2018年12月26日水曜日

天皇 運命の物語



平成最後の忘年会とか 平成最後のクリスマスとか 言って世間は煽っている 平成は来年4月で終わる そして5月からは新年号となる 10連休をどのように過ごすか これをチャンスと捉えてまた様々なフレーズが飛び交うだろう
さて23日の天皇誕生日と24日にNHKで「天皇 運命の物語」という放送があった 天皇陛下が生まれた時からのまさに運命的なストーリーに感動した 昭和天皇の命のもと行われた戦争 そういえば明治維新の際も「錦の御旗」を巡って戊辰戦争があった
実は放送を見て知らないことだらけだった 1933年生まれ だから13歳年上となるちなみに皇后陛下は1934年生まれ 我々の一回り上 陛下の子育て環境 小学生時代の態度 「神の子」として教育を受けたのだろう しかし敗戦で変わる 連合国総司令官マッカーサー元帥の登場 小泉信三氏の教育 家庭教師のヴァイニング夫人などを受けた 19歳の時にエリザベス女王の戴冠式出席 チャーチル首相との出会い 「平和」の大事さ・有難さを感じた 
そして軽井沢での美智子様との出会い 織田幹夫氏の息子さんが電話をとり持つ縁 新聞記者など いくつかの歴史的証言が心に残った 来年4月でご結婚60年になるとか
結婚後は「象徴」として沖縄他国民に対する戦争責任のお詫びの旅を重ねた 皇后さまの膝をついての国民との対話を真似て自らも膝をついた 秘蔵映像を見ながら改めて天皇陛下の気持ちを知った 
昨年 初めて皇居東御苑に入った お堀の前には見事な松の木があった 本来なら桔梗門からの皇居参観を希望していたが時間の関係で叶わなかった 東御苑は江戸城の跡である あの松の廊下跡も番所の建物もある 東御苑と皇居は乾通りで分けられている
天皇陛下の譲位後の住いは今の皇太子と入れ替わって赤坂の東宮御所に移る(一時的には芝高輪の旧高松宮邸で仮住まい)東宮御所は仙洞御所に名前が変わる 皇太子は皇居の御所に住いが変わるという
天皇陛下は23日のお誕生日の会見で今までの人生を「旅」に例えてこう語った(抜粋)
「私は成年皇族として人生の旅を歩み始めて程なく 現在の皇后と出会い 深い信頼の下同伴を求め 爾来この伴侶と共に これまでの旅を続けてきました 天皇としての旅を終えようとしている今 私はこれまで象徴としての私の立場を受け入れ 私を支え続けてくれた多くの国民に衷心より感謝するとともに 自らも国民の一人であった皇后が 私の人生の旅に加わり 60年という長い年月 皇室と国民の双方への献身を 真心を持って果たしてきたことを 心からねぎらいたく思います」ありがたいお言葉である どうかよいお年をお迎えください

2018年12月14日金曜日

12月の京都散策


今年は暖冬とか しかし今日は寒かった 10度を下回っていた 冷たい風が身に染みる 2月の気温とか 暖冬の予報はあてにならない インフルエンザの流行期に入ったという 手洗い うがい マスクの三種の神器で予防しないといけない 既に予防接種はしたのだが油断は禁物 なんとかうつらないようにしたい
さて12月 師走 京都では吉例の南座の「まねきあげ」があった 今年は南座の改修工事が終わって11月から歌舞伎の公演が始まっている いつもより1か月早い 記念公演は連日大入りのようである 毎年恒例の12月の顔見世興行の特別席が27,000円とか 一等席が25,000円 特に高いようだ 因みに東京の歌舞伎座は桟敷席で20,000円 一等席は18,000円 いずれにせよ高すぎる
先日 12月の京都を歩いた 東福寺から東山通りを北に北に 四条まで 途中は泉涌寺とか智積院とか清水寺とか八坂の塔とか安井の金毘羅神社がある 
東福寺は紅葉が有名 通天橋からの紅葉は素晴らしい 今年は12月でもまだ紅葉が残っていた 庭は赤い絨毯となっていた 着物姿で歩く女性が居た よく見ると若くはなかった 若い時代を卒業した人たちであった 浴衣のようなレンタルの着物を羽織って歩く 最近流行っているようだ なんだか安っぽくて残念である
京都の寺社仏閣はほとんど行ったがその大きさに驚く 東福寺は奈良の東大寺と興福寺から名前を取ったというから立派な寺院だ 京都五山のひとつである 臨済宗総本山のお寺でここで禅の修行をした
またその時代のトイレが残っている 東司(とうす)という 大きな穴が掘っている ここで用を足したとか 何か木を置いてしたのだろうか ここの肥やしが京野菜に使われていたという 意外と知らない人が多い やはりひとつのところを2時間くらいかけてみないとお寺の概要がわからない
久しぶりの京都 時々は散策して歴史を感じてみたいと思う 来年は仁和寺を回ろう

