奈良公園は東大寺 春日大社 興福寺 猿沢の池あたり一帯を指す 近鉄奈良駅を出ると若草山が見える 鹿のお出迎えもある 若草山は三つの山が重なっているように見えるので三笠山とも呼ばれる
大原野神社は長岡京と関係がある神社であるとのこと 平安京の前の784年に創建 奈良の春日大社から勧請を受けため鹿が置かれている 狛犬の代わりに狛鹿があるのは珍しい 長い参道の両側には紅葉が美しい 今日は婚礼が3組 いやそれ以上あっかかもしれない 皆さんの笑顔が見られた
勝持寺は通称「花の寺」と呼ばれている 天台宗の古刹 679年に創建された 西行法師が出家した寺である 境内には西行桜がある それ以来「花の寺」と呼ばれている 大野原神社に隣接しており長い長い坂道の奥に静かに佇んでいる なかなか見ごたえのあるお寺です
帰りに西山連峰を眺めた のどかな風景である 昔は京で大原と言えばこの地を指していた 長岡京も近い 良いところであると思う 初めて来たところなので新鮮であった
続いて圓光寺 ここは臨済宗南禅寺派の寺である いつもは拝観料が500円なのだがこの時期は倍となる 庭園が素晴らしい 枯山水 紅葉 枝垂れ桜 この時期は真っ赤に染めたお庭を皆さんが座って眺めている 竹林もある 木活字も有名であり展示されている
最後に曼殊院門跡 結構歩いて辿り着く 門跡というからここは皇室とゆかりのあるところでる 1656年に当地に移ってきた 修学院離宮と近いところを選んだようだ 江戸時代後期の代表的書院建築となっている 様式は桂離宮との関連が深い 皇室の関係とあって内部の写真撮影は禁止とある 庭というより、各部屋の障壁画 黄不動尊が有名である
修学院の駅まで歩く 約20分 途中にあるラーメン屋さんに入る 「すぐる」というお店 並んでいた 常連さんである 30分ほどして店にはいり塩ラーメンを注文 煮干しのようなスープで大きなチャーシューが2枚入っていた 関西ラーメンで準グランプリを取っただけのことはある 大変美味しかったです ここ一乗寺・修学院は「一乗寺ラーメン街道」と呼ばれており京都随一のラーメン店激戦区であることを今日知った
ここまで来ると「もみじのトンネル」を見ないわけにはいかない 貴船から鞍馬まで電車に乗ってきた
ネットで予想が出ているのをみると西日本は「本命」が大分舞鶴とある 母校のことは全然出て来ないから「穴」だろう 全体から1校に期待するしかない 同級生で香川の高校野球の監督をしていた哲さんがいる 彼に言わせると四国の中でも「借り貸し」があって強引に選んだ県は翌年遠慮するらしい 今はどうなのか
中西太大先輩 近藤昭仁大先輩が出た高校というのは通用しないだろうと思うが 名門復活というところでなんとか出来ないか 高野連の会長は母校の細川校長先生である ラッキーといえばラッキー しかし逆にごり押しができない立場にある
夏の甲子園の県予選は三本松に大敗 その後投手力・攻撃力を強化してなんと丸亀城西とか小豆島中央に連勝して大手前高松にコールド負け さあどんな結果が出るのか楽しみである 6年前にも四国代表に選ばれたが全国では選ばれず 今度こそである 吉報を期待したい
さて、会報の中身はどうか 田村先生との思い出トークの後半が掲載されている ただ全然知らない先生だけに親しみがわかないのが残念である ただフォークダンスとかは共感できる部分がある 秋山先生の自伝にも書いてあったが県の教育委員会の「一高に対する進路指導に対する妨害」はここにも書かれていた 逆にいえば高松西高への贔屓であった それらの試練を乗り越えて今の一高があるのである そのあたりは教員の皆様が頑張っていたことがうれしい
今春の進学状況も掲載されている 国立172人 公立40人 私立466人 計658人となっている もちろん浪人と現役を合わせた数字だが なかなか立派な成績である 香川大 岡山大 広島大と続く 超難関の東大 京大各1名 阪大5名である
四国では徳島城が18位の26万石 高知城は19位の24万石 松江城は28位の15万石 高松城は32位の12万石 宇和島城は38位の10万石 丸亀城は64位の5万1千石となる 他に四国には今治城3万5千石 石高不明の大洲城がある
