2022年5月8日日曜日

2年ぶりの高松 その2








栗林公園駅で駅員に「ウクライナカラー」の電車(2両のみ)のことを聞いたら今日は走ってないという返事 土曜日くらいは運行して欲しいと伝えた 途中 仏生山駅の基地で見かけた ものすごく揺れる電車に乗って陶駅で下車 そこで綾川町の公営100円バスに揺られて目的地まで セルフの山田うどんに向う「しょうゆうどん・かき揚げ・赤飯」を注文してゆっくり昼食 さすが讃岐うどん 安くて本当に美味しい あまり情報誌には載っていない店である 超有名店「山越うどん」が近くにあるのでここまで来ないのだろう
その後 菩提寺の納骨堂に1時間ほど滞在して公営バスで陶駅まで タクシーなら1800円もかかるのに100円で済むとは有り難い この菩提寺 同級生の久さんと同じだった しかも高校の後輩が親から継いでいる 親父さんも母校の定時制の先生だった
陶から築港まで 玉藻公園の入り口はフラワーフェアとかで賑わっていた タモリのポスターがあった 桜馬場に行くと新しい門を作っていた ブラタモリで紹介があった「水手御門」も見学 干潮のため海水はなかったのが残念 満潮の時は海水が満ちているだろう ここから瀬戸内海に出たという門
高松港の浮桟橋にもお邪魔してみた 昔と変わらない 今は「瀬戸内芸術祭」が開催されている そのためか人が多かった 
サンポートタワーにも寄って30階の展望室に上がった ガードマンに聞いて屋島の側に回ると絶景 女木島 小豆島 屋島が目の前にある 中央通り 紫雲山 大都市である 下に降りると駅前では再開発 徳島文理大学も駅前に出てくるという 高層マンションも市内中心地に建設されている 建設ラッシュである
高松城の復元も計画されているという 1587年築城の全国でも珍しい水城 我々には高松城と呼ぶより玉藻城の方が似合う 現在の公園の面積は2万4千坪 もともと20万坪もあったので今は八分の一になっている 栗林公園が23万坪だからほぼ同じ面積 そういえば 今でも高松駅の周りは西の丸という地名が残っている
玉藻は柿本人麻呂から伝わることばである 万葉集に収められている人麻呂の歌「玉藻よし 讃岐の国は国柄か 見れども飽かぬ神柄か」意味は玉のような藻の美しい讃岐の国は国の由来ゆえか見ても飽きないことだ 神々しいゆえかなんとも貴いことだ という 700年前後に坂出の島で詠んだ句である 高松で詠んだわけではない この瀬戸内海は藻が多かったらしい のどかな讃岐の風景が目に浮かぶ 今回の一泊二日の旅 有意義な時間を過ごしたと思う





 

2年ぶりの高松 その1








29日に大学時代の集まりがあって高松に出掛けた あいにくのお天気で雨が降りやまず バスも雨と渋滞で遅れた 松山の友とは「ステーキ千萬」で待ち合わせ 10分くらい遅れた 友は高松高校から大学に進学 ゼミで初めて知った友人である 千萬は上ちゃんが教えてくれた 老舗のステーキハウスである 以前は数回行ったことがあるがそれは会社の経費で今回は違う ランチで3000円ちょっとの本格的なステーキ 一通りのコース料理で友も満足 私も満足 
久しぶりに大学の先輩・同期・後輩と会った ここでは思いがけぬ出会いがあった 不思議な縁があったのには驚いた 残念ながらこの日の懇親会での会食は中止 茶話会に変更となった 終わるころには雨もあがった 女木島も美しかった
定宿にチェックイン 夜の高松商店街を歩いた 若い人の行列は「骨付き鳥」の店ばかり 高松も感染者はどのくらいだろうか マスクの仕方とか密をみると怖くなった 商店街は店も閉まっているので人はまばら クリスマス?のようなイルミネーションがあり驚いた
翌朝の朝食はコロナ対策をしたうえでの営業だった 6時30分からのオープンには行列が出来ていた うどんや醬油豆がおいてあった 
10時には琴電で菩提寺に行くことにしていた それまで時間はある 久しぶりに栗林公園でもバス停まで行ったが適当なバスがない 歩くしかない そうだ 先日のブラタモリで紹介していた「大井戸」を見て行こうと思い足を運んだ この道は知らなかった 確かにありました そういえば他の井戸(今はない)の内 亀戸は今の地名亀井町につながっているのかな?
商店街を抜け秋山先生宅から松下うどんに寄り公園北門から入った 栗林公園の開園は夜明けから日没まで 今も続いている 現在の原型は1625年頃に出来たという 生駒高俊公の手によるもの その後 松平頼重公に引き継がれ明治維新に至るまで228年松平家11代の下屋敷として使われた 総面積は23万坪 日本一の公園と思う
公園から歩いてすぐの母校に立ち寄る 新校舎は完成した 今は体育館を建設中 再来年3月に完成するという 土曜日だったので授業は休み クラブ活動で生徒たちがいるのが見えた 玄関を入って右に図書室があった あまりうろうろしては不審者として通報される 今日はこのあたりで失礼  体育館が出来るとまた雰囲気も変わるだろう 立派な校舎であることには間違いなし 琴電栗林公園駅に向った  




