2016年3月31日木曜日

高商惜しかった あと一歩だった


今日の高商はあせっていたと思う 55年ぶりの優勝を意識したのだろう 1回の絶好のチャンスを逃した あれで調子に乗れなかった 悪い予感がした 延長に入ってからもチャンスをことごとくつぶした もっと策はなかったのか 野球をよく知っている高商 チームの力が発揮できなかったのか 本当に力が入っていたのがテレビの表情でよく分かった 
長尾監督は「少ないチャンスを生かせるチームにならないといけない」と課題を挙げた 確かに重圧はあった 高松出身者としてはどちらが勝ってもおかしくない試合だっただけに残念である
しかし 昨年秋の神宮大会で優勝しただけある 実力がある あれはフロックでなかった 高商のメンバーは香川県出身者だけ 安西君は玉藻中学 浦投手は高松北中学である U18代表候補に選ばれたのは3人 安西君の他に美濃君(古高松中) 米麦君は(白鳥中)が選ばれている
一高はこのチームに2015年7月の県大会二回戦で高商に8対1のコールドで敗退している この時 美濃君と米麦君にホームランを打たれていた 浦君が8回を1点に抑えたとある 高商は長尾監督の指導で夏はもっと強くなる予感がする 期待したいチームである しかし一高もがんばれ

2016年3月21日月曜日

3年8組 上原先生担任


上原繁雄先生 昭和21年7月1日就任 社会科 ということは我々が生まれたときに一高に来られた だから少なくとも22歳上かな 同じ年に宮崎光春先生(数学)がこられている 加嶋健先生(数学)も同じ年だから大正生まれだったのかな 8組も知り合いがいる 勇さんは小豆島で家業である醬油屋を継いでいる 親友の俊文さんから紹介されたことがある 俊文さんも小豆島で設計事務所をやっていた 勇さんは穏やかな人物である 久しぶりに同窓会で話をした 今は小豆島で「醤油」を作っているという 姫路の家島に販売所を置いている 朝日新聞でも紹介された 明治末期の操業 三代目だそうだ 近所には3つの醤油屋さんがあると書いてあった それぞれが個性を出しているようだ 帰郷した時は必ずと言っていいほど小豆島の「もろみ」を購入する これが実に旨いのである 特に胡瓜につけて食べると良い
小豆島といえば昔は「丸金醤油」が有名だった 今は神戸の忠勇と合併し存在しているが醤油は作っていないようだ 会社は大阪証券取引所2部に上場 社名も変わっている 小さいころに丸金醤油工場を見学したことがある あの匂い 醤油は丸金と決まっていた 香川の自慢だった 丸金のマークは金比羅さんのマークと同じ 名前も金比羅さんにあやかり丸金とつけたらしい 
3月21日 小豆島高校が大応援団を引き連れて甲子園に登場 テレビ応援をした だが2対1で惜しくも負けた あの9回の反撃 しかし遅かった 監督も選手も浮足立っていたような気がする 攻撃がチグハグだった 勝てる試合 もっとじっくり攻めれば勝機はあった 選手は残念だっただろうと思う これも経験 夏は頑張れ

2016年3月19日土曜日

3年7組 本庄先生担任


本庄映先生 数学担当 昭和35年4月就任 だから我々より2年前に来られた先生 背が高くすらりとした印象がある 確かバスケの顧問だった バスケといえば薫ちゃん 足が長く恰好はとても良かった この7組にいますね 彼の雰囲気にピタリの東京の大学で学んだと思う このクラスは知り合いが多かった 薫ちゃんは1年5組では一緒だった 都会のセンスあふれる生徒であった 光洋中学という田舎もんの私からはまばゆくみえたものである 実家はライオン通りで寿司屋を営んでいるということだった 
彼とは私が四国支店勤務のときに時々会った 四国新聞社裏の「松下うどん」である 当時彼はマスコミに勤務していた 仲間を連れて思い出したようにこの店にやってきた 会社にも来たことがあった ゴルフ番組の広告についての話だった 
ところでこの「松下うどん」には6年間たいへんお世話になった 帰郷して紫雲山に墓参りに行くときは必ず寄ることにしている 可愛いおかみさんから「なにしよるんな」と声をかけられると思わず昔のことが脳裏に浮かんでくる ここでうどんの玉を買ってゆがいてどんぶりに入れて出汁をかける ショウガ ネギをいれて食べる いなりずし まきずし コロッケがある 他の店のように派手さはないが製麺所のうどんはシンプルで美味しい まさにうどんは別腹 ファンが多い うどんやの原点である 栗林の上原うどんもいけるが個人的には松下うどんが好きだ