2018年11月13日火曜日

黙祷 一郎君 


11月11日に隆教さんから「一郎さんが亡くなった」とメールがあった 前日に開催された関東桜紫会総会で聞かされたという 役員も全然知らなかったようだ 総務リーダーを辞退したいと申し出があったと聴いていたので体調が悪かったのかと私は一瞬思った しかしそれではなかった 隆教さんは 博史さん(3年で一郎さんと同じクラス)から聞いたとのこと ショックである 彼みたいな元気そのもの印が逝くなんて信じられない
その後 詳しいことが分かってきた 亡くなったのは7月27日朝 テニスに行って倒れた 「急性大動脈解離」とか この病は ほとんどの場合 高血圧症を基礎に持つ患者に突如発生する大動脈の恐ろしい病気 大動脈の内側に亀裂が入りその裂け目から血液が大動脈の壁を裂いて壁内に流れ込む(1枚の大動脈壁の中に血液が裂け入って、壁を内側と外側の2枚の薄い膜に分離してしまう)病気 だとか 高血圧が原因のようだ 彼はそうだったのか
2014年1月に大阪の新年会に東京からゲストで来た 怪しげな髭を貯えていた 帰るときに股を広げて「またね」とか言って笑わしていた
高校卒業後2000年1月に東京八重洲の「讃岐茶屋」で久しぶりに会った この時は私と一郎君が段取りした 8人集まった 彼は某ゼネコンの確か秘書課にいたと思う この時に紅一点が公美子さんだった 彼女はこの2年後に天国に行ってしまった 56歳の若さだった
一郎君は私と同じ中学校の卒業で高校時代までは親しかった 彼はあだ名をつけるのが得意だった ある女の先生を「うがい」と呼んでいた 先生がうがいをよくするところからつけたと言っていた 
高校に入ると隣の4組で秋山幸造先生が担任だった 先生も随分可愛がっていた 生徒会で活躍 前向きの男だった 英語も達者で海外経験も喜んで引き受けていた 昨年亡くなった直行君の葬儀についても残された奥様との連絡を取っていた 特に仲の良かった3人組のひとりの英和君に知らすと驚いていた 一郎君が夏に高松に帰る度に会っていたという 今年は叶わなかった 一郎君のご冥福をお祈りしたい 合掌

2018年9月30日日曜日

祝賀会にナンチャンが登場




90周年祝賀会の公式参加者数は469名 見たことのない人の多さ しかし我々40年卒はわずか2名 隆教君と私 寂しすぎる もっと来てもいいと思うが 残念である やはりこんなに集まるのはナンチャン効果である
ナンチャンこと南原清隆さんがスポットライトに照らされて登場 放送作家のナンチャンの1年後輩で小西マサテルさんも同じ芸能人仲間としてゲストトークショーに参加 二人の掛け合いが楽しかった 
聴くところによれば前日東京便で来高 母校に寄って在校生と交流 大勢の生徒さんが大歓迎した模様 スライドショーで入部していた落語研究会(古典芸能部)の仲間との想い出 進路の話 お世話になった恩師 國金先生もその一人 比較的真面目なトークだった 人気者だけに何を言っても面白いし楽しい やはり高校時代から目立っていた存在だったようだ この二人が卒業した昭和58年組と59年組はたくさんの同期が出席していたのは当然のこと
ナンチャンのリクエストで合唱部の「一高のファイト」が流された また最後の締めでも「一高のファイト」を全員で歌った すべて演出されたものだった しかしサプライズだったのかな 落研の2年先輩のドクターが登場したのは 二人で屋上で座布団敷いて落語をした想い出を語った また米朝師匠の「鴻池の犬」が好きだったという同期の女子部員も登場 盛り上がった ナンチャンは仕草・スピーチ・間(タイミング)といいスマートだった
ナンチャンと話が出来ないかと思ったら最後の最後にナンチャンと話せた 銀座の東芝ホールでの「横浜放送映画専門学院の卒業公演」を見ましたと言ったらよく覚えていた ありがとうございます と丁寧なお返事だった
毎年開催される桜紫会の総会 中西太さんが来られてなかったのは残念 しかし今日はナンチャンが来てくれたのは本当に良かった 隣に座った42年卒の美女と「100周年」の再会を約した  

