2021年12月13日月曜日

奈良公園の晩秋

 




奈良公園は東大寺 春日大社 興福寺 猿沢の池あたり一帯を指す 近鉄奈良駅を出ると若草山が見える 鹿のお出迎えもある 若草山は三つの山が重なっているように見えるので三笠山とも呼ばれる
奈良の名物はなんといっても鹿と大仏である 落語に鹿政談という噺がある マクラで奈良の名物として「大仏に 鹿の巻筆 霰(霰)酒 春日灯篭 町の早起き」ということが出てくる 最後の町の「早起き」は鹿と関係がある 鹿は朝が早い だから町の人も朝早く起きて鹿の動向をみる 万一家の前で鹿が死んでいたら大変なことになる 落語は豆腐屋の店先で鹿がおからを食べているのを主人が見て鹿を叩いた 鹿が死んだ そこで大騒ぎになるという噺だ お裁きが行われる 最後は犬と鹿を間違えたということになる 豆腐屋の主人に向って裁判長は「そちは豆腐屋じゃな きらずにやるぞ」豆腐屋「はいマメで帰ります」でオチになる きらずはおからのこと 豆は豆腐の原材料 桂米朝さんが演じると素晴らしい噺になる

いつもは東大寺の南大門から大仏殿 二月堂 若草山から春日大社に回る 今日は逆回りに挑戦 春日大社は768年藤原氏の氏神として祀られた 東大寺は752年に聖武天皇が建立 だからいずれも平城京の時代に出来たものだ 春日大社には数え切れなほどの灯篭がある これが節分とお盆には火が入るから壮観である 春日万灯篭という 春日大社を出るとすぐ若草山が迫ってくる 342メートル 全部芝 屋島より高い 1月には山焼きがある 隣の二月堂は3月1日からのお水取りで有名だ これが終わると春が来る 大仏殿 南大門を通って帰路につく
中学時代の修学旅行で東大寺のお坊さんがガイドをしてくれた 南大門は大した門ではありません 皆がキョトンとしていると お坊さん さあみんなでこの門のことをゆっくり言いましょう「なーんだーい もん」か でしょう「ふつうのもん」です。
鹿は餌を探しに寄ってくる 小学生の鹿せんべいに数頭が集まり争奪戦をくりひろげていた 小学生は「もうない」「もうない」と言って逃げ回っているのが面白い

2021年12月4日土曜日

奈良の紅葉も素晴らしい



奈良 平城京跡の近くに不退寺がある 平安京に遷都された後に譲位後の平城天皇の家を平城京跡の北東部に建てたのが萱葺の御殿 通称「萱の御所」と呼ばれている 天皇の子の阿保親王と孫の在原業平が受け継いだ 阿保親王の没後業平自身が聖観音像を造立し祀ったのが不退寺の創建 今はひっそりとして訪れる人も少ない ここは別名「業平寺」とも言われている 観音像は業平の作と伝えられる 業平の絵も所蔵されている 業平は歌人としても有名 なかでも法隆寺の近くに流れる龍田川の紅葉を詠んだ「ちはやぶる神代もきかず龍田川からくれなゐに水くくるとは」は超有名 落語にも出てくる噺だ                             

平城京ができたのは710年 「なんと」と覚える 元明天皇が律令制にもとづいた政治をおこなう中心地としてそれまでの都だった藤原京から遷都し新しい大規模な都をつくった 平城京のモデルとしたのはその頃もっとも文化の進んでいた唐(中国)の長安という都 しかし74年間だけでこの後長岡京に都を移した その後794年に平安京に「なくよ」と覚える
現在は敷地の中を近鉄電車が走っている 朱雀門と大極殿が新しく復元されている 近鉄電車の西大寺と新大宮の間だ 奈良と言えば東大寺や春日大社に目が行く 東に東大寺 西に西大寺があった 今は西大寺は東塔跡のみが残っている この平城京跡も良いところであるが見どころが少ないのが残念 法華寺 海龍王寺 不退寺くらいか ガイドブックを見ると航空自衛隊が北にある 幹部候補生が学んでいる 一度足を延ばしたいと思う 昔々はここから若草山 大仏殿が近くに見えていたと思う 眺めは抜群 もう一度訪ねたいところだ

