2018年11月13日火曜日

黙祷 一郎君 


11月11日に隆教さんから「一郎さんが亡くなった」とメールがあった 前日に開催された関東桜紫会総会で聞かされたという 役員も全然知らなかったようだ 総務リーダーを辞退したいと申し出があったと聴いていたので体調が悪かったのかと私は一瞬思った しかしそれではなかった 隆教さんは 博史さん(3年で一郎さんと同じクラス)から聞いたとのこと ショックである 彼みたいな元気そのもの印が逝くなんて信じられない
その後 詳しいことが分かってきた 亡くなったのは7月27日朝 テニスに行って倒れた 「急性大動脈解離」とか この病は ほとんどの場合 高血圧症を基礎に持つ患者に突如発生する大動脈の恐ろしい病気 大動脈の内側に亀裂が入りその裂け目から血液が大動脈の壁を裂いて壁内に流れ込む(1枚の大動脈壁の中に血液が裂け入って、壁を内側と外側の2枚の薄い膜に分離してしまう)病気 だとか 高血圧が原因のようだ 彼はそうだったのか
2014年1月に大阪の新年会に東京からゲストで来た 怪しげな髭を貯えていた 帰るときに股を広げて「またね」とか言って笑わしていた
高校卒業後2000年1月に東京八重洲の「讃岐茶屋」で久しぶりに会った この時は私と一郎君が段取りした 8人集まった 彼は某ゼネコンの確か秘書課にいたと思う この時に紅一点が公美子さんだった 彼女はこの2年後に天国に行ってしまった 56歳の若さだった
一郎君は私と同じ中学校の卒業で高校時代までは親しかった 彼はあだ名をつけるのが得意だった ある女の先生を「うがい」と呼んでいた 先生がうがいをよくするところからつけたと言っていた 
高校に入ると隣の4組で秋山幸造先生が担任だった 先生も随分可愛がっていた 生徒会で活躍 前向きの男だった 英語も達者で海外経験も喜んで引き受けていた 昨年亡くなった直行君の葬儀についても残された奥様との連絡を取っていた 特に仲の良かった3人組のひとりの英和君に知らすと驚いていた 一郎君が夏に高松に帰る度に会っていたという 今年は叶わなかった 一郎君のご冥福をお祈りしたい 合掌

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