一高創立90周年記念式典




台風24号の接近が心配だった そんな中 高松レグザムホール大ホールで「90周年」の記念式典が挙行された 高松駅に到着すると雨は降っていたが小雨だった
レグザムホールとは香川県県民ホールのことである 初めて入ったが凄く立派な施設であった このホールはいわゆる「ネーミング・ライツ」(命名権)を株レグザムが買ったものである 社名変更の前は隆祥産業 聴いたことがある 本社は大阪にあるが工場は高松他四国にあるようだ エレクトロニクス応用製品を作っている会社である
会場に着くと生徒たちが大勢いた とても活気があった 在校生は皆生き生きしている 素直な感じがした お世辞抜きで良い高校だなあと感じた
10時に式典開始 校長の式辞 大西高松市長の祝辞と全部で6名が登壇した 終わったのは10時50分 皆さん原稿を持って良い挨拶をされた その後 吹奏楽 合唱部の記念演奏があった さすが音楽自慢の高校だけある オーケストラピットにはたくさんの生徒が入っていた マエストロの大山先生も指揮した
記念講演会は齋藤孝先生 楽しみにしていたことのひとつ 演題は「日本語力と身体感覚をきたえる」先生は演題の前に出て生徒の顔を見ながら喋った 生徒に言わせたりして生徒は大喜び 言葉に対しての反応が良いか悪いか 反応が鈍い人はどうかしている 先生の問いかけに対して一高の生徒はなかなか反応が良かったと思う 堂々としていた 先生は言う ポジティブに物を言おう 大きな声を出すと元気が出る 頭を使って何か言う 言葉は行動に出てくる 孔子の言葉 知性・仁・勇気 アイディアを出せない人は当事者意識がない人 臍下丹田は行動力のもと 最後に生き生きした体を作るために最後に生徒は3回繰り返した 「凄い 凄過ぎる 高松一高」
感動を頂いた素晴らしい講演だった 生徒にも刺激になるお話だった 感謝感謝感謝

2018年9月1日土曜日

桜紫会 創立90周年記念号



毎年この時期に届く会報 第63号 今回は90周年の案内と同窓会館の寄付がメインである 90周年か 我々が卒業したのは1965年 今は2018年だから卒業してから53年になる 市立として90年 唯一の市立高校 大阪でも市立高校はいくつかあるが少子化で府立高校にシフトする動きがある 大阪は府と市の統合があるから単純に考えることは出来ないが 香川県もそういう動きがあるのかと思いきや 全然そういうことはない これからもずっと市立でいくのだろう 卒業生42,700名 そのうち終身会費納入者は10,900名とか 4人にひとりしか終身会費(1万円)を納めていないのはちと寂し まだの人は同窓会事務局に問い合わせすれば口座番号を教えてくれます
記事を拝見すると校舎を全面的に建て替えるので「校舎お別れ会」が来年1月に行われるとのこと 定かではないが野球のグランドもここで出来るらしい 5階建ての校舎 竣工が待ち遠しい 
高校生時代を思い出す 1年4組は本館の2階にあった 担任の宮崎光春先生の足音がコツコツと聞こえてきたのを今でも覚えている 突き当りが1年5組 秋山先生のクラスだった 2年生の担任は星野先生 教室は北校舎の2階? 3年生の担任は秋山先生 教室は本館の2階の突き当りにあったような 全くのうろ覚えである ただ図書館だけは覚えている 木造平屋の小さいところだった 1年生の9月に体育館が竣工 ここで生徒会の立会演説会をしていたのを思い出す
同窓会館建設の寄付もせっかくだから1万円を拠出したいと思う 出せるときは協力したい

2018年8月18日土曜日

太っさん レジェンド始球式






我らが13年大先輩の中西太さん(愛称:太っさん)が18日に甲子園のマウンドに立った 85歳の雄姿である この目でどうしても見たかったがチケットが取れず断念 テレビで拝見した 香川大会の始球式とは違って山なりのボール 捕手まで届いて拍手喝采だった (日刊スポーツの写真を拝借した)
第100回全国高校野球選手権記念大会 レジェンド始球式 実は90回の時も太っさんはマウンドに上がっている その時は知らなかった 今回は香川大会でも始球式と激励の挨拶を行っている 
16日に甲子園に行った 済美と高知商の試合を観戦 乱打戦かと思いきや投手戦となって9回裏の高知商の猛攻をしのいで済美の勝ち あの「やればできるは魔法の合言葉」の校歌を聴いた 
隣のおっちゃんが声を掛けてきた かなり詳しい高校野球ファンだった 中西太さんの後輩だと言ったら「高松一」ですかと即回答 毎年外野席で観戦するのが楽しみと言う 今回から外野席は有料(500円)となったがそのくらいは影響なし こういうファンは多いのだろう 何より「高松一」を知っていたのは嬉しい
母校が甲子園に出るのは至難の業だろうが「策」はある 大西市長が丸亀高出身なので無理かもしれない 市が監督を公募したり特進コースを設ければ出来るのだがどうだろうか 卒業生としては強化策を期待する