2021年11月21日日曜日

京の紅葉狩り 西京区編



善峯寺は西国33か所第20番札所 1029年源算上人により開かれたお寺 江戸時代の綱吉の生母桂昌院がここで幼年期を過ごしたとある しかし本当に山深いところである 学生時代 ゼミの合宿でここを訪れたことがある こんなところだったとは全然覚えていない ただ奥にある三鈷寺から見た京都市内の風景は今でも覚えている ものすごい急坂を歩いていく紅葉で真っ赤に染まっている 山門の両側に紅葉が 見事である 昔の人はここに良く建てたなあと思う 境内には桂昌院ゆかりのものがたくさん置いてある 桂昌院の幼名はお玉 民間人が大奥に入って大出世 「玉の輿」は、お玉から始まったという 立派なお寺 紅葉も素晴らしい 大勢の方が来ていたのには驚いた

大原野神社は長岡京と関係がある神社であるとのこと 平安京の前の784年に創建 奈良の春日大社から勧請を受けため鹿が置かれている 狛犬の代わりに狛鹿があるのは珍しい 長い参道の両側には紅葉が美しい 今日は婚礼が3組 いやそれ以上あっかかもしれない 皆さんの笑顔が見られた

勝持寺は通称「花の寺」と呼ばれている 天台宗の古刹 679年に創建された 西行法師が出家した寺である 境内には西行桜がある それ以来「花の寺」と呼ばれている 大野原神社に隣接しており長い長い坂道の奥に静かに佇んでいる なかなか見ごたえのあるお寺です 

帰りに西山連峰を眺めた のどかな風景である 昔は京で大原と言えばこの地を指していた  長岡京も近い 良いところであると思う 初めて来たところなので新鮮であった



 

京の紅葉狩り 左京区編



 


叡電の一乗寺で下車 東に向かうと武蔵の「一乗下がり松」がある そこを過ぎて山に向かって歩くと詩仙堂がひっそり佇んでいる 隣はこれも武蔵とゆかりの八天神社 詩仙堂の門を潜ると紅葉が目に入ってくる 石川丈山の住まいであったので「丈山寺」とも呼ぶ 石川丈山は家康公に仕え大阪夏の陣以後徳川家を離れて59歳で詩仙堂を造営したとある 1642年のことである 詩仙の間から見る紅葉は素晴らしい 現在は曹洞宗大本山永平寺の末寺となっている

続いて圓光寺 ここは臨済宗南禅寺派の寺である いつもは拝観料が500円なのだがこの時期は倍となる 庭園が素晴らしい 枯山水 紅葉 枝垂れ桜 この時期は真っ赤に染めたお庭を皆さんが座って眺めている 竹林もある 木活字も有名であり展示されている

最後に曼殊院門跡 結構歩いて辿り着く 門跡というからここは皇室とゆかりのあるところでる 1656年に当地に移ってきた 修学院離宮と近いところを選んだようだ 江戸時代後期の代表的書院建築となっている 様式は桂離宮との関連が深い 皇室の関係とあって内部の写真撮影は禁止とある 庭というより、各部屋の障壁画 黄不動尊が有名である

修学院の駅まで歩く 約20分 途中にあるラーメン屋さんに入る 「すぐる」というお店 並んでいた 常連さんである 30分ほどして店にはいり塩ラーメンを注文 煮干しのようなスープで大きなチャーシューが2枚入っていた 関西ラーメンで準グランプリを取っただけのことはある 大変美味しかったです  ここ一乗寺・修学院は「一乗寺ラーメン街道」と呼ばれており京都随一のラーメン店激戦区であることを今日知った

ここまで来ると「もみじのトンネル」を見ないわけにはいかない 貴船から鞍馬まで電車に乗ってきた




センバツ 21世紀校に選ばれる


大学時代の親友から母校の市立高松第一高等学校が来年の選抜の21世紀枠に推薦されたとのニュースが入った ほんまかいな 準々決勝で負けたのに なんで と思った Yahoo!で新聞記事を検索 その理由が分かった 部員は13名 文武両道 ベスト8          調べると各都道府県から選ばれたチームの中からまず四国代表が選ばれる 次に西日本地区で選ばれる 東日本と西日本で各1校 次に全体から1校 合計3校がセンバツに出場できるとのこと

ネットで予想が出ているのをみると西日本は「本命」が大分舞鶴とある 母校のことは全然出て来ないから「穴」だろう 全体から1校に期待するしかない 同級生で香川の高校野球の監督をしていた哲さんがいる 彼に言わせると四国の中でも「借り貸し」があって強引に選んだ県は翌年遠慮するらしい 今はどうなのか 

中西太大先輩 近藤昭仁大先輩が出た高校というのは通用しないだろうと思うが 名門復活というところでなんとか出来ないか 高野連の会長は母校の細川校長先生である ラッキーといえばラッキー しかし逆にごり押しができない立場にある 

