埼玉・愛知の友人が「自分も行きたい」とのことで3人が集まり 更に京都の後輩も2人加わり計5人で楽しんだ お昼は「美濃吉」で食事して昔話で盛り上がった その後母校を訪問して俵屋吉富でお茶をした 抹茶とお菓子の「雲竜」700円だった



2026年5月8日金曜日

久しぶりの宇治平等院  4月





 宇治といえば平等院 修学旅行の定番 他に黄檗山万福寺 三室戸寺 宇治神社 宇治上神社など 京都市伏見区や山科区に隣接している もう何回も行ったことがあるが藤が咲いている時に行ったことはなかった

新入社員の時に、宇治にいたことがある 近鉄大久保駅から近い日産車体の工場建設現場に半年いました  今はどうなっているのだろうか?

また宇治と言えば「お茶」数々の老舗がある 丸久小山園 伊藤久右衛門 中村藤吉 福寿園 辻利兵衛 上林春松などなど おっと一保堂は?宇治にはないのか?創業1717年 「扱うお茶が美味しいから お茶ひとつを保ちなさい」」ということから「一保堂」となった老舗は宇治にはなく京都市が本店である

平等院に向う参道には多くのお茶屋さんが並んでいるが茶畑はどこにあるのかといえば宇治田原とか和束にある 今は抹茶ブームで大人気である

寺の内界隈 表千家・裏千家 俵屋吉富 3月








 3月は上京区 寺の内界隈 3回生の時にこの近くで下宿していた しかしこの近くに表千家・裏千家の本部があることを全く知らなかった もちろん俵屋吉富のお菓子屋さんがあることも

京阪の出町柳で下車 出町ふたばの大行列を横目に桝形通り商店街を抜けて寺町通りに入って北へ右手に本満寺へ 枝垂れ桜が満開だった 有名な枝垂れ桜見事である

さらに北に行くと信長の墓がある阿弥陀寺 左に曲がると大黒屋鎌餅本舗 売り切れの旗が風に揺れていた 4回生の時はこの近くの鴨川の手前で下宿していた 懐かしい
友人と一緒に住んでいたがその友人も今はいない

西へ西へと歩くと母校の大学の学生寮があった 相国寺の北側には広大な更地 ホテルの建設地と書いてある表示板がかかっていた ここは昔々 成安女子高があった その跡地のようだ こんなところにホテルが?建つのか?不思議に思いながらようやく烏丸通に出て来た

今日の目的は本法寺の長谷川等伯「大涅槃図」の鑑賞 本法寺に向う 途中で大本山妙顕寺という立派なお寺を発見 本法寺が見当たらない 堀川通に出てやっと分かった このあたりは茶道の会館があったり表千家・裏千家の家があったりして茶道のメッカである 表千家の裏に裏千家があるのでなるほどと思った 千宗室さんの自宅もあった いずれも綺麗にしていた

「京都人の密かな愉しみ」はNHKBSプレミアムで2015年から放送されたドラマ 全5作このドラマの舞台の中心は俵屋吉富という和菓子屋さん 跡取り問題がテーマ 上京区が舞台なので我が母校や西陣などが出てくる 鴨川のデルタも橋の下も 
その舞台である俵屋吉富さんはこの表千家などにお菓子を納めているのだろうか なお、三千家のもうひとつである武者小路千家はもう少し南にある

下宿していた近くにこういう素晴しい地区があることを全く知らなかった自分に反省した一日であった

東山泉涌寺は皇室のお寺 2月





2月は久しぶりの泉涌寺 今年は開山月輪大師800年御遠忌にあたる 正確には御寺泉涌寺 皇室の菩提寺である だから境内に宮内庁の事務所がある 皇室の方が来られたときに対応するのだろう

京都の神社仏閣はどこも大変広い この泉涌寺も沢山の別院・塔頭がある 特に観音寺は広くて素晴らしい 

泉涌寺で好きなのは門から見える本堂 下り坂であるがポツンと立っている 山の中だから下っているのもうなづける また泉湧というから境内の中に泉が湧いている その小屋もある 確かに湧いていた 静かなお寺である 楊貴妃の観音があるが何故?