2018年8月15日水曜日

秋山先生 祝93歳


秋山先生は8月19日で93歳になられる 1925年 大正14年生まれ 「先生お幾つになりますか」と聞くと「昭和と共に歩んでいるよ」と先生はいつも笑って答えられる 
「九十歳 何がめでたい」という佐藤愛子さんのエッセイがあった 佐藤さんは大正12年生まれとか 確かに加齢で足が弱くなり段々衰えていく姿に何がめでたいという気持ちは分からないでもない 70歳代はそうでもないが加齢の影響は少し感じることがある
6月の同窓会の翌日に先生宅を訪ねた いつもながら先生の記憶力には「脱帽」本当によく覚えておられる 先生から頂いた「自分史 ハードルを越えて」は先生の波乱万丈の一生が綴られている 秋山家の「ファミリーヒストリー」が丁寧に描かれている その中には3人の恩師(宮崎先生 森崎先生 岡崎先生)に対する感謝の念が伝わってくる
先生が鶴屋町尋常小学2年のとき、大きな悲劇が起こった 右眼に針が刺さって失明 中学には希望の高中(現在の高松高校)への入学が失明しているとの理由で断念 一中(高松一高)へ入学 卒業後は高等師範学校に入学し英語教員になる夢をあきらめ 高松高商(香川大学)に入学 昭和19年(2年時)に学徒動員 その後「赤紙」が来て昭和20年1月に軍隊に 満州の部隊に配属 6月には内地(高知)に配属 そして8月に終戦を迎える 
ところが高松高商は9月末付で卒業扱いに 恩師からの勧めで東京商大(一橋大学)への推薦入学も出来たが家庭の事情で叶えられず就職 その後直ぐに恩師森崎先生の勧めもあって昭和22年4月から屋島中学に赴任 教員としてのスタートを切った 
そして昭和27年から62年までは母校の高松一高の教師として奉職 自分史では先生の教育に対する熱い思いが心に染みる また戦争に対する怒りも伝わってくる 今日終戦記念日を迎える 絶対に戦争はしないという宣言をすべきである


2018年8月3日金曜日

関東桜紫会会報 第18号届く

関東桜紫会の会報 2年下の泰彦さんから毎回送って頂いている 感謝 彼は幹事長として関東の桜紫会を縁の下の力持ちとして支えている たいしたものだ 東京に勤務していた関係で関東の同窓会には数回参加したことがある 最近では4年前の2014年11月に参加 その時は直行君も元気だった 一郎君は今も役員として活躍している
関東の会は2年に1回 ただし会報は毎年発行している その会報で活躍している卒業生を掲載している 特に音楽家が多い 高校を卒業して芸大とか音大に入学 卒業後も音楽の世界で活躍している もちろん同窓会でも演奏する
記事の中で9月29日(土)に高松で創立90周年記念式典・記念講演会を開催するという案内があった 午後からは記念祝賀会とある 事前申し込みが必要とあったので早速申し込みをした なんとゲストはウッチャンナンチャンの南原清隆(昭和58)放送作家の小西マサテル(昭和59)とある 小西さんはよく知らないがナンチャンの1年後輩で落語研究会の後輩らしい 「落研」があったのか たぶんナンチャンが造ったのだろう
ナンチャンを初めて見たのは東京銀座東芝ホール たまたま銀座を歩いていたら「若手のコント」が開催されていた 1988(昭和63)年だったと思う 内海桂子・好江師匠も出演していたのを思い出す 川崎にあった横浜放送映画専門学院の卒業生の会のような気がする 内海師匠はそこの講師 好江師匠は61歳でご逝去されたが桂子師匠は御年95歳とか
その日は多くのタレントの卵が出てきた とりわけウッチャンナンチャンのコントは爆笑だった ファミリーレストランでのコント 一人の客と店員の会話 ここはファミリーレストランだから家族のお店で一人は駄目とかなんとか コント55の再来かと思った お客さんも爆笑の渦 ドカンドカンと これはシティ派コントというらしい コンビニとかレンタルビデオでの会話もある 今で言う場面場面での「アルアル」ということか観衆の共感を呼んでいたと思う
それから約30年余りの活躍はたいしたもの まさか後輩とは 是非お近くでお会いしたいと思う

