2016年2月13日土曜日

1000年前の紫式部



4年間の大学時代は京都で暮らした 1勝4敗の大学受験 迷うことはなかった 浪人だけはしたくなかった 京都は学生の街 観光名所もたくさんある 魅力的な場所だった 最初から勉強するクラブに入ることは決めていた 何故か 高校時代は不勉強だったから 入学式直後のオリエンテーションは数多くの勧誘が待っていたが商学部なので「経営」だろうと思って迷うことなく「学生経営研究会」に入会 結局4年間そこで学び 良き友人が出来た 4回生に観音寺一高の先輩がいたのは心強かった 先輩は高松市役所に就職された 今でもお付き合いはある たいへん貴重な4年間だったと思う
京都といえば神社仏閣 至る所に名所がある 4年間でほとんどのところを回った しかしまだ行っていないところがあり 社会人になって時々回っている 蘆山寺もそのひとつ 京都御所の東にある ここは節分が有名だがもっと有名なのは紫式部が源氏物語を執筆したところとして知られている ここは紫式部の自宅とか この出っ張ったところで庭を眺めていたようだ 与謝野晶子説によると978年生まれ 1016年頃没 丁度1000年前 だから38年の人生 お墓は京都の紫野にある 紫野という地名は桓武天皇の時代にあったそうだから紫⇒紫野ではないようだ 当時のライバルの清少納言とは面識はなかったとの説が有力だが それぞれが批判しているのが面白い
百人一首から「めぐりあひて 見しやそれとも わかぬまに 雲がくれにし 夜半の月かな」が紫式部の歌 もともと作家であって歌人ではないので歌は得意ではないらしい 
高校時代の古文もそのようなことを教えてくれたら興味が沸いたのに残念である 

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