日本の名城のガイドによると 高松城は豊臣秀吉が1587年生駒親正に讃岐一国を与えたのが始まり 1588年当時「野原」と呼ばれた瀬戸内海に面した港町に新城の建設を開始し3年後の1590年に完成させ同時に地名を高松と改めた 城は北方が瀬戸内海に面し三重の堀に囲まれた海城 内堀には島のように本丸や二の丸三の丸が配置された 外曲輪外側には海水を引き込んだ広い堀を巡らし東西には舟入(船着場)も造られた 築城時の天守は三重の望楼型天守であったが松平頼重により解体され1670年小倉城天守を模した三重四階地下一階で最上階を三階よりも張り出させた南蛮造(唐造)の天守として再建された 合わせて城の大改修が行われ三重の堀には全て海水が引き込まれた その後松平氏は220年以上11代にわたり居城として幕末を迎えた。城跡には月見櫓と艮櫓が残っている とのことである
高松城は徳川家から見た特別な家格の八家のひとつである 八家とは 1、尾張名古屋城/徳川家 2、紀伊和歌山城/徳川家 3、常陸水戸城/徳川家 4、会津若松城/松平家 5、讃岐高松城/松平家 6、近江彦根城/井伊家 7、伊予松山城/久松家 8、伊勢桑名城/久松家
その高松城の再建が話題にあがっている 復元が出来るのか本当に待ち遠しい その時は高松城下町のこともPRして欲しい 地図を見ると昔住んでいた今橋 松島付近は郊外として地名が残っている 城の外れである
近くの南海電車に乗って和歌山市駅に向かう 時刻表を見て驚いた 和歌山への特急「さざん」はあるが、急行は1日に2本 今は関西空港行きの急行に乗り泉佐野で普通電車に乗り換えることになる 泉佐野から関空行きはたくさん出ている 泉佐野から和歌山市駅までは13駅あるが大体30分少しかかる 途中 みさき公園 紀の川があり昔は多奈川線とか加太線が接続していた 多奈川線は廃線となり紀の川線は紀の川始発でなく今は和歌山市から加太まで走っている 加太線と名称が変わっている また和歌山大学前(ふじと台)が新しく出来てニュータウンと大学の駅となっているのには驚いた
さて 天下茶屋駅から急行と普通に乗ってのんびりと和歌山市駅に到着 人口34万人の県庁所在地はひっそりしていた 案内板もない なんだこの町は お城がどこにあるのか「でんでんわからん」と和歌山弁で言いたくなった 和歌山のひとは『ざ・じ・ず・ぜ・ぞ』が『だ・ぢ・づ・で・ど』になる だからぜんぜんはでんでんとなる 「ざぶとん」は「だぶとん」になる
和歌山城は築城当初から徳川家であったわけではない 1619年に関ヶ原の戦いで勝った家康の十男の順宣を入国させて御三家紀州藩が成立 そもそもは1585年秀吉の弟秀長が虎伏山の峰に創建したのが始まりである 当時はお城の周りは野原で何もなかったとガイドの方は話してくれた このガイドさん天守閣から見える和歌山の今昔を詳しく説明してくれた 結構おおきな立派な建物が並んでいる 海岸付近にはかっての住友金属の高炉がある また遠くは徳島が見えるという 松下幸之助 有吉佐和子 陸奥宗光 西本幸雄 などが和歌山の著名人 最近の話題では夏の甲子園で優勝した智辯和歌山高校が市の郊外の紀三井寺近くにある
この紀州からは5代将軍の吉宗と14代将軍慶福(家茂)が出ている 吉宗はご存知「暴れん坊将軍 家茂は若くして将軍になったが尊王攘夷の時代 不運が続いた そして慶喜に代わった 慶喜は最後の将軍である もっとも家茂は紀州ではなく江戸住まいだったので紀州とは縁があまりない
帰りに「ぶらくり丁」を覗いて見た なんとシャッター通りとなっている 立派なアーケードが残っている 同じ商店街でも高松に比べれば活況は雲泥の差である 高松の商店街の皆さんが頑張ったからだと思う 時代の栄枯衰退を強く感じた和歌山であった
貴船神社を後にして紫野今宮神社へ向かう バス・地下鉄と結構遠い ここは「あぶり餅」の名店が二つ並んでいる 炭であぶって焦げ目がついて甘いたれがのっている 一人前500円 「かざりや」と「一和」「一和」は1000年前からあるお店らしい 今宮神社は創建994年 平安遷都が794年であるが創建前から社はあったといわれる 東門の前にタイムスリップしたお店のたたずまいが残っている 好きな場所だ