夏の甲子園の県予選は三本松に大敗 その後投手力・攻撃力を強化してなんと丸亀城西とか小豆島中央に連勝して大手前高松にコールド負け さあどんな結果が出るのか楽しみである 6年前にも四国代表に選ばれたが全国では選ばれず 今度こそである 吉報を期待したい

 

2021年10月17日日曜日

桜紫会会報 第66号届く


第66号の会報では新校舎竣工の様子が紹介されていた 9月に竣工したのは校舎棟である 今後体育館棟が建設される 3年先にすべての工事が完成する 体育館棟には新同窓会会館が出来るとのこと 待ち遠しい 寄付金の最終のお願いが同封されていた すでに1万円を寄付しているが 追加は? 目標は1億円だったか 半分の5千万円は超えているようだが 苦戦している 新型コロナの最中でありなかなか難しかったかもしれない

さて、会報の中身はどうか 田村先生との思い出トークの後半が掲載されている ただ全然知らない先生だけに親しみがわかないのが残念である ただフォークダンスとかは共感できる部分がある 秋山先生の自伝にも書いてあったが県の教育委員会の「一高に対する進路指導に対する妨害」はここにも書かれていた 逆にいえば高松西高への贔屓であった それらの試練を乗り越えて今の一高があるのである そのあたりは教員の皆様が頑張っていたことがうれしい

今春の進学状況も掲載されている 国立172人 公立40人 私立466人 計658人となっている もちろん浪人と現役を合わせた数字だが なかなか立派な成績である 香川大 岡山大 広島大と続く 超難関の東大 京大各1名 阪大5名である


 

2021年9月20日月曜日

高松城は12万石


和歌山城つなぎで高松城や石高のことを調べてみた 江戸時代の石高は江戸城が800万石でトップ 続いて金沢城の102万石 鹿児島城の77万石 仙台城の62万石 名古屋城の61万石 次は和歌山城の55万石 熊本城が54万石 福岡城の52万石 広島城の42万石 ここまでがベスト10 和歌山城は全国7位である 天守閣もお濠も立派である

四国では徳島城が18位の26万石 高知城は19位の24万石 松江城は28位の15万石 高松城は32位の12万石 宇和島城は38位の10万石 丸亀城は64位の5万1千石となる 他に四国には今治城3万5千石 石高不明の大洲城がある

日本の名城のガイドによると 高松城は豊臣秀吉が1587年生駒親正に讃岐一国を与えたのが始まり 1588年当時「野原」と呼ばれた瀬戸内海に面した港町に新城の建設を開始し3年後の1590年に完成させ同時に地名を高松と改めた 城は北方が瀬戸内海に面し三重の堀に囲まれた海城 内堀には島のように本丸や二の丸三の丸が配置された 外曲輪外側には海水を引き込んだ広い堀を巡らし東西には舟入(船着場)も造られた 築城時の天守は三重の望楼型天守であったが松平頼重により解体され1670年小倉城天守を模した三重四階地下一階で最上階を三階よりも張り出させた南蛮造(唐造)の天守として再建された 合わせて城の大改修が行われ三重の堀には全て海水が引き込まれた その後松平氏は220年以上11代にわたり居城として幕末を迎えた。城跡には月見櫓と艮櫓が残っている とのことである 

高松城は徳川家から見た特別な家格の八家のひとつである 八家とは 1、尾張名古屋城/徳川家 2、紀伊和歌山城/徳川家 3、常陸水戸城/徳川家 4、会津若松城/松平家 5、讃岐高松城/松平家 6、近江彦根城/井伊家 7、伊予松山城/久松家 8、伊勢桑名城/久松家

その高松城の再建が話題にあがっている 復元が出来るのか本当に待ち遠しい その時は高松城下町のこともPRして欲しい 地図を見ると昔住んでいた今橋 松島付近は郊外として地名が残っている 城の外れである


2021年9月16日木曜日

和歌山市は55万石の城下町



久しぶりに和歌山市に行った 久しぶりといっても40年ぶりかな JR和歌山駅前の和歌山県信連に挨拶に行っただけ そのまま帰った 今回はそんな用もなくのんびりと市内を回った 特に「和歌山城」と「ぶらくり丁」をじっくり見たかった

