3年4組 忘れることの出来ない月日を過ごす 1964(昭和39)年4月から1965(昭和40)年3月まで 秋山先生との出会い 先生は昭和と共に歩んでいるからこのときは39歳 働き盛りである 怖い先生と聞いていた 本当に怖い時があった これは我々に問題があった そこで愛の鞭をふるっていた 愛の鞭はやむなく叩いたりすること 相手のことを思ってからということが強い 一方体罰は自分の気に食わないから叩いたりして従わせたりすることということのようである よく叱ると怒るは違うという 叱るは愛情があるが怒るは感情的なものと言われる
学校教育法(昭和22年制定)第11条「校長及び教員は、教育上必要があると認めるときは、文部科学大臣の定めるところにより、学生、生徒及び児童に懲戒を加えることができる。ただし、体罰を加えることはできない。」とある 先生は懲戒を加えていたのである 詳しくは1年後輩の教育評論家の「ママ」に聞かないと分からないが
さて、遠足は鳴門海峡へ 1961(昭和40)年以降にかけられた小鳴門海峡の橋のそばで撮影 衣替えが終わっているので6月くらいだろうか 「おやじ先生」の笑顔が素晴らしい 教え子は皆可愛いと先生は仰っていた 東日本大震災で被害にあった仙台の教え子に連絡がつかないと私に言ってきた なんとそこまで心配されているのか そう思った 鳴門大橋がかかり神戸・大阪までは便利になった 鳴門には澄子さんが住んでいる 彼女は見た目 大人の感じがする魅力ある女性である
0 件のコメント:
コメントを投稿