高松から関西汽船で別府へ、そして阿蘇、熊本へ、そして雲仙にまだまだ修学旅行は続く 三角(みすみ)からフェリーに乗って島原に 島原半島に雲仙がある 雲仙普賢岳の爆発は1990(平成2)年のことだから約30年後この火山が爆発したのだ この写真は雲仙地獄のキリシタン殉教地で写したもの 奥に十字架が見える 硫黄の匂いがきつかったのを覚えている 地図をみるとこの雲仙地獄と普賢岳は離れている 雲仙と一口に言っても広いのだ
この島原はなぜか小豆島と縁が深い 島原の乱(1637年・江戸時代)で人がいなくなった島原に小豆島から移民が来て「そうめん」を伝授したとのこと だから今でも島原はそうめんの産地で有名である 約400年前の話である 小豆島といえば俊文さんを思い出す 彼は1年上だったが同級生 東京の大学を出て私の居る会社に入った 一級建築士に合格 しばらくして独立
彼の弟さんが今でも島でそうめんを作っている 「島の光」だ 彼は四郎ちゃんとも仲が良かった 同じ建築士仲間 四郎ちゃんはそうめんではなく「うどん」をこねている 彼のお墓は小豆島にある 同じ墓地に尾崎放哉のお墓がある 種田山頭火と並んで有名な尾崎放哉 彼は鳥取市の出身で小豆島で亡くなった 俊文さんは我が家にもよく来て泊まった 口数は少なかったが酔うと止まらなかった 本当に惜しい友人を失くした
0 件のコメント:
コメントを投稿