2022年10月9日日曜日

上賀茂神社と下鴨神社



上賀茂神社には何回も行ったことがある 今回はブラタモリで紹介された「社家町」もゆっくり回りたかった 正式には賀茂別雷神社という かもわけいかづち と呼び京都でもっとも古い神社である 平日なのに人は多かった 出町柳からバスで約30分 あちこちを迂回して御園橋までくれば目的地 お目当ての神馬堂の「やきもち」は店が閉まっていたのが残念 気を取り戻して本殿に参拝 神山湧水を使ったカフェも休んでいた

さあお目当ての社家町へ あまりここまでは人は来ないようだ なぜかしら水が張ってなくて川底だけが見える 京都産業大学の同窓会館もあったが静かな街並み ここは賀茂一族が代々住んでいたところ 神社のお守りを賀茂一族で今も行っている 出雲大社の千家さんのようなものか 由緒正しき賀茂家である

次は、下鴨神社へ ここもよく来たところ 正式には賀茂御祖神社という かもみおやじんじゃ と呼ぶ 一説には上賀茂神社から分置されたとか いずれにせよこの二つの神社は5月の葵祭でつながっているのである 糺の森は素晴らしい 御手洗川がありみたらし池もある みたらし団子はここから来ている 南側には問題になった50年の借地権付きマンションが建っている ここは学生時代はゴルフ練習場があったところだと思う ここでただひたすらに体育の授業で5番アイアンを使っていた 懐かしい

帰りに河原町今出川の行列の出来る「出町ふたば」の豆餅を買って帰った 約30分待って買えた豆餅は噂にたがわず絶品のお味でした





 

トロッコ列車と保津川下り


一度乗りたかったトロッコ列車 嵯峨嵐山駅から亀岡駅まで運行している 京都駅から山陰線にゆられて嵯峨嵐山駅まで そこでトロッコ列車に乗り変える 山陰線と一部並行して走る 眼下に保津川を見てガタンゴトン JR西日本の経営であり全社予約指定席の800円 ちょっと高い 前半は進行方向に向かって左が特等席 後半になると右が特等席になる あっという間に亀岡に到着 亀岡といってもJRの亀岡駅のひとつ前の駅 ここで保津川下りの乗船場行のバスに乗り換える 

この保津川下りも予約が必要 残念ながらこの日は満員御礼 仕方なしに上から見ることにしてJR亀岡駅から保津峡駅へ 保津峡駅のホームから見下ろすと次から次へと舟が来ている 大きな声を船頭さんが張り上げて川を下る 90分の旅らしい 4100円 3歳以下は無料とか 大きな石があるのでデンジャラス

噂には聞いていたがまさに観光 値打ちはある ただし季節を選ばないといけない この保津川は嵐山が終点 そこから桂川になりやがては淀川に流れる コロナの心配もあるがもうすでに普通 

亀岡は明智光秀の居城があるが今は公園だけ ここは霧の町らしい 駅前には京都サンガのサッカー場がありサンガスタジアムバイ京セラと呼ばれている 京セラは稲盛和夫さんがご逝去されても心配ない 京セラドーム 京セラ美術館と名前を残しているのが素晴しい 亀岡市は京都まで30分もかからない 静かな良いところだと思う





 

2022年9月18日日曜日

将軍塚に登る


将軍塚は八坂神社の上の山にある 由緒としては平安京に遡るから壮大だ  桓武天皇は都を奈良から京都の南方の長岡京に移したがうまくいかなった 和気清麻呂は天皇をこの山上にお誘いし京都盆地を見下ろしながらここが都の場所にふさわしい旨進言 天皇はその勧めに従って延暦13年(794年)に平安建都に着手 天皇は都の鎮護のために高さ2.5メートル程の将軍の像を土で作り鎧甲を着せ鉄の弓矢を持たせ太刀を帯させ塚に埋めるよう命じられた これがこの地を「将軍塚」と呼ぶ由来 この「将軍塚」は国家の大事があると鳴動したという伝説が源平盛衰記や太平記に残されているとのこと(ウキペディアからの引用である)