この近くには東福寺が有名過ぎて観光客はそちらに集まる 特に紅葉シーズンは黒山の人だかり また悲田院という寺院もあるがここは平安時代には死人の捨て場で有名 六道珍皇寺を通って東山に運ばれる 着いたところが悲田院 今は隣が日吉ヶ丘高校になっている 悲田院に初めて行ったが何とも言えない気持ちになった
 

嵐山から化野念仏寺の竹の道 1月




2026年(令和8年)の目標のひとつ 月に一度は京都に出掛ける 1月は嵐山方面であった 阪急嵐山駅から渡月橋を渡ると大混雑 この日は比較的暖かい日であった 
天竜寺から竹林を通って野宮神社へ 源氏物語にも出てくるお社 黒木の鳥居が有名 由緒を読むとなんと高松市の日本興業からクヌギを寄贈されたとある へえーと思いながら参拝

JRの線路をまたいで奥へ奥へ 落柿舎や二尊院などの有名寺院がある 少し足を伸ばして化野念仏寺に到着 たくさんのお地蔵さんが座っている さらに竹林の道が出来ている 整備され綺麗だ 道は短いが撮影スポットにはもってこいのところ

この辺りは鳥居本という地域 大きな鳥居がある その下で平野家という鮎茶屋は工事中であったが営業はしていた
更にトンネルを抜けると愛宕念仏寺がある ここまで行く人は少ない 丁度タクシーが来たので清凉寺まで乗った
 

2026年5月7日木曜日

関東桜紫会24号・関西桜紫会24号も出てきた


 

2024年(令和6年)発行の会報が奥の方から出てきた 音楽科があるのでやはりゲストはプロの音楽家によるコンサート 桜紫会は関東は1年半関西は1年毎に開催されているが 関東は91名関西は54名の参加者 主催者側のご苦労は良く分かります


2026年5月6日水曜日

なんと1年半以上更新してなかったよ

宇治平等院の藤は「野田フジ」という品種 大阪市の福島区の野田がルーツで福島区の花は「藤」である だから福島区に行くとあちこちで藤の花に出会う 今から600年前の室町幕府の足利義詮がここで詠んだ句がある「むらさきの雲とやいはむ藤の花 野にも山にもはいぞかかれる」

むらさきの雲か?なるほど・・・ドイツでは藤の花のことを「青い雨」というようです  ここの藤と吉野の桜、高雄の紅葉が歴史的には花の三大名所といわれている 宇治の平等院には丁寧に手入れされた「藤」棚が大勢の方の目を楽しませている 今年は開花が早く桜が終わってすぐに開花された

2024年11月に投稿した後2026年5月までの1年半ブログを更新していなかった 何故だろう どうしてだろうか?思いだしても思いだせない 2025年はどんな年だったのだろうか 写真を見ると関西万博が開かれた年で3月から10月にかけて10数回万博に出掛けていたことが分かった 万博で忙しかったのだ

さて宇治と言えば源氏物語の宇治十帖 このあたりは都からみると別荘地だったのだろう また琵琶湖に通じている 石山寺も近い 紫式部がこもって書いたのだろう  

関西万博には京都はお茶を出していたのを思いだす また私自身の大阪での職場も宇治にあったし宇治田原の茶畑付近でも仕事をしたことがある懐かしいところである






 

令和7年の同窓会会報



 

連休中に机の中や本棚の大掃除 不要な本などを整理した 同窓会(桜紫会)関係では東京(関東25号)、大阪(関西25号)、高松の会報75号が出てきた 

読み返してみると令和10年 つまり2年後に100年を迎えるとのこと さぞ盛大にお祝いをされることと思う 行きたい気持ちはあるのだが 

比較すると会費は東京・大阪では12,000円 高松では8,000円 ホテルでの飲食だから妥当な会費だと思うが年金生活者にとってはやや高い 今年秋に母校の商学部100周年の集まりがあるがそれは早割で10,000円 当日は12,000円となっていたがそれも面白い 

同窓会の会費も苦戦しているようだ 10,000円の終身会費制を廃止して,2,000円の年会費制に移行すると発表があった 私の場合、終身会費を払っておりしかも年会費を払っている人は今迄年会費を関西に払っていたのは払い過ぎだったのか疑問が残る なお、関東・関西で年会費を支払っているものは高松では年会費を支払しなくて良いとあった

コロナ以後 同窓会の在り方が変わってきたように思う 集まって飲み食いというのは少なくなった 現役の学生・生徒を招いての交流会が多くなってきたように思う 桜紫会は音楽家の卒業生の音楽会がメインであり、他校にない特色がある しかし昨年の高松での会はシンガーソングライターと建築家の講演会 いずれも「普通科」の卒業生 これも珍しい企画であった 他校ではどうしているのか例えば高松高校では?