2018年7月26日木曜日

夏期ラジオ体操会 少子高齢化


毎朝 公園でラジオ体操会が開かれている 夏休み期間中は子供たちも参加 しかし子どもたちは少ない ここにも少子高齢化の波が 子ども1に対して大人2の割合 子どもたちはスタンプを押してもらってご褒美をもらうのが楽しみ 大人は知り合いの方と毎朝健康を確認するのが楽しみ 病院の小噺がある 病院にて「あのおばあちゃん 今日は病院に来てないなあ」「そうやな おばあちゃん病気違うか」健康な人が病院に行く時代である
ラジオ体操は良く出来ていると思う お馴染みのラジオ体操第一 終わってからのラジオ体操第二 第二体操は難しいと聞いていたがそうでもない 最近第三とあるのを聴いた 調べてみると第四 第五もあるらしい
会社員時代に午後三時にラジオ体操をしていた ある若手社員がNHkに行って「正式なラジオ体操第一」の説明図をもらってきて全員に配布したことがある 彼はユニークな発想の持ち主だった 手紙の返信の「行」は無駄だから初めから「殿」とか「様」を書いた方が良いと提案したことがある それは浸透しなかった
しかし正式なラジオ体操の手引きは好評だった どこに力を入れるか抜くかが分かった ただダラダラしていたのでは効果がない 歩きも同じだ 姿勢 歩幅 スピード 足の使い方が大事 
高齢化時代で健康の番組をよく見る 継続が課題 このように毎朝ラジオ体操をしているのも良いことだ 終わってから一周700mの池の周囲をウォーキング 平均寿命は男81 女87とか 数年前は男は「79(泣く)」女は「さあやろうで86」とかいっていたが 今は「男はハイ分かりましたで81」「女はこれからが花で87」といきますか

伯耆大山 1729m


伯耆大山(ほうきだいせん)の夏 岡山県側からは険しい山肌が見える 奥大山と呼ばれている 鍵掛峠からドライブする道がある 一方 鳥取県米子市から見ると富士山のように見える とにかく美しい 島根県からもこの大山は見える 島根県民は出雲富士と呼んでいる
大山蒜山(だいせん・ひるぜん)パークウェイというのがある つい最近まで蒜山が大山と繋がっていることを知らなかった 高いところで1202m 上蒜山・中蒜山・下蒜山が「蒜山三座」と呼ばれている 岡山県北部の高原リゾート地として地元ではよく知られている まだ未開発のところも多い とにかく涼しい 人が少ないのは嬉しい ジャージ牛乳が美味しい 美味しい湧き水もある 幼少の頃 西日本放送で「蒜山高原」の映像が流れていた 読みかたが分からなかった 確か30度以下なので避暑地としてはもってこいである
水と言えば奥大山に「サントリー天然水奥大山ブナの森工場」がある 西日本ではここの天然水が販売されている 一方 東日本では「サントリー南アルプス白洲工場」(山梨県)で製造されたものが販売されている
大山は今年が開山1300年祭で賑わっている 昭和42年10月に登山したことがある 早朝大山寺を出発 草鞋を履いてご来光を拝んだ 中国地方では最高峰 鳥取県では人々が日々「大山さんのおかげ」と感謝の念を捧げながら大山を仰ぎ見る暮らしが息づいている 地蔵菩薩信仰である この麓に「mont-bell」の支店がある ここで身支度を整えて登山する老若男女が最近多い この支店の売り場面積の売上げも相当高いらしい
さて大山という山は関東にもある 丹沢大山山系の神奈川県伊勢原市にある 落語では「大山(おおやま)詣り」という噺で有名だ 「おおやま」は1252m 都心から90分 小田急線伊勢原からバス ケーブルカーで行ける 一度行ってみたいけれどもう無理かな 落語だけで満足しょう

2018年7月12日木曜日

関西桜紫会のご案内 届く

今年もまた総会と懇親会が開催される 第18号の会報が届いた 9月1日(土)にヒルトン大阪で開催 毎年大阪駅のグランビアだったが 音楽部のOB2名のミニコンサートがある 会費は1万円 今年も「欠席」で葉書を出す予定 この時期は予定が入っているので出席は難しい なお9月29日(土)には高松で90周年記念祝賀会 11月10日(土)には東京吉祥寺で関東桜紫会の集まりの告知があった
会報をめくると同期11組の隆教君の投稿があった じっくり読んだ 突然の心臓発作 生存率は5%だったとか 自覚症状もなく発症 1年前のお正月にそれは起きた 心臓マッサージで肋骨が何本も折れたという 声も出なくなった 彼曰く日常の生活習慣が大きく影響していたものと思われるとか 食事・嗜好品・肥満など・・・関西桜紫会会長としての激務も負担になったのではないかと私は思っているが
私も先日 健康診断を受診した 昨年は人間ドックに入った 生まれてこのかた2回目のドックだった 今年は毎月通っている医院の先生に相談して簡単な健康診断だけにした 人間ドック補助も2年に1回しか出なくなったこともある まだ結果は来ていないがたぶん大丈夫だろう 尿検査と血液検査 身長・体重 問診だけ直ぐに終わった
毎日 スクワット 足の膝裏伸ばし 足裏マッサージを意識的にしている だいたい1万歩を目途に歩くようにしている 階段も 都会にいると車は使わず歩くことが多い 歩く姿勢も大事だ 
7月初めの「西日本豪雨」の惨状をみると心が痛む 200人以上の死者が出ている 広島 岡山 それに四国の愛媛が多い 屋島東町でも土砂崩れがあったという 英和君と同じ町内だ 彼の家は山より海が近い 海水の方が心配なところだ 各地で天変地異が起きている 50年に一度とか100年に一度とか 毎年起きている 長い歴史の中で何かが起きているのだろう 心配だ 
 