この将軍塚に隣接して天台宗の青蓮院門跡の青龍殿が平成26年に完成した 約200メートルの山には京阪バスが土日に運行している ここはもともとは他の場所にあったもの 清水寺よりも大きい大舞台も作って市内が一望できるようにしたのである ここには国宝の「青不動」を配置している 

ここからの眺めは抜群 京都盆地が一望できる 盆地の周りは東山・北山・西山で囲まれている 南側は開けている その南側には大阪がある ここからはその大阪平野も見える 行はバス 帰りは歩いて山を下りた 東山トレイルの道である 途中 道を間違えたこともあったが約20分で円山公園の奥に出た 結構険しい道だった 途中で滑った 体力の限界を感じた もう無理をしてはいけないと思った 久しぶりに八坂神社から八坂の塔に出て文の助茶屋で一服 久しぶりに安井の金比羅さんに寄って帰途に着いた 京都は相変わらず人が多い




2022年8月16日火曜日

高松商業 ガンバレ

高松商業の応援に甲子園に行った 浅野翔吾吹いていて隣も空いていたので並んで観戦した

浅野君は1番センター 第一打席は警戒されて四球 第二打席はファールフライ そして第三打席は・・・右中間にホームラン 私の席からは左中間に見えたのだがどうしてだろう グングン球が伸びていちばん深いところに入った 実は動画を撮ろうかと思っていたところだったが失敗した 残念 第四打席に向ったところで動画はあきらめていたがこれがなんとまたホームラン これは速度が速すぎてあっという間にレフトスタンドへ 一応動画は取ることが出来た 第五打席は申告敬遠かと思ったら審判から取り消しのアナウンス 捕手が勘違いしたらしい 結果は死球 そして第六打席は左翼線に二塁打 猛打賞である

試合は浅野君らの大活躍で大勝した なぜ四番でなくて一番か 長尾監督によると一番はたくさん打席が回ってくるからだという 主将でもある 守備の時は帽子をとって一を丁寧に行っている リーダーシップもありそうだ 翔吾という名前もいい 秋山翔吾選手と同じである 顔は田舎の顔をしている 讃岐顔といえば讃岐顔 彼は今年のドラフトの目玉である 高松の怪童と呼ばれた大先輩の中西太さんを彷彿させる 身長は170センチらしいが体重は90キロ近い 足も速いらしい あのイチローさんの指導も受けたようである また礼儀正しい選手である 本当に楽しみな選手 3回戦も九州国際になんとか勝っていよいよベスト16 佐久長聖の投手は勝負して来なかった 次は近江高校との準々決勝 山田投手は勝負してくるので楽しみである 全員香川県の中学校出身で県立高校 他の代表が県外出身で私立の学校とはひと味違う高松商業に頑張って欲しい



2022年8月13日土曜日

高瀬舟の始発点は二条通り 南



鴨川から水路を引き 川の水を取り入れて作ったのが高瀬川 川というより運河である 慶長19(1614)年のこと この川が大阪との商売をつなぐ 行き交う舟を高瀬舟という 途中の西側にいくつもの引き込み口をつくりそこで荷下ろししていた 今残っているのはひとつだけである 一之舟入 日銀京都支店の裏にある 古い地図には南側に二之舟入 三と続く 全部で九つあった 作ったのが角倉了以なので別名 角倉川と言われる
角倉了以は嵐山の渡月橋をかけた人物でもある 豪商であったからお金はたっぷりあったに違いない この始発点の対面に自宅があった 今は「がんこ寿司」になっている このがんこの庭に鴨川を通した 先日のブラタモリで紹介していた
鴨川をよく観察してみると大きな川の両側に小さな川がある 西側の鴨川右岸は夏の風物詩の納涼床の下を流れている 丸太町の南から分かれる「みそそぎ川」と呼ばれている 五条大橋あたりで終点 東山の眺めもいいのでこの遊歩道は人気 東側の鴨川左岸は二条大橋くらいから始まる 琵琶湖疎水から南禅寺 平安神宮 岡崎を経て鴨川に合流している川である 左岸は長く続いて桂川と伏見区で合流 その桂川と宇治川と木津川が合流して淀川になって大阪まで流れている



 
 

