2022年10月30日日曜日

伯耆富士と奥大山



 鳥取県といえば「鳥取砂丘」とこの「大山(だいせん)」がシンボルである この大山は見る場所で形を変える 米子の手前の伯耆町からは富士山のように見えることから伯耆富士と呼ばれる またお隣の島根県からも富士山のように見えるので出雲富士と呼ばれる
また江府町からみる南壁の奥大山は切り立った山肌が見えて荒々しいように見える これを見ると琴浦アルプスという船上山からのルートは危険なのが分かる 

標高1729m 中国地方最大の山 日本百名山のひとつ 年々高さが減ってきているらしい 確かに落石がある 学生時代3回生のときの10月にゼミ旅行でこの山に登ったことがある 確か朝4時に起きて草鞋を履いて握り飯を用意してもらって有志6名が大山寺の宿坊を出発 朝日を拝んだ 写真を見るとセーターを着ている この時期の日の出が6時30分くらいなので約2時間かかったのだろう 暗い道 尾根 今でも滑落事故がある山 よく行ったものだ 朝日を拝んで目の前に広がる日本海の風景が目に残っている
奥大山は水が美味しいとサントリーやコカ・コーラの工場がある ブナの森が売り 西日本の方は大体この大山の天然水を飲んでいる 東日本はアルプスの天然水 どちらが美味しいのだろうか
  

京都・美山かやぶきの里にて



京都市の北 それも周山街道を通り越して福井県の方に向うところに美山がある 地名は京都府南丹市美山町北牧 JRで行けば京都駅から山陰線で亀岡 園部の先の日吉で降りる ここまでが1時間 そこからバスで1時間揺られて北集落(かやぶきの里)に着く
今から約20年前に国の「重要伝統的建造物群保存地区」に選定された ここは日本海と京都を結ぶ街道で「鯖街道」と言われている 鞍馬の奥も「鯖街道」と言われているがこことつながっている
江戸時代には約50戸の農家が維持してきたが今は39棟になっている 観光客が家の周りをうろうろしているので迷惑かもしれない 資料館で説明をお聞きすると屋根には1000万円もかかるという もちろん補助金もあると思うが大変なご苦労である 屋根は入母屋造り 主屋は南向き 由良川に平行するように配置されている 
ここは京都かと一瞬思う そういう点では京都の意外なところを見る貴重な場所であると思う
ここに来る前に常照皇寺に寄った ここは京都市右京区京北町井戸町丸山 周山のバスセンターから30分 山あいにある静かな皇室ゆかりの古いお寺である 光厳法皇(1313年~1362年)によって開かれた 丁度南北朝の乱争の時代 天皇は40歳を過ぎる頃に禅の修行の道に入り当地にあったお寺を改修して常照皇寺を作ったのである 今は臨済宗天龍寺派に属する禅宗寺院になっている 菊のご紋があちこちにあった 裏山には「山国御陵」がある よくぞこんなところにと思うが 戦乱を遁れたかったと推察する



     

 

2022年10月9日日曜日

上賀茂神社と下鴨神社



上賀茂神社には何回も行ったことがある 今回はブラタモリで紹介された「社家町」もゆっくり回りたかった 正式には賀茂別雷神社という かもわけいかづち と呼び京都でもっとも古い神社である 平日なのに人は多かった 出町柳からバスで約30分 あちこちを迂回して御園橋までくれば目的地 お目当ての神馬堂の「やきもち」は店が閉まっていたのが残念 気を取り戻して本殿に参拝 神山湧水を使ったカフェも休んでいた

さあお目当ての社家町へ あまりここまでは人は来ないようだ なぜかしら水が張ってなくて川底だけが見える 京都産業大学の同窓会館もあったが静かな街並み ここは賀茂一族が代々住んでいたところ 神社のお守りを賀茂一族で今も行っている 出雲大社の千家さんのようなものか 由緒正しき賀茂家である

次は、下鴨神社へ ここもよく来たところ 正式には賀茂御祖神社という かもみおやじんじゃ と呼ぶ 一説には上賀茂神社から分置されたとか いずれにせよこの二つの神社は5月の葵祭でつながっているのである 糺の森は素晴らしい 御手洗川がありみたらし池もある みたらし団子はここから来ている 南側には問題になった50年の借地権付きマンションが建っている ここは学生時代はゴルフ練習場があったところだと思う ここでただひたすらに体育の授業で5番アイアンを使っていた 懐かしい

帰りに河原町今出川の行列の出来る「出町ふたば」の豆餅を買って帰った 約30分待って買えた豆餅は噂にたがわず絶品のお味でした





 

トロッコ列車と保津川下り


一度乗りたかったトロッコ列車 嵯峨嵐山駅から亀岡駅まで運行している 京都駅から山陰線にゆられて嵯峨嵐山駅まで そこでトロッコ列車に乗り変える 山陰線と一部並行して走る 眼下に保津川を見てガタンゴトン JR西日本の経営であり全社予約指定席の800円 ちょっと高い 前半は進行方向に向かって左が特等席 後半になると右が特等席になる あっという間に亀岡に到着 亀岡といってもJRの亀岡駅のひとつ前の駅 ここで保津川下りの乗船場行のバスに乗り換える 

この保津川下りも予約が必要 残念ながらこの日は満員御礼 仕方なしに上から見ることにしてJR亀岡駅から保津峡駅へ 保津峡駅のホームから見下ろすと次から次へと舟が来ている 大きな声を船頭さんが張り上げて川を下る 90分の旅らしい 4100円 3歳以下は無料とか 大きな石があるのでデンジャラス

