2017年5月22日月曜日

あつた蓬莱軒の「ひつまぶし」




名古屋に行って来た 目的は2つ 熱田神宮の近くの「あつた蓬莱軒本店」の「ひつまぶし」を食べること もうひとつは、母校のラグビーの試合を瑞穂スタジアムで観戦すること 早稲田との定期戦だった 
名古屋までは難波から近鉄特急で2時間10分 名古屋駅で名鉄に乗りかえて神宮前まで6分 なんとか受付けの10時30分までにお店に到着 既に長蛇の列 なんじやこれは 受付では12時10分と言われる 11時30分開店だから40分待ち それまで時間があったので熱田神宮を参拝 なかなかの立派な神社であった 天照大神を祀っている そこで神社の由来をみると ここは「蓬莱島」と呼ばれていたとのこと そうかお店の蓬莱軒は由緒ある名前だったのだ
名古屋の友人とお店の前で合流 久しぶりに彼と会った 彼は私より2つ上 しかし大学では同級生 大学ではそういうことはよくある話だ 近くの喫茶店で雑談して時間調整して12時10分にお店に 大きな広間に案内されて2人席に そこで30分待たされてお目当ての「ひつまぶし」が出てきた 大きな器に鰻が入っている 軽く4人前とのこと 食べ方を聴く まず4分割して四分の一をお茶碗にうつす まずそのまま食べる 次に四分の一を薬味(ネギ・海苔・わさび)をかけて食べる 次はお茶漬けにして食べる 最後の四分の一はお好みで食べる 美味しかった 日本一の味である なんと美味しいことか ここは土日は予約を取らないという 念願の「ひつまぶし」がようやく食べられて良かった 良かった ラグビーも勝つし満足した一日であった 彼との話も弾んだ


2017年5月12日金曜日

東寺と弘法大師

東海道新幹線が京都に近づくと南に五重塔が見える ああ京都に着いたと思う 知人から春の特別拝観の招待券を頂いたので出向いた 京都駅南口から徒歩で15分から20分かかる 2回目である 前回は21日の終い弘法であった すなわち12月21日 21日は弘法大師の月命日である 凄い人だった 露店も多く出ていた
今日は特別に宝物殿とか勧智院の国宝を拝観できるというので楽しみにしていた本尊の薬師如来とか大日如来は本物だが 壁にかけている曼荼羅は写真印刷とか がっかりした
東寺は真言宗の総本山 山号は八幡山 正しくは教王護国寺という 世界遺産(文化遺産)である 794年 なくよ鶯平安京 平安遷都の2年後に桓武天皇が造営した東寺 その後823年空海が嵯峨天皇から下賜されて真言密教の道場とされた 善通寺の落慶は813年だからその後である 高野山金剛峰寺は同じく嵯峨天皇が空海に816年に下賜したものだからこの時期は空海にとって絶頂期であった 空海が弘法大師となったのは921年だから亡くなってからのこと 醍醐天皇から贈られたという
東寺の五重塔は木造では我が国最大の塔 55mある 中にも入ることが出来る 江戸時代に三代家光が寄贈したもの それまでたびたび焼失したようだが 1階の四方に仏像を配置してなかなか見ごたえがある 空海も天皇に可愛がられて名声を残した 今頃勉強しても手遅れだが 今の方がよく頭に入るから不思議だ 18歳で京都に出てきて学ぶまでは私と一緒だがその後が違う 空と海 それで空海 まだまだ知りたいことがある
 

52年ぶりに第一志望校を訪ねる


1965(昭和40)年3月 この公立大学の正門に立っていた そして三日間試験を受けた この時は既に私立大学に合格していたので気分は楽だった どうしてもこの大学に合格しなければという危機感はなかった
大阪の自宅からバスで15分 正門前というバス停があった JRの駅も近い 周りは住宅地 アパートがたくさん建っていた ここから通学する人は楽だろうなあと思いながら正門に向かうと昔と変わらかった 大学はだいたいこういう感じである しかし振り返ると立派な建物がたくさん シンボルタワー的な校舎がある 1階には洒落たレストランもあった さすがに連休中だったので学生の姿は少なかったが快適なキャンパスに変身していた
当時の18歳人口は200万人を超えていたが今は110万人前後で約半分 まもなく100万人を割る 教育界では2018年問題とか2020年問題が話題になっている 大学入試改革も然り 18歳人口も然り 最近では経営がうまくいかない大学が公立大学に移行する傾向が顕著である
文科省は私立大学をもっと大事にしないといけないと思う 私立もいろいろであるが真面目に取り組む大学に対しては経営がうまくいくように補助金も手厚くしないといけないと思う 今は残念ながらそういう方向ではない