2018年6月30日土曜日

サムライブルー 16強へ



予選H組の第2戦 セネガルとの一戦 2点目を入れたのは本田圭祐だった これを外したら何を言われるか 落ち着いて入れた これで同点にした 勝ち点1をもぎ取った 素晴らしいゴールだった もちろん1点目の乾のシュートも芸術的だった
第1戦はコロンビアにまさかの勝利 これで俄然盛り上がってきた ランクは全くあてにならないことが分かった ラグビーと違ってサッカーは何が起こるか分からない 
今回は全敗の予想だった 当たったのは最終戦のポーランド戦のみ 第1戦の勝利で勢いたサムライブルー 自信になっただろう この勢いは怖い
高校時代は残念ながら「サッカー部」も「ラグビー部」もなかった 「ハンドボール部」はあったのに ハンドは何といっても俊文くん 主将 なんと3年生は2人 県予選で優勝して全国大会に出場して1回戦を突破して2回戦で敗退した 顧問の山西寛先生のとにかく指導が凄かったことは聴いている 
勤務していた会社がサッカーに熱心でJリーグ加盟のチームを持っていた その関係で試合を数度観戦したことがある それも正面の特等席で ハーフタイムにはビップルームで軽食が出た ゴールキーパーが大学時代の後輩だったので応援していた 彼は1998年のフランス大会に日本代表で選ばれたのでそれが勲章になった 彼が選ばれるかどうか判断するゲームが松山の砥部で行われた 当時は四国勤務だったので特等席で観戦 ナイスキーパー 見事合格 今は解説者として時々テレビで拝見する
7月3日は決勝トーナメント 相手はベルギー ワッフルはマネケンが美味しい ワッフルは甘くても試合は甘くない しかしサッカーは何が起こるか分からない 今度は最後まで頑張って欲しい

2018年6月22日金曜日

「これから音頭」を歌う



「これから音頭」を歌うのは弘文くん 我々世代にぴったしの歌 まずは聴いてみよう 「すぎて来たあと ふり向くよりも いまを楽しく 生きようよ ながい人生 落ちこぼれずに よくぞここまで 来れたもの まだまだ じんせい これからだ これから音頭で 健やかに スコヤカに」これが一番「 遊ぶことより 働くことに いのち燃やして きた世代 あとはまかせた 子供や孫に そして余生をのんびりと まだまだじんせい これからだ これから音頭で健やかに スコヤカに」が二番 全部で四番まである 歌と作詞大泉逸郎 作曲荒木良治となっている
さすが弘文くん 彼とは1年5組で一緒だった 一緒のクラスだったのは1年間 わずかの間だったが印象は大 彼にまつわる「武勇伝」は過去に紹介したことがある 2年では生徒会でも活躍 ひとくちで言えば人間が出来ていた 今では家業のお寺を継いでいる 一度その名刹を訪ねてみたい
5組は野球部の敬さんしか知らない 会が終わって懐かしい女性に出会った 5組の益代さんとは久しぶりの再会 私を覚えてくれていて感激 遠方から来られていた 元気でなにより 
「これから音頭」ではないが まだまだ人生これからだ 振り向くのも無駄ではないが前を見て歩くのも大切 
私の好きな詩人の坂村真民さんの歌に「二度とない人生だから」という詩がある 
二度とない人生だから 一輪の花にも無限の愛を注いでゆこう 一羽の鳥の声にも無心の耳を傾けてゆこう 二度とない人生だから・・・・そんな気持ちを持って前を向いて歩こう 弘文くんの前向きな姿に感謝 元気を頂いた これが同窓会の良いところである