2016年3月16日水曜日

3年5組 桑田先生担任


桑田尚悦先生が昨年ご逝去されたという話は既にお知らせした 享年79歳 50周年記念同窓会から約3か月後にお亡くなりになったわけで信じがたい 合掌 先生は一高出身 広島大学教育学部(歴史専攻)をご卒業後 香川中学校教諭を経て 本校に就任 担当は社会科とある
5組は隣組 知っている人は野球部のメンバー数人くらい ホームルーム点描を読むとこのクラスがとにかく明るいクラスだったことが分かる ①うれしいとき クラス全員協力しハッスルして校内陸上競技に優勝したとき うれしかったなあ・・・ ④たのしいとき みんなと一緒に行楽と シャレ込む時である 弁当食べて踊って楽しいなあ・・・という具合である
卒業式は昭和40年3月2日にあった しかし私は出席出来なかった 2日というのは3日から国立一期校と公立大学の試験が始まる その前の日である どのくらいの生徒が出席できたのであろう 今になって考えると2日というのは設定がおかしいと思う 私も大阪で受験の準備をしていた 当日の新聞に私立大学の合格が掲載され 私の名前が載っていたことを思い出す
今は新聞に掲載されないようになった その代わりサンデー毎日が毎年 データを掲載している 立ち読み情報だが一高も超難関ウルトラ大学に合格していた 教員は教え子の一流大学の合格はたいへん嬉しいだろうと思う  卒業生も悪い気はしない
今 文部科学省が高校改革を進めている センター試験に変わる試験が出来る 基礎学力テストもできる 入学試験も一部で面接が加わるようだ いずれにせよ高大接続改革が数年先には行われる 高校側も大学側も自らの改革が迫られているのだ 文科省が設置する「中央教育審議会」というところが我が国の教育を考えている 中教審の動きに注目する必要がある

2016年3月9日水曜日

3年3組 三瓶先生 女子組


三瓶憲雪先生 昭和24年4月20日就任 担当は社会 「さんべ」先生 「みかめ」先生どちらだろうか 三瓶山という山が島根県にある これはさんべさん 三瓶町は愛媛にある これはみかめちょう 3年3組の三瓶先生 3 3 3と並んで面白い ここは就職組だった 昨年の同窓会には2名が参加 みなさんどうしたのだろうか えらい少ない それに比べてわが4組は16人とか もっとも一番多かったのだが やはり秋やんがいるし常に会っているから出やすい環境にある
ところで学園祭 思い出はダンスだった 好きな相手を選んで良いということだったと思う この頃はたいてい女子がませていた おそらく女子は20歳くらいまでは男子よりも成長が早いのではないかと思う 幼稚園でもおませなのは女子 おませな女の子とは言うがおませな男の子という言い方は聞いたことがない おませは女子の枕詞と思う 二十歳を過ぎると男子も成長し女子を抜くのである ただ若いころは女子は早熟であり男子は半熟である 
そのダンス スクエアダンスだったかフォークダンスだったのか 覚えていない オクラハマミキサー?ならフォークダンスだろう 誰を指名したのかはかすかに覚えているが 「しんのぞう」がドキドキしていたのに違いない 
手を握るというのは確かに大切な行為だ 看護の看という字は手と目という言葉に分かれる 手と目で観察する これが大事である 手のぬくもりで心が通う 欧米人が握手をしたりハグしたりするのは素晴らしいことだ 私も97歳の母がいいるが帰りにはいつも手を握ることにしている 若い女性も私のまわりにたくさんいるがやたらに手を握ったり触れたりすると事件になるからやらない 東京にいるときに日本橋三越で山本陽子さんのサイン会があった そこでたまたま大女優と握手をすることがあった それはそれは柔らかい手でありました 因みに陽子さんは三越前にある山本海苔店のCMガール 同じ海苔の山本山とは別会社である

