2015年10月31日土曜日

1年5組のハロウィン


一高祭でのハロウィン 毎年仮装はやったと思う これは1年のとき あのころは仮装行列と言ってハロウィンとは言わなかった 幸利くんは花嫁に 彼は小柄でぽっちゃりで可愛い 右の私は「おこも」に 昔は乞食と言っていたが今は「おこも」と言うらしい ふぐ鍋という落語でも乞食のことを「おこも」さんと呼んでいる 昔は乞食がムシロ(こも)を被っていることが多かったため「おこも」と呼んでいる。それにしても何かテーマがあったのだろうか?花嫁募集とはあるが 全然記憶がない
ニュースをみていると年々ハロウィンが盛り上がっている 若者は流行に敏感だ 私の学校でも高校時代の制服を着て授業を受ける女子学生がいる はあーい 仮装です・・・と明るい声で答えてくれる彼女たち これからの時代に生きていけるのだろうか おそらく大丈夫と思うが少し心配だ むしろそれについていけない私の方が心配かもしれない 先日誕生日に「アイフォン」に切り替えた 詳しい説明はなかったので四苦八苦している これこそ時代に取り残される なんでもかんでもスマホで行う 電車の中でほとんどの人がスマホを見ているがどうしてかが分かった たしかに面白いのである 今日は解説書を買って使いこなすようにしたいと思う

2015年10月29日木曜日

1年5組の仲間たち


後列は左から 陽ちゃん 私 芳章さん 重信さんは帽子を忘れたのか 弘文さん 和幸くん(今は英和くん)  ? ? 前列は左から 幸利くん 薫ちゃん 2名の名前がどうしても出て来ないなあ 1年生だけど何かあどけない感じがしないのはどうしてだろう 大人の仲間入りしたということか そういえば室町時代以降15歳になると「元服」したとという もう成人だ そんなことを考えると 陽ちゃんは大学生のような顔つきである 背も高かった 今はどうしているのだろうか 幸利くんも確か 若くして米国に武者修行に出掛けたようなことを聞いたのだが
最近 人の名前が出て来ないことがある 名前を覚える フルネームで覚えることが得意だっただけに情けない限りである 誰でも名前で呼ばれたら嬉しいものである 特に学生と話していると どうして私の名前を知っているの と聞かれる それは当たり前 全員の顔と名前を知っていると言えば嘘になるが 覚えようという気があれば覚えられるのである 要はその人に関心を持つこと これに尽きる これからも関心を持って名前を覚えよう

2015年10月22日木曜日

屋島山上でハンカチ落しをした


河合隼雄さんの本を読んでいる 河合さんは言う「人間は思い出話にうつつを抜かすようになるともうおしまいだ」 河合さんは常に今を生きる人 今を懸命にまた楽しく生きているうちに「まさか」に出会う それを楽しむ人だったようだ さすが臨床心理学者だけある 私の恩師も卒業の記念文集に「青春の賦はここに収まれり されど 徒に追憶に沈まず 永遠に生命の火を燃やし続けよう」と言葉を贈っていただいた 確かに過去をいくら語っても駄目 今を生きることが大事であると思う
私もこの「一高さくら会」では思い切り思い出話に浸っている 一方もうひとつのブログ「前座の出番」では今を語っている 丁度それでバランスを取っている
さて、1年の遠足 これは覚えている 屋島である 美沙子さん 昌宏くん 静枝さん 私で何をしているのか それはハンカチ落しである 今はこんな遊びはあるのだろうか 電車に乗っても喫茶店でも「ケータイ」「スマホ」ばかり たまには「ハンカチ落し」もいいではないか ハンカチ王子というのもいたが今は学生はハンカチは持たないらしい トイレでもハンカチは汚いので使わないという ジェットで乾かすと言う だからハンカチ落しは今はない そういえば昔昔公定歩合というのがあったが今はない 時代は変化しているのだ

2015年10月19日月曜日

1年5組のお別れ会


栗林公園でのお別れ会 16歳のとき 久ちゃん 何か楽しそう 後ろの昌宏くんと比べて色が白いなあ 彼とは1年5組の時からの付き合い 2年3年では違うクラスだったのに何故か知っている 彼の功績は軽音楽部の2代目部長であること 1年では同好会 2年で軽音楽部に昇格 そして3年は部長となった 男子2名女子4名の計6名は1年からずっと同じ 頑張って3年間やりとげたと思う 学園誌によれば部が出来た時の部員は32名 あの吹奏楽部をしても35名だからかなり大所帯である 
卒業アルバムをみると彼はギターを弾いている 何の曲か あの頃はやったポップスといえばピーター・ポール&マリーの花はどこに行った・・・それとも久つながりで坂本九の上を向いて歩こうなのか 是非得意曲を教えて欲しい なにしろ演奏は聞いたことがないので 実はこの私もギターを持っていた 親戚筋から頂いたもの 松島アキラの湖愁を弾きながら歌ったことがある 勿論そっとだが あの頃のギターの名曲といえば禁じられた遊びでしょうか それにしても音楽をかじっていたとは知らなかったなあ ビートルズの映画ビートルズがやってくるヤアヤアヤアは3年の時に昌宏くんと常盤街の突き当りの映画館で観た記憶がある
 