私の母校では、昨年は卒業生で有名なアナウンサー、一昨年は同じく有名企業の経営者をお呼びして講演会を開催 卒業生だけではなく現役の学生を招いた 確かに卒業生を前にして講演するより現役の学生に聞かせたい話であったので大変良かったと思う

誰かを呼ぶのも良いが参加者が自己紹介するだけでも良いと思う 会費は5,000円まで高いホテルでなくて良い 高校でも良いと思う

2024年11月24日日曜日

大化の改新は談山神社から始まった

大化の改新は645年に行われた「政治改革」である 聖徳太子が亡くなったのは621年 その後は蘇我氏が支配していた 蘇我氏の横暴ぶりを見ていた中大兄王子と中臣鎌足が蘇我氏を滅ぼして新しい日本を作ったのが「大化の改新」である 中大兄王子は後の天智天皇であり中臣鎌足は後の藤原鎌足 藤原一族の繁栄はここはら始まったと言える 藤原不比等は次男 なお藤原道長は藤原鎌足の子孫にあたる 飛鳥から奈良そして平安につながる

この二人で話し合った・相談したのがここである 昔は談山神社のいう名前ではなかった 多武峰妙楽寺という名前だったがここで話し合った・相談したということで「談」 「談」の神社で談山と今は呼ばれている いわゆる「談合」の由来はここから出ている 妙楽寺というように昔はお寺であったが今は藤原鎌足を祀る神社になっている お寺の名残で「十三重の塔」が立っている 美しい塔である
多武峰(とうのみね)は「金の司は多武峰」と呼ばれていたのを知る人は少ない つまりお金持ちだったのだ 金貸しと言っていいのだろうか 金の力で周りを支配していた

天王寺駅から奈良へ 奈良から桜井へ 桜井からコミュニティバスで多武峰まで20分 わりと近い 正面から一気に階段をあがり本殿に向う 立派だった
 

2024年11月4日月曜日

高松市内散策 自転車にて







会員の集いの翌日 久しぶりに市内を散策 自転車を借りる これをスマホで操作する 面倒くさい 以前は担当が居たのに今は無人化 時代を感じる つまりスマホがないと借りることは出来ない このアプリは高松だけでなく他の都市もやっているようだ

まずは必ず立ち寄る栗林公園 ここは大学時代にアルバイトをしていたので懐かしい 北口から入る そうだ今日は船を乗ろうと思った 予約をする 定員は8名 船頭さんが「どこから来たんな」と声を掛けてくる この船は13年前からとのこと 船頭さんは英語も駆使して約30分回る 太鼓橋や掬月亭を見ながらのんびり 紫雲山は260mあるそうな 特別名勝栗林公園 国の「特別名勝」に指定されているとのこと 紫雲山があってそれを借景にしている 初めは生駒藩の大名庭園だったとのこと その後松平藩へ いろいろ説明してくれた

次は商店街を自転車で押しながら歩く 未だに禁止の自転車で回る人がいる 困ったものだ 田町から南新町 丸亀町 兵庫町へ 商店街の広場には「綱引き」イベントが行われていた 黒山の人だかり 片原町とライオン通りは昨夜歩いたから殆どの商店街は征服した

そして駅に 駅前広場では大勢の市民が集まって獅子舞や踊りのイベントが行われていた なるほど昔とは異なる風景だ 駅前でこのように集まるのは珍しい また商業ビル「オルネ」もごった返していた

そしてここまで来ると赤灯台まで行かなくては・・・大的場にも行きたい・・・といううことで遠回りして港を眺める 屋島 女木島 男木島 瀬戸内海の多島美は素晴しい またアリーナも建設中 ここでどんなイベントが行われるのか?楽しみ 

徳島文理大の新校舎も完成 どんな授業が展開されるのだろうか? ますます発展する高松 人口減少の中で町の発展を祈念したい