近くの南海電車に乗って和歌山市駅に向かう 時刻表を見て驚いた 和歌山への特急「さざん」はあるが、急行は1日に2本 今は関西空港行きの急行に乗り泉佐野で普通電車に乗り換えることになる 泉佐野から関空行きはたくさん出ている 泉佐野から和歌山市駅までは13駅あるが大体30分少しかかる 途中 みさき公園 紀の川があり昔は多奈川線とか加太線が接続していた 多奈川線は廃線となり紀の川線は紀の川始発でなく今は和歌山市から加太まで走っている 加太線と名称が変わっている また和歌山大学前(ふじと台)が新しく出来てニュータウンと大学の駅となっているのには驚いた

さて 天下茶屋駅から急行と普通に乗ってのんびりと和歌山市駅に到着 人口34万人の県庁所在地はひっそりしていた 案内板もない なんだこの町は お城がどこにあるのか「でんでんわからん」と和歌山弁で言いたくなった 和歌山のひとは『ざ・じ・ず・ぜ・ぞ』が『だ・ぢ・づ・で・ど』になる だからぜんぜんはでんでんとなる 「ざぶとん」は「だぶとん」になる

和歌山城は築城当初から徳川家であったわけではない 1619年に関ヶ原の戦いで勝った家康の十男の順宣を入国させて御三家紀州藩が成立 そもそもは1585年秀吉の弟秀長が虎伏山の峰に創建したのが始まりである 当時はお城の周りは野原で何もなかったとガイドの方は話してくれた このガイドさん天守閣から見える和歌山の今昔を詳しく説明してくれた 結構おおきな立派な建物が並んでいる 海岸付近にはかっての住友金属の高炉がある また遠くは徳島が見えるという 松下幸之助 有吉佐和子 陸奥宗光 西本幸雄 などが和歌山の著名人 最近の話題では夏の甲子園で優勝した智辯和歌山高校が市の郊外の紀三井寺近くにある 

この紀州からは5代将軍の吉宗と14代将軍慶福(家茂)が出ている 吉宗はご存知「暴れん坊将軍 家茂は若くして将軍になったが尊王攘夷の時代 不運が続いた そして慶喜に代わった 慶喜は最後の将軍である もっとも家茂は紀州ではなく江戸住まいだったので紀州とは縁があまりない

帰りに「ぶらくり丁」を覗いて見た なんとシャッター通りとなっている 立派なアーケードが残っている 同じ商店街でも高松に比べれば活況は雲泥の差である 高松の商店街の皆さんが頑張ったからだと思う 時代の栄枯衰退を強く感じた和歌山であった

 

2021年8月12日木曜日

関西桜紫会会報 第21号届く



関東に続き関西からも会報が届いた コロナの影響で9月の総会は来年に延びるとのこと 致し方ない ここ数年はご無沙汰しているので様子は分からないが大体100名は集まる大きな会である 私より先輩が三分の二 後輩は三分の一くらい 会費が1万円というのも若い方には痛いかもしれない

紙面は新しい校舎の様子を紹介している いわゆる第1期工事が終わり、後は体育館などの建設になる 楽しみである 2学期からは新校舎での授業が始まる 私も寄付をした 何かの足しになっただろうか 新校舎を早く見たいものだ 昨年6月に予定していた高松での同期会も来年あたりには開催するようなので是非行きたいと思う
世間はオリンピックも終わり次は高校野球が開幕した 高松商業は作新学院と第6日目に戦う しかし作新学院の方でコロナ感染者が出ているので実際に試合があるかどうかは不明だ 

高松商業は大正・昭和・平成で勝利しているので今回令和で勝つと4時代制覇ということになる 高松商業はオリンピックのハンドボールにも2人の女子選手が出場 やはり素晴らしい伝統校である 高校まで高商に隣接するところで暮らしていたので嬉しい 今はあの辺りはどうなっているのだろうか 

高松商業のHPを見ると、スッキリしている 母校と比べてみると高商の方がいいと思う 昨年2020年に120周年を迎えた 伝統校である 定時制も併設している 学生数は937人 卒業生は35,946人 進学校ではないので大学進学は少ないがそれでも国公立が30人 私立が225人の合格者を出している 延べ人数だから実際の進学者は分からないが頑張っている これからもますますの発展を期待したい
 