2017年5月3日水曜日

玉藻公園と高松城

先週BSで旅番組を放映していた 予讃線を紹介 観音寺駅からスタートして高瀬 多度津 丸亀 坂出を回り最後は高松駅だった 観音寺には数回行ったことがある 琴弾公園という変わったものがあるし 現代の浮世絵師の門脇俊一先生の門脇木版画美術館もあるのだが この番組では観音寺のことは紹介せず 高瀬駅で下車し山下おいり本舗へ おいりという讃岐の伝統菓子を紹介 結婚式の引き出物に出すらしい そういえば丸亀の女性が結婚した時にもらったことを思い出した
そのあとは、少林寺 丸亀城 坂出駅前などを回った 10の見所を紹介していた もちろん「うどん」も 最後に高松に到着 ここでは玉藻公園を紹介 特に和舟で回る「城舟体験」というのがあった 500円で30分間乗れる 瀬戸内海と繋がっているので 鯛や平目や河豚までも泳いでいた 
玉藻公園は何回も何回も行ったことがある 今年100年を迎えた披雲閣 月見櫓 二の丸 本丸跡 桜の馬場 菊花展 市民の憩いの場として開放されている 手入は栗林公園ほどではないが綺麗だ 特に好きなところは二の丸から本丸へつながる橋 電車からも見えるところだ 
今 天守閣復元計画が進行中だ 私も賛同の署名を求められた 図面がないので復元は無理と聞いた 松平家には写真が1枚だけ残っているという 懸賞金をだすくらいの気持ちで探さないと無理ではないか どこからか資料が出てくることを願う

2017年4月30日日曜日

新しい本屋さん

久しぶりに梅田に行った 三越伊勢丹は様変わり 隣のルクアに占領されてルクア1100になっていた 大丸 阪急 阪神の激戦区に囲まれて梅田の三越伊勢丹は経営がうまくいかなかったのか 残念である
そのルクア1100の9階に「蔦屋書店」がある 2回目だったが随分雰囲気が変わっていた あの「TSUTAYA」が経営している本屋さんである 休憩コーナーというか 喫茶が出来るスペースがたくさん なんだこれは本屋さんか 目を疑うばかりだ これが先日オープンした「GINZA SIX」にも出店しているというから大成功なのだろう 若い人で一杯だった 本の置き方も独特 読者の興味をそそるような配置で並んでいる 新しい形の本屋さんであると感じた
本屋と言えば高松では宮脇書店だった 最盛期には日本一の本屋さんといわれたこともある 本屋は文化の指標のひとつと言われている その点では高松は文化都市だったのだろう 大阪には旭屋書店があったが今は店舗数を減らした その代わり丸善ジュンク堂 紀伊國屋 などが拡大している 全国書店店舗数でいえば宮脇書店は全国では2位 店舗数は261となっている しかし蔦屋書店のように新しい路線がこれからは伸びると思う 頑張れ宮脇書店

2017年4月16日日曜日

吉野山 中の一目千本

2回目の吉野山 桜の季節は初めて 予想通りものすごい人 昨日の土曜日は2万8千人 今日日曜日はお天気も良く3万人は超えただろう 「下の千本」「中の千本」「奥の千本」と併せると3千本であるが 実際には桜は約3万本あるらしい
終点の近鉄吉野駅を降りて七曲坂を歩くと「下の千本」が見える また少し歩いて吉水神社に着き そこから見る「中の千本」一目(ひとめ)千本は見事だった これがあの吉野山の桜かと感動した 電車の時間の関係で「奥の千本」までは行けなかったのが残念であるが充分堪能できた
今年は近所の桜 造幣局の桜 吉野山の桜と見て廻ることができた 満足である
「さくら さくら」は作者不詳の日本古謡 幕末に江戸で子供用の箏の手ほどきのために作曲されたとされている 確かに琴の音が聞こえるような気がする
さくら さくら
やよいの空は 見わたす限り
かすみか雲か 匂いぞ出ずる
いざやいざや 見にゆかん
そういえば我が母校も「桜町」にあることに気付いた 桜町2丁目5番10号 桜町中学は南隣だ 桜の多い地域だったのだろうか

2017年4月14日金曜日

桜の通り抜け

4月13日大阪の風物詩である「造幣局の桜の通り抜け」に行ってきました 今年は開花が遅くてまだ始まったばかり 「五分咲き」とのアナウンス 係りの人が「立ち止まってはいけません」と叫んでいました 人人 人の波 平日なのにぞろぞろ 門の左には来場者を数える人が2人立っていましたが何故2名なのか 男女を分けているのか?
大川沿いの南門から北門にかけて約600mの桜並木 この一般公開は1883(明治16年)から続いているというから驚きだ 約130種 約350本の桜が咲き誇り 珍しい品種もある ここは八重桜というイメージがあったが違う 全国から集めているのだ
30年前に同僚と来たときは夜桜見物 道を隔てて並んでいる露店で一杯やったことを覚えている その時分は「ぼったくり」の店があるというのを聴いていたので値段が明記している店を選んだものだ
今回 目立ったのは中国人 すぐわかる 案内も中国語でチーとかカンーとかポンとか麻雀で使うような用語が早口で流されていた 因みに中国では蚊のことを「チースウー」というとか言わんとか 
帰りに桜の向こうに大坂城が見えた 太閤さんの時代にはあったのだろうか