今宮さんから南に行くと船岡山がある ここは建勲神社が中腹に鎮座する 112mの小高い山に登ると市内が一望できる 豊臣秀吉の頃より信長公の霊地として自然がそのまま残されている
京都市内には他に吉田山とか双ヶ丘という小さい山がある がまだ双ヶ丘には行ったことがない この山は京都が都だったころ重要な役割を占めていた 平安京の朱雀大路の北の起点が船岡山 今の御所より西側が平安京の位置だった また応仁の乱の西軍の陣地になったのが船岡山 西軍の陣地ということでこの辺りが西陣と呼ばれるようになった
今日はよく歩いた コロナ退散を祈ってきたが明日から足が痛くなるかもしれないなあ
1999(平成11)年4月以降に関東桜紫会の集まりには参加した 何回目だったのだろうか 3回か4回目だったと思う 2001(平成13)年10月の京王プラザは秋山先生が来賓だったので大勢で参加したのを覚えている 竹内肇先生も来られていた 東京は華やかで垢抜けしているなという印象だった
この日の記事をみてみよう 同期7名(昌宏さん、博之さん、広美さん、弘文さん、一郎さん、東京在住の学年幹事の女性、私)と秋山先生のお嬢さん1名 計8名が参加 元判事の康雄さんは秋山先生にだけ会って帰った
秋山先生が関東桜紫会に来られた 2001(平成13)年10月 新宿の京王プラザホテル この日は竹内肇先生も来賓でした 竹内先生は音楽分野で有名な先生 愛弟子がわんさかいる また美しい女性が多い 日本を代表する音楽家・声楽家を育てた先生である 我々の時はおられたかな 記憶はない 昭和5年生まれの先生である
さて 秋山先生このとき76歳 凛としている 司会は小林大作さん 元アナウンサーである 他にも有名なソリストが登場する さすがである 華やかであり音楽が入るので実に楽しい また中西太先輩も来ている 私は小学校・中学校・高校と後輩なのでそのことを太さんに話したら おおそうか大後輩だなあと言って喜んで頂いた そういえば太さんが故郷に帰ってくるときなどは自宅まで見に行ったものだ
この日の他 関東桜紫会には2001(平成13)年6月(何回か不明)の青山ダイヤモンドホール 2014(平成26)年11月(第12回)の表参道のどこか? 計3回出席していることになる 確か2年毎に開催しており昨年開催予定の15回は来年度以降の開催を目指すとか なお会報21号には同期の博之さんがゴルフ会で大活躍している記事が出ていた また建設中だった新校舎は7月に完成 その後、体育館などの建設が始まり2年後に完成する運び
5月28日 記念すべき日がやってきた COVID-19ワクチンモデルナの接種である 防衛省自衛隊大阪大規模接種センターに到着したのは予約時間の1時間前 ちょっと早すぎた 整理番号をもらって大ホールの待合へ 国際会議場だけあって広い ここには友人の書道展に数回来たことがある リーガーロイヤルホテルともつながっている
15時10分に案内の放送 5階の受付に向かう そこで接種券・運転免許証・予診票を提出 係員の案内で次に向かう 予診票の内容について係の方から今日の体調は如何ですかと質問 また係員に案内されいよいよ接種のブースに向かう そこで男性の医官から問診があった 問題なしで接種をうける 若い女性の看護官だった 終わりました いとも簡単 一瞬チクとした また係の方から案内され接種済証の交付と次回2回目の予約を受ける ここで15時23分 あとは15分の経過観察 15時40分には完了 無料バスで難波に向かう
これを申し込んだのは大阪市の集団接種が遅いから 今迄HPでは準備中だったが今朝見ると接種は6月14日からとなっている これも予約が直ぐに取れて最速の話 自衛隊の方がはるかに速い 今日は案内係は民間の会社が担当していたがテキパキして分かり易かった また自衛隊の方も若くて気持ちの良い対応だった 接種を受けに来ている人も65歳以上の元気な人ばかりで足取りも軽かった
