2015年6月30日火曜日

さくら会卒業50周年記念同窓会の始まり始まり 4組集合


2015(平成27)年6月27日(土)16時開始 卒業後50年の同窓会 もちろん卒業後に全体の同窓会は何回か開かれた 司会者の話によると10年前もやったとのこと 全然記憶がない たいていの会は参加しているのに記憶がないのは何故か まわりにも聴いたが同じ答え まあいいか 今日は来賓の先生が6名 その中には秋山先生ほか4名の先生は知っていたが 林先生はあまり記憶がない 6名の先生が紹介された後は、ワイワイがやがや 料理よりも話が弾む

その内、ステージで歌が始まる 私は名簿を見て懐かしい人を探した そのテーブルを見つけて訪問 おおどうしてた 顔は老けたがなんとなく学生時代に戻る 男性は大体分かるが、女性はさっぱり マドンナもいまや「まあ どんな」である 一高は女子が多かったように思う あの好きな人を選んで良いとのことで臨んだスクエアダンスも余った女子がペアを組んでいた 

それにしても初心(うぶ)だった高校生時代 異性への憧れ さまざまな性格の人、純粋さ、いろいろな友人に刺激を受け成長してきたと思う また先生の指導も個性的だった 秋山先生の愛情あふれる授業、宮崎先生の厳しさなどは忘れることが出来ない 

やはり友人は大切にしたい そんな思いで出席した 終わってからあの人も来ていたのかと名簿を読み返す 138人は如何にも多かった 次もまた行きたいと思う

2015年6月29日月曜日

5組担任の桑田先生もお元気です


ここは5組 会長のいるクラス 桑田先生は社会だったか?背の高い先生だったと記憶している 野球部が昭和41年か2年に甲子園に来た時に生徒を引率してこられたことが印象に残っている なぜかしら このクラスは「高校3年生」を歌った ものすごく流行ったなあ 我我が2年の時だった ケネディが暗殺されたのはこの年だったかな 修学旅行の時だった いろいろ脳裏に浮かんでくる

追伸 平成27年10月19日
久しぶりに一高のホームページをみると桑田尚悦先生が9月26日にご逝去された記事が出ていた 享年79歳 教頭先生 この3か月後にお亡くなりになったのだ 我々と10歳違いか とてもさみしくなる ご冥福をお祈りしたい

 

秋山先生が歌った「青い山脈」


青い山脈を我々は選んだ なにしろ参加者が多く 各組が壇上に上がり歌ったのである 我々は「高校三年生」だったが、5組の桑田先生のクラスが先に歌ったものだから急遽変更 若く明るい歌声に・・・・・・秋山先生もこれだったら知っているだろうと選曲 皆さん大口を開けている

実は始まる前に先生のお宅に寄った 先生の好物の「鳥取の砂丘らっきょう」を持参して たいへん喜んで頂いた 先生はほとんど目が見えない 小学生の時に左目を失明 それ以来片目で教えているから凄い 独眼竜正宗 昭和と年号が一緒だから8月19日で90歳になる 弟子のひとりとしてはいつまでもいつまでも可能な限りお元気で暮らして欲しいと願っています

11組は男闘呼組だ 國金先生が一番若かったなあ


真ん中に國金先生 11組の副担任とのこと 昭和39年4月1日付で一高に赴任 体育科担当 先生の話によると74歳とか 歌ったのは「君の行く道は果てしなく遠い なのになぜ・・・」 若者たちの歌だ 流行った流行った 男の歌かな 11組は男子ばかり 理科系のクラス 東大 京大 徳島大とかなり優秀だったということを冒頭話された 全然知らなかったなあ 我が親友がここにはいない 小豆島で眠っている 彼は会社も一緒だった ハンドボールのキャプテンとしてインターハイにも行った男だ あの「やまかん」にしごかれていたが持ち前の粘りで押し通した 

真言宗の住職さんとも仲が良かった 彼は強烈な出来事があった それはそれは牛乳事件 牛乳を13本飲めるか飲めないかの実験 結局は11本でギブアップ 忠弘さんの話によるとギブアップ後もまだ飲めるのにとつぶやいていたとか 彼はその想い出がすべて 再会できたのは嬉しい
なお、漢文の南先生、南一郎殿下がうどんに牛乳をかけて召し上がっていたのをご存知だろうか 現在さぬきうどんに牛乳をかけて食する人はいないが これも時代が変われば出てくるかもしれないなあ そういえば南殿下に刺激されてその道を歩み 現在大学教授という同期も東京におります

このクラスは斉藤進先生が担任 確か数学の先生 ニックネームは「ルート8」だったような気がするのだが?心は「にやにや」「割り切れない」とか諸説があるが本当はどうか もう先生も亡くなられたので残念です 先生は昭和23年3月に就任されたと学園誌に書いてあった 宮崎先生は2年先輩です 秋山先生は4年後輩

9組は綾井先生 青年の面影が残る


「まんのり」さんが歌うのは「・・・・・」忘れた 学生時代か?綾井先生にマイクがない 先生は背筋が伸びて素晴らしい 確か国語の先生 さわやかなお顔を思い出す 

9組からは13人の出席 これも多い方 みんな仲が良さそうである 誰がリーダーか知らんけどこの写真を見る限り「まんのり」さんか
「まんのり」さんは北浜で城内中だったと思う 城内、紫雲、付属ときたら市内の御三家 都会的センス溢れる生徒だったように思う これに対して我が光洋は格的には見劣りしたように思える 新興勢力のような感じだった それに対して御三家は上から目線 しかし郡部の優秀な神童と呼ばれた生徒が一高に入ってきたおかげで進学も実績を残したのである 

4組はなんといっても秋山先生 90歳


秋山先生 秋やんは一高の大先輩であり不屈の精神には頭が下がる 本当に素晴らしい「おやじ先生」である 

千昌夫が歌う「おやじ先生」を初めて聴いたのは東京・代々木の一杯飲み屋 そこで東北なまりで歌う人がいた 会社の先輩 いや何とも言えぬ歌い方 じーんときた 「先生に会うと背筋が伸びる 腕白小僧で迷惑かけました 立たされたとき叱られたとき うらみもしたけど 今日は先生と男同士で 酒酌みあえる」というのが一番 その前にセリフがはいるのだが これが素晴らしい とくに東北弁でやられると感動する とても好きな歌だ まさに秋山先生がモデルのような気がする

大阪弁交じりの讃岐弁では「世の中 どんなに変わってもなあ 先生ぜんぜん変っとらん ええ先生忘れたん 親爺が県庁に勤めとった高木作左衛門であります・・・」これでは全然感情が湧いてこんね 

さくら会の女子会6組は魅力たっぷり


6組は女子ばかりのクラス 菰渕先生は美女に囲まれご満悦な様子 やはり女子は元気がいいなあ。これがあと2年で70歳とはね 器械体操部出身の糸ちゃんはさすが芸達者 みんな輝いていたね 

この歳になるとおばさんはおじさん化するのだが、このクラスはそういう気配はあまり感じられなった さすが一高 美人が多いはずだ このクラスが口火を切って歌が始まった 残念ながらここのクラスの女子とは一緒にならなかった しかし知っている女子は2名いた 昔なら恥ずかしく話もできなかっただろう しかし歳月には勝てず 今は「恥らい」もどこかへ行ってしまった 同級生というのは共通の話題 それが良いのだろう