2016年3月6日日曜日

3年2組 吉原先生担任


吉原崇雄先生 昭和37年4月1日 大手前高等学校より来任とある 京都大学卒業 担当は英語科 ということは我々と同じか 2組には知り合いが多かった それというのも2年生の時のクラスメイトがこの2組にたくさんいた ホームルーム点描を読むとこのクラスらしい文章が出てくる たとえばわれわれのホームルームで②腹のたつとき:「せっかく機嫌よく眠っていたのに起こされて、立って過ごした50分 ④楽しいとき:勉強!楽しゅうて楽しゅうて涙が出る位 だそうだ
昨年の50周年同窓会には10人が出席(男子5 女子5) 範昭さん 万記子さん 通さん 特に剣道部の範昭さんには仕事でお世話になった 感謝 ダンス部の万記子さんはすらっとして格好良かったなあ とてもとても70前とは思えない美しさであった 健康な知的美人といったところか 目立っていたように思う 彼女とは2年のときに同じクラス 熊本城の石垣に登った写真がある スカート姿でした
昭和37年はどんな時代だったのだろうか
アカデミー賞はアラビアのロレンス 興行の第一の洋画は史上最大の作戦 ブルーリボン賞はキューポラのある街 歌謡曲では橋幸夫と吉永小百合のいつでも夢をがヒットした 吉永小百合は我々よりも学年では二つ上の昭和20年3月生まれ サユリストという言葉が流行った 大学は早稲田大学
「母と暮らせば」を鑑賞した 日本アカデミー賞の候補作だったが残念 だが主演男優賞は二宮和也が獲得 吉永小百合は母親役で感動の演技だった 長崎の原爆で被災した息子と母の物語 恋人だった町子 3人に上海のおじさんが加わる 涙 涙 涙が止まらなかった さすが山田洋次監督 母は強し 息子と母 いつの時代も変わらない人間の感情を描いていた それにしても二宮くんも自然で良かった 年末の談春を描いたドラマ「赤めだか」でも名演技だったが このような映画の方が向いていると思う 

2016年3月2日水曜日

3年1組 葛西先生のクラス


3年1組は女性がやや多いようだ 男性は少数精鋭といったところか 2年の時に同じクラスだった友も多い 担任の葛西正信先生は理科を担当 やさしそうな顔 昭和23年3月31日に就任となっている 名簿には線を引いてあるので習ったことはあるようだが全く記憶にないのは残念である 理科は苦手だったからだろう
葛西先生は確か「かっさい」と読んだと思う 東京には葛西と書いて「かさい」というところがある 名前は本当に奥深い 香川に多い苗字をみると一番が大西 二番が田中 三番が高橋だそうだ 私の感覚では香川らしい苗字と言えば 三好 宮武 合田 真鍋 山地 長尾 三谷 塩田 溝渕 福家 香西 松浦 三野 六車といったところだろう 
丸亀町商店街には宮脇書店があって近くに宮武書店があった 宮脇というのは香川に多い苗字かと思っていたがそうでもないようだ お宮さんの脇だから宮脇?それなら全国区となる この宮脇書店が大きい書店であることは知らなった 栗林には松本書店があったが やはり宮脇書店にお世話になった 
今は昔 ジュンク堂書店 紀伊国屋書店 三省堂などが全国展開している 大阪の旭屋書店はどうなっているのか あまり見ない 最近 本はアマゾンで買うことが多い 便利だ 古い本も買える この前買った本は1円 送料が257円 計258円だった 驚くことも多いアマゾンである