2015年10月1日木曜日

2000(平成12)年の関西桜紫会



秋山先生が大阪に来られると3年4組は黙っていない 何があっても馳せ参じることになる この日は私のほか 惟彦くん 弘幸くん 照治くん 千恵子さんが参上 残念ながら千恵子さんはこの6年後にご逝去されたのである 訃報が届きお葬式にも参列した 彼女は私が今住んでいるところのほん近くの公立女子大に通っていたから私の地名を聞いて懐かしがっていたのを思い出す そこで図書館司書の資格を取って大学図書館に勤務 そこで人生の転機があったようだ ただただご冥福を祈る 
照治さんは高校時代は卓球部だった 小噺でこういうのがある 「君 高校時代は 卓球部だったのか」 「はい ピンポン」 好きな小噺だ 卓球部は4組からは3人の男子が部員だった 高松在住の修くん 神奈川在住の弘文くん(彼とは仲が良かった 2年前に品川で昌宏くんの3人で一緒に飲んだ)と照治くん 戦績をみると「惜敗」との字句が多い 奥ゆかしい表現が素晴らしい
ところで弘幸くんは排球部 つまりバレー部 戦績をみると「熱戦したにもかかわらずあと一歩というところで一高独特の精神力の弱さがみられた」とある 思わず吹き出してしまう 確かに決勝で多度津工に完敗していた 主基高校、観音寺一高には勝っている 懐かしいなあ主基高校 いまでも香川県立農業高等学校と改名して学校は存在している それにしても秋山先生は良く来られているなあ 本当に良く来て頂いている 感謝感激雨霰

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