2015年10月18日日曜日

レストラン高松での2回目の同期会


これは2001(平成13)年3月に東京で開催した同期会の翌年の2002(平成14)年に開催した同期会だと思う 冬の衣装なので3月だったと記憶する 我々が東京で同期会をしているというので高松から治雄くんと憲一くんがわざわざ上京したのである 二人は高松で同窓会の世話役をしていた 治雄くんは確かコトデンのホテルに勤務して彼のおかげでそのホテルで同窓会を開いたこともある
実はこの年の11月末に34年間働いた会社を早期退職するのだが この時はそういう話は微塵もなかった 同期20名の大半が早期退職を決断したことが私の心を動かした 残ったのは2人 彼らは60歳で定年退職した 私はその後縁あって今のところにお世話になっている まだ現役中 人生は設計図どおりいかないものだ ただ言えることは今の仕事に興味を持ち役に立てる人間でありたい 今の職場は良い職場だと思っている 



2015年10月17日土曜日

1年5組のとき


宮崎光春先生担任の5組 薫ちゃん 重信くん 私 四郎ちゃん 弘文さん 芳章さん 5組は男子25人 女子26人の計51人 隣の秋山先生の4組は男子32人 女子19人の計51人だった これは秋山先生からもらった学籍名簿に書いてある それにしてもよく保存していたものである 我ながら偉いと思う 
出席順はアイウエオでもないしABCでもない 中学の順でもない 高校入試のときの成績順だろうか 何かあるに違いない 先生は分かっていて自分たちだけが分かるようにしていたのではないか 今度秋山先生にお会いするときに聞いておこう 
18歳人口の統計がある 昭和39年が140万人 我々が高校を卒業したときの昭和40年が196万人 そして翌年の昭和41年が249万人 つまり団塊の世代で第1次ベビーブームとなる 日本ではこの249万人が史上最高である 実は昭和19年から21年は戦争のため人口統計がないらしい 国勢調査どころではなかったのである そして平成27年は120万人 半減である まだまだこれから下がり遂に2031年には100万人を切るのである おっと今 地震が発生 どんという音がして揺れた 震度2という 縦揺れと少しばかりの横揺れ 久しぶりである

2015年10月13日火曜日

うなぎはやっぱし浜松


2015ワールドカップを観た観た 残念だったのがスコットランド戦 ミスが出た それまでミスのなかったジャパンだけにそのまま大差がついた 集中力が切れたのか しかしその後はサモア、アメリカを破って3勝をあげた ラグビーファンとしては大変うれしい 肝心の南アフリカ戦は負けると思ってビデオで鑑賞したのが心残り 34-32 との接戦を制した 大番狂わせだった 帰化した外国人が多いのがいささか気にはなるが 我が息子に言わせれば「お父さん それは古いよ」と一蹴された 国際化の時代 確かに他の国もさまざまな移民がいる 高校時代はラグビーはなかった 大学に入ってラグビーをしたことがある パスだけだが 私は体育でバスケを選択していたが雨の日はラグビーの連中が体育館に入ってくる そのときラグビーの教授が日本の監督をした方だった いや厳しかった きつい練習だった そのおかげでラグビーを知り観戦するようになった
数年前の正月に私の投稿したコメントがテレビに流れた その時は驚いた
さて先週は浜松に出張 駅前の大きなホテルでお勉強した 2泊3日だったので、夜は「うなぎ」を食べた 美味しかった 帰ってから話をした すると養殖ですかと聞かれたのでうなぎは和食ですといったら面白いといって笑ってくれた 

2015年10月1日木曜日

2000(平成12)年の関西桜紫会



秋山先生が大阪に来られると3年4組は黙っていない 何があっても馳せ参じることになる この日は私のほか 惟彦くん 弘幸くん 照治くん 千恵子さんが参上 残念ながら千恵子さんはこの6年後にご逝去されたのである 訃報が届きお葬式にも参列した 彼女は私が今住んでいるところのほん近くの公立女子大に通っていたから私の地名を聞いて懐かしがっていたのを思い出す そこで図書館司書の資格を取って大学図書館に勤務 そこで人生の転機があったようだ ただただご冥福を祈る 
照治さんは高校時代は卓球部だった 小噺でこういうのがある 「君 高校時代は 卓球部だったのか」 「はい ピンポン」 好きな小噺だ 卓球部は4組からは3人の男子が部員だった 高松在住の修くん 神奈川在住の弘文くん(彼とは仲が良かった 2年前に品川で昌宏くんの3人で一緒に飲んだ)と照治くん 戦績をみると「惜敗」との字句が多い 奥ゆかしい表現が素晴らしい
ところで弘幸くんは排球部 つまりバレー部 戦績をみると「熱戦したにもかかわらずあと一歩というところで一高独特の精神力の弱さがみられた」とある 思わず吹き出してしまう 確かに決勝で多度津工に完敗していた 主基高校、観音寺一高には勝っている 懐かしいなあ主基高校 いまでも香川県立農業高等学校と改名して学校は存在している それにしても秋山先生は良く来られているなあ 本当に良く来て頂いている 感謝感激雨霰