 

2022年4月19日火曜日

大きな藤棚の下で


桜の後は藤である 今年もお約束通り開花した 近所の公園の藤棚も咲き出した この藤棚の前でいつもラジオ体操をしている 冬場は寒いし暗いし少なかったが段々と増えてきた 少し休むと皆が心配してくれる 名前も知らないがひとつのコミュニティが出来ている

藤は大阪市内では福島区野田周辺に多く咲いている 約30か所もある 福島区の花は「藤」である その昔 関西では「吉野の桜 野田の藤 高雄の紅葉」とならび称された藤である 福島区野田は藤の名所だったと言われている この「のだふじ」は淀川上流から流れ着いた藤が根付いて平安時代末期には一帯で自生していたらしい 今から1000年以上前から知られていたのだ 特に室町幕府二代将軍足利義詮が「住吉詣」の帰りに詠んだ歌「いにしへの ゆかりを今も紫の ふじなみかかる野田の玉川」が有名 その後 文禄3(1594)年に秀吉も見物に訪れたとのこと ただ1945年の大阪大空襲で多くが焼失 戦後に地元住民が接ぎ木などで少しづつ増やしてきたという その努力の賜物である

藤の名所は全国にあるようだ 日本三大名藤というのがある 春日部市の「牛島の藤」奈良春日大社万葉植物園の「春日野の藤」ここの「のだふじ」もその一つだ 素晴らしいと思った 下福島公園で撮影したがルーツである公園近くの小さな春日神社の藤も必見のようである どうも「春日」というのがキーワードである 春の日=藤だろうか?





2022年4月12日火曜日

哲学の道を歩く




南禅寺の疎水は哲学の道につながっている 南禅寺 永観堂 若王子神社のコースは京都の代表的な散歩道 本当は桜の時期が良いのだが時期を逸してしまった 桜は落下盛んというところか 銀閣寺から歩く人が多いようだ 今日は逆のコース 最初から法然院までと決めて歩いた 
土曜日だったので人出は多かった 本来なら哲学の道なので静かに歩くのが良いのだがそうも言っておられない 約2キロ 途中にはノートルダム女学院がある いつからあったのか知らないが随分奥に入ったところにある
哲学の道は20世紀初頭 哲学者の西田幾多郎さんが毎朝ここを歩いて思想に耽ったところからつけられた道である だから100年になる 私の学生時代もここは良く歩いた 下宿も近かったせいもある
西側には吉田山が見える 時間があれば吉田山荘にも行ってみたいところだったがまたの機会にする 法然院は敷地が広大である 法然上人は讃岐に流されたことがあることは知っていた 仏生山の法然寺がそれである もともとはまんのう町にあった寺だった 仏生山に移ったのは1668年 高松藩の松平頼重が関わった 徳川家は浄土宗を大切にしていたためである なお今は浄土宗から独立している
法然院は拝観料がない 墓地も広いし駐車場も経営しているようだ 谷崎潤一郎のお墓もある 静かなお寺であり訪れる人も多い 来年こそは桜満開の時期に来てみたいと思う そういえば昔々 高槻寮にいる頃に夜中に銀閣寺のラーメンを食べに来たことを思いだした 今もこの界隈はラーメンがおいしいところである
 