2021年7月23日金曜日

貴船から今宮そして船岡山へ





京阪電車の回数券の期限が迫っていたので淀屋橋から出町柳へ 出町柳から叡電に乗り換え  る 貴船・鞍馬方面は昨年の大きな土砂崩れで貴船口付近で運転見合わせになっておりまだ未開通 もう1年位かかっている 貴船神社には市原から臨時バスが出ている 面倒なのでどうしょうかと思ったがこういう機会も珍しいので貴船に行ってみることにした たしか貴船神社は確か初めて 市原でバスに乗り貴船口で乗り換えて貴船神社に着いた 長い緩やかな階段を上り本殿に 七夕飾りが見事 ここは水の神様である 川床の下を貴船川が勢いよく流れている 川床での食事は涼感を呼ぶ ひろや 右源太・左源太が有名だが他にも数軒並んで客の呼び込みをしている 平均おひとり様1万円 ちょっと贅沢

貴船神社を後にして紫野今宮神社へ向かう バス・地下鉄と結構遠い ここは「あぶり餅」の名店が二つ並んでいる 炭であぶって焦げ目がついて甘いたれがのっている 一人前500円 「かざりや」と「一和」「一和」は1000年前からあるお店らしい 今宮神社は創建994年 平安遷都が794年であるが創建前から社はあったといわれる 東門の前にタイムスリップしたお店のたたずまいが残っている 好きな場所だ

今宮さんから南に行くと船岡山がある ここは建勲神社が中腹に鎮座する 112mの小高い山に登ると市内が一望できる 豊臣秀吉の頃より信長公の霊地として自然がそのまま残されている 

京都市内には他に吉田山とか双ヶ丘という小さい山がある がまだ双ヶ丘には行ったことがない この山は京都が都だったころ重要な役割を占めていた 平安京の朱雀大路の北の起点が船岡山 今の御所より西側が平安京の位置だった また応仁の乱の西軍の陣地になったのが船岡山 西軍の陣地ということでこの辺りが西陣と呼ばれるようになった

今日はよく歩いた コロナ退散を祈ってきたが明日から足が痛くなるかもしれないなあ

 

2021年7月22日木曜日

関東桜紫会会報 第21号届く

後輩の関東桜紫会の幹部の方から会報を贈って頂いた ありがたい 隅から隅まで読んだ この21号は創立25周年記念号 1996(平成8)年2月17日が創立 この日に第1回目の同窓会が開催された その頃私はまだ四国に勤務していた この年の9月に大阪に転勤 1999(平成11)年4月に東京勤務となった 3年8か月後の2002(平成14)年11月に退職して大阪に 東京には1988(昭和62)年11月から1991(平成3)年2月までの3年4か月間在住していたので東京での生活は通算7年だった

1999(平成11)年4月以降に関東桜紫会の集まりには参加した 何回目だったのだろうか 3回か4回目だったと思う 2001(平成13)年10月の京王プラザは秋山先生が来賓だったので大勢で参加したのを覚えている 竹内肇先生も来られていた 東京は華やかで垢抜けしているなという印象だった

この日の記事をみてみよう 同期7名(昌宏さん、博之さん、広美さん、弘文さん、一郎さん、東京在住の学年幹事の女性、私)と秋山先生のお嬢さん1名 計8名が参加 元判事の康雄さんは秋山先生にだけ会って帰った

秋山先生が関東桜紫会に来られた 2001(平成13)年10月 新宿の京王プラザホテル この日は竹内肇先生も来賓でした 竹内先生は音楽分野で有名な先生 愛弟子がわんさかいる また美しい女性が多い 日本を代表する音楽家・声楽家を育てた先生である 我々の時はおられたかな 記憶はない 昭和5年生まれの先生である
さて 秋山先生このとき76歳 凛としている 司会は小林大作さん 元アナウンサーである 他にも有名なソリストが登場する さすがである 華やかであり音楽が入るので実に楽しい また中西太先輩も来ている 私は小学校・中学校・高校と後輩なのでそのことを太さんに話したら おおそうか大後輩だなあと言って喜んで頂いた そういえば太さんが故郷に帰ってくるときなどは自宅まで見に行ったものだ 

この日の他 関東桜紫会には2001(平成13)年6月(何回か不明)の青山ダイヤモンドホール 2014(平成26)年11月(第12回)の表参道のどこか? 計3回出席していることになる 確か2年毎に開催しており昨年開催予定の15回は来年度以降の開催を目指すとか なお会報21号には同期の博之さんがゴルフ会で大活躍している記事が出ていた また建設中だった新校舎は7月に完成 その後、体育館などの建設が始まり2年後に完成する運び