自衛隊は憲法改正で明記するかどうかが問題になっている 自由民主党は憲法9条1項及び2項を残しつつ 新たに9条の2として「我が国の平和と独立を守り国及び国民の安全を保つために必要な自衛の措置をとることを妨げず」と自衛権を規定の上「必要な自衛の措置」をとるための実力組織として自衛隊を保持するという条項を書き加える案だ 今ある自衛隊をそのまま憲法に記載するだけであり自衛隊の実態は何も変わらない 単に『解釈の制限』を行うだけの規定であるから 憲法上自衛隊が独自に活動する根拠を与えたことにならず将来的に軍事的な影響力が拡大する懸念はないと主張している
これに対して自衛隊明記案は憲法の基本原則である恒久平和主義立憲主義を危険にさらすおそれがあると主張している人もいる 自衛隊の任務の拡大や装備の増強等をふまえ国民生活や基本的人権の保障への影響という観点も含めて改めて自衛隊明記案の危険性を指摘するものであるというのは多くの弁護士会の皆さん 考え過ぎのような気もする 全くの平行線だ 私を含め多くの日本人が日本が戦争に向かうことは反対であると思う 災害が起きるたびに自衛隊が緊急出動している 今回も同じである 便利屋に使っている
今日のお目当ては「御室桜」京都で一番遅く咲く桜である 嵐電に乗って帷子ノ辻から御室仁和寺へ 駅の前に仁王門が見える その仁王門から中門に入ると左手に御室桜が目に飛んでくる 染井吉野より一週間から十日前後遅く咲く 品種は大半が有明 他には車返し 欝金(うこん)など十数種類の里桜がある 現在のものは江戸時代に植えられたもので200本余り植えられている
仁和寺は吉田兼好で有名だがここには御所がおかれていた 仁和4(888)年に創建された寺院 現在は真言宗御室派の総本山である 宇多天皇の御所となり御室御所と呼ばれた またここには四国八十八か所に参れない人のために2時間で回れる札場があるのも面白い
御室桜は樹高が低い 何故か?土が悪く根付かないためである 桜が密集しているのも珍しい 拝観料500円 実はここは2回生の時の下宿先の近くであった 時々歩いて来ていたのだがその時は御室桜はそんなに有名ではなかった 仁和寺=徒然草=吉田兼好(仁和寺の近くの双ヶ丘近くに住んでいたようだ) 大きいお寺だなという印象は覚えている 徒然草は随筆であるが教訓も多い その中で有名な教訓がある 「分からないことは他人に聞いたことが良いという教訓」である 今にも通じる
「仁和寺にいたある僧(自分のことではない)は老年になるまで石清水八幡宮を参拝した事が無かった そこで我ながら情けないと思ってある時一大決心してたった一人徒歩で参拝に出掛けた ところがこの僧は極楽寺・高良神社を拝むと八幡宮はこれで全部だと思いこんで[目的である山上の八幡宮を拝まずに]帰ってしまった そして同僚に向かって「長年心にかけていた参拝を果たしました 八幡宮は噂で聞いた以上に荘厳な境内でした それにしても参詣者が皆山へ登ったのは何があったのでしょうか 知りたかったのですが八幡宮の参拝が目的でしたから山上には登りませんでした」ときまじめな顔で話したという ちょっとしたことでも案内者のいたほうが大失敗を避けることが出来るものだ」という教訓である 昔も今も変わらない
2回目の緊急事態宣言が東京など一都三県で3月21日に解除された 既に大阪・京都・神戸は2週間前の7日に解除されている しかしあの宣言はなんだったのだろうか 感染者が減っていないのに予定通り解除 25日には聖火リレーが始まったのでそのためにも解除をしないといけなかったかもしれない 夜は外出しないので分からないが昼間は多くの人が出ている 普段とあまり変わらない こちらも高齢者であるが結構高齢者が出ている ここが昨年4月の緊急事態宣言と違うところである 買い物は必要である それなら近くで良いのだがデパートに行っている バスや電車に揺られてである 誰か言っていたが心の中では緊急事態宣言が出ていることを忘れてはならない マスク 手洗い 消毒 換気 ソーシャルディスタンス 短時間 外食 会話など気を付けないといけない 今日もバスの中で大きな声で会話している会社員がいた 周りは迷惑である