南禅寺水路閣を歩く



南禅寺の中を琵琶湖疎水が通っている このことは有名である どのように流れているか確かめに行った 蹴上の駅から南禅寺方面に歩くと「ねじりまんぼ」に出る なんだろう まんぼはトンネルのこと ねじりはねじれていること タイルがねじれて貼ってあるトンネルのことを「ねじりまんぼ」と呼んでいる このトンネルの上が「インクライン」でレールが敷いてある トンネルをくぐると南禅寺への近道 くぐって右に折れると疎水に出る 明治の初めに琵琶湖からの水をここに持ってきたのが東京の田邊氏 若き姿の銅像が立っている 疎水の近くまで歩いていくと南禅寺トンネルに出る このトンネルが哲学の道につながっている もともと管理用の水路だったのが整備されて哲学の道になっている
南禅寺トンネルの下に降りてみると洋風な構造物が建っている 観光スポットになって若い人がここで写真をとっていた
またインクラインの桜は散りかけていたが見事なものだった この日は大勢の人が楽しんでいた 穴場である
数年前に琵琶湖疎水を船で登ったことがある 山科の駅から歩いて乗り場に出て蹴上までの船旅が復活したと聞いて出向いた 今度は日向大神宮から尾根伝いに南禅寺まで歩いてみたいと思う
 

醍醐の花見




醍醐の花見で有名な醍醐寺 この日の翌日に「太閤さんの花見行列」があるということだったがもう自慢の桜は散りかけていた 一度このお寺には来たことがある だいぶ昔々のことである 交通の便が良くなり地下鉄の醍醐駅から徒歩で約8分 他には六地蔵駅からバスが出ているという 今回は京阪三条から地下鉄に乗った 乗った電車が浜大津駅行き この線は京都市地下鉄の東西線と京阪電鉄の京津線が走っているので間違いやすい 山科の手前の御陵で乗り換え醍醐に到着
携帯で現在地を確認してから徒歩で進む 直ぐに山門がみえてきた 満開の桜が向かえてくれた 境内はかなり広い 200万坪もある 874年に聖宝尊師の努力で開創とある 約1150年前のことである 見どころは951年に完成した京都府下最古の五重塔と1115年創建の三宝院である 拝観料の1500円には驚いた 太閤秀吉が1598年に催した「醍醐の花見」はことのほか有名だが今日はそれほど素晴らしいという感じはなかった
また友人から近くの理性院にいけば自社で製作した「よだれかけ」を見て欲しいとのことだったがすっかり忘れてしまっていたのが残念である
醍醐寺の由来は「醍醐味」から来ているという説がある この地で水が湧いていた とても美味しい味がした ここに草庵を作ろう が醍醐寺の起源であるというが信用するか否かは各自の判断である 今でも山を上がれば「醍醐水」という湧水が残っている
この日は、霊宝館に咲いていた枝垂れ桜と醍醐深雪桜が最高にきれいでした 力自慢比べをする「五大力さん」は毎年2月に開催される お餅を持ち上げる大会である 一度見たいと思う

2022年3月20日日曜日

印象派・光の系譜 展覧会


イスラエル博物館所蔵の作品が大阪にやってきた ゴッホ ルノワール ゴーガン モネなど初来日が多い 展示の中で6作品が撮影可というのも嬉しい 

まずゴッホ「プロヴァンスの収穫期」 1888年の作品 南仏の麦畑を鮮明なタッチで描いている ゴッホにとって黄色は太陽の色 「ひまわり」も同じように黄色を使っている 浮世絵にあるような明るい色を求めてパリから南仏アルルにやってきたゴッホ 日本では7作もある「ひまわり」のひとつが東京にある                      続いてルノワール「花瓶にいけられた薔薇」 ルノワールと言えば肖像画 もちろんこの会場にも3点が飾られていた ただ撮影は禁止 1880年頃の作品 印象派の中でも唯一労働者階級だったルノワール 楽しくなる絵しか描かないと幸福感に満ちた作品を描き続けたそうです

ゴーガンの作品は「ウバウバ」という炎の踊り 1891年の作品 近代社会に別れを告げてタヒチへ渡り人間と野生の自然の神秘的な関係性を探ったゴーガン しかし原始的な楽園からほど遠いものだった
最後はモネの「睡蓮の池」 1907年の作品 連作シリーズで大人気画家となったモネは「積みわら」「ポプラ並木」を描いたがやはり1898年頃から自宅で池を作り描いた「睡蓮」が有名 この絵は普段私たちが見る太鼓橋の下の睡蓮ではなく花や葉 水面が中心となっていて睡蓮らしくないのが良い 後期の作品のようである

他にもドイツからユリィの「冬のベルリン」「夜のポツダム広場」も写真撮影がOK その場所には多くの人が撮影していた
今回は東京と大阪での展示 イスラエル博物館(エルサレム)所蔵の69点がほとんど初来日の作品 これが近くで見ることが出来ることは幸せである