2021年6月25日金曜日

第105回日本陸上競技選手権大会



6月24日から4日間 ヤンマースタジアム長居で開かれる選手権 ここで東京五輪の100メートルの代表が選ばれる 自転車で約5分の長居に出掛けた 隣のヤンマーフィールド長居(サブトラック)に続々と選手が会場にやって来る 東京学芸大学のゼッケンをつけた女子学生3人を見つけた 背が高い なんの種目だろうか 昔昔 東横線の学芸大学前に住んでいたことがあったので懐かしい 今 学芸大学は移転しているようだ 地味だが教員養成の国立大学である 
さて男子100メートル 準決勝までは順調 25日の決勝は手に汗握った 直前の大雨でトラックは光っている さあどうなるか そして優勝したのは多田修平君 ロケットスタートといい中盤も良し ラストも良し タイムは10秒15 多田君の持ちタイムらしいレースだった 大きな大会での優勝は初めてではないか 本人もそのようなことは言っていた 2位はデーデー・ブルーノ選手 そして3位には山縣亮太君 ここまでが3位の内定だった しかし2位のデーデー・ブルーノ選手は標準記録を突破していなので内定はなし 残念ながら小池君は4位 桐生君は5位だった アキレス腱の痛みがあったという 基準がなにかややこしいがどうも小池君が内定候補のようだ 桐生君はどうなるのか また日本がお得意にしている400メートルリレーには選ばれないのか 
田中希実さんも1500メートルで頑張った しかし標準記録に4秒届かなかった 最初から飛ばして行った しかし最後の鐘がなってからペースダウン 2位の卜部選手(東京学芸大学卒)が猛烈な追い込みをかけた 本人は優勝したがタイムが不満だった 彼女は5000メートルに既に内定している たぶん1500も選ばれると思う
多田君は関西学院大学卒 田中さんは同志社大学4回生である 二人とも夢の五輪 是非力を発揮して欲しいと思う

2021年5月29日土曜日

ついにワクチン接種



5月28日 記念すべき日がやってきた COVID-19ワクチンモデルナの接種である 防衛省自衛隊大阪大規模接種センターに到着したのは予約時間の1時間前 ちょっと早すぎた 整理番号をもらって大ホールの待合へ 国際会議場だけあって広い ここには友人の書道展に数回来たことがある リーガーロイヤルホテルともつながっている 

15時10分に案内の放送 5階の受付に向かう そこで接種券・運転免許証・予診票を提出 係員の案内で次に向かう 予診票の内容について係の方から今日の体調は如何ですかと質問 また係員に案内されいよいよ接種のブースに向かう そこで男性の医官から問診があった 問題なしで接種をうける 若い女性の看護官だった 終わりました いとも簡単 一瞬チクとした また係の方から案内され接種済証の交付と次回2回目の予約を受ける ここで15時23分 あとは15分の経過観察 15時40分には完了 無料バスで難波に向かう

これを申し込んだのは大阪市の集団接種が遅いから 今迄HPでは準備中だったが今朝見ると接種は6月14日からとなっている これも予約が直ぐに取れて最速の話 自衛隊の方がはるかに速い 今日は案内係は民間の会社が担当していたがテキパキして分かり易かった また自衛隊の方も若くて気持ちの良い対応だった 接種を受けに来ている人も65歳以上の元気な人ばかりで足取りも軽かった

自衛隊は憲法改正で明記するかどうかが問題になっている 自由民主党は憲法9条1項及び2項を残しつつ 新たに9条の2として「我が国の平和と独立を守り国及び国民の安全を保つために必要な自衛の措置をとることを妨げず」と自衛権を規定の上「必要な自衛の措置」をとるための実力組織として自衛隊を保持するという条項を書き加える案だ 今ある自衛隊をそのまま憲法に記載するだけであり自衛隊の実態は何も変わらない 単に『解釈の制限』を行うだけの規定であるから 憲法上自衛隊が独自に活動する根拠を与えたことにならず将来的に軍事的な影響力が拡大する懸念はないと主張している

これに対して自衛隊明記案は憲法の基本原則である恒久平和主義立憲主義を危険にさらすおそれがあると主張している人もいる 自衛隊の任務の拡大や装備の増強等をふまえ国民生活や基本的人権の保障への影響という観点も含めて改めて自衛隊明記案の危険性を指摘するものであるというのは多くの弁護士会の皆さん 考え過ぎのような気もする 全くの平行線だ 私を含め多くの日本人が日本が戦争に向かうことは反対であると思う 災害が起きるたびに自衛隊が緊急出動している 今回も同じである 便利屋に使っている
自衛隊は戦争をしないということを明記して憲法改正しても良いのではないかと思う立場である


 