甲子園センバツも始まった Jリーグも ラグビーのトップリーグも 大相撲も 明日からはプロ野球も始まる 少しづつ日常が始まっている 一方で感染者も増えつつある 無症状という意味がよく分からない いつになるか分からない ワクチン接種が唯一の命綱である 治療薬はいつになるのか 全世界が注目している 近所の公園の桜は5分咲き 近年の災害で古い桜の樹が折れたのは悲しい
今年の節分は2月3日ではなく2日が節分 実に124年ぶりとか 聴くところによると立春は太陽の位置で決まっているとのこと 少しずつを調整して立春を決めるらしい これは国立天文台が決めているという 地球は太陽の周りを回るのに365日丁度で回っているわけではないことは知っている そのために「うるう年」は世界的に原則4年に一度調整している 同じようなことで暦の上での立春も微調整で日にちが変わってくるという
本来 季節を分ける「節分」とは年に4回ある 立春 立夏 立秋 立冬 旧暦では春から新しい年が始まったため立春の前日が大晦日とされ特に大事な日とされていた(そういえば中国の春節も日本のお正月のようなもので長期の休暇となっている)立春は他の3つに比べとりわけ大事な日なので「節分」と言えばこの日を指すようになったとか また季節の分かれ目には「邪気」が入りやすいと考えられ様々な邪気を祓う行事が行われてきた 邪気=鬼 今年は特に新型コロナが鬼だろう 行事としては鬼を追いはらう豆まきもそう 鬼の嫌いなイワシを食べたり飾ったりするのもそう そして恵方巻で邪気を祓う これがどうも理解出来ない 鬼は恵方巻が嫌いなのか?
恵方巻は関西で始まったという寿しの組合や海苔の組合が仕掛けた セブンがさらに輪をかけた 恵方を向いて黙って丸かじりする儀式が生まれた 今年の恵方は南南東 恵方は年に寄って決まっており東北東 西南西 南南東 北北西の4つが順番に回る その方角に神さんが居るということになっている
近くのスーパーに寄ってみた さすがに今日は様々な恵方巻が並んでいた 普通巻きはなかった 恵方巻だから皆さん「ええほう」を選ぶらしい 千円超えもある 具沢山の恵方巻は今日限り 皆さん品選びをしていた 我が家でも「ええほう」が出された なんとかこの恵方巻でコロナを退散させて欲しいと思う 緊急事態宣言の延長が決まった 不要不急以外は外出しないことにしているがなかなか難しい 友だちと会うことは控えてはいるが月に1回の3つの病院には行かないといけない コロナ退散で「鬼は外」そういえば昔昔は夜になると子どもたちの声が聞こえてきたことを思い出した
年末の衝撃的な東京の感染者1000人越え そして年明けの2000人越え 感染者がどんどん拡大していっている いまや発熱してもPCR検査体制が間に合わない状態 「発熱のまま」だからどんどん家庭感染 市中感染が起きているのだ 先日私自身が発熱した場合のことを考え調べた 公開している病院を探してみた 自分の住んでいる区で発熱外来を診る民間病院は1件もなかったのには驚いた 公開することをためらっていると思う 何故なら大勢来ると困るからであろう ではどうすればいいのか 2つある かかりつけ医と保健所 泌尿器科のかかりつけの先生にお聞きしたらうちでは出来ないが出来る病院を紹介してくれた 保健所に連絡してはどうかということも聞いた 保健所で検査をやってくれるわけではない 紹介するだけだろう それなら同じで紹介してくれた病院に直接電話をすることにした 医療崩壊という言葉を最近おおく聴くようになった 本当の意味は分からない 言葉だけが独り歩きしているような気がする やはり国立か公立できちんとした感染症専門病院が必要と思う 今後そういう時代になるのではないか 感染症は今迄は脇役だったがこれからは主役になるだろう
全ては「コロナ」に尽きると思う はやくワクチンを打ちたい 治療薬が出て来て欲しいというのは本音である 副反応とか副作用は心配だがそれはきちんと検証して頂いて手を打たないと東京五輪どころではない
近所の氏神様はこんなに少なかった 巫女さんが手持無沙汰であった 3日のことである