2018年6月21日木曜日

6組と4組の歌合戦


今回もトップでマイクを握ったのは6組の美女軍団 選ばれし熟女がステージに上がると華やかになる 歌ったのは「高校三年生」などという野暮なものではない 確か越路吹雪の歌ではなかったか 「サントワマミー」だったか 私は美女の一人に撮影を頼まれていたからあまり覚えていない 美女に撮れるように写したのだ 元写真部としては出来るだけナイスショットを撮りたいとやや緊張 あれ10名参加なのに8名しかいない
それに比べて我が4組は「青い山脈」 ソングリーダーの紀子様が選んだ さすが選曲が素晴らしい この明るい歌はカラオケにはピッタリ ただ古すぎる 男性陣では晃さんがソングリーダー 彼はだいぶ投資している 2次会でも歌いに行こうと女性陣を誘ったが残念ながら振られたのである 晃さん哲さんらの高松組は年3回から4回 美味しいものを食べに行こうということで集まっている うらやましいといえば羨ましい 
幹事には申し訳けないが今年は何かしら盛り上がりに欠けた 恩師が6名から2名になったことも一因 前回の後 桑田先生はご逝去された 秋山先生 綾井先生 菰渕先生はご健在だが諸般の事情あり 私が幹事だったら出身中学毎にステージに上がってもらい自己紹介をしてもらう やはり全員の声を聴きたいなあ 参加者も嬉しいと思うのだが
同窓会の翌日 秋山先生宅を5名で訪問した おおようきた ようきた と歓迎して頂いた そしてひとりひとりに近況を尋ねた クラス全員の名前も読み上げて元気にしていますと話した 先生は今年の1月6日に全く目が見えなくなったという 先生の机の上には拡大鏡が備え付けてあった 下に手紙を置くと何10倍に拡大できる機器だった この新兵器も日常生活に欠かせないものだった しかし全く見えないようになった今はどのように使っているのだろうか 聞き洩らした 目以外は全く元気でまもなく93歳を迎える 長寿を祈念したいと全員握手して ご自宅をおいとました

3年ぶりの同窓会は

高校時代の同窓会開催 3年ぶりである 今回は91名 前回は138名だったから34%減 県外からは何名だっただろうか 私の知る限り15%くらいだっただろうか 我がクラスも今回は11名と少なかった 前回は16名だったのに 今回は11組の14名が一番だった 回ってきた欠席の葉書をみると田植えがあるとか 所用のためとか書いてあった 今回は恩師の秋山先生も欠席だし4組は盛り上りに欠けた
さて16時から始まった同窓会 終わったのは19時 ゆったりした気分であったが時間が長く感じた それもそのはず 10時30分に英和さんと高松駅で合流 11時に四郎ちゃんの店で美味しい「ひやしかけ」を一緒に食べて 我が家の墓参りに行って 幹事の良次さんのお店に一緒に行って14時までホットコーヒーを飲んで 15時にはホテルのロビーで昌宏さん 隆教さんたちと雑談していたからか 疲れた感がある
会は「屋島を出ずる朝日影・・・」の校歌で開会 4番まで歌うことはないがこの日は特別 会長が挨拶して来賓の林先生が面白い挨拶 残念ながら林先生には習ったことはない 昭和39年4月1日付で横浜市立横浜南高校から赴任とある 地理・地学担当 岡山県出身 我々は翌年の昭和40年3月卒だから一部の生徒しか縁がなかったのだろう 本日の来賓の国金先生も同じ昭和39年4月赴任 こちらは東京教育大学卒業後新任とあるから我々と3歳違う計算 当時剣道5段 3年前国金先生は11組の男闘呼組と一緒に歌っていたが 今回は「音なしの構え」だったのが少し気になった スピーチもなかった
メインはビンゴゲームだったが今回は料理の出るタイミングも悪く なんかおかしかった 幹事が屋台の特設の「うどん」が残っている 残っていると叫んでいたが 全然食べる気がしなかった どうせなら「骨付鳥」の方が良かった 文句ばかりはいけないので今日はこのくらいにしておこう それにしても私も含め 皆んな歳をとったなあ  次回は3年後開催 色んな企画を考えているという 楽しみにしておこう

2018年5月26日土曜日

OH! タカラヅカ


宝塚歌劇を観に行った 高校時代に西宮の叔父さんに連れて来てもらったことがある 誰が出ていたか 花組 月組 星組かは覚えていない 50数年前のこと 紅顔の少年にとって衝撃だったことは覚えている
それが今回男性8名で しかも高齢者が 本当に一人で行けるものではない お客様は9割が女性 沢山ある女性トイレは長蛇の列 男子トイレは極端に少ない
今日は楽しみにしていた 実は落語の噺が歌劇になっているのだ 「地獄八景亡者の戯れ」「朝友」「死ぬなら今」の3つの噺を合わせている しかしその他にも背をはやみ岩にせかるる滝川の・・「崇徳院」が出てきたり 落語ファンにとっては素晴らしい「演出」であった 演目は「アナザーワールド」つまりあの世とこの世を行ったり来たり 別世界のあの世が「アナザーワールド」 星組組長の紅(くれない)ゆずるが主役の康次郎 それにしても組長とは怖い 宝塚歌劇でも珍しいストーリーで話題になっている作品だ
休憩の後は「キラー ルージュ」キラーとは素晴らしい人 魅了する人のことを言うらしい ルージュ(紅色)をテーマカラーに「紅ゆずる」率いる星組が華麗なステージを繰り広げる なんとその中に先日亡くなられた西城秀樹の「情熱の嵐」が流れる 「君が望むなら!ヒデキ!」には驚いたが見事な演出である 急遽考えたのだろう 素晴らしい
そして今回の見ものは、今年卒業したばかりの104期生の初舞台 圧巻のラインダンス なんとその足の細いこと 開演直後に代表の3人が「口上」を述べた 小林一三先生の教えの「清く正しく美しく」をしっかりと胸に刻んで精進すると決意表明する これは日替わりで全員が行うらしい 将来この中で競争して「トップスター」が出てくるのである 
今日の感想 女は夢を見る 男は女性の素晴らしさを見る 女の人は凄い 今日一緒に観に行った仲間から貴重な話を聴いた 住んでいた家の前には大空美鳥というスターがいたことを 美しいお姉さん タカラジェンヌは永遠である