2021年4月10日土曜日

嵐山から仁和寺へ

嵐山渡月橋の奥に小倉山と愛宕山が見える 左は百人一首編纂の地として有名な小倉山荘(跡地は常寂光寺の中)があった小倉山 右奥には上方落語に出てくる火除けの神様・愛宕山 渡月橋を渡り天竜寺 そして野宮神社 大河内山荘へ続く竹の小径 まだ先には落柿舎 化野念仏寺とお決まりのコース 

今日のお目当ては「御室桜」京都で一番遅く咲く桜である 嵐電に乗って帷子ノ辻から御室仁和寺へ 駅の前に仁王門が見える その仁王門から中門に入ると左手に御室桜が目に飛んでくる 染井吉野より一週間から十日前後遅く咲く 品種は大半が有明 他には車返し 欝金(うこん)など十数種類の里桜がある 現在のものは江戸時代に植えられたもので200本余り植えられている

仁和寺は吉田兼好で有名だがここには御所がおかれていた 仁和4(888)年に創建された寺院 現在は真言宗御室派の総本山である 宇多天皇の御所となり御室御所と呼ばれた またここには四国八十八か所に参れない人のために2時間で回れる札場があるのも面白い 

御室桜は樹高が低い 何故か?土が悪く根付かないためである 桜が密集しているのも珍しい 拝観料500円 実はここは2回生の時の下宿先の近くであった 時々歩いて来ていたのだがその時は御室桜はそんなに有名ではなかった 仁和寺=徒然草=吉田兼好(仁和寺の近くの双ヶ丘近くに住んでいたようだ) 大きいお寺だなという印象は覚えている 徒然草は随筆であるが教訓も多い その中で有名な教訓がある 「分からないことは他人に聞いたことが良いという教訓」である 今にも通じる

「仁和寺にいたある僧(自分のことではない)は老年になるまで石清水八幡宮を参拝した事が無かった そこで我ながら情けないと思ってある時一大決心してたった一人徒歩で参拝に出掛けた ところがこの僧は極楽寺・高良神社を拝むと八幡宮はこれで全部だと思いこんで[目的である山上の八幡宮を拝まずに]帰ってしまった そして同僚に向かって「長年心にかけていた参拝を果たしました 八幡宮は噂で聞いた以上に荘厳な境内でした それにしても参詣者が皆山へ登ったのは何があったのでしょうか 知りたかったのですが八幡宮の参拝が目的でしたから山上には登りませんでした」ときまじめな顔で話したという ちょっとしたことでも案内者のいたほうが大失敗を避けることが出来るものだ」という教訓である 昔も今も変わらない

2021年3月25日木曜日

桜は開花したが 


桜が開花 今年は例年より早い 2月3月と暖かい日が多かったためだろう 4月の入学式の頃は葉桜になっていると思う この時期は浮き浮きする しかし花見の宴会 歓送迎会 卒業旅行は禁止である まあ禁止と言わなくても誰も宴会などはしないと思うのだが 

2回目の緊急事態宣言が東京など一都三県で3月21日に解除された 既に大阪・京都・神戸は2週間前の7日に解除されている しかしあの宣言はなんだったのだろうか 感染者が減っていないのに予定通り解除 25日には聖火リレーが始まったのでそのためにも解除をしないといけなかったかもしれない 夜は外出しないので分からないが昼間は多くの人が出ている 普段とあまり変わらない こちらも高齢者であるが結構高齢者が出ている ここが昨年4月の緊急事態宣言と違うところである 買い物は必要である それなら近くで良いのだがデパートに行っている バスや電車に揺られてである 誰か言っていたが心の中では緊急事態宣言が出ていることを忘れてはならない マスク 手洗い 消毒 換気 ソーシャルディスタンス 短時間 外食 会話など気を付けないといけない 今日もバスの中で大きな声で会話している会社員がいた 周りは迷惑である 

甲子園センバツも始まった Jリーグも ラグビーのトップリーグも 大相撲も 明日からはプロ野球も始まる 少しづつ日常が始まっている 一方で感染者も増えつつある 無症状という意味がよく分からない いつになるか分からない ワクチン接種が唯一の命綱である 治療薬はいつになるのか 全世界が注目している 近所の公園の桜は5分咲き 近年の災害で古い桜の樹が折れたのは悲しい



2021年2月3日水曜日

節分の翌日は立春 

今年の節分は2月3日ではなく2日が節分 実に124年ぶりとか 聴くところによると立春は太陽の位置で決まっているとのこと 少しずつを調整して立春を決めるらしい これは国立天文台が決めているという 地球は太陽の周りを回るのに365日丁度で回っているわけではないことは知っている そのために「うるう年」は世界的に原則4年に一度調整している 同じようなことで暦の上での立春も微調整で日にちが変わってくるという