2022年8月12日金曜日

桜紫会会報(関東・関西)22号が届く

7月に二つの会報が届きました 関東関西とも22号 関西は4ページ 関東は8ページ 共に興味ある記事が並ぶ なかでも関東の記事が多彩だった 
5年先輩の大作さんのフジテレビ元アナウンサーの大作さんの記事は目を引いた 徒歩で高松市からこんぴらさんまで徒歩で歩いた思い出 友人との出会いと今でも続く交友関係 小学生の頃からアナウンサーを目指しなさいとの恩師のひとこと 早稲田大学からフジテレビ 人気アナとして脚光を浴びるまで
また野球部OBの夏の甲子園の記事もあの日の思い出が詳細に書かれていた そういえば私も甲子園に応援に行っていたことを思いだした 昭和47年夏 準々決勝の柳井高校との闘い 3対4で敗れたことが記されている 鎌田投手の力投を思いだす
幹事長の泰彦さんの東京2020オリンピック・パラリンピックの都市ボラティアの記事も興味をそそるもの 残念ながらコロナの影響で大活躍は出来なかったものの志願した気持ちに勇気を頂きました

一方の関西 ここにも関西の桜紫会の発足の記事が黎明期として書かれていた なんと甲子園がきっかけだったとのこと 丁度50年前のことである 応援に集まった同窓生からが始まりである 私が関与したのは40年前から 朝日新聞のビルでの打ち合わせに参加したころである その後東京に転勤したので隆教さんにバトンタッチして関西とはお休みしていた 東京では関東桜紫会にお世話になった
関東も関西も今年は集まりをそれぞれ10月と9月に開催するという コロナ禍の中 今年は制限のない年になる さてどのくらいが集まるのか心配である 会費が1万円なのでそれにふさわしい会にしなければならない 
 

2022年7月28日木曜日

祇園祭(後祭) 鷹山 復活



祇園祭は7月1日の吉符入(きっぷいり)から31日の疫神社夏越祭(えきじんじゃなごしさい)まで1か月のお祭りである 一般の方は「山鉾巡行」が有名である つい最近まで17日の前祭(さきまつり)だけであったが最近は後祭(あとまつり)が復活して24日にも巡行がある 後祭りは前祭の逆を巡行する
復活といえば196年ぶりに「鷹山(たかやま)」が今年加わった そのことはマスコミでも取り上げられた 一番人気の鷹山を見ようと24日は大賑わいだった 
起源は869年とか 平安京の時代である 天変地異や疫病が頻発・流行しそれを鎮めるための祭りだった 富士山の噴火もこのころにあった
私が学生時代 丁度このころが前期試験の真っ最中だった 従って宵山も宵々山も見物に行く余裕がなかった 社会人になって楽しむようになった 会社時代と大学時代の先輩が新町に住んでいてある鉾の世話をされていた 先日テレビに出ていた 直ぐに電話をかけると今は理事長をしておられるとか この鉾は前祭に出ている
さて「鷹山」「ようざん」かと思ったが「たかやま」と呼ぶ 室町通りから西に入ると大勢の人が集まっていた いよいよ本番 御池通りに出る 辻まわしが出来るかどうか 関係者も観客も固唾を飲んでいた 直角に回すには3回のターンが必要 90度だから30度を3回 竹を敷いてその上を滑らす 上には人がたくさん乗っている 屋根にも 危ないと思う 車輪も木製である 無事に回って拍手 やれやれである 
ところでこの山と鉾 私は山車のようなものが山と思っていた しかし鷹山は山である 山車ではない 鷹山は鉾のように見えた しかし山である 正確には曳山という 鉾と山の違いは鉾の上には鉾のシンボルがついていること 例えば長刀鉾は長刀が飾ってある 一方 山は木があるだけ 飾りはない 山だから木があるのだろうか しかし鷹山にはキジが飾ってある 鷹の天敵のキジがあるのが不思議だ 
後祭の最後は大船鉾である これは面白い鉾である 船鉾という 屋根の上にではなく前に魚が飾ってある 珍しい形をしていた
京都人は歴史を誇りにしている 祭りを見てまた京の人を見て京都人はそんじょそこらの人とは違う矜持(プライド)があるような気がした 後祭はあとのまつりの語源になったとか あとのまつりを見てもつまらないということはなかった