噂には聞いていたがまさに観光 値打ちはある ただし季節を選ばないといけない この保津川は嵐山が終点 そこから桂川になりやがては淀川に流れる コロナの心配もあるがもうすでに普通 

亀岡は明智光秀の居城があるが今は公園だけ ここは霧の町らしい 駅前には京都サンガのサッカー場がありサンガスタジアムバイ京セラと呼ばれている 京セラは稲盛和夫さんがご逝去されても心配ない 京セラドーム 京セラ美術館と名前を残しているのが素晴しい 亀岡市は京都まで30分もかからない 静かな良いところだと思う





 

2022年9月18日日曜日

将軍塚に登る


将軍塚は八坂神社の上の山にある 由緒としては平安京に遡るから壮大だ  桓武天皇は都を奈良から京都の南方の長岡京に移したがうまくいかなった 和気清麻呂は天皇をこの山上にお誘いし京都盆地を見下ろしながらここが都の場所にふさわしい旨進言 天皇はその勧めに従って延暦13年(794年)に平安建都に着手 天皇は都の鎮護のために高さ2.5メートル程の将軍の像を土で作り鎧甲を着せ鉄の弓矢を持たせ太刀を帯させ塚に埋めるよう命じられた これがこの地を「将軍塚」と呼ぶ由来 この「将軍塚」は国家の大事があると鳴動したという伝説が源平盛衰記や太平記に残されているとのこと(ウキペディアからの引用である)

この将軍塚に隣接して天台宗の青蓮院門跡の青龍殿が平成26年に完成した 約200メートルの山には京阪バスが土日に運行している ここはもともとは他の場所にあったもの 清水寺よりも大きい大舞台も作って市内が一望できるようにしたのである ここには国宝の「青不動」を配置している 

ここからの眺めは抜群 京都盆地が一望できる 盆地の周りは東山・北山・西山で囲まれている 南側は開けている その南側には大阪がある ここからはその大阪平野も見える 行はバス 帰りは歩いて山を下りた 東山トレイルの道である 途中 道を間違えたこともあったが約20分で円山公園の奥に出た 結構険しい道だった 途中で滑った 体力の限界を感じた もう無理をしてはいけないと思った 久しぶりに八坂神社から八坂の塔に出て文の助茶屋で一服 久しぶりに安井の金比羅さんに寄って帰途に着いた 京都は相変わらず人が多い




2022年8月16日火曜日

高松商業 ガンバレ

高松商業の応援に甲子園に行った 浅野翔吾吹いていて隣も空いていたので並んで観戦した

浅野君は1番センター 第一打席は警戒されて四球 第二打席はファールフライ そして第三打席は・・・右中間にホームラン 私の席からは左中間に見えたのだがどうしてだろう グングン球が伸びていちばん深いところに入った 実は動画を撮ろうかと思っていたところだったが失敗した 残念 第四打席に向ったところで動画はあきらめていたがこれがなんとまたホームラン これは速度が速すぎてあっという間にレフトスタンドへ 一応動画は取ることが出来た 第五打席は申告敬遠かと思ったら審判から取り消しのアナウンス 捕手が勘違いしたらしい 結果は死球 そして第六打席は左翼線に二塁打 猛打賞である

試合は浅野君らの大活躍で大勝した なぜ四番でなくて一番か 長尾監督によると一番はたくさん打席が回ってくるからだという 主将でもある 守備の時は帽子をとって一を丁寧に行っている リーダーシップもありそうだ 翔吾という名前もいい 秋山翔吾選手と同じである 顔は田舎の顔をしている 讃岐顔といえば讃岐顔 彼は今年のドラフトの目玉である 高松の怪童と呼ばれた大先輩の中西太さんを彷彿させる 身長は170センチらしいが体重は90キロ近い 足も速いらしい あのイチローさんの指導も受けたようである また礼儀正しい選手である 本当に楽しみな選手 3回戦も九州国際になんとか勝っていよいよベスト16 佐久長聖の投手は勝負して来なかった 次は近江高校との準々決勝 山田投手は勝負してくるので楽しみである 全員香川県の中学校出身で県立高校 他の代表が県外出身で私立の学校とはひと味違う高松商業に頑張って欲しい



2022年8月13日土曜日

高瀬舟の始発点は二条通り 南



鴨川から水路を引き 川の水を取り入れて作ったのが高瀬川 川というより運河である 慶長19(1614)年のこと この川が大阪との商売をつなぐ 行き交う舟を高瀬舟という 途中の西側にいくつもの引き込み口をつくりそこで荷下ろししていた 今残っているのはひとつだけである 一之舟入 日銀京都支店の裏にある 古い地図には南側に二之舟入 三と続く 全部で九つあった 作ったのが角倉了以なので別名 角倉川と言われる
角倉了以は嵐山の渡月橋をかけた人物でもある 豪商であったからお金はたっぷりあったに違いない この始発点の対面に自宅があった 今は「がんこ寿司」になっている このがんこの庭に鴨川を通した 先日のブラタモリで紹介していた
鴨川をよく観察してみると大きな川の両側に小さな川がある 西側の鴨川右岸は夏の風物詩の納涼床の下を流れている 丸太町の南から分かれる「みそそぎ川」と呼ばれている 五条大橋あたりで終点 東山の眺めもいいのでこの遊歩道は人気 東側の鴨川左岸は二条大橋くらいから始まる 琵琶湖疎水から南禅寺 平安神宮 岡崎を経て鴨川に合流している川である 左岸は長く続いて桂川と伏見区で合流 その桂川と宇治川と木津川が合流して淀川になって大阪まで流れている