2016年3月6日日曜日

3年2組 吉原先生担任


吉原崇雄先生 昭和37年4月1日 大手前高等学校より来任とある 京都大学卒業 担当は英語科 ということは我々と同じか 2組には知り合いが多かった それというのも2年生の時のクラスメイトがこの2組にたくさんいた ホームルーム点描を読むとこのクラスらしい文章が出てくる たとえばわれわれのホームルームで②腹のたつとき:「せっかく機嫌よく眠っていたのに起こされて、立って過ごした50分 ④楽しいとき:勉強!楽しゅうて楽しゅうて涙が出る位 だそうだ
昨年の50周年同窓会には10人が出席(男子5 女子5) 範昭さん 万記子さん 通さん 特に剣道部の範昭さんには仕事でお世話になった 感謝 ダンス部の万記子さんはすらっとして格好良かったなあ とてもとても70前とは思えない美しさであった 健康な知的美人といったところか 目立っていたように思う 彼女とは2年のときに同じクラス 熊本城の石垣に登った写真がある スカート姿でした
昭和37年はどんな時代だったのだろうか
アカデミー賞はアラビアのロレンス 興行の第一の洋画は史上最大の作戦 ブルーリボン賞はキューポラのある街 歌謡曲では橋幸夫と吉永小百合のいつでも夢をがヒットした 吉永小百合は我々よりも学年では二つ上の昭和20年3月生まれ サユリストという言葉が流行った 大学は早稲田大学
「母と暮らせば」を鑑賞した 日本アカデミー賞の候補作だったが残念 だが主演男優賞は二宮和也が獲得 吉永小百合は母親役で感動の演技だった 長崎の原爆で被災した息子と母の物語 恋人だった町子 3人に上海のおじさんが加わる 涙 涙 涙が止まらなかった さすが山田洋次監督 母は強し 息子と母 いつの時代も変わらない人間の感情を描いていた それにしても二宮くんも自然で良かった 年末の談春を描いたドラマ「赤めだか」でも名演技だったが このような映画の方が向いていると思う 

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