2018年5月17日木曜日

真言宗豊山派本山 長谷寺は花の寺



大阪市内から名古屋に向かう電車で1時間 長谷寺駅に到着 今日は3回目の訪問だ 駅前は本当に何もない「初瀬」という地名表示が目に付く「はつせ」ではなく「はせ」と読むようだ 初瀬山にあるのが「長谷寺」三輪山の南麓から長い谷が続くので「長谷寺」になったらしい
ここは「花の御寺」と呼ばれている 毎月様々な花が咲いている 5月は山吹 牡丹 躑躅 芍薬 石楠花 藤 花水木 6月は沙羅双樹 紫陽花 花菖蒲 山法師 桔梗 などなど 特に5月の牡丹と6月の紫陽花が有名である 私も花が好きなので牡丹を見に行った しかし既に時期が過ぎていた 連休くらいが良かったらしい
長谷寺の縁起は686年に始まる 727年に奈良の聖武天皇がご本尊の十一面観世音菩薩を祀った その後 弘法大師が広めた真言宗の寺として信仰を集めている 山号が「豊山(ぶさん)」従って真言宗豊山派本山 根本道場とも呼ばれている 全国に長谷詣 長谷信仰が広まり今では三千の系列のお寺が全国にあるらしい
弘法大師さんというと四国八十八か所となる しかしすべてが真言宗であるという訳ではない 殆どが真言宗ではあるが 善通寺は真言宗善通寺派 しかも総本山である いろんな派閥があってなんだか複雑で覚えられない 松山の51番札所の石手寺は長谷寺と同じ系列である 香川県には豊山派はないようだ 
長谷寺は花の他 長い長い回廊が有名だ 山門をくぐるといきなり緩やかな回廊が続く 段々きつくなる しかし岡山の吉備津神社の回廊の方が少し長いかもしれない その他大きな観音様 10メートルもある 足の大きさも半端ではない その足が触れる また大観音大画軸も16メートルもあって縦に吊るせなくて横に寝かせている とにかくスケールが大きい
近くには女人高野と言われる室生寺もある こちらは真言宗室生寺派も総本山 今日は行けなかったので次回の楽しみに置いておこう

2018年5月12日土曜日

瓦せんべい「宗家」「総本店」


従弟から高松の瓦せんべいのことを聴かれた 従弟の母の7回忌に高松の「瓦せんべい」を取り寄せたいとのこと 私は「硬い方か 柔らかい方か」聞いた 確か「大きい硬い方」とのこと 2つあることは知っていた 兵庫町が硬いの 片原町が柔らかいの と覚えていた
良く調べると片原町は「轡堂」と看板がかかっている 「総本店」ということらしい ややこしいなあ 紛らわしい 兵庫町は「久つ和堂」の看板がかかっており会社名は「宗家くつわ堂」 ホームページで調べると「宗家」の田村氏が創業者 1877(明治10)年創業の老舗である 一方の「轡堂」はホームページがないので詳細は不明である しかし場所的に三越に近いし2階にゆったりできる喫茶部もあるから有名である 勿論 瓦せんべいも販売している
どんどん調べると他にも高松駅の近くにも瓦せんべいのお店があるらしい 駅の近くなので寄ってみたが今はなかった お店は駐車場になっていた ここは「国宗勝利堂」というお店だった 「くつわ」という名前ではなかった
いずれにせよ高松の瓦せんべいの発祥の地は「宗家」田村さんという方が「本家」である ここの瓦せんべいは硬いが讃岐和三盆を使用 味が深い 
同級生の昌宏くんは縁があって「宗家」とお知り合いになったとのこと これからはなるべく「宗家」の方を買わねばならない
なお 神戸にも亀井堂総本店というところが「元祖」を名乗り1873年から瓦せんべいを販売している 神戸の方が4年早いようである