本来 季節を分ける「節分」とは年に4回ある 立春 立夏 立秋 立冬 旧暦では春から新しい年が始まったため立春の前日が大晦日とされ特に大事な日とされていた(そういえば中国の春節も日本のお正月のようなもので長期の休暇となっている)立春は他の3つに比べとりわけ大事な日なので「節分」と言えばこの日を指すようになったとか また季節の分かれ目には「邪気」が入りやすいと考えられ様々な邪気を祓う行事が行われてきた 邪気=鬼 今年は特に新型コロナが鬼だろう 行事としては鬼を追いはらう豆まきもそう 鬼の嫌いなイワシを食べたり飾ったりするのもそう そして恵方巻で邪気を祓う これがどうも理解出来ない 鬼は恵方巻が嫌いなのか?

恵方巻は関西で始まったという寿しの組合や海苔の組合が仕掛けた セブンがさらに輪をかけた 恵方を向いて黙って丸かじりする儀式が生まれた 今年の恵方は南南東 恵方は年に寄って決まっており東北東 西南西 南南東 北北西の4つが順番に回る その方角に神さんが居るということになっている

近くのスーパーに寄ってみた さすがに今日は様々な恵方巻が並んでいた 普通巻きはなかった 恵方巻だから皆さん「ええほう」を選ぶらしい 千円超えもある 具沢山の恵方巻は今日限り 皆さん品選びをしていた 我が家でも「ええほう」が出された なんとかこの恵方巻でコロナを退散させて欲しいと思う 緊急事態宣言の延長が決まった 不要不急以外は外出しないことにしているがなかなか難しい 友だちと会うことは控えてはいるが月に1回の3つの病院には行かないといけない コロナ退散で「鬼は外」そういえば昔昔は夜になると子どもたちの声が聞こえてきたことを思い出した




2021年1月10日日曜日

2021(令和3)年 初詣



 あけましておめでとうございます 本来ならば昨日9日が3年4組恒例の新年会だった 今年はコロナ禍のもと残念ながら中止にした 私が幹事の当番だったのだが・・・
さて今年は穏やかな三が日 3つの神社にお参りした 密だったり閑散としていたり様々 住吉大社の太鼓橋は今年で最後にしたい ここで滑って大怪我をした人を知っているからだ 現に今日もどこかのお婆さんが手すりにつかまって降りられない状態だった 危ない危ない なにしろ半円形のところだから 鳥居をくぐるといつもと同じ人出 おみくじも長蛇の列 おみくじは他の神社で買った 「吉」だった お賽銭お札など使ったお金は2000円 さて今年はどんな年になるのだろうか 新聞社が行った企業経営者に対する「日本経済のキーワード」アンケートをみると8割が「コロナ禍」の克服と述べている 他に「デジタル化」「東京五輪」となっている 

年末の衝撃的な東京の感染者1000人越え そして年明けの2000人越え 感染者がどんどん拡大していっている いまや発熱してもPCR検査体制が間に合わない状態 「発熱のまま」だからどんどん家庭感染 市中感染が起きているのだ 先日私自身が発熱した場合のことを考え調べた 公開している病院を探してみた 自分の住んでいる区で発熱外来を診る民間病院は1件もなかったのには驚いた 公開することをためらっていると思う 何故なら大勢来ると困るからであろう ではどうすればいいのか 2つある かかりつけ医と保健所 泌尿器科のかかりつけの先生にお聞きしたらうちでは出来ないが出来る病院を紹介してくれた 保健所に連絡してはどうかということも聞いた 保健所で検査をやってくれるわけではない 紹介するだけだろう それなら同じで紹介してくれた病院に直接電話をすることにした 医療崩壊という言葉を最近おおく聴くようになった 本当の意味は分からない 言葉だけが独り歩きしているような気がする やはり国立か公立できちんとした感染症専門病院が必要と思う 今後そういう時代になるのではないか 感染症は今迄は脇役だったがこれからは主役になるだろう

全ては「コロナ」に尽きると思う はやくワクチンを打ちたい 治療薬が出て来て欲しいというのは本音である 副反応とか副作用は心配だがそれはきちんと検証して頂いて手を打たないと東京五輪どころではない 

近所の氏神様はこんなに少なかった 巫女さんが手持無